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第二章
第十話 遠い二人
しおりを挟む「本当にこれで良かったのかしら。あの人、ラフィネ様とどんな話したか教えて下さらないし……不安しかないわ」
領地に先に戻ったリオーネは、婚約式を思い出すたびにそんなことをぼやくようになっていた。
夏が終ったのに、ライオネルは伯爵領に住んでいない。
秋ころになれば北部のルゲル連峰から黒竜がやってきて、その対応に聖騎士として追われているためだ。
黒竜は全長15メートルほどの中型の翼竜種だ。
性格は温和で特に人に害となす、ということもない。
それなのに対処に追われてしまうのは、彼らが冬に向かって放つ『鱗替わり』が原因だった。
黒竜は犬や猫のように毛替わりならぬ、鱗替わりをする。
はがれ落ちた鱗のあとからは体内に含んでいる大量の瘴気が漏れだすのだ。
瘴気にさらされた人間は毒素を吸い込んだときと同じになる。
肌が腫れあがり、呼吸器官が炎症を起こす、息ができないということは死を意味する。
黒竜たちは効果的に鱗をはがそうとして、あるモノを使う。
それは帝国の各所に張り巡らされた女神の結界だ。
聖女が張った結界は竜などの魔獣を通さない効果があり、彼らは肌をこすりつけることで脱皮を促すのだった。
しかし、それをされた結界は圧力に耐え切れずほころびをみせることも少なくない。
そこでライオネルたち、王国や神殿の騎士や神官、魔導師が駆り出されて結界より手前で黒竜を魔法や罠に寄り撃退することになる。
今年はなぜか黒竜の数が例年よりも多く、撃退に費やされる期間も人員も費用も多くなってしまっていた。
「ライオネル様、まだ戻れないのですか?」
「すまない、リオーネ。今年は黒竜が多すぎる」
と、夜の寝室で婚約者たちは魔導具に向かい会話をする。
四角い箱のような物体がベッドに置かれていて、大きさはてのひらくらい。帝国のなかに張り巡らされた魔導ネットワークを中継して、装置を持っている者同士で話ができる優れものだ。
まだ実用化に成功して間もなく、軍用であったり金持ちだけしか購入できないほど高価だったりするが、高い爵位を持つ二人にこれは関係ない。
むしろ、ライオネルが権力を発動して優先的にリオーネが寂しくないように、と最新の通信魔導具を与えたほどだから、溺愛されているのだな。と感じてしまう。
皇弟の愛は、どんなときでもリオーネを最優先に発揮されるのだと魔導具が届いた瞬間に思い知ったほどだ。
リオーネはベッドに腰掛け、魔導具に向かって話しかける。
見られていないということもあってか、ゆったりとしたワンピースでくつろぐ彼女に対し、魔導具の向こうから聞こえてきたライオネルの声はどこか緊張感に包まれていた。
「君も覚えているだろう? ミランダ様のこと」
「ミランダ様って……アーバンクル公爵家のミランダ?」
「こらこら、誰かに聞かれているのかもしれないのだから。気をつけてくれよ」
「はいはい。気を付けます。それであの子がなにか?」
夜会のことが脳裏によみがえる。
自分のことをライオネルや男性たちをたぶらかす悪女のように言ってくれた毒舌のアーバンクル公爵家第四令嬢ミランダ。
あの亜麻色の髪の少女が、今度はどんなふうに関係しているのか。
リオーネはなんとなく気になってしまった。
「いま、女神神殿の神官殿たちと作戦を共にしているんだ。知っての通り、女神ラフィネ神殿に聖女は一人だが、その補佐をする者たちもいる」
「ああ、巫女姫様たちのことですね」
巫女姫とは「姫」と名づいているが、単に聖女の補佐を任されている高位の女神官たちのことだ。
なかには優れた魔力を使い、単独で分神殿を切り盛りしている者もいて、他の宗教では司祭のような役割を果たすことで知られている。
そんな特別な存在がどうしてこの話にでてくるのか、なんとなく嫌な予感がした。
リオーネは傍らにあった羽毛枕を引き寄せ、身構えてしまう。
「ミランダ様はこれまで血筋からして巫女の一人だった。しかし、今度から巫女姫に昇格するらしい」
「え?」
「次の任務に彼女が参加するというんだ。僕は無視しようと考えているんだが……」
愛するリオーネのことをもし悪くいわれでもしたら、我慢しきれないかもしれないとライオネルはぼやく。
戦場でしか使われない彼の冷酷な刃があの小生意気なミランダに向けられるのを想像して、リオーネの顔から血の気が引いた。
「ちょっとライオネル? あいてはもう成人しているとはいえ、まだ子供ですよ! 世間知らずの貴族令嬢です! 貴方が腹を立てる相手ではありません。そのお気持ちだけでうれしいわ」
「そうか? 前回はエプソナ大公夫妻が連れていってしまわれたが、もし次回があれば泣いて這いつくばるまで頬を張ってもいいと思うのだが……」
「帝室と女神神殿の戦争を始める気ですか、貴方は!」
「いや、神殿は大丈夫だ。ほら、僕は聖騎士だし」
巫女姫の上司である聖女や大神官は付き合ってきた歴だけでもミランダとは比にならず、少々、しかった程度で皇帝も怒りはしないはずだ。とライオネルは能天気に言うが、リオーネは気がきでない。
「冗談ではありません! あの子が泣き謝る姿は見てみたいけれど」
「ほら、君だってそういうと思っていたよ」
どこか見透かされていた気がして、リオーネは気恥ずかしさに頬を赤らめる。
「と、とにかくです! エプソナ大公様のお孫様ですよ、ミランダ様は! あのかたがたと疎遠になるのは嫌だわ……。せめて来年の結婚式までは大人しくしていてくださいませ、ライオネル」
「そうか。いいアイデアだと思ったのだが」
「駄目です、駄目! それよりも、聖騎士なのだから神殿では巫女姫より上位でしょう?」
「まあ、それはそうだが」
「ならば、現場で巫女姫として配慮が足りていないところを的確に指導したほうが良くてはなくて? それならば仕事として指摘できるし、なにより彼女の役に立ちます」
当人は恨みにしか思わないかもしれないが……公的な場でしかるならば誰がみても明らかに非がある点を指摘したほうが、問題にはなりにくい。
そう告げるとライオネルは「なるほど、さすが経営に長けた女伯爵だ!」と感心したようにいう。それがおどけた仕草ではなく本気で感じ入っているように聞こえるのだから、困ったものだ。
「貴方、そんなことを言わないでください。大体、戦場が長いライオネル様のほうが部下の指導には慣れているでしょう?」
「いやー……僕が慣れているのは、力で敵軍を圧殺することと、敵を制することだけだよ。それもほぼ孤独でやってきたから、今のような任務は正直、慣れない面も多い」
と、珍しくライオネルが不安をこぼすのでリオーネは意外性を感じて、へえ?と首を傾げる。
あまりにも強すぎる戦力が威力を発揮するとき、周囲に味方がいたら巻き込まで終うから、戦場では常に味方と距離を取り、敵を殲滅することに意識を向けていたのだとか。
話で聞く分にはいいが、ある意味、狂戦死となって血に染まって戦場を駆け抜ける英雄を見たいかといわれたら、それは謎だ。
リオーネは特段、前夫たちのこともあり人の生き死にには敏感になっている。
戦場の話を聞くだけでも、正直、想像してしまうと辛いものがあることを告げると、ライオネルはさっと話題を切り替えてくれた。
「ここから帝都へ戻るとき、東部に迂回しようと思う。伯爵領の外になって申し訳ないが、ラズ辺りで会わないか?」
「ラズですか? 芸術の都の?」
ラズは南海とシェス大河の支流が混じり合った西の大陸における、交易の要だ。
歴史は千年と古く、英雄とされるグレン大帝が若いころに青春を過ごしたことでも有名な土地として知られている。
領地は同じ帝国でも、エイデア帝国よりも十倍の領土を持つエルムド帝国の都市になるが、伯爵領からは大河を通じて。
いまライオネルが出陣している北部のルゲル連峰からも大河の支流を通じてそれぞれ、船で二日とかからない距離だった。
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