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第四話
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それもご丁寧に、革の手袋をしている左手でこちらの右頬を打擲してきた。
パシンっ、なんて柔らかい物音には聞こえなかった。
「ひぐっ!」
喉を締めつけたようなそんな声が口から漏れ出た。
それを聞いたミザリーは性悪の本性を露わにして、きゃははっと高笑いをする。
殿下の「だから言っただろうが‥‥‥」という呆れの声も同時に聞こえたけれど、相手にする気になれなかった。
ショックだった。
これまで虐待を受けていたとはいえ、まさか、ここまでする人だったなんて。
裏切られたことを心の奥底が本当なんだと受け止め、それにすべての意識が集まっていて、他事はどうでもよくなっていた。
「そんな‥‥‥」
耳の奥に熱い何かが走り、鼻の奥ではぐっと鉛か何かのような硬くも、柔らかいものが詰まったように感じる。
鼻から脳天を突き抜け、背骨くらいでようやく、その衝撃は押しとどまった。
誰も出ない、ロイデンの怒りの左手の一撃が、私へと振るわれたのだった。
「この女には、あれほどしつけてきたというのに。それすらも満足に覚えられないほど、無能らしい」
「ロイデン様、カッコいい。こんな女にはロイデン様のこれまでのご苦労なんて分からないんだわ‥‥‥」
嘲りと侮蔑の二種類の声が聞こえた。
それと、可哀想と蔑むような、そんな視線を感じる。
左方向に向いた視界をどうにか正面に戻すと、まだ足元が整っていなかった。
ふわっとした感覚に襲われてしまい、足元が崩れそうになる。
床に向けて急速に接近する私を止めてくれる誰かなんて、この場所には誰もいないだろうと思った。
でも、心のなかでは誰かの救いの手をもとめていたのも現実で。
これも弱い女の逃げなのだろうなあと思いつつ、やってくるだろう床との衝突にとっさに目を伏せたら―ー。
飛び込んだのは床ではなく、別種の固さのある壁だった。
女ではなかった。
男性のたくましい男性に、たおれこもうとしている片腕を引っ張られ、彼の胸元に抱き寄せられたのだと理解するまで、ちょっとだけ時間が必要だった。
「こんな公衆の面前でご婦人を罵倒しその上、暴力まで振るうとは。見下げ果てたものだ」
「なんだ、貴様?」
殿下に背を向ける形で、私は抱きとめられたらしい。
おらおらとこれまで耳にしたことのない、豊富なバリエーションの罵詈雑言が耳に入ってくる。
死ねだの、愚か者だのはまだましで。
他人の婚約者に手を出すのは良い度胸だ、とまで聞こえてものだから、こちらとしては唖然とするしかない。
近すぎる距離にあったのは、学院の生徒が着ている制服とは別物の洋服。
ダブルの上着に、白の生成りの開襟シャツ。
その喉元を浅黄色の小紋柄のスカーフで整えた彼は、殿下と同じか、それ以上に長身で大柄な男性がそこにはいた。
栗色の髪、赤銅色の肌。
そして、眠たそうな一重の内側にある、見た者に魔族かと誤解させそうな紅の‥‥‥真摯の瞳。
「ご婦人の耳に入れるにしては、貧相な言葉しか知らないのだな、あの御仁は」
「は‥‥‥そうかも‥‥‥はい」
その一言をいきなり伝えられた時、間の抜けた返事しかできなかった。
パシンっ、なんて柔らかい物音には聞こえなかった。
「ひぐっ!」
喉を締めつけたようなそんな声が口から漏れ出た。
それを聞いたミザリーは性悪の本性を露わにして、きゃははっと高笑いをする。
殿下の「だから言っただろうが‥‥‥」という呆れの声も同時に聞こえたけれど、相手にする気になれなかった。
ショックだった。
これまで虐待を受けていたとはいえ、まさか、ここまでする人だったなんて。
裏切られたことを心の奥底が本当なんだと受け止め、それにすべての意識が集まっていて、他事はどうでもよくなっていた。
「そんな‥‥‥」
耳の奥に熱い何かが走り、鼻の奥ではぐっと鉛か何かのような硬くも、柔らかいものが詰まったように感じる。
鼻から脳天を突き抜け、背骨くらいでようやく、その衝撃は押しとどまった。
誰も出ない、ロイデンの怒りの左手の一撃が、私へと振るわれたのだった。
「この女には、あれほどしつけてきたというのに。それすらも満足に覚えられないほど、無能らしい」
「ロイデン様、カッコいい。こんな女にはロイデン様のこれまでのご苦労なんて分からないんだわ‥‥‥」
嘲りと侮蔑の二種類の声が聞こえた。
それと、可哀想と蔑むような、そんな視線を感じる。
左方向に向いた視界をどうにか正面に戻すと、まだ足元が整っていなかった。
ふわっとした感覚に襲われてしまい、足元が崩れそうになる。
床に向けて急速に接近する私を止めてくれる誰かなんて、この場所には誰もいないだろうと思った。
でも、心のなかでは誰かの救いの手をもとめていたのも現実で。
これも弱い女の逃げなのだろうなあと思いつつ、やってくるだろう床との衝突にとっさに目を伏せたら―ー。
飛び込んだのは床ではなく、別種の固さのある壁だった。
女ではなかった。
男性のたくましい男性に、たおれこもうとしている片腕を引っ張られ、彼の胸元に抱き寄せられたのだと理解するまで、ちょっとだけ時間が必要だった。
「こんな公衆の面前でご婦人を罵倒しその上、暴力まで振るうとは。見下げ果てたものだ」
「なんだ、貴様?」
殿下に背を向ける形で、私は抱きとめられたらしい。
おらおらとこれまで耳にしたことのない、豊富なバリエーションの罵詈雑言が耳に入ってくる。
死ねだの、愚か者だのはまだましで。
他人の婚約者に手を出すのは良い度胸だ、とまで聞こえてものだから、こちらとしては唖然とするしかない。
近すぎる距離にあったのは、学院の生徒が着ている制服とは別物の洋服。
ダブルの上着に、白の生成りの開襟シャツ。
その喉元を浅黄色の小紋柄のスカーフで整えた彼は、殿下と同じか、それ以上に長身で大柄な男性がそこにはいた。
栗色の髪、赤銅色の肌。
そして、眠たそうな一重の内側にある、見た者に魔族かと誤解させそうな紅の‥‥‥真摯の瞳。
「ご婦人の耳に入れるにしては、貧相な言葉しか知らないのだな、あの御仁は」
「は‥‥‥そうかも‥‥‥はい」
その一言をいきなり伝えられた時、間の抜けた返事しかできなかった。
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