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可哀想なひと
しおりを挟む義母が帰った後、中庭にある席に腰掛けぼんやりと花を見た。
一人で外の空気を吸いたい、と言った桜に芙蓉は渋い顔をしたが「中庭ならば良いでしょう」と渋々認めてくれた。渡り廊下には護衛がいるし、部屋から見ているだろう芙蓉の視線も背中に感じた。
橘に会いたいな、と思った。
自分のために手に縄をかけられた橘に、合わせる顔などないのだけれど。
そんなことを思っていると、涙がぽたぽたとこぼれ落ちた。足元の土が涙を吸って、代償として濃く変わる。拭ったら遠目で見ている芙蓉に泣いていることを気づかれるような気がして、そのまま流れていくのに任せていた。何だか気分がふわふわしていた。罪悪感と、喜びとが桜の心を不安定に変えていく。
自分を産んだと同時に亡くなったと言う母のことを、桜はずっと知りたかった。
母の気持ちをずっと知りたくて、でも恐らくは愛されてはいなかっただろうと、会ったことのない母に対して罪悪感を抱いていた。
しかし自分は一度きりでも母に抱かれ、生きてて欲しいと願われる存在だった。
全く覚えていないのに、嬉しいと同時に悲しくて、桜はぽろぽろ涙を流す。そうしていると後ろに誰か、男の人の気配を感じた。何となく、それが誰かはもうわかる。
「泣いているのか」
首を振ると、帝は珍しく困ったように眉を上げた。そして桜の隣に腰を下ろす。
「お母上が来たと聞いた。ひどいことを言われたのか」
首を振る桜に「言えないようなことを言われたのか」と帝がやや固い表情をする。焦って更に首を振った。
「本当に何でもありません。ずっと聞きたかったことを教えてもらっただけです」
「……そうか。知りたかったことでも、真実を知れば辛いこともあるだろうな」
「辛くもありません。どちらかといえば、嬉し泣きです」
確かに胸は潰れそうだった。
生まれたばかりの娘を、彼女はどんな気持ちで錯乱した男ではなくその本妻に託したのだろう。託さざるを得なかったのだろう。そして託されて、断りきれなかった義母の苦悩も辛かった。悪いのは父なのだ。
桜の言葉に帝は怪訝そうな顔をした。嬉しくて泣くのか、と当惑している。それが少し面白くて、桜はふっと笑った。
「帝は真実を知ってお辛かったことがあるのですか」
そう言うと、帝は虚を突かれたような顔をした。そうして微笑み、そうだなあ、と足元を見る。
「うん、あれはーー辛かったな。辛いと言える立場でもないのだが」
「……今でも、お辛いのですか」
口ぶりから最近のことではないだろうと察した桜が、眉根を寄せる。
「結構前のことだが、残念ながら。今でも思い出しては悔やんでるよ」
「まあ……それほど悔やまれるなら、生まれ変わってしまいそうですね」
桜の発言にぎょっとした顔の帝に、桜も驚いた。
「え、あの、以前帝が仰っていた、強い未練がある方だけが生まれ変わると。あの事です」
「あ、ああ……言ったか。言ったな」
動揺している帝が面白くて、桜はくすくすと笑った。彼はバツが悪そうな顔をしている。
「帝のそんなご様子は初めて見ます。いつも飄々とされていて、余裕ですのに」
「もう少しでようやく終わるからな……気が抜けたのかも知れない」
「終わる?花の儀ですか?」
桜の言葉に、帝がようやくいつもの底が見えない微笑を浮かべた。答えたくはないようだ。
「もしお前が皇后になったら、どんな皇后になりたい?」
「そうですね……。前に帝が仰ったように、出自でなく能力で人を登用する社会が理想です」
「なるほど」
「ただ、わたくしは世間知らずです。橘から色んなことを教えてもらいましたけれど、全然物を知りません。だから色んな人の意見を聞いて、広い世界を知って、良いなと思ったことは柔軟に取り込める心を持ち続けたいなと思います」
「……そうか」
少し驚いた帝が、ふっと遠くを見るような瞳になった。その目を見て、前から思っていた疑問が口をつく。
「一つお聞きしたいのですが、よろしいですか」
「何だ」
「わたくしを次期皇后のように大事にしてくださっているのは、囮ですか?」
「……お前を愛しているから、皇后にしたがってるのだとは思わないか?」
「思いません」
桜がはっきり言うと、帝は乾いた笑い声をあげた。
「確かに、帝にはとても大事にして頂いています。ですが、それは誰かに見せつけるためのように思えて仕方ないのです。それにわたくしは、自身を特別視して頂けるほど有益な人間だと自惚れてはおりません」
「その聡明さは、皇后に相応しいと思うがな」
暗に桜の言葉を肯定した後、帝は「確かに、そういう思惑があることは否定しない」と謝った。あっさりと認められた事に驚いていると、帝は短く吐息を吐いて困ったように笑った。
「二人揃って妙に勘が良いものだ」
「二人?」
「橘だ。とは言っても、お前を囮に使ったと言ったら容赦なく鉄拳が飛んでくるだろうから、誤魔化した」
「……誤魔化してくださって良かったです」
ありありと情景が浮かぶ。
ただでさえ立場が危ないのに、帝を殴ったら間違いなく処刑、よくて流罪だ。
「何に対しての囮なのでしょうか、公家の腐敗ですか。龍花の犯人ですか?」
「聞きたいことは一つだけではなかったか」
教えてはもらえなさそうだ。多分、これ以上聞いたら煙に巻かれて余計にわからなくなるのだろう。
諦めて横にある桜の木を見上げると、蕾がほころびかけていた。薄闇に染まり始めた空の下方に新月が、か細く光っていた。
「……これ以上、橘の身に何もなければ良いのです」
「あいつはこの先、生きて働いてもらわねば困る」
「できれば、わたくしの身の安全も保証してもらえると嬉しいのですが」
「お前を死なせたいとは思っていない。護衛も毒見も強化している。蝋梅もいる。花の儀が終われば安心できると思う。それでも辛い思いをさせてしまったから、何でも一つ願いを叶えてやろう」
花の儀が終わるまでは危ないのか、と思って桜は少しげんなりした。
「それでは皇后になりたいです」というと、「そんな願いなら大歓迎だ」と帝はくすくす笑った。
「私も気を配ってはいるが、何かあったらすぐに教えてくれ。今も懐剣は持っているのか」
「あ、はい。このように」
急に話を振られて驚いたものの、懐にしまっていた懐剣を取り出す。それを見ると帝は満足そうな顔をした。
「懐剣を贈られて驚いたろう」
「驚きました。橘は実用的でいいんでしょうと言っていましたが」
「あいつの感性は独特だ」
何も言えずに苦笑いをした。自分が贈ったものだろうと思ったが、おそらく護身用として贈ったのだろう。そんなに最初のころから、自分は囮だったのだなと思う。
「懐剣を贈ったのはお前が二人目だ」
「その方へも護身用に?」
「いいや。その女性には俺以外の者になるのなら自害しろという意味で贈ったよ」
絶句していると「桜花に対してはそんな意味で贈ったものじゃないから、安心おし」と微笑んだ。
「その女性を、愛しておられたのですか……」
「そうだな……愛なのだろうか。未練だけが色濃くて、ただ執着しているだけの気もする」
「未練……」
その女性は、どうなったのだろうか。聞きたいけれども、帝の横顔は聞くことを許さなかった。
今、帝には側室はいない。恋人がいるという噂を聞いたこともない。今隣にいないということは、亡くなったか彼が諦めたか、どちらかなのだろう。
このいつも飄々としている帝の中に、そんな情念が燻っているのが不思議に思えた。けれど時たま目に浮かぶ仄暗さを思うと、納得するものがある。
父と全く同じ目だ。時折、憎しみさえ感じるような仄暗い瞳。
「帝は以前、未練が残った魂は子孫の体に生まれ変わると仰いましたが、子を成す前に亡くなってしまった強い未練はどこへ行くのでしょうか」
ふと思いついた疑問を口に出すと、帝は面食らったような顔をした。
「確かに、どこへいくのだろう。……考えたことがなかったな」
真剣な顔で悩む帝に、桜は少し驚いた。生まれ変わりを信じていると言っていたのは冗談だと思っていたけれど、彼は案外本気で信じているのかもしれない。
「……花かな。花になる」
「花?」
あまりにも現実味のない答えに面食らった。
「そうだとしたら、龍花も元は誰かの未練になる。そう考えると、つくづく未練は呪いだね」
悲しげに笑って、帝は言った。
黙って勝手に利用されていた事に対して、やや不快な気持ちはある。恐怖もあった。それに橘が巻き込まれた事に関しては、ややでは済まない怒りもある。
それなのに、この表情を見ていると怒りが萎えてしまう。
何故か『可哀想な人』だと、体のどこかで声が響いたような気がした。
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