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第一章 出会い
第五話 仮面
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ミア・パルスティンはこのスイートルームに滞在する上顧客の中で、もっとも若い女性の一人だった。
彼女と同年代の十六歳から二十四歳までの女性たちが、多くスイートルームを利用している。
その理由は、このグリザイナ王国の王太子ロバート殿下が、次の夜会で王太子妃補を選ぶために、招待されたのだ、ともっぱらの噂だった。
「あなたもあんなことが無ければ、この場所に顧客として宿泊できたのに」
「もう終わったことだから」
ミアが残念そうにそう言うと、セナは肩を竦めて、友人の隣に腰かけた。
彼女は可哀想なことにこの地方で流行っている風邪に冒されたらしい。
そのため、二週間ほど前から宿泊しているものの元気だったのは、最初の数日だけ。
そして、たまたまスイートルームを清掃する係だったセナと再会し――今に至る。
ミアの体調は回復に向かっているものの、思わしくない。
そんな友人のことが気がかりで、セナは自分とは違い神聖魔法や清浄魔法が使えないミアのために、休憩時間を利用してはこの部屋を訪れて、回復魔法をかけてやったり、なにかと身の回りの世話をしてやっていた。
「メイドを雇うには期間が微妙だし、信頼できる紹介先もないから。ありがとうね、セナ。本当に助かるわ」
「王太子妃補になろうかという女性が、侍女の一人も連れてこない方が、不思議だけど、ね」
嫌味を一つ告げると、セナは女神ラフィネに祈りをささげた。
さきほどと同じような光がミアを包み、そして虚空へと消えていく。
ここ数日間で、ミアはベッドの上に起き上がれるようになった。
回復はしているのかもしれない、とセナは心で安堵しつつ、持参した果物を台所からもってきたナイフで向いていく。
「本当は、単に休暇を過ごしたかっただけなの。大学はもう夏休みだし」
「大学……」
そう言えばそうだった。セナは思い返す。
帝国では、貴族の子は、十二歳から十六歳までを高等学院で過ごす。そのあとに進学する者は、大学へと進むのだ。
その意味で、ミアはあと二年ほど学んだら、博士課程を卒業して、宮廷に仕えることになるだろう。
どんな役職に就くのかは分からないが、将来有望な親友を、ちょっとだけ羨ましく感じた。
「そうなの。卒業したら、彼氏と一緒に住もうかって話をしていて……セナ?」
「あ、うん。そうなんだ、彼氏、ね。いいな、ミアは充実していて」
「うーん。そうかも?」
と、親友はどこか困った顔をした。
恋人とうまくいっていないのかもしれない。
他人の事情に踏み込まないのがホテルに勤めるものの心得だ。
それを知っていたから、セナは深く訊くのを止めた。
「明日はテラスで食事ができるくらいになっているといいわね、ミア」
「このホテル、そこから見える景色がとても居心地がいいの。大学の寮だと都会だから便利はいいけれど、やっぱり領地の城がいいわ。自然の中で過ごしたい」
「じゃあ明日も来るから。昼過ぎにはこれると思う。そのときは一緒にテラスで食事をしましょう?」
「ホテルのレストランまで行けたらいいんだけど」
「それは……私は利用できないから」
残念そうに言うセナを見て、ミアは口をつぐんだ。
セナはこのホテルの従業員で、自分は客なのだ。
親戚にして幼馴染で親しい友人という間柄が、ついつい自分たちを過去の感覚へと戻そうとしていた。
あとどれくらい残れるの? という質問に、セナは三十分くらい、と答えた。
皮をむいたいくつかの種類の果物を、皿に並べて、ミアへと渡す。
本当のレストランで提供されるような果物の並べ方に、ミアは思わず「綺麗!」と小さく叫んだ。
「いい感じでしょ? バーや、朝食の手伝いに入る調理場で習ったの。ちゃんと包丁も使えるのよ」
「意外ね。あんなに料理の苦手だったあなたに、今や簡単な料理を食べさせてもらってる」
「果物の皮をむいただけで料理をしたなんて言わないけどね?」
「それでもこのセッティングは素晴らしいわ! 帰国したら――」
能天気に喋りすぎた。
帰国、親戚、家族。
そういった類のことばは、いまのセナには禁句だったのだ。
「みんなには言わないで欲しい」
「うん、そうだったね。気を付ける」
「ごめんなさい。この場所はようやくたどりつけた職場なの。お願いだから……」
「大丈夫よ。このことはちゃんと黙っておくから」
「本当に! 本当にお願い……」
親友の黙っておく。
それはあまり信用できない。
今でもそうだ。
ミアは数日前にもそのことを会話に出さないで、とお願いしたのに喋り始めると忘れてしまう。
雰囲気とことばの勢いがそうさせてしまうのだろうけれど。
この国で移民の立場は弱い。
ついさっき殴られたばかりのセナには、そのことが身に染みてよく分かっている。
あの嫌味な上司に暴力を受けた事実をさらに上に報告したとしても、ホテルは何もしないはずだ。
新しく誰かを雇い、またスイートルームを担当するように学ばせればいいのだから。
しかしその誰かを雇うにしても、このホテル・ギャザリックでは身分を保証をする人間が必要になる。
富裕層が利用することも多いこのホテルでは、適当な身元保証人では雇ってもらえないのだ。
だからこそ、セナがここで働けていることにもなるのだが……。
「ごめんね。風邪で高熱を出した時、あなたがいてくれて本当に心強かった。裏切るような真似をしてごめんなさい」
「……そう思うのだったら、話題を選ぶのに気をつけてほしい。新しい職場を探すのは、この国では本当に大変なの」
いつになく重苦しい気分が場を支配していた。
雰囲気を明るくさせようと思ったのか、「そうだ!」とミアは叫ぶと思い出したかのように、手を打った。
「ねえ、セナ。そのテーブルの上にある招待状を取ってくれない?」
「招待状? 数日後にあるっていうあの?」
ミアの指さしたそれを持ってくる。
いやに分厚いそれは、中に目の周囲だけを縁取った、仮面が内包されていた。
彼女と同年代の十六歳から二十四歳までの女性たちが、多くスイートルームを利用している。
その理由は、このグリザイナ王国の王太子ロバート殿下が、次の夜会で王太子妃補を選ぶために、招待されたのだ、ともっぱらの噂だった。
「あなたもあんなことが無ければ、この場所に顧客として宿泊できたのに」
「もう終わったことだから」
ミアが残念そうにそう言うと、セナは肩を竦めて、友人の隣に腰かけた。
彼女は可哀想なことにこの地方で流行っている風邪に冒されたらしい。
そのため、二週間ほど前から宿泊しているものの元気だったのは、最初の数日だけ。
そして、たまたまスイートルームを清掃する係だったセナと再会し――今に至る。
ミアの体調は回復に向かっているものの、思わしくない。
そんな友人のことが気がかりで、セナは自分とは違い神聖魔法や清浄魔法が使えないミアのために、休憩時間を利用してはこの部屋を訪れて、回復魔法をかけてやったり、なにかと身の回りの世話をしてやっていた。
「メイドを雇うには期間が微妙だし、信頼できる紹介先もないから。ありがとうね、セナ。本当に助かるわ」
「王太子妃補になろうかという女性が、侍女の一人も連れてこない方が、不思議だけど、ね」
嫌味を一つ告げると、セナは女神ラフィネに祈りをささげた。
さきほどと同じような光がミアを包み、そして虚空へと消えていく。
ここ数日間で、ミアはベッドの上に起き上がれるようになった。
回復はしているのかもしれない、とセナは心で安堵しつつ、持参した果物を台所からもってきたナイフで向いていく。
「本当は、単に休暇を過ごしたかっただけなの。大学はもう夏休みだし」
「大学……」
そう言えばそうだった。セナは思い返す。
帝国では、貴族の子は、十二歳から十六歳までを高等学院で過ごす。そのあとに進学する者は、大学へと進むのだ。
その意味で、ミアはあと二年ほど学んだら、博士課程を卒業して、宮廷に仕えることになるだろう。
どんな役職に就くのかは分からないが、将来有望な親友を、ちょっとだけ羨ましく感じた。
「そうなの。卒業したら、彼氏と一緒に住もうかって話をしていて……セナ?」
「あ、うん。そうなんだ、彼氏、ね。いいな、ミアは充実していて」
「うーん。そうかも?」
と、親友はどこか困った顔をした。
恋人とうまくいっていないのかもしれない。
他人の事情に踏み込まないのがホテルに勤めるものの心得だ。
それを知っていたから、セナは深く訊くのを止めた。
「明日はテラスで食事ができるくらいになっているといいわね、ミア」
「このホテル、そこから見える景色がとても居心地がいいの。大学の寮だと都会だから便利はいいけれど、やっぱり領地の城がいいわ。自然の中で過ごしたい」
「じゃあ明日も来るから。昼過ぎにはこれると思う。そのときは一緒にテラスで食事をしましょう?」
「ホテルのレストランまで行けたらいいんだけど」
「それは……私は利用できないから」
残念そうに言うセナを見て、ミアは口をつぐんだ。
セナはこのホテルの従業員で、自分は客なのだ。
親戚にして幼馴染で親しい友人という間柄が、ついつい自分たちを過去の感覚へと戻そうとしていた。
あとどれくらい残れるの? という質問に、セナは三十分くらい、と答えた。
皮をむいたいくつかの種類の果物を、皿に並べて、ミアへと渡す。
本当のレストランで提供されるような果物の並べ方に、ミアは思わず「綺麗!」と小さく叫んだ。
「いい感じでしょ? バーや、朝食の手伝いに入る調理場で習ったの。ちゃんと包丁も使えるのよ」
「意外ね。あんなに料理の苦手だったあなたに、今や簡単な料理を食べさせてもらってる」
「果物の皮をむいただけで料理をしたなんて言わないけどね?」
「それでもこのセッティングは素晴らしいわ! 帰国したら――」
能天気に喋りすぎた。
帰国、親戚、家族。
そういった類のことばは、いまのセナには禁句だったのだ。
「みんなには言わないで欲しい」
「うん、そうだったね。気を付ける」
「ごめんなさい。この場所はようやくたどりつけた職場なの。お願いだから……」
「大丈夫よ。このことはちゃんと黙っておくから」
「本当に! 本当にお願い……」
親友の黙っておく。
それはあまり信用できない。
今でもそうだ。
ミアは数日前にもそのことを会話に出さないで、とお願いしたのに喋り始めると忘れてしまう。
雰囲気とことばの勢いがそうさせてしまうのだろうけれど。
この国で移民の立場は弱い。
ついさっき殴られたばかりのセナには、そのことが身に染みてよく分かっている。
あの嫌味な上司に暴力を受けた事実をさらに上に報告したとしても、ホテルは何もしないはずだ。
新しく誰かを雇い、またスイートルームを担当するように学ばせればいいのだから。
しかしその誰かを雇うにしても、このホテル・ギャザリックでは身分を保証をする人間が必要になる。
富裕層が利用することも多いこのホテルでは、適当な身元保証人では雇ってもらえないのだ。
だからこそ、セナがここで働けていることにもなるのだが……。
「ごめんね。風邪で高熱を出した時、あなたがいてくれて本当に心強かった。裏切るような真似をしてごめんなさい」
「……そう思うのだったら、話題を選ぶのに気をつけてほしい。新しい職場を探すのは、この国では本当に大変なの」
いつになく重苦しい気分が場を支配していた。
雰囲気を明るくさせようと思ったのか、「そうだ!」とミアは叫ぶと思い出したかのように、手を打った。
「ねえ、セナ。そのテーブルの上にある招待状を取ってくれない?」
「招待状? 数日後にあるっていうあの?」
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