上 下
5 / 71
第一章 出会い

第五話 仮面

しおりを挟む
 ミア・パルスティンはこのスイートルームに滞在する上顧客の中で、もっとも若い女性の一人だった。
 彼女と同年代の十六歳から二十四歳までの女性たちが、多くスイートルームを利用している。
 
 その理由は、このグリザイナ王国の王太子ロバート殿下が、次の夜会で王太子妃補を選ぶために、招待されたのだ、ともっぱらの噂だった。

「あなたもあんなことが無ければ、この場所に顧客として宿泊できたのに」
「もう終わったことだから」

 ミアが残念そうにそう言うと、セナは肩を竦めて、友人の隣に腰かけた。
 彼女は可哀想なことにこの地方で流行っている風邪に冒されたらしい。

 そのため、二週間ほど前から宿泊しているものの元気だったのは、最初の数日だけ。
 そして、たまたまスイートルームを清掃する係だったセナと再会し――今に至る。

 ミアの体調は回復に向かっているものの、思わしくない。
 そんな友人のことが気がかりで、セナは自分とは違い神聖魔法や清浄魔法が使えないミアのために、休憩時間を利用してはこの部屋を訪れて、回復魔法をかけてやったり、なにかと身の回りの世話をしてやっていた。

「メイドを雇うには期間が微妙だし、信頼できる紹介先もないから。ありがとうね、セナ。本当に助かるわ」
「王太子妃補になろうかという女性が、侍女の一人も連れてこない方が、不思議だけど、ね」

 嫌味を一つ告げると、セナは女神ラフィネに祈りをささげた。
 さきほどと同じような光がミアを包み、そして虚空へと消えていく。

 ここ数日間で、ミアはベッドの上に起き上がれるようになった。
 回復はしているのかもしれない、とセナは心で安堵しつつ、持参した果物を台所からもってきたナイフで向いていく。

「本当は、単に休暇を過ごしたかっただけなの。大学はもう夏休みだし」
「大学……」

 そう言えばそうだった。セナは思い返す。
 帝国では、貴族の子は、十二歳から十六歳までを高等学院で過ごす。そのあとに進学する者は、大学へと進むのだ。

 その意味で、ミアはあと二年ほど学んだら、博士課程を卒業して、宮廷に仕えることになるだろう。
 どんな役職に就くのかは分からないが、将来有望な親友を、ちょっとだけ羨ましく感じた。

「そうなの。卒業したら、彼氏と一緒に住もうかって話をしていて……セナ?」
「あ、うん。そうなんだ、彼氏、ね。いいな、ミアは充実していて」
「うーん。そうかも?」

 と、親友はどこか困った顔をした。
 恋人とうまくいっていないのかもしれない。

 他人の事情に踏み込まないのがホテルに勤めるものの心得だ。
 それを知っていたから、セナは深く訊くのを止めた。

「明日はテラスで食事ができるくらいになっているといいわね、ミア」
「このホテル、そこから見える景色がとても居心地がいいの。大学の寮だと都会だから便利はいいけれど、やっぱり領地の城がいいわ。自然の中で過ごしたい」
「じゃあ明日も来るから。昼過ぎにはこれると思う。そのときは一緒にテラスで食事をしましょう?」
「ホテルのレストランまで行けたらいいんだけど」
「それは……私は利用できないから」

 残念そうに言うセナを見て、ミアは口をつぐんだ。
 セナはこのホテルの従業員で、自分は客なのだ。

 親戚にして幼馴染で親しい友人という間柄が、ついつい自分たちを過去の感覚へと戻そうとしていた。
 あとどれくらい残れるの? という質問に、セナは三十分くらい、と答えた。

 皮をむいたいくつかの種類の果物を、皿に並べて、ミアへと渡す。
 本当のレストランで提供されるような果物の並べ方に、ミアは思わず「綺麗!」と小さく叫んだ。

「いい感じでしょ? バーや、朝食の手伝いに入る調理場で習ったの。ちゃんと包丁も使えるのよ」
「意外ね。あんなに料理の苦手だったあなたに、今や簡単な料理を食べさせてもらってる」
「果物の皮をむいただけで料理をしたなんて言わないけどね?」
「それでもこのセッティングは素晴らしいわ! 帰国したら――」

 能天気に喋りすぎた。
 帰国、親戚、家族。
 そういった類のことばは、いまのセナには禁句だったのだ。
 
「みんなには言わないで欲しい」
「うん、そうだったね。気を付ける」
「ごめんなさい。この場所はようやくたどりつけた職場なの。お願いだから……」
「大丈夫よ。このことはちゃんと黙っておくから」
「本当に! 本当にお願い……」

 親友の黙っておく。
 それはあまり信用できない。

 今でもそうだ。
 ミアは数日前にもそのことを会話に出さないで、とお願いしたのに喋り始めると忘れてしまう。

 雰囲気とことばの勢いがそうさせてしまうのだろうけれど。
 この国で移民の立場は弱い。

 ついさっき殴られたばかりのセナには、そのことが身に染みてよく分かっている。
 あの嫌味な上司に暴力を受けた事実をさらに上に報告したとしても、ホテルは何もしないはずだ。

 新しく誰かを雇い、またスイートルームを担当するように学ばせればいいのだから。
 しかしその誰かを雇うにしても、このホテル・ギャザリックでは身分を保証をする人間が必要になる。

 富裕層が利用することも多いこのホテルでは、適当な身元保証人では雇ってもらえないのだ。
 だからこそ、セナがここで働けていることにもなるのだが……。

「ごめんね。風邪で高熱を出した時、あなたがいてくれて本当に心強かった。裏切るような真似をしてごめんなさい」
「……そう思うのだったら、話題を選ぶのに気をつけてほしい。新しい職場を探すのは、この国では本当に大変なの」

 いつになく重苦しい気分が場を支配していた。
 雰囲気を明るくさせようと思ったのか、「そうだ!」とミアは叫ぶと思い出したかのように、手を打った。

「ねえ、セナ。そのテーブルの上にある招待状を取ってくれない?」
「招待状? 数日後にあるっていうあの?」

 ミアの指さしたそれを持ってくる。
 いやに分厚いそれは、中に目の周囲だけを縁取った、仮面が内包されていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵閣下の契約妻

秋津冴
恋愛
 呪文を唱えるよりも、魔法の力を封じ込めた『魔石』を活用することが多くなった、そんな時代。  伯爵家の次女、オフィーリナは十六歳の誕生日、いきなり親によって婚約相手を決められてしまう。  実家を継ぐのは姉だからと生涯独身を考えていたオフィーリナにとっては、寝耳に水の大事件だった。  しかし、オフィーリナには結婚よりもやりたいことがあった。  オフィーリナには魔石を加工する才能があり、幼い頃に高名な職人に弟子入りした彼女は、自分の工房を開店する許可が下りたところだったのだ。 「公爵様、大変失礼ですが……」 「側室に入ってくれたら、資金援助は惜しまないよ?」 「しかし、結婚は考えられない」 「じゃあ、契約結婚にしよう。俺も正妻がうるさいから。この婚約も公爵家と伯爵家の同士の契約のようなものだし」    なんと、婚約者になったダミアノ公爵ブライトは、国内でも指折りの富豪だったのだ。  彼はオフィーリナのやりたいことが工房の経営なら、資金援助は惜しまないという。   「結婚……資金援助!? まじで? でも、正妻……」 「うまくやる自信がない?」 「ある女性なんてそうそういないと思います……」  そうなのだ。  愛人のようなものになるのに、本妻に気に入られることがどれだけ難しいことか。  二の足を踏むオフィーリナにブライトは「まあ、任せろ。どうにかする」と言い残して、契約結婚は成立してしまう。  平日は魔石を加工する、魔石彫金師として。  週末は契約妻として。  オフィーリナは週末の二日間だけ、工房兼自宅に彼を迎え入れることになる。  他の投稿サイトでも掲載しています。

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」  行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。  相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。  でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!  それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。  え、「何もしなくていい」?!  じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!    こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?  どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。  二人が歩み寄る日は、来るのか。  得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?  意外とお似合いなのかもしれません。笑

美人すぎる姉ばかりの姉妹のモブ末っ子ですが、イケメン公爵令息は、私がお気に入りのようで。

天災
恋愛
 美人な姉ばかりの姉妹の末っ子である私、イラノは、モブな性格である。  とある日、公爵令息の誕生日パーティーにて、私はとある事件に遭う!?

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

処刑された人質王女は、自分を殺した国に転生して家族に溺愛される

葵 すみれ
恋愛
人質として嫁がされ、故国が裏切ったことによって処刑された王女ニーナ。 彼女は転生して、今は国王となった、かつての婚約者コーネリアスの娘ロゼッタとなる。 ところが、ロゼッタは側妃の娘で、母は父に相手にされていない。 父の気を引くこともできない役立たずと、ロゼッタは実の母に虐待されている。 あるとき、母から解放されるものの、前世で冷たかったコーネリアスが父なのだ。 この先もずっと自分は愛されないのだと絶望するロゼッタだったが、何故か父も腹違いの兄も溺愛してくる。 さらには正妃からも可愛がられ、やがて前世の真実を知ることになる。 そしてロゼッタは、自分が家族の架け橋となることを決意して──。 愛を求めた少女が愛を得て、やがて愛することを知る物語。 ※小説家になろうにも掲載しています

処理中です...