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第一章
第五話 暴力を振るわない彼
しおりを挟む「そこまでだ、ミネルバ!」
「おじい様……!」
傲慢な考えを拗らせ、自分を押し通そうとしたミネルバだが、割ってはいってきた人物を見るなり百万の味方を得たように元気づいていた。
妻を連れたエプソナ大公がそこに立っていたからだ。
しかし、大公の行動はミネルバやリオーネの予測を越えた。
「なにをやっておるか、この馬鹿孫が! ここをどこだと心得ているのだ。陛下の午前だぞ、さっさと来んか!」
「やっ、やめておじい様! わたし、辱められたのに!」
「それはお前の方だ、全部見ておったわ! 戻ったら折檻だ!」
「そんな――」
孫の腕をつかむと、エプソナ大公夫婦は60歳とは思えないほどしっかりとした足取りで会場を出て行った。
あまりの勢いの良さに残された一同はぽかんと口を開けどう対応していいか困る始末だった。
「いや、参ったな……あんな対応をされるとは――貴女の配慮に恐れ入った、女伯爵殿」
「いえ、そんな。殿下をないがしろにすることは陛下を侮辱することに等しいですから――その」
ライオネルは軽く頭を下げた。冷血皇弟と呼ばれこれまで戦場で幾人もの敵将をほふってきた男が、静かな怒りをおさめ場を諫めようとした女性に頭を下げている。
それは、帝国の夜会に小さな衝撃をもたらした。
「殿下、陛下が花火は終わりか、と問うておられます」
と、衛士の一人がやってきて質問する。花火、それは女同士の戦いを揶揄しているのだろう、とリオーネは思った。皮肉な一面を持つ皇帝らしい表現だった。
「終わった。生憎ながら盛大な花火は打ちあがらず、怪我人も。火をつけた者も見当たらない。そう兄上には伝えてくれ」
「殿下、それでは……」
と、衛士が去っていく背を見送りながらリオーネが自分にも罪がある、と言い出そうとすると、ライオネルは片手でそれを制した。
「貴女には、少しだけお付き合い願いたい。宜しいか?」
「え、ええ。殿下がお望みでありましたら」
「では、あちらに」
彼が案内してくれたのは、会場から幾本も廊下を潜り抜けた先にある、離宮の中庭だった。
東方からやってきた数代前の皇后のために建てられたとされる離宮は、カラードと呼ばれている。アラベスク紋様が多種多様に描かれ、唐草を模した弦や葉、幾何学的な模様でそこかしこが彩られ、真っ白な純白の空間が表現されていた。
「雪のなかにいるような景色ですね、素晴らしいわ」
「気に入ってもらえたらなによりだ」
カラードの離宮。そこにライオネルは住んでいると聞いたことがある。
つまり、彼の居室に招かれたことになる。その意味は大人の男女なら明らかだった。しかし、リオーネにはそんな関係になる気はさらさらない。
それなら先ほど、大公夫妻に連れていかれたミネルバを招けばよかったのだ。
自尊心が山ほども高いあの公女なら、意中の人に喜んで操を捧げたことだろう。
もっとも、その前に破廉恥な女ではないと怒り逃げようとして犯される未来もあり得たが――。
「わたし、特別な後見人は望んでおりませんの」
リオーネはやんわりと彼の好意を拒絶する。
ライオネルはまさか、と困ったように頭を左右する。
「すまない、女伯爵。誤解を招くような真似をしてすまなかった」
「え、でも……」
違うのだろうか。見た所、離宮に人の気配はない。仮にも帝室の一員だというのに、孤独で住むなどあり得るだろうか? この離宮はざっと見渡した限りで十数部屋はありそうだ。手入れが行き届いているのが、はた目にも良く見て取れる。
彼はここで少なくとも数人の侍従たちと共に暮らしているに違いなかった。
「貴女のその態度が気に入ったんだ。まあ、座らないか」
中庭の中間にある東屋に向かって手を引かれる。特別な関係を求められていない、とわかりリオーネは心のどこかで緊張の糸が途切れてしまった。
「あっ」と声を出したときにはもう遅い。段差でつまずいてしまい、前のめりに倒れこむ。彼女を抱き止めたのは、ライオネルの広くて分厚い胸板だった。
「大丈夫か? あんなことになって済まなかった」
「いえ、殿下……その、困ります」
ぎゅっと抱き止められ、そのまま抱き上げられてしまう。
背丈の高いリオーネはそれなりに重たいはずなのに、ライオネルはまるで絹を抱いているかのように優しく丁寧に彼女を扱った。そこには冷血なんて言葉が似合うような皇弟はいない。ただの優しくて礼儀正しい紳士が存在するだけ。
彼の顔を間近にして、リオーネは前夫が亡くなってからもう動かすまいと決めていた心に、薄くそれでいて熱い火が灯った気がした。
リオーネを東屋のベンチに下ろしたライオネルは、その隣ではなくテーブルを越えた向かい合わせに座り込む。
淑女に対して非礼にならない程度の距離感を保つ彼に、リオーネの鼓動はいつしか高鳴りを見せていた。
「殿下はお優しいのですね。戦場ではあれほど勇猛な聖騎士ですのに」
「‥‥‥。それは僕の真の姿でないんだ。女伯爵」
「と、おっしゃいますと?」
訊くとライオネルは途端に難しい顔つきになる。話すべきかそれともうやむやにするべきか。彼が心の中で葛藤しているのが伝わってきた。
「僕は聖騎士だ。戦場で戦い始めると、戦女神ラフィネの恩寵をこの身に受けることになる。それは負けることが許されない戦いの始まりだ。……敵を討ち滅ぼすまで」
「終わらない宿命、とおっしゃりたいのですか。それは幸福なことでは――?」
いいや、とライオネルは首を振る。冷酷に無情に敵の首を刈り取る死神にならなければいけない宿命は10歳から始まった、と彼はぽつりと語った。
後悔するように、懺悔するように、誰にも言えなかった苦しみや憎しみを内から曝け出すように。いきなり暴露された彼の懊悩に、最初、リオーネはついていけなかった。
「殿下、待って、待って下さい――。その、いきなり告げられても困ります。わたし、聖女様ではありません……」
「そうだったな、済まない」
明確な拒絶。もしかしたら拳でテーブルを叩きつけ起こるかもしれない、と思いながらの断りを彼は受け入れてくれた。
――あの人のように、拳を振るわないんだ……。
二番目の夫。外務省で官僚をしていたオビリオは気が弱く、嫌なことがあるとすぐに酒に逃げ、酔ってしまい「お前になにが分かる!」と叫んだ次の瞬間には拳で殴りつけてくる。そんな暴力夫だった。
三人目の夫、アルカントにはそんな癖はなかったが前夫たちにはそれぞれ、苦労させれられてきた側面がある。歴史がある。
過去を思い出しいつの間にか小刻みに震える肩を抱き、リオーネはうずくまってしまう。
「女伯爵? どうした、僕がなにか……?」
「いえ、いいえ。なにもありません」
呼吸を整え、ここにはあの人。オビリオはもういないのだ、と自分を鼓舞する。ゆっくりと深呼吸をすると、現実を受け入れる準備が整い始める。しかし、過去に受けた傷はそうそう簡単には癒せない。
「なにかできることはあるか?」
「‥‥‥手を。手をお借りしても?」
「ああ、もちろんだ」
レース越しにやんわりとそれでいて逞しく、剣を握るためかごつごつとした彼のてのひらに包まれるだけで、リオーネは安堵を感じた。
――雰囲気で来ないのね、この御方は。
と、幾度か同じような症状が起こったとき、抱きしめてくれた男がいた。アルカントだ。彼は正式に夫になるまえから、リオーネの心の闇を利用していた男だった。
――でも、この御方は違う。力づくで押し付けようとしてこない。
こんな殿方もいるのだ、と世間の広さにいまさらながら気づいたリオーネだった。
「ありがとう……ございました。もう、いいので」
「そうか。なら、良かった」
大丈夫だ、と伝えればすっと引いてくれる。分別ある大人の男をリオーネはライオネルに見てしまった。そして彼が自分よりも二歳も年下だと気づき、恥ずかしさに顔を染める。
「すいません、わたしったら取り乱してしまって」
「気にすることはない。いきなり戦場の話を持ち出した僕が礼儀知らずだった」
と、ライオネルはごつごつとした手で恥ずかしそうに頭をかく。
変な殿下、とリオーネは彼の不器用な仕草と冷血皇弟という二つ名の間にあるギャップを感じておかしくなってしまい、ついくすっと笑ってしまった。
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