上 下
31 / 71
第二章

第三十話 銀貨一枚の重さ

しおりを挟む

「ちょっと! どうしたのよ?」

 自分の目の前で他人が倒れて驚かない人間はいない。
 見捨てていく者がいるとしたら、余程、心に余裕がないか排他的な考えの持ち主ということになるだろう。

「おいおい、そんな獣人。相手にするだけ時間の無駄だろう?」
「そうそう。さっさと追い出してしまえばいいのに。ここには相応しくないわ」

 前のめりに突っ伏したリンシャウッドを抱き上げようとして、膝を折るアニスとエリオットに向かい、その場にいた人々から冷たい言葉が浴びせかけられる。

 残酷なことを言う。アニスは心がざわついて、思わず後ろを振り返っていた。
 そこにいたのは、会場入りを果たしたときに気になった三人のうちの残り二人だった。

 人間族が二人。アニスと同じほどの年恰好をした片方の少女は、真紅の髪と、意志の強そうな青い瞳でこちらを見下すように肩を組んでいた。吊り上がったその目元に育ちの悪さを感じる。

 もう片方は長身の青年で、三十代に近い。その身長に匹敵するほど長い槍を手に携えていた。
 黒髪、中肉中背の優男。目元が軽薄そう。こちらを見て意味ありげな微笑みをした時点で、本能が拒絶した。
 
「生まれや育ちで人品が語れるなら、素晴らしいものね。エリオット手伝ってくれない」
「ええ、はい。アニス」

 ほらしっかり、とエリオットがリンシャウッドの手を自分の首に回して持ち上げる。
 アニスの嫌味が効いたのか、「そんな黒狼、さっさと売ればいいのよ。ここは上流階級の集まるホテルなのに」「まあまあ、いいじゃないか。どうせ、最初のクエストで死ぬパターンだ。死んだら――」

 いろいろと奪って弔ってやればいい。そう聞こえた気がする。
 あまりの物言いに、エリオットまで憤然としてやるせなさを見せていた。

 リンシャウッドは女性としては身長の高いアニスよりも小柄で、獣人族ということもあってか長くてふんわりとした毛先の尻尾と、黒の中に灰色の内毛が生えていて、とても可愛らしい印象の少女だ。

 外観にそぐわない背中に背負った巨大な愛銃と、そのお腹から断続的に鳴り響く、空腹時の腹の音がなければ……本当に愛らしい少女だ。
 彼女を背中に背負い、銃をアニスが背負ってホテルのレストランに移動したとき、エリオットはそんなことを考えていた。

 目が回る、という表現は単なる慣用句の言い回しだと思っていたら、そうではないのだと初めて知った。
 本当に、黒目がぐるぐると楕円軌道を描いていたのだ。
 
 黒狼の少女は目を回しながら、更に腹の虫を鳴らすという器用なのか、不器用なのか。
 とりあえず、栄養を与えるのが先決だろうという話になり、ぶっ倒れた彼女をレストランに運び込んだ。

「医者に押し付けられなかったのが問題でしたね」
「本当、先に回復魔法をかけてやるんじゃなかったわ」

 エリオットのぼやきにアニスが同意する。
 疲労で倒れたのだから、栄養と休息が必要だと思い、アニスはリンシャウッドが倒れたすぐ後で、自身の使える回復魔法を施してやった。
 
 それから二人でそれぞれ銃とリンシャウッドを背負ってホテルの医務室に運んだら、医者に言われてしまった。
「栄養と睡眠を十分にとれば問題ないですよ。獣人はこれくらいでは死にません。人より、頑丈だから」、と。

 栄養、という言葉を耳にしたのか、リンシャウッドはエリオットの喉元に背後から噛みつきそうな勢いで、「ご飯、ご飯!」と急かすように言い、また大人しくなる。

 このままではエリオットを捕食対象としかねない様子だったので、仕方なレストランへとやってきたのだった。
 それにしても、黒狼はよく食べる。獣人がよく食べるのかもしれない。

 ベテランの漁師が二人で抱える程に大きな巻貝、ローム貝の貝柱をクリームで煮たものが四皿。あっという間にリンシャウッドのお腹に消えた。続いて、四人前はありそうだった香辛料をふんだんに使ったリゾットが、数秒で大皿の上から消えた。

 スプーンとフォークを握るその手はしかし、テーブルマナーを崩すことなく、卒なく丁寧かつ迅速に食糧の補給を行っていた。

 リンシャウッドが皿から口へと料理を運ぶ速度があまりにも早くて、残された二人は食事にありつけない始末だった。このままではまずいと感じたエリオットが別に注文しておいたサラサ牛のステーキも、これまたどこから手が伸びて来たのか、リンシャウッドの前に皿が移動してぺろっと食べてしまう。

 まさしく、神業、と言っていいほどの食欲。食べることに関してこれ以上ないほどの貪欲さと真摯な情熱を、小さな黒狼の少女は併せ持っていた。

 しかし、何事にも限度というものがある。
 サラサ牛のステーキに味を占めたらしい彼女は「もう一皿追加、で」と給仕に求めるものの、隣に座るアニスから「それ銀貨一枚だから」と嘘とも本当とも取れないことをささやかれて、ぎくっとした顔をしつつ、注文を引っ込めていた。

「そ、そんなに食べてないもん」
「食べたわよ。十分、たくさん、満足過ぎる程に食べました。あなたは、ね?」

 そう言い、アニスは食卓に並ぶ、給仕が下げきれないほどのお皿の山を手で示した。
 うん、これなら銀貨一枚じゃ足りないな。

 エリオットはリンシャウッドから嘘だと言って欲しいと視線でねだられるも、首を振ってそれを否定する。
 黒狼の少女が満腹と同時に手に入れたのは――さっきまで言い争っていたアニスへの、借金だった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子エンドを迎えたはずのヒロインが今更私の婚約者を攻略しようとしているけどさせません

黒木メイ
恋愛
日本人だった頃の記憶があるクロエ。 でも、この世界が乙女ゲームに似た世界だとは知らなかった。 知ったのはヒロインらしき人物が落とした『攻略ノート』のおかげ。 学園も卒業して、ヒロインは王太子エンドを無事に迎えたはずなんだけど……何故か今になってヒロインが私の婚約者に近づいてきた。 いったい、何を考えているの?! 仕方ない。現実を見せてあげましょう。 と、いうわけでクロエは婚約者であるダニエルに告げた。 「しばらくの間、実家に帰らせていただきます」 突然告げられたクロエ至上主義なダニエルは顔面蒼白。 普段使わない頭を使ってクロエに戻ってきてもらう為に奮闘する。 ※わりと見切り発車です。すみません。 ※小説家になろう様にも掲載。(7/21異世界転生恋愛日間1位)

間違った方法で幸せになろうとする人の犠牲になるのはお断りします。

ひづき
恋愛
濡れ衣を着せられて婚約破棄されるという未来を見た公爵令嬢ユーリエ。 ───王子との婚約そのものを回避すれば婚約破棄など起こらない。 ───冤罪も継母も嫌なので家出しよう。 婚約を回避したのに、何故か家出した先で王子に懐かれました。 今度は異母妹の様子がおかしい? 助けてというなら助けましょう! ※2021年5月15日 完結 ※2021年5月16日  お気に入り100超えΣ(゚ロ゚;)  ありがとうございます! ※残酷な表現を含みます、ご注意ください

【 完 】転移魔法を強要させられた上に婚約破棄されました。だけど私の元に宮廷魔術師が現れたんです

菊池 快晴
恋愛
公爵令嬢レムリは、魔法が使えないことを理由に婚約破棄を言い渡される。 自分を虐げてきた義妹、エリアスの思惑によりレムリは、国民からは残虐な令嬢だと誤解され軽蔑されていた。 生きている価値を見失ったレムリは、人生を終わらせようと展望台から身を投げようとする。 しかし、そんなレムリの命を救ったのは他国の宮廷魔術師アズライトだった。 そんな彼から街の案内を頼まれ、病に困っている国民を助けるアズライトの姿を見ていくうちに真実の愛を知る――。 この話は、行き場を失った公爵令嬢が強欲な宮廷魔術師と出会い、ざまあして幸せになるお話です。

幼い頃、義母に酸で顔を焼かれた公爵令嬢は、それでも愛してくれた王太子が冤罪で追放されたので、ついていくことにしました。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 設定はゆるくなっています、気になる方は最初から読まないでください。 ウィンターレン公爵家令嬢ジェミーは、幼い頃に義母のアイラに酸で顔を焼かれてしまった。何とか命は助かったものの、とても社交界にデビューできるような顔ではなかった。だが不屈の精神力と仮面をつける事で、社交界にデビューを果たした。そんなジェミーを、心優しく人の本質を見抜ける王太子レオナルドが見初めた。王太子はジェミーを婚約者に選び、幸せな家庭を築くかに思われたが、王位を狙う邪悪な弟に冤罪を着せられ追放刑にされてしまった。

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO
恋愛
フィオナは没落寸前のブルイエ家の長女。体調が悪く早めに眠ったら、目が覚めた時、夫のいる公爵夫人セレスティーヌになっていた。 しかし、夫のクラウディオは、妻に冷たく視線を合わせようともしない。 フィオナはセレスティーヌの体を乗っ取ったことをクラウディオに気付かれまいと会う回数を減らし、セレスティーヌの体に入ってしまった原因を探そうとするが、原因が分からぬままセレスティーヌの姉の子がやってきて世話をすることに。 クラウディオはいつもと違う様子のセレスティーヌが気になり始めて……。 ざまあ系ではありません。恋愛中心でもないです。事件中心軽く恋愛くらいです。 番外編は暗い話がありますので、苦手な方はお気を付けください。 ご感想ありがとうございます!! 誤字脱字等もお知らせくださりありがとうございます。順次修正させていただきます。 小説家になろう様に掲載済みです。

婚約破棄された令嬢、教皇を拾う

朝露ココア
恋愛
「シャンフレック、お前との婚約を破棄する!」 婚約者の王子は唐突に告げた。 王太子妃になるために我慢し続けた日々。 しかし理不尽な理由で婚約破棄され、今までの努力は水の泡に。 シャンフレックは婚約者を忘れることにした。 自分が好きなように仕事をし、趣味に没頭し、日々を生きることを決めた。 だが、彼女は一人の青年と出会う。 記憶喪失の青年アルージエは誠実で、まっすぐな性格をしていて。 そんな彼の正体は──世界最大勢力の教皇だった。 アルージエはシャンフレックにいきなり婚約を申し込む。 これは婚約破棄された令嬢が、本当の愛を見つける物語。

婚約破棄の茶番に巻き込まれました。

あみにあ
恋愛
一生懸命勉強してようやく手に入れた学園の合格通知。 それは平民である私が貴族と同じ学園へ通える権利。 合格通知を高々に掲げ、両親と共に飛び跳ねて喜んだ。 やったぁ!これで両親に恩返しできる! そう信じて疑わなかった。 けれどその夜、不思議な夢を見た。 別の私が別の世界で暮らしている不思議な夢。 だけどそれは酷くリアルでどこか懐かしかった。 窓から差し込む光に目を覚まし、おもむろにテーブルへ向かうと、私は引き出しを開けた。 切った封蝋を開きカードを取り出した刹那、鈍器で殴られたような強い衝撃が走った。 壮大な記憶が頭の中で巡り、私は膝をつくと、大きく目を見開いた。 嘘でしょ…。 思い出したその記憶は前世の者。 この世界が前世でプレイした乙女ゲームの世界だと気が付いたのだ。 そんな令嬢の学園生活をお楽しみください―――――。 短編:10話完結(毎日更新21時) 【2021年8月13日 21:00 本編完結+おまけ1話】

処理中です...