お飾りの側妃となりまして

秋津冴

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 四十代の男性がするようには見えない、とても茶目っ気のある魅力的な微笑み。
 彼の年齢も外見も、帝国で住む父親によく似ている。
 私の心で懐かしいその微笑みがよみがえると、つい陛下から顔を伏せてしまった。
 感情を折るようにして、私は下へと俯いて、陛下の目線から逃れようとしていた。

「おい、どうした? テレンス」
「奥様」

 陛下とイリヤの声が耳の奥にこだまと鳴って響いた。
 思わず、首が左右に動いていた。
 
「何でもございません」

 故郷への想い。
 それが熱いものとなって、一気に心から噴き出してくる。
 頭の中が、いつも隣にいたあの人たちへの思いで、溢れかえる。
 一瞬だけ家族と会いたいと思ってしまった。

 ――目頭が熱い。

 でも、ここで涙を流して帰国を乞うほど、私は落ちぶれていないし、そんな中途半端な気構えで輿入れしてきたわけじゃない。
 帝国の名誉を守らなければ――。
 そう思うと胸の内から湧き上がってくる感情を止めることができた。
 喉の辺りで一度それは熱いものとなり、やがてゆっくりと冷えてしまって固いものに変化する。
 鉛のように喉の奥に引っかかってしまって言葉を出そうとしても思うように発言ができない。
 孤独でいることがこんなにも辛いなんて、初めて知った瞬間だった。

「テレンス、どうしたのだ。大丈夫か」

 またしても父親によく似た陛下の言葉が耳を打つ。
 優しい抑揚すらも、記憶の中の父によく似ている。
 そんな声を出されたら泣いてしまうじゃないですか。
 ……私はまだ、十六歳の小娘だけれども。
 それでも、貴方の側妃なのです。
 そのプライド手折るようなことはしないで――そう言いたかった。

 テーブル越しに伸ばされたその手を、私は握り返すことはなかった。
 代わりにその隣にあったカップを取り上げると、自分の喉へと一気に流し込む。
 程よい熱さに冷めたそれは、喉につまっていた感情を胃へと押し流してくれた。

「申し訳ございません。故郷について少し考えておりました」

 けれどまだ陛下の指先は私を求めていて。
 畏れ多いことだと感じながら、初めて彼の手を両手で握り返す。
 そこにあったのは文官を務める父の柔らかいそれとは、程遠い物。
 硬い馬の革で繕った手袋か、といぶかしむくらいがっしりと鍛えられた、男性の手。
 思わず、その分厚さに驚きの声が出てしまう。

「強い……」
「強い? 正妃にごつごつとしていて触れると痛い、とはよく言われるが。強いとは初めて言われた言葉だ」
「帝国の竜騎士たちの手も、こんなに分厚く硬い物でした」
「ほう……? その様な親しげな男性がいたのか、そなたにも」

 面白そうだ、と陛下の顔が悪戯っ子のように変化する。
 彼に報告していない竜騎士との恋でもあったのかと疑われてしまいそうで、場に居合わせた女官や騎士たちも微妙そうな顔をしていた。
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