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第三章
第十六話 生まれてはいけない女
しおりを挟む「未亡人のくせに、この方の背負っている悲しみを支えて生きるなんて、おこがましいのよ! さっさと消えなさい!」
天高く繰り上げられたその平手を不運なことにリオーネは避けることができなかった。
あれから数時間が経過した。
ライオネルの片足を復活させたリンシャウッドは、他の神官や姫巫女たちと共に協力し浄化魔法をかけることによって、簡易的に張られた結界の中に充満している瘴気を消し去ることに成功したのだ。
漆黒の夜空を支配していた3連の月が西の空へと消え、シンクのルビーのように方向と赤い秋の太陽が東の空から昇ってくる。
ミランダの平手打ちを受けたリオーネの真っ白な右頬が、太陽のように真っ赤に腫れ上がった。
「やめないか!」
と、皇族専用の天幕の中で寝かされ治療を受けていた皇弟が立ち上がり、自分のベッドのすぐそばで揉めている女性陣に引き離す。
小柄なミランダは彼の勢いの強さにたたらを踏み、すぐ後ろにあった椅子に腰掛ける。
ぶたれた頬を片手で押さえながら、それでもなおミランダと対峙しようとしていたリオーネは抱きかかえられ、ライオネルの膝上に座らされてしまった。
こうなるともう、抵抗しようがない。
彼は腕のいい料理人で、自分はまな板の上に寝かされた魚のようなものだ。
どんなことを言っても、どう抗っても、ライオネルはこれ以上の女同士の諍いを認めないだろう。
しかし今日のリオーネは一味違った。
皇帝陛下が主催する舞踏会で小馬鹿にされたこともある。
あのときは、まだ彼と婚約者ではなかった。
今はれっきとした恋人であり、来年の春には結婚の控えている婚約者同士。
今更未亡人だと侮辱されるいわれはなかった。
「殿下! ……ここまでされたら、わたしにも意地があります。離してください、犬猫ではないのですから」
「だめだ」
ライオネルは、大きくため息をつき、断じた。 まだリオーネの気分は昂っていて、ここで解放してしまったら手が出るところの騒ぎではないと思ったからだ。
椅子に落ち着いたミネルバはさきほどの一撃で満足したのか、両者の間に入って立ったリンシャウッドを見上げ、「なにもしないわ」と両手を広げて上にたてた。
降伏の合図だ。
「なにもしないわって会うなり、いきなりあの罵詈雑言はどういうおつもりですか、ミランダ公女様!」
「別に。そのままの意味よ。あなたは未亡人でいらして、婚約者の深い悲しみを背負って差し上げることもできない。そんな女性なの。怒らせたらごめんあそばせ」
「なっ」
むかっ、と腹が立つ。
ライオネルの頬を爪先でひっかき、腕から抜け出てこの生意気な公女の頬を拳で殴りつけたい気分だった。
だが待って、とリオーネの頭の中で、もう一人の自分が制止する。
いま公女はなんといった?
深い悲しみを背負っている、とはどういう意味だろう。と、冷静な視点が生まれたからだ。
「わかりました」
「え?」
「お、おい。リオーネ?」
「貴方、離してください。なにもしませんから」
「本当かい?」
「彼女には」
リオーネはじろりと眼を鋭くしてミランダを睨みつけた。
射貫くような眼差しに、リオーネと古くからの馴染みであるリンシャウッドすら、たじろぐほどだ。
ミランダはごくり、と喉を鳴らして唾を飲み込み、肩を震えさせる。
それほどにリオーネの怒りは深く、いまならなんでもできそうなくらい冷酷な光を宿していた。
「ミランダ様。リンシャ、他の方々様も。皆様大変申し訳ございませんが、この天幕に。わたしどもをだけにしていただけませんでしょうか?」
「どうして私が出て行かなくてはならないのよ! 殿下に問題を持ち込んでいるのはその女伯爵なのに!」
「それも含めてのお願いです。公女様。先ほどの振る舞い、褒められたものではないでしょう。彼に全てを聞きます、だから出て行って」
「わ、分かったわよ……」
「皆、すまないが外で待ってくれ。僕は彼女に大事な話がある。終わったら呼ぶよ」
「殿下がそうおっしゃるのでしたら」
と、天幕に詰めていた巫女姫や神官、騎士たちはぞろぞろとその場を後にする。
ミランダは一人、不服そうだったが、リンシャウッドに背を押されて仕方なく退出していった。
天幕の中に誰もいなくなったことを確認し、リオーネはライオネルの膝上で小さく固まる。
これから何を告げなければいけないのか、どんな話をされるのか。
まだ心づもりができてないといえばできてない。
しかし、物事は始まってしまったのだ。質問はしないわけにはいかなかった。
「‥‥‥貴方。ミランダ様が言われた背負っている悲しみ、とはどのような意味ですか?」
「困ったな。俺はもう少し後に話すべきだと考えていたんだが」
「今がその時だと思います。どうかお話になってください」
ライオネルはリオーネの頭を胸に抱いた。
肩に額をくっけるようにして、彼のたくましさにリオーネは驚く。
この人は死にそうな目にあってなお、まだこれだけの余力を残している。
「女神の声が聞こえなくなったんだ」
「は? それはいつごろからのお話ですか?」
まさか、と思い当たるものがあり心が激しく動悸する。
婚約式の一画面がリオーネの脳内で再生された。
さらさらと音を立てて崩れゆく、二人の指を飾っていた宝石。神殿の大理石の床の上で、真っ白な塩の塊にのようになっていた。
「‥‥‥婚約式のあの夜」
「――っ!」
やっぱり。嫌な予感ほどよく当たってしまう。その理由もなんとなく思い当たるものがあった。自分にかけられた逆光転生の呪いではないのか。
呪いのかかった女と、己の聖騎士が結婚することを女神は喜んでないのではないか。
けれども待って、とも思う。
もしそうならば、彼は全てを失っているはず。
例えば女神の恩寵とか。
奇跡を起こす能力とか。
常人では考えがたい回復力とか。
魔獣と戦っても傷つくこともない耐久性とか――。
「どうもいまの僕には、女神の祝福はないらしい。つまり聖騎士として、失格だということだな」
「ごめん……なさい、貴方。わたしのせいで、こんな深い傷までおって――女神様に嫌われて……。ごめんなさい」
熱いものが頬を伝い落ちる。
愛する人間を死なせたとしてもおかしくない惨状に追い込んだのが、自分にかけられた呪いのせいだとしたら。
ありとあらゆるものが、自分自身を拒絶しているような気分になって、リオーネは込み上げる衝動を抑えきれず、ただ悲しみの涙を流していた。
「どうして君が泣く? 謝罪することなんてない、これは僕が聞いたことだ。戦いだって……力及ばずに負けそうになった。それは本当のことさ、なんか君が連れてきた。連れてきてくれた、魔猟師によって僕たちは救われた」
「それはたまたま。たまたまあの子が我が家にいたから……」
「もし僕が本当に女神に嫌われているとしたら、こんな偶然なんて起こり得ない。神が嫌ったのだから、片足を失った時点で死ぬことは確定していた。そうじゃないか」
「だって、わたしが貴方と婚約しなければそんなことにはならなかった!」
魂の慟哭だった。
もしかしたら、前夫たちだってそうかもしれない。
自分と結婚してしまったから、女神に嫌われて死を賜ったのかもしれない。
そして、お前はこんなに罪深い女なんだ、と見せつける意味で逆行転生させられたのかも。
そう考えると、全ての不幸に辻褄が合う。
――わたしは生まれてきてはいけない女だったんだわ!
リオーネの心は、今までにないほどの悲しみに満ち溢れていた。
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