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第二章 偽りの公爵令嬢

第十六章 残り香

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 殿下はセナに歩調を合わせながら、広い廊下を、最初に招待客が集まる部屋へと彼女を案内する。
 その合間に、ゆったりとした口調で問いかけてきた。

「出身はどこかおうかがいしても?」
「帝国の……帝都です。殿下」

 セナはミアに自分を重ねて、そう答えた。
 まだ間違いはない。これからもこの調子で。

 心が嘘を吐きになったように重く罪悪感をのしかからせてきた。
 自分も留学経験がある、と殿下は肯いた。

「帝都は千年より昔からある、美しい古都だ」
「そう、ですね。外国の方から見たら、そう見えるのかも。自慢の街です」

 嘘ではない。
 しかし、あの街には憎しみが多い。

 取り繕うように、意味ありげに目元を緩めて見せる。
 見下ろすようにして、ロバートはそれを受け止め、同じように微笑み返してきた。

 過去に失った数々の思い出たちを胸の奥にしまいこむようにして、なるべく思い出さないようにすると、他のことに会話が移ることを願った。

 自分のものではない、ミアの招待状を提示することになる前に、彼から遠ざかる必要がある。
 どうすれば彼に気づかれずに、偽の身分で会場入りを果たすことができるのか。

 あらためて、彼の手を受け取った自分の愚かさを呪った。
 セナの心臓は歩を進めるごとに、鼓動を早くしていく。胸の動悸が著しくなり、自分でも頬が赤くなっているのがわかった。

 ミアの部屋であの美容師たちに仕度をしてもらい、出てくる時間を少しでも遅くしていたら。
 いいえ、もう少し早くしていたら――この出会いに辿り着くことはなかったのに。

「僕は王立学院と大学を――知っているかな?」
「もちろん。ヴァッカス大学は帝国でも名の通った一流大学として知られているわ」
「ありがとう。君はどこの高等学院と大学を?」

 心臓がドクンっと跳ねた。
 いよいよ本番だ、と背中を叩いてくるミアによく似た、セナにしか見えない妖精が、セナをどんどん王太子の方へと近づけようとしていた。

「バルシャードに。バルシャード高等学院を卒業したわ。いまは聖リンセニア大学に、籍をおいているわ」
「置いている?」
「まだ、卒業の年ではないの」

 だから完璧な古帝国語を話すのか、とロバートは納得した。
 バルシャードは帝国はおろか、世界でも有数の名門女子高校だ。

 もっとも古い帝国初期からの学び舎のひとつで、桁外れの学費の高さでも有名な学校だ。
 そこに通えるのは富裕層でもほんの一握りで、さらに身分も上級貴族の血筋のみと定められている、皇族御用達の学舎としても知られていた。

 実際、セナの親戚や兄弟姉妹、知人の貴族の息女でも、そこに通っていたのは、数人しかいない。
 ミアとの接点が同じ学び舎にあったことに、セナは深い感謝を抱いていた。

「妹がそこの出身だ。君とは年が近いかもしれない」
「そうなのですね」

 こちらの身元を探るかのように言うと彼は楽しそうに笑った。
 その冗談そのものが、会話を進めるための手段だったとセナは気づく。

 こちらはなるべく違和感を与えないように接しているが、何かあって彼がセナを招待客ではないと勘ぐるかもしれないと思うと、セナは会話をあまりするきになれない。

「君は珍しいな。俺と手を繋いで歩くレディは、みんな多くのことを賑やかになって話すのに」
「……そんなつもりはなくて。ごめんなさい」

 ロバートは意味ありげにふうん、とひとつ言い、歩みを止めた。
 先程までの自信に満ち溢れていた彼の顔は、少しばかり曇ったように見えた。

「謝罪する必要はない。俺にとっては君のような女性と会える機会は多くなかった。ただそれだけの話だ。寡黙と勤勉は未来の美しさに匹敵する」
「そんなにたいしたものじゃないわ」
「正直だね。僕たちの生きる世界でそれは時として毒にもなり、時として宝石になる。大事にすることだ」

 そうやって言葉を交わしているうちに、彼はまた歩き始めた。
 扉の前に到着すると、向こう側には舞踏会の始まりが告げられるまえに、招待客が腰を下ろして落ち着くことのできる控室が待っている。
 
 もうしばらくしたらセナは招待状をセキュリティに見せなくてはならないし、その名前がきちんと招待客の名簿名を連ねているかどうかを確認してもらわなくてはならない。

 ここに来て、セナの視界がゆっくりと歪み始める。
 血圧が上昇し、心臓は更に早く早く、教会の鐘のように打ち鳴らされ、ここから逃げ出さなくては。

 そんな思いがいきなり心の底から湧き上がってきた。
 これ以上誰かに深く知られる前に、この場所から姿を消さなくてはならないと、セナは焦り始める。

 警護の係が扉に手をかけ、開ける前に、ロバートは腕をそっと離すと、その手を持ち上げてセナの手の甲にキスをした。

 それは一時的な別れの挨拶だった。
 触れるか触れないかほどの唇の感触を肌の上で感じる。

「パーティーが始まるまでに、俺はいくつかやらないといけないことが、待っている。またあとで」
「ええ、ありがとうございました。殿下……」

 そう言うと彼は一礼し、きびすを返して去っていった。
 品の良い香があたりに漂い、セナの蒸気した心を落ち着かせる。それは彼の残り香だった。

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