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第四章 新たな命
第二十八話 困惑
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その朝、ロバートはこれまでに出会ったことのない感動を覚えていた。
彼女の頬にかかる銀色の髪のひと房を、そっと指先でのけた。
指先が肌に触れるだけで、ロバートの全身に、また新たな喜びが生まれた。
これほどに心が躍動し、全身が活気に満たされる相手で出会ったのは、どれほどぶりだろうか。
数年間?
いや、これまでそういった経験には身を預けたことが少ない。
祖母である女王にぼやかせる程度に夜遊びは楽しんだが、夜を伴にした相手とは避妊を心がけてきたし、なるべくそういった雰囲気にならないよう、気を付けてきたつもりだ。
その意味で、彼を縛りつける枷がすべてない状態で、身体を通い合わせた相手というのは、ほぼいなかった。
稀有で基調で、それまでの誰よりも優美な彼女を腕に抱くことができて、ロバートの心は満足感で深く満たされていた。
朝はまだ早く、彼女の眠りは彼が少し揺すった程度では、覚めそうにない。
こんな時間まで付き合わせたものの、彼女はパルスティン公爵家に縁のある者だと語っていた。
滞在しているのはこのホテルだと思われるが、主人がいつまでも戻って来なければ、家人たちも心配するだろう。
それに送り出すのなら、朝早い方がいい。
人目につかないからだ。
彼女が王国の人間であれば、ロバートはいくらでもその身を挺して守ってやれる。
しかし、帝国貴族ともなればまた話は別になってる。
舞踏会の主催者である王太子と関係を持ったことで、セナの立場が大きく急変する可能性もあった。
なるべくそうならないように、まずはそっと彼女を元いた世界に戻しきちんと女王に報告して、セナを迎えに行く。
今はそれが最善の方法だと、ロバートは考えていた。
けれどもそれを行う前に、彼女を送り出す前に。
もうあと少しだけ、二人だけの時間楽しませて欲しいと、彼は王室を守る精霊に祈っていた。
祈りが通じたのか、セナは頬に当たる彼の手の感触を意識することなく、心地よい寝息を立てて眠っている。
目が覚めたとき、昨夜の激しい二人の愛が、脱ぎ散らかした衣服にも及んでしまっていた。
セナが起きた時、目にして後悔しないように、静かに床上にある二人分の衣類を集めて、隅にある椅子の上に畳んでおいた。
ロバートはベッドを降りる時に自らのけたブランケットに気づく。
下には裸のままの彼女がいて、その光景は素晴らしく彼の欲望を刺激したが、いまはそれを忘れることにした。
自分の都合で彼女を起こすよりも、今は安らかな寝息を立てているその横顔を、大事にしたい。
きちんと彼女の上にかけ直してやろうとしたら、シーツの上が赤く染まっていることに気づいた。
どこかから出血でもしたのか、と疑念が沸き、それが彼女のものであることに思い至るまで時間はかからなかった。ロバートは自分の全身を確認したが、どこにも刺し傷や切り傷といったものは見当たらない。
……本当に、初めての夜を自分と過ごしたのか?
慎み深い女性それは必須のものだと言われてきたが、この魔導工学も発達した近代で、それは稀有な存在と言えた。
祖母や姉妹たちから、早く相手を見つけろと口うるさく言われることに嫌気が差していた。
ようやくその苦痛からも解放されるのだ、と天からの啓示を受けたように、閃きが走る。
自分は彼女のことをほとんど知らない。
彼女が告げた血筋が本物で、高額のチケットを購入し、あれほど素晴らしいドレスを用意できるのなら、間違いなく富裕層の一人だと言えた。
帝国でも名門といわれる高等学院を卒業し、ちょっと偏った専門ではあるものの、博士課程に進もうとするほどの熱意がある女性だ。
……研究熱心なあまり、その指先が男性の職人のように荒れているのはいただけないが、それもまた歴史にかける彼女の情熱を体現しているように思えた。
自分たちは昨夜の情事が告げているように、ベッドでの相性が素晴らしく合っている。
本当ならばこのあと、彼女になんの予定もなく、そのまま王宮に欲しいと招待したい誘惑に駆られていた。
俺はどうしても彼女を妻にしたい。
想いの一つが現実となったように、セナの薬指には、彼が渡した愛の証拠である指輪が輝き、ロバートは更に満たされた気分になった。
コーヒーと簡単な軽食なら、リビングの向こうにあるキッチンで、温めればいいだけの状態となって冷蔵庫のなかに食事が用意されていることを思い出す。
彼女が目覚めたら、さぞや空腹だろう、と考えた。
あの開会宣言のあとからセナを独占してずっと、今に至るまで、二人は食事らしい食事を口にしていなかった。
ロバートの胃が、なにかを求めるように、小さく疼く。
それはまた彼女も同じ感触だろうと想像するにかたくない。
セナ起こさないように静かに寝室を出ると、静かに扉を閉めてキッチンに向かう。
準備をし、淹れたてのコーヒーを二つのカップに注ぎ、簡単だが、温めた軽食をトレイに載せて、寝室に向かうとそこに彼女はおらず、ベッドの中には誰かがそこにいた温もりを残していた。
「セナ?」
トイレにでも行ったのかと思い、視線をそちらの方向にやるも、バスルームとトイレに続く扉からは物音ひとつしない。
朝食が乗ったトレイをベッドの脇にある台の上に置いたとき、椅子の上から彼女のドレスが消えていることに気づいた。
それから数分の間、ロバートはスイートルームと中庭にいたるまで、彼女のことを隈なく捜した。
激しい困惑と言い表せない怒りを抱いて寝室にもどり、そしてようやく、判断がついた。
「逃げたのか……どうして?」
どこかの高名な魔法使いが、自分を騙すために、幻覚の魔法でも覚えさせたのかと困惑する。
室内には彼女と共に過ごしたことを物語る品はなく、ただ一つだけ、思い当たるのはズボンのポケットに入れていた彼女と交換した、ルビーの指輪だった。
椅子の上からズボンを取りそのポケットを探って目当てのものを取り出す。
やはり彼女は存在したのに、俺から逃げたのか?
理解が及ばない現実が、ロバートを苦悩の果てへと追いやろうとしていた。
だから待て、と彼は思い直す。
王族には炎の精霊の加護がある。
それは契約をした者の身に危険が及ぶとき、こちらが呼び出そうと呼び出すまいと、やってくるのだ。
だが、いまはそれが来ない。
目的は彼の命ではなく、それ以外のなにか。
それが何だったのか。仮にも彼を困らせようとすれば、そのときでも精霊はやってきて彼を守ろうとする。
これまではそうだったし、それはほとんどが、なんらかの脅威につながった。
その経験から考えても、セナはその真逆にいたと考えてもいい。肉体を通じ合ってまで、心を通わせたのだから。
彼女がどうして消えたのか、ロバートには全く思い当たる節がなかった。
彼女の頬にかかる銀色の髪のひと房を、そっと指先でのけた。
指先が肌に触れるだけで、ロバートの全身に、また新たな喜びが生まれた。
これほどに心が躍動し、全身が活気に満たされる相手で出会ったのは、どれほどぶりだろうか。
数年間?
いや、これまでそういった経験には身を預けたことが少ない。
祖母である女王にぼやかせる程度に夜遊びは楽しんだが、夜を伴にした相手とは避妊を心がけてきたし、なるべくそういった雰囲気にならないよう、気を付けてきたつもりだ。
その意味で、彼を縛りつける枷がすべてない状態で、身体を通い合わせた相手というのは、ほぼいなかった。
稀有で基調で、それまでの誰よりも優美な彼女を腕に抱くことができて、ロバートの心は満足感で深く満たされていた。
朝はまだ早く、彼女の眠りは彼が少し揺すった程度では、覚めそうにない。
こんな時間まで付き合わせたものの、彼女はパルスティン公爵家に縁のある者だと語っていた。
滞在しているのはこのホテルだと思われるが、主人がいつまでも戻って来なければ、家人たちも心配するだろう。
それに送り出すのなら、朝早い方がいい。
人目につかないからだ。
彼女が王国の人間であれば、ロバートはいくらでもその身を挺して守ってやれる。
しかし、帝国貴族ともなればまた話は別になってる。
舞踏会の主催者である王太子と関係を持ったことで、セナの立場が大きく急変する可能性もあった。
なるべくそうならないように、まずはそっと彼女を元いた世界に戻しきちんと女王に報告して、セナを迎えに行く。
今はそれが最善の方法だと、ロバートは考えていた。
けれどもそれを行う前に、彼女を送り出す前に。
もうあと少しだけ、二人だけの時間楽しませて欲しいと、彼は王室を守る精霊に祈っていた。
祈りが通じたのか、セナは頬に当たる彼の手の感触を意識することなく、心地よい寝息を立てて眠っている。
目が覚めたとき、昨夜の激しい二人の愛が、脱ぎ散らかした衣服にも及んでしまっていた。
セナが起きた時、目にして後悔しないように、静かに床上にある二人分の衣類を集めて、隅にある椅子の上に畳んでおいた。
ロバートはベッドを降りる時に自らのけたブランケットに気づく。
下には裸のままの彼女がいて、その光景は素晴らしく彼の欲望を刺激したが、いまはそれを忘れることにした。
自分の都合で彼女を起こすよりも、今は安らかな寝息を立てているその横顔を、大事にしたい。
きちんと彼女の上にかけ直してやろうとしたら、シーツの上が赤く染まっていることに気づいた。
どこかから出血でもしたのか、と疑念が沸き、それが彼女のものであることに思い至るまで時間はかからなかった。ロバートは自分の全身を確認したが、どこにも刺し傷や切り傷といったものは見当たらない。
……本当に、初めての夜を自分と過ごしたのか?
慎み深い女性それは必須のものだと言われてきたが、この魔導工学も発達した近代で、それは稀有な存在と言えた。
祖母や姉妹たちから、早く相手を見つけろと口うるさく言われることに嫌気が差していた。
ようやくその苦痛からも解放されるのだ、と天からの啓示を受けたように、閃きが走る。
自分は彼女のことをほとんど知らない。
彼女が告げた血筋が本物で、高額のチケットを購入し、あれほど素晴らしいドレスを用意できるのなら、間違いなく富裕層の一人だと言えた。
帝国でも名門といわれる高等学院を卒業し、ちょっと偏った専門ではあるものの、博士課程に進もうとするほどの熱意がある女性だ。
……研究熱心なあまり、その指先が男性の職人のように荒れているのはいただけないが、それもまた歴史にかける彼女の情熱を体現しているように思えた。
自分たちは昨夜の情事が告げているように、ベッドでの相性が素晴らしく合っている。
本当ならばこのあと、彼女になんの予定もなく、そのまま王宮に欲しいと招待したい誘惑に駆られていた。
俺はどうしても彼女を妻にしたい。
想いの一つが現実となったように、セナの薬指には、彼が渡した愛の証拠である指輪が輝き、ロバートは更に満たされた気分になった。
コーヒーと簡単な軽食なら、リビングの向こうにあるキッチンで、温めればいいだけの状態となって冷蔵庫のなかに食事が用意されていることを思い出す。
彼女が目覚めたら、さぞや空腹だろう、と考えた。
あの開会宣言のあとからセナを独占してずっと、今に至るまで、二人は食事らしい食事を口にしていなかった。
ロバートの胃が、なにかを求めるように、小さく疼く。
それはまた彼女も同じ感触だろうと想像するにかたくない。
セナ起こさないように静かに寝室を出ると、静かに扉を閉めてキッチンに向かう。
準備をし、淹れたてのコーヒーを二つのカップに注ぎ、簡単だが、温めた軽食をトレイに載せて、寝室に向かうとそこに彼女はおらず、ベッドの中には誰かがそこにいた温もりを残していた。
「セナ?」
トイレにでも行ったのかと思い、視線をそちらの方向にやるも、バスルームとトイレに続く扉からは物音ひとつしない。
朝食が乗ったトレイをベッドの脇にある台の上に置いたとき、椅子の上から彼女のドレスが消えていることに気づいた。
それから数分の間、ロバートはスイートルームと中庭にいたるまで、彼女のことを隈なく捜した。
激しい困惑と言い表せない怒りを抱いて寝室にもどり、そしてようやく、判断がついた。
「逃げたのか……どうして?」
どこかの高名な魔法使いが、自分を騙すために、幻覚の魔法でも覚えさせたのかと困惑する。
室内には彼女と共に過ごしたことを物語る品はなく、ただ一つだけ、思い当たるのはズボンのポケットに入れていた彼女と交換した、ルビーの指輪だった。
椅子の上からズボンを取りそのポケットを探って目当てのものを取り出す。
やはり彼女は存在したのに、俺から逃げたのか?
理解が及ばない現実が、ロバートを苦悩の果てへと追いやろうとしていた。
だから待て、と彼は思い直す。
王族には炎の精霊の加護がある。
それは契約をした者の身に危険が及ぶとき、こちらが呼び出そうと呼び出すまいと、やってくるのだ。
だが、いまはそれが来ない。
目的は彼の命ではなく、それ以外のなにか。
それが何だったのか。仮にも彼を困らせようとすれば、そのときでも精霊はやってきて彼を守ろうとする。
これまではそうだったし、それはほとんどが、なんらかの脅威につながった。
その経験から考えても、セナはその真逆にいたと考えてもいい。肉体を通じ合ってまで、心を通わせたのだから。
彼女がどうして消えたのか、ロバートには全く思い当たる節がなかった。
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