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第二章 偽りの公爵令嬢

第十二話 因果応報

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 その翌日。
 例のごとく嫌味な上司、バルドに殴られながら仕事をするのか、と足取りを重くしながら、まだ夜更け前の五時に寮を出て、セナは六時からのシフトに間に合うように、ホテルに入った。

 いつものように髪を括り、仕事着に着替えて、ロッカールームを出る。
 まだ時間があるから、従業員用の通路をたどり、地下の従業員用食堂に向かおうとしたら、人影があった。

 何を言っているのかよく聞き取れないが、二人はなにやら苛立ちまぎれに掴み合っているような、そんな雰囲気だった。

 大きな声で、こちらにまで汚らしい罵声が飛び交う一部が、耳に入ってくる。
 誰かと思えば、そこで争っていたのは、カティとゼットの二人組だった。

「なにしているの!」
「離して! あんたに関係ない!」
「こいつが、カティが抜け駆けするから!」
「馬鹿言わないでよ、彼に先に誘われたのは、私なんだから。あんたなんか彼は興味ないわ!」

 セナより頭一つほど身長の低い彼女たちを、さっさと揉みあいから解放させよとして、止めた。
 ゼットが暴露した、「カティの抜け駆け」の言葉だけで、すべてを察した。

 あの男。
 暴力魔のバルドは、立場を利用して、こんな若い少女たちにまで手を出していたのだ。

 しかし、どうしてその浮気関係がバレないと思ったのだろう?
 男というものは……。

 やれやれと肩を竦めると、今度は揉み合いから、互いに仕事用にセットした髪を掴み合って、引っ張り合いを始めた。
 こうなると、距離を詰めたら、セナ自身が巻き込まれる心配がある。
 ゆっくりと距離を取り、ある程度まで離れたとき、ふと少女たちがしていたように、自分も暴露してやりたくなった。
 
「あんたたち、そんなにあのバルドがいいの? 陰に隠れて、女を殴り、いたぶるようなそんなクソみたいな野郎が?」

 その一言に、二人の手がピタリ、と止まる。
 二人とも、整えた髪はめちゃくちゃになっていた。
 顔には爪で引っ掻いたのだろうと思われる痕も、どちらにも見えていた。
 嫉妬ではじまる喧嘩は醜い……。
 セナはそう感じながら、動きを止めた二人の間に割って入ると、体格の差を利用して、カティを自分の背中へと押しやった。
 ゼットが「そいつを庇うの?」と糾弾してくる。
 セナは違うから、見て、と制服のボタンをいくつか外し、下着とともに脇腹部分を二人に見せてやる。

「なにそれ!」

 カティの悲鳴が上がった。「酷い……」と、ゼットが口元に手を当てて、絶句する。
 女神に祈って治してもらったこの場所は、効果を逆行させれば、傷跡を作ることもできるのだ。
 
 それが浮かび上がってきた途端、セナは途轍もない痛みに脇腹を襲われたが、我慢することにした。
 二人に危険を示せるなら、お安いものだ。

「なにか分かる? 昨日、バルドにつけられたやつよ。遠慮なく蹴りこんできたわ。何度も何度も、骨が折れるかと思ったくらい。あいつはそういう奴よ」
「じゃ、昨日の夜に、バーで厨房に居たのって……」
 
 ハッと理解したかのようにカティは言った。
 単なる誤解だが、そう思わせたなら、結果的にはセナの勝ちだ。

「こんな傷じゃ、料理を運べるはずないわ」
「……今からでも、医務室に行くべきよ」
「それはできないの。仕事だから」

 仕事の二文字を口にすると、二人はそれぞれの姿を見合って、口をつぐみ、うなだれてしまった。
 自分たちの行いを恥じたのだろう。

 セナは服を元に戻すと、しょんぼりとしている二人を見て、これでいいと思った。
 彼女たちはもうこれ以上、あのとこに関わろうと思わないだろう。

 昨夜、料理人ロアッソは「噂になっている」と言っていた。
 もちろん、バルドの暴行の件だ。

 もしこの少女たちが、自分達も傷跡を見たと証言してくれたなら、それだけでセナは有利になる。
 暴力を振るう愚かな男の、哀れな末路を考えると、少しばかり心が和らいだ。

 その朝、朝礼に顔を出したものの、昼から姿が見えなくなり、そしてシフトを上がってミアの部屋に行こうとした時。
 ロッカールームを出ようとしたら「バルド、謹慎だって」と噂するのが聞こえてきた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「遅いーっ」
「ミア? これはどういうこと?」

 いつものようにマスターキーを使い、ミアが宿泊しているスイートルームの鍵を開けようとすると、中から扉が開かれた。
 そこにいたのは見覚えのない、しかし、身なりのちゃんとした職人風の男性だった。

 案内されて親友が寝ているベッドルームに向かうのではなく、その手前。
 リビングルームを向かい側、例のテラス席に通された。

「王都のレストランから料理人を派遣してもらったの。このホテルの料理人だとあなたが困るでしょ?」
「それは……ええ」

 一介の客室係がスイートルームで上顧客と、ホテルの料理人を出張させた席で食事をしている。
 そんな噂が出回った日には、真っ先に上司から呼び出しを食らうだろう。

「だから別のところから用意させたの」
「ホテルがいい顔しないわね。でもどういうこと?」

 それだけじゃない気がする。
 リビングルームで待機しているのは、料理人だけでなく、ファッションセンスに優れたモデルのような男女が幾人も待機していたからだ。

 多分、美容師とか。
 ネイリストとか。そんな感じ。

 腰にはずらりと髪を切るためのハサミを下げている。
 台所で料理人が作った食事を、わざわざ給仕がテラス席まで運んでくるのだ。

 それは貴族の屋敷で食べていたあのころ、帝国で家族とともに食事していたときさながらの、光景だった。
 最初はセナのみすぼらしい恰好に興味を持ったのか、面白そうな顔になり、料理人や給仕たちがセナを見ていた。
 
 しかし、彼女の食事の仕方を目の当たりにして、やがて仕事に徹するようになった。
 身に付いた食事作法は、帝国貴族のもので、優雅な所作はまだまだ彼女の内側から、離れて行くことはない。

「ドレスと靴とそこまでは用意できたけど。さすがに本人がくたびれたままじゃ、本当の魅力なんてものは伝わらないもの。だから用意させてもらったの」
「この料理は?」
「……私があなたを着せ替え人形にするためのお詫び、みたいなものかな?」
「つまり、これから私はあの人達に手入れをされて、素晴らしく生まれ変わるってこと?」
「まあそういうこと。この後のシフトは?」

 奇妙なことがあった。
 本当はまた夜のバーにウェイトレスとして入る予定だったのだ。

 しかし、それは消えてしまった。
 どこからお達しがあったのか、バルドの問題とともに、関係したカティやゼットも同じく、昼からのシフトを休みにされていた。

「……空いている。見透かしたみたいに、用意がいいわね」
「さあてね?」

 ミアは意味ありげな笑みを浮かべると、にやりと目を細めて見せた。
 美容という名のボディマッサージやフェイスケア。
 それらが施されて、生まれ変わったセナが解放されたのは、翌日の勤務開始に近い、早朝のことだった。

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