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第一章

第一話 女伯爵リモーネ

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「夫が一人死ねば悲しみ、二人死ねば絶望し、三人死ねば――自立を考えてしまう。女って怖いものね」

 ライオネルと情熱的な夜を過ごした冬の一夜から遡る事、三ヶ月前。
 夏の中盤に差しかかる季節は、大陸の南西に位置しているエイデア帝国の帝都エイデアで過ごす貴族にとって、あまり嬉しくない時期だ。

 深く広い海岸線、そこに流れ込むシェス大河の支流によって形作られた肥沃な大地。
 農耕に向き、海運にも適したこの広大な盆地ではルゲル連峰から吹き付ける北風と、南海から上がってくる潮流がうまくまじりあい、熱気と湿気をほどよくもたらしてくれる。

 風が強い日は爽快に過ごせるが、今日のように曇天が空を支配した場合は、話が別だ。
 暗く湿った雰囲気は心まで暗く閉じこもらせてしまう。
 もう昼だというのに、リオーネは夜着としてきている亜麻色のワンピースのままで、ベッドに腰掛けたままだ。

 侍女のサリーが用意してくれた紅茶を飲みながら、帝都で手に入る四紙の朝刊に目を通すのが日課だった。
 しかし、リオーネより若い18歳の侍女はいい顔をしない。

「奥様、行儀が悪いですよ」
「わかってるわよ……これが楽だからいいの。ほら、気を遣う相手もいないし」
「まったくもう」

 屋敷の主として自分の好き勝手にして何が悪いの? と問い質されサリーは大きくため息をついた。
 主人の美しく長い黒髪を手に取り、ブラシをかけ始める。
 リオーネの鳶色の瞳は、文句をいいながらも身支度を手伝ってくれる侍女を移しこんでいた。
 その目が新聞のとある記事へと落とされる。
 そこには、翌週開催される皇帝陛下主催の夜会のことが書かれていた。

「‥‥‥めんどうくさいのよね、夜会」
「でも大旦那様は出るようにとお命じになられたではありませんか」
「わかってる。でもね、サリー。夜会って同伴者が必要なのよ」

 そんな相手はいない、とリオーネは重苦しく首を左右した。
 リオーネは女伯爵だ。

 女伯爵とは、一代限りの伯爵家を継ぐ当主のことである。
 もし、婿を擁して生まれた子供が男子なら爵位は受け継がれるが、モンテファン伯爵家はちょっと事情が異なっていた。

 モンテファン伯爵家の親戚筋に当たるローアイアス男爵家に、リオーネは生まれた。今から23年前のことだ。生まれたときから、リオーネには婚約者がいた。

 モンテファン伯爵家の四代前の当主だったエンリケだ。
 彼は無口だが、素朴な優しさで愛してくれる男性だった。
 陸軍で情報部に所属し大佐にまで昇進したエンリケとの結婚は、夫が42歳、リオーネが14歳の時だった。
 二回り以上年上の男性との婚約は、近代魔導文明を構築したエイデア帝国にあっては奇異なものだった。おおよそ、一般市民的には。

 だが、貴族ともなれば話が違う。
 女性は家に尽くすもので、男爵家と伯爵家は親戚筋。軍部でも上司と部下の関係だったから、つながりが重要視された。

 しかし、エンリケは結婚して三年目に戦死してしまう。エイデア帝国は隣国のグリザイナ王国と海峡の領海権を巡って半世紀に及ぶ戦いを繰り広げており、参加した作戦での憤死だった。
 最初の夫、エンリケが亡くなると長男だったオリビオが当主の座に就く。最初は未亡人として男爵家に差し戻される予定だったリオーネは、何の因果か義理の息子と結婚することになる。

 親戚たちが両家のつながりを求めたためだ。
 リオーネが17歳、オリビオは24歳。

 年の差は7歳差になったがそれまで「義母上」と呼んでくれた義理の息子が、「おまえ」と自分を呼び捨てにするのに慣れるには時間がかかった。
 読書が好きだったオリビオは外務省の役員をしていたが、隣国で行われた交渉の帰路で船舶事故に遭い、命を落としてしまう。

 たった半年間の新婚生活に終止符が打たれ、悲しみに伏していたリオーネは、伯爵家次男のアルカントを次の夫に迎えた。

 彼は21歳、リオーネは18歳。またしても歳の差は縮まったが、次男ということで家を出て宝石商として独立していたアルカントは、伯爵様となっても商売をやめることはなかった。

 華美装飾が好きで身の丈に合わない金の使い方をする彼に、リオーネは伯爵家の金庫がいつ空になりはしないか、と怯えたものだ。

 長期の商談に出るたびに、家で待つ妻へと高価な贈り物をアルカントは心掛けてくれたが、リオーネはそんなものよりも彼が長生きしてくれることの方が大事だった。

 三度結婚し、三度目もまた夫を失うようなことがあっては――後追い自殺してもいいかもしれないと、アルカントが商談に出かけるたびに思ったものだ。

 そして……結婚、わずか一年も経過しないまま、アルカントは死んだ。商談先のホテルで酔客と揉め、殴り合って刺殺されてしまったのだ。

「‥‥‥相手は一般人だそうだ。これで伯爵家も終わりかもしれん
「そんな! この家はどうなるのですか!」

 と、実の父親であるダンテスから仔細を聞いたリオーネは真っ蒼になった。
 愛したエンリケが守ろうとしたこの屋敷と土地を失うことになるなんて、嫌だった。

 オリビオは職務で忙しく、アルカントは宝石商の仕事にかまけてばかりで、最初に結婚してからの四年間というもの、伯爵家の雑務や公的な事務はすべてリオーネがやってきた。
 任されたいうよりは、そうするしかなかった。一人目は戦場が長く、二人目、三人目の夫たちはそれぞれの仕事に熱心で、本道である家の経営には奔放だった。

 アルカントの葬儀は不名誉な死、という名目でひっそりと行われた。彼の墓標に酒に酔い喧嘩して刺殺された、と書かれなかっただけまとも、というものだろう。
 彼の死によって決定的な幕引きが考えれた。伯爵家はもう跡継ぎがいなかったのだ。親戚を探しても妙齢の男子はそれぞれ家督を継いだり、婿養子に入ってしまっていた。

 後継者がいない貴族の家は、屋敷や所領を王家に没収され、貴族籍を返納する決まりになっている。
 しかし、これに異を唱えたのがヴェルディ侯爵家だった。
 ヴェルディ侯爵家はモンテファン伯爵家とローアイアス男爵家を含む、東部貴族の筆頭格に当たる家柄だ。

 頭部地方はシェス大河を挟んで王国と領土が対面しており、その最前線にモンテファン伯爵領がある。
 まだ王国との戦争が続いているなか、いきなり紛争地帯の管理者が交代するというのは、敵に攻め込む口実を与えるようなものだ、というのがヴェルディ侯爵の言い分だった。

「おまえが女伯爵に名乗りを挙げれば、伯爵家は存続するかもしれない」
「わたしが! 女のみで当主ですか?」

 父親、ローアイアス男爵に言い含めるように告げられ、リオーネは思案した。どうすれば認めてもらえるのか、と。貴族院を介在し、当主死亡に対して皇帝陛下から慰問の声掛けをいただきたい、と願い出てそれは叶う。

 リオーネは夫たちが不在だった四年間、自分が伯爵家の財政や家政を務めることで間接的に帝国の領土を守ってきた、と訴えたのだ。

 身の程を弁えない愚か者、女の身で偉そうに、爵位を失いたくないための言い訳だ、などと社交界からは批判が矢のようにあいついだ。

 しかし、皇帝ラングドシャはこれを認めた。身分に問わず才覚ある者を引き立てると公言する珍しい為政者は、リオーネの政治能力を認めたのだった。

 あれから五年。領地改革と行政に忙しいリオーネは長く夜会に顔を出さない夫人として知られていた。理由は単純で、女だてらに当主となった彼女を世の男性は疎ましく感じてしまい誰も好意を寄せず、夜会に出向くために必要なパートナーに恵まれなかったからだった。

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