上 下
30 / 31

相思相愛

しおりを挟む
 



 満開の桜の下で、橘の無事を祈っていた。
 ーー早く目が覚めますように。

 目が覚めたら、何を言おう。お礼を言って、でももう私を庇って傷つかないでとお願いをして。
 いやでも、何も言えなくなるかもしれないな。何でもいいから、彼が無事でいますように。

 そう願っていると、橘が立っていた。
 微笑んでいた。思いが込み上げて、傷に響かないようそっと抱きついた。


 ◇


 抱きついてすぐ、正気に戻ってお互いパッと離れた。
 思わず感情が昂ったけれども、恋人以外にやることではない。どんどん真っ赤になる頬を隠すように俯いた。

「……もう、目が覚めたのね……」
「……はい、おかげ様で……」

 そっと橘の顔を盗み見ると、彼も照れたように頬を赤くし上を見ていた。
 その様子にまた照れて、それ以上の言葉が出ない。
 もじもじと気まずく指を動かしていると、頭上から声が降ってきた。

「……皇后にならないと聞きました」
「あ……うん。色々頑張ってもらったのにごめんなさい……」

 怒るだろうか。
 皇后にはならないと決めたものの、彼は桜がずっと皇后になりたいと言っていたから、桜を皇后にするために今まで頑張ってくれていた。

 その努力を無駄にするような行動に、呆れ果てて愛想を尽かされても仕方ないだろうなと覚悟していた。

「……こんなことを言われたら、あなたは困ると思いますが」

 皇后になってほしいと言われるだろうか。そう言われたらどうしよう。
 橘の顔を見上げると、彼は真剣な表情で、口を開いた。

「ずっとあなたの事が好きでした。俺ではだめでしょうか」

 ぽかんとする桜に、顔を真っ赤にした橘が矢継ぎ早に言葉を続ける。

「俺の妻になったら、馬も触り放題です」
「え?馬?」
「出世します。大きな屋敷を構えて、庭に桜の大木を植えます。春になったら、毎日寝転がれるように」
「あの」
「あなたの好きな果物も、毎日捧げます」

 およそ十六歳の女性に向けた求婚とは思えない。
 それでも彼は、真剣な顔をしていた。

「あなたの望みは何でも叶えます。だからどうか、俺の妻になってはもらえないでしょうか」

 信じられない気持ちで彼の顔を見上げた。ずっとずっと言ってほしかった言葉が、今彼の唇から降りてきたのだ。
 嬉しさが指先から心臓までぶわっと一気に駆け巡る。昂った感情に突き上げられて、桜は大きく頷いた。

「……本当に?」

 彼が目を見開いて、桜の顔を覗き込む。もう一度頷いた。

「やった!」

 彼は破顔し桜を抱きしめた。赤くなった耳が、桜の頰のすぐ近くにある。

「……馬がなくても、大きな屋敷がなくても、桜がなくても、果物がなくても、」

 彼の耳に囁くように告げると、彼の体が跳ねるように強張った。

「橘のお嫁さんになりたい」

 最後の声は掠れてしまった。
 橘が息を呑んで、桜を強く抱きしめた。


 ◇


「桜花さま……いえ、桜さまと橘さまがご夫婦になるのですか」

 目を丸くする蝋梅に、桜と橘が照れながら頷いた。
 治癒の使いすぎで臥せっていた蝋梅は、一日寝込んですぐに回復した。それでもしばらくは力を使わず、体もゆっくり休めた方が良いとのことで、なかなかお礼を言いに行けずにいた。

 今日お医者さまの許可が出て、一刻も早くお礼を言いに二人で来たのだった。

「おめでとうございます。お似合いですわ。これからは西園寺桜さまになるのですね」

 西園寺桜。

 苗字の破壊力に内心悶えながら、桜は頷いた。横を見れば橘も、照れに照れていた。驚いた。
 弱点など何もないと言わんばかりの顔をしていた無表情の男が、照れている。

「蝋梅さまも……その、おめでとうございます」

 そう言うと蝋梅は嬉しそうに笑った。

 蝋梅は次期皇后に内定が決まったそうだ。
 慈善での功績、桜や橘を癒した功績、それから花の儀で帝に物申した胆力が評価されたのだそうだった。

「ありがとうございます。間近であの方に仕えることができるなんて、本当に夢のようです」

 ふんわり笑う蝋梅は、とても可愛らしかった。

「これで生涯最期の日まで、あの方を一人にすることなく、お仕えできます」

 蝋梅の笑顔の裏の覚悟に少し、ドキリとした。


 ◇

 長居しては体に障るということで、早めに蝋梅の宮を出た。

「お礼が言えてよかったですね」

 いつもよりも緩んだ顔の橘に、頷いた。

 橘の命を助けてくれた蝋梅に、ずっとお礼が言いたかったのだ。彼女は橘も、桜も、白萩も……桜の父が殺人を犯す道からも、救ってくれた。
 お礼を言っても言い切れない。

「本当に、蝋梅さまがいてよかった」

 しみじみとそう言えば、橘もそうですね、と神妙に頷いた。

「俺が助かったのも、蝋梅さまと桜花さまのお守りのおかげです」

 全て蝋梅のおかげだろうと思ったが、口に出すのはやめておいた。

「それより橘。あなたはいつまで敬語なの」
「え?」
「私はもう皇后候補じゃなくて、あなたは私の夫になるのに」

 口を尖らせてそう言えば、彼は一瞬口を開いて、また閉じて、顔を赤く染めた。
 真面目に照れる橘に、桜はつい吹き出した。

「笑うな」

 無理がある。顔を顰める橘にけらけら笑っていると、彼は怒ったように桜の髪をぐしゃぐしゃにした。

「ひどい!」
「男心を笑うほうがひどい」
「部屋に蛙をばらまく方がひどい!」
「いつの話を……大体あれは可愛いと思って……」
「可愛くないよ」

 橘が頭を抱えて呻いた。

「あなたって感性が死んでるのね……。私は橘から好きって言ってもらえるだけで喜ぶのになあ」

 桜は大好きだと何回も伝えてたのに、橘はたくさん可愛いと言ってくれるのに、好きだとは言わなかった。
 それでも大切だと言ってくれるのが嬉しくて、顔を見るだけでも大喜びだったのだけど。

「私はあんなにたくさん伝えてたのになあ。蛙かあ」

 髪をぐしゃぐしゃされたお返しに揶揄うと、赤い顔でむっつりしていた橘が、唇だけで笑った。
 嫌な予感がする。

「……ほう。何を伝えてくださったのですか」
「え?だからそれは……言ったでしょう。わかるでしょう」
「俺は感性が死んでるので……。頓珍漢な方ですし、わからないな」

 橘が仕返しとばかりに不敵に笑っている。見事に返り討ちにされた桜は、自分の顔がどんどん赤くなるのを感じた。
 桜はもう子供ではない。簡単に好きと言えるような素直さは無くなっている。

「嘘ばっかり!」
「さあどうでしょう」

 橘が意地悪く微笑んで、顔を隠そうとする桜の手を掴み、指先に唇を落とす。

「言ってください。何を伝えてくれていたのですか?」

 楽しそうだ。
 橘に意地悪をされたことのない桜は口をはくはくさせながら、悔しがりながら口を開いた。

「……あなたが、私に思ってくれていることよ」
「俺があなたに。……世界で一番、大好きだということでしょうか」
 壮絶なほど色気のある笑みだ。頭がくらくらする。

「……そうよ」
 顔を逸らすと優しく指で頬を抑え戻された。驚くほど近くに顔があって、桜が焦がれてやまない黒い瞳が優しく桜を見つめている。

 これ以上無いほど幸せそうに、意地悪く。

「…口で言って。聞きたい」

 囁くように言われて、吐息が頬にかかる。
 話が違う。最初は、橘の贈り物の話だったはずなのに。

「……橘のことが好き」

 恥ずかしさを堪えて言うと、橘が甘く幸せそうに微笑んだ。

「俺もです」


 橘の顔が近づいて、桜は自然と目を閉じる。
 かさついた橘の唇が、とてつもなく嬉しかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!

たまこ
恋愛
 エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。  だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】愛くるしい彼女。

たまこ
恋愛
侯爵令嬢のキャロラインは、所謂悪役令嬢のような容姿と性格で、人から敬遠されてばかり。唯一心を許していた幼馴染のロビンとの婚約話が持ち上がり、大喜びしたのも束の間「この話は無かったことに。」とバッサリ断られてしまう。失意の中、第二王子にアプローチを受けるが、何故かいつもロビンが現れて•••。 2023.3.15 HOTランキング35位/24hランキング63位 ありがとうございました!

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

処理中です...