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第二章
第九話 死に戻りと婚約
しおりを挟む最初の夫、エンリケの死後から悪夢は始まった。
夫が死ぬと彼女も死ぬ。すぐに後を追うことはなく、だいたい、死後、二週間で人生が終わる。
次に目覚めるのは、最愛の男性が亡くなる数日前だ。
彼が死ぬ運命を変えようともがくあがいても、彼はまた死んでしまう。
その後、リオーネは死ぬことなく生き続ける。
二人目のときもそうだった。
オビリオが死に、喪に服していた二週間後にリオーネは死んでしまった。
気づけばオビリオの命日の数日前に逆行転生していた。
二度目も夫が死なないように努力した。オリビオが外国へと行くことが無いように引き留めようとしたが、無駄だった。
三度目のアルカントのときもそうだ。
どれもこれも無駄な徒労に終わり、心がずたずたに引き裂かれ、悲しみの淵で彷徨い続けた結果、二度と結婚しない。
恋をしない、と決めたのだった。
――そうすれば、誰も失わずに済むのだからっ……。
三度死んだのです、という発言はそのような意味を込めたものだった。
しかし、この事象はリオーネだけが体験していて、知る限りでこのような経験をした女性はいない。
女性だけでなく、逆行転生という特異な体験をしたことがある、という話はこの五年間に広げたさまざまな歴史書や自伝、伝説や物語を紐解いても事例がない。
リオーネはそこいらの歴史学者よりも歴史に詳しくなり、東部地方の過去を深く知ることは領地経営の礎となる知識を彼女に与えた。
結果的に領地の税収はこれまでの夫たちが経営したときよりも年々増していき、リオーネが女伯爵として独立を認められたり、皇帝陛下からお褒めの言葉を賜ることになった。
それがこんな展開をもたらすなんて……、とあの夜、夜会に参加した自分を、ミネルバと諍った自分を、ライオネルの誘いに乗った自分を責めた。
「失礼します――っ!」
「お、奥様?」
「リオーネ!」
一言置き、立ち上がったリオーネは勢いよく部屋を飛び出してしまう。
残された人物たちは唖然となってしまった。
普段はときにずぼら、時に冷静沈着。
こんなに感情を表に出して狼狽する主人を家人が最後に見たのは、五年前。
アルカントの死に際してのことだった。
嬉しさに耐え切れず逃れたのだろう、まだ先の主人を忘れておらず悲しみで退席したのだろう、と残された家人たちは憶測で話をする。
彼女の名を叫んだライオネルはそれを尻目に後を追いかけた。
リオーネの涙の理由は自分にある。その意味を知らなければならなかった。
「待ってくれ! リオーネ!」
「やだ、放して、ライオネル――お願い……」
廊下の角で追いついて彼女を抱き止めたライオネルは、リオーネに激しく拒絶され取った手をゆっくりと放した。
「すまない。君に無理強いするつもりはないんだ。だが、あのとき、君が提案してくれた愛妾は駄目だろうと兄上にしかられたよ……僕が愚かだった」
「陛下が? そんなことをおっしゃったのですか?」
皇帝がまさかそんなことを言うなんて。発言内容に驚き、ぽかんと口を開けたまま突っ立ってるリオーネをライオネルは胸に抱き止めた。
「ああ、そうなんだ。ただ僕を利用していただけだと思っていた兄上が、――いや、これは不敬罪だな。とにかく、男ならば愛した者に対しては誠実であれ、とおっしゃられた」
「陛下が……」
ほろっ、と涙がこぼれる。
皇帝がそんなことを言うのだろうか、と疑問が湧きあがる。
違うだろう、彼の目当てはヴェルディ侯爵家の麾下にあり、いつ王国と手を組んで帝都を脅かしてもおかしくない、伯爵領だ。
聡いリオーネは皇帝の胸内を見透かしていた。
この縁談に従えばライオネルをモンテファン伯爵に封爵できる。
内海の交易で賑わい、年度を追うごとに納税額が上がっている伯爵領は、皇帝からしてみれば手に入れたいに違いない。
これまでは反皇帝派と目されているヴェルディ侯爵家の庇護下で成長してきた産業を領地ごと帝室のものにできるのだ。
主君である兄が認めてくれたと純粋に喜ぶライオネルを責める気にはなれない。むしろ、世渡りが下手なことを危惧するレベルだが、サイコロは振られてしまった。
あとはもうなるようになるしかない……最善の策は――運命を受け入れること。
「ああ、そうだ。兄上が、陛下が許可を下さった。君との挙式後は領地に向かい共に暮らしてもいいと」
「そう」
発言した後で、リオーネは冷たい一言だったように感じる。
『愚かな人。利用されていることいも気づかないなんて』と、続けたいところだがぐっと我慢して飲み込んだ。
「いきなり結婚はどうか、と思います。時期も時期ですし、夏の帝城への出仕を終え地方へと領地へと戻る貴族は多いはず」
「そう、だな。来年の春に出仕してくるのを待った方がいいかもしれない。じきに冬になる」
「ええ、そう。そうなの。冬では北部貴族の方々は雪に閉じ込められて帝都へは来れませんから」
「なら――どうする?」
「まずは婚約を行いませんか。神殿ですぐに行えます。簡易なものであれば今すぐにでも――もう、領地に戻る準備を終えていてそぐうドレスなども出すことができないのです。荷物は出てしまっているの」
「では受けてくれるのか?」
ええ、と彼の胸に顔をうずめてリオーネはうなづいた。
涙の理由を知られないように。
隠している本音を悟られないように。
四度目の死を迎えることがないように。
彼を守ろうと決意する。
今度、もし死に戻りが発生したら、そのとき、また救えなかったら。
――わたしは、それを最後にしましょう。生きる最後に。
こうして、リオーネはライオネルとの婚約を引き受けることにした。
善は急げ、と言い出したのは彼のほうだ。
伯爵家に横付けしたままの馬車に載せられ、大した用意もしないままに神殿へと二人は向かう。
ライオネルは気が早い。
どこでどう調べたのかわからないが、婚約指輪まで用意してくれていた。
戦女神ラフィネの恩寵を受けて生まれたとされる、エメラルド色の魔石。
それを彫金加工した細工の美しさが目立つ、婚約指輪。
女神神殿は帝都の西側にあり、ライオネルは伯爵邸からもっとも近い道筋を選んで馬車を走らせた。
神官が見届け人となり始まった婚姻の儀式。
内容は簡単なもので女神への宣誓を夫婦となる両者がおこない、神官が認めたら指輪を交換するというもの。
女神ラフィネが認めたら二人が交わした指輪にある魔石が輝く。
認めなければ魔石は輝かない。
ライオネルの宣誓が終わり、リオーネの番となる。
指輪を嵌めた左手を女神像に掲げ、名乗りを上げる。
「わたし、リオーネ・タニア・モンテファンはライオネル・エイデアを夫にすることを誓います」
ここで両者は嵌めた魔石が緑色に発光すれば婚姻の儀式は完了だ。
だが――。
「んなっ」
パキンっ、と乾いた音を立てリオーネとライオネルの魔石はともに粉々になってしまう。
割れたというのではなく、まさしく粉々に。砂のような粒になってさらさらと床上に流れ落ちていく。
「あ‥‥‥」
「なんだ、これは。どういうことですか、ラフィネ!」
絶句する神官。唖然となり事態を認識できないリオーネ。
女神に文句を言うなんてなんて不敬な……とライオネルの常識を疑うも、ラフィネとたまに言葉を交わせると秘密を明かしてくれていたのを思い出し、彼を批難しようとした自分を抑え込む。
「女神ラフィネはこの婚約を祝福していません……殿下」
と、神官は重々しく告げるが、皇帝の命令をいまさら覆せるほどの効果はない。
「構わない。これで婚姻はなされた。いや、まだ婚約だけだが。リオーネはどう思う?」
「わたしは、殿下が良ければそれで……」
帝国を出るか、命令に従うか。
婚約だけでもしておけば、あと半年。
来年の春まで時間は引き延ばせる。
その間に逆行転生の秘密を解き明かして見せる。
リオーネは異論はないと告げ、二人は晴れて女神公認の婚約者となれたのだった。
「後から話がある」
と、女神像に向かい厳しく突き付けるようにいうライオネルの口調は、鋭い剣先を突き付けられたように恐ろしく冷たいものだった。
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