上 下
22 / 31

可哀想なひと

しおりを挟む
 


 義母が帰った後、中庭にある席に腰掛けぼんやりと花を見た。

 一人で外の空気を吸いたい、と言った桜に芙蓉は渋い顔をしたが「中庭ならば良いでしょう」と渋々認めてくれた。渡り廊下には護衛がいるし、部屋から見ているだろう芙蓉の視線も背中に感じた。

 橘に会いたいな、と思った。
 自分のために手に縄をかけられた橘に、合わせる顔などないのだけれど。

 そんなことを思っていると、涙がぽたぽたとこぼれ落ちた。足元の土が涙を吸って、代償として濃く変わる。拭ったら遠目で見ている芙蓉に泣いていることを気づかれるような気がして、そのまま流れていくのに任せていた。何だか気分がふわふわしていた。罪悪感と、喜びとが桜の心を不安定に変えていく。

 自分を産んだと同時に亡くなったと言う母のことを、桜はずっと知りたかった。
 母の気持ちをずっと知りたくて、でも恐らくは愛されてはいなかっただろうと、会ったことのない母に対して罪悪感を抱いていた。

 しかし自分は一度きりでも母に抱かれ、生きてて欲しいと願われる存在だった。
 全く覚えていないのに、嬉しいと同時に悲しくて、桜はぽろぽろ涙を流す。そうしていると後ろに誰か、男の人の気配を感じた。何となく、それが誰かはもうわかる。

「泣いているのか」

 首を振ると、帝は珍しく困ったように眉を上げた。そして桜の隣に腰を下ろす。

「お母上が来たと聞いた。ひどいことを言われたのか」

 首を振る桜に「言えないようなことを言われたのか」と帝がやや固い表情をする。焦って更に首を振った。

「本当に何でもありません。ずっと聞きたかったことを教えてもらっただけです」
「……そうか。知りたかったことでも、真実を知れば辛いこともあるだろうな」
「辛くもありません。どちらかといえば、嬉し泣きです」

 確かに胸は潰れそうだった。
 生まれたばかりの娘を、彼女はどんな気持ちで錯乱した男ではなくその本妻に託したのだろう。託さざるを得なかったのだろう。そして託されて、断りきれなかった義母の苦悩も辛かった。悪いのは父なのだ。
 桜の言葉に帝は怪訝そうな顔をした。嬉しくて泣くのか、と当惑している。それが少し面白くて、桜はふっと笑った。

「帝は真実を知ってお辛かったことがあるのですか」

 そう言うと、帝は虚を突かれたような顔をした。そうして微笑み、そうだなあ、と足元を見る。

「うん、あれはーー辛かったな。辛いと言える立場でもないのだが」
「……今でも、お辛いのですか」

 口ぶりから最近のことではないだろうと察した桜が、眉根を寄せる。

「結構前のことだが、残念ながら。今でも思い出しては悔やんでるよ」
「まあ……それほど悔やまれるなら、生まれ変わってしまいそうですね」

 桜の発言にぎょっとした顔の帝に、桜も驚いた。

「え、あの、以前帝が仰っていた、強い未練がある方だけが生まれ変わると。あの事です」
「あ、ああ……言ったか。言ったな」

 動揺している帝が面白くて、桜はくすくすと笑った。彼はバツが悪そうな顔をしている。

「帝のそんなご様子は初めて見ます。いつも飄々とされていて、余裕ですのに」
「もう少しでようやく終わるからな……気が抜けたのかも知れない」
「終わる?花の儀ですか?」

 桜の言葉に、帝がようやくいつもの底が見えない微笑を浮かべた。答えたくはないようだ。

「もしお前が皇后になったら、どんな皇后になりたい?」
「そうですね……。前に帝が仰ったように、出自でなく能力で人を登用する社会が理想です」
「なるほど」
「ただ、わたくしは世間知らずです。橘から色んなことを教えてもらいましたけれど、全然物を知りません。だから色んな人の意見を聞いて、広い世界を知って、良いなと思ったことは柔軟に取り込める心を持ち続けたいなと思います」
「……そうか」

 少し驚いた帝が、ふっと遠くを見るような瞳になった。その目を見て、前から思っていた疑問が口をつく。

「一つお聞きしたいのですが、よろしいですか」
「何だ」
「わたくしを次期皇后のように大事にしてくださっているのは、囮ですか?」
「……お前を愛しているから、皇后にしたがってるのだとは思わないか?」
「思いません」

 桜がはっきり言うと、帝は乾いた笑い声をあげた。

「確かに、帝にはとても大事にして頂いています。ですが、それは誰かに見せつけるためのように思えて仕方ないのです。それにわたくしは、自身を特別視して頂けるほど有益な人間だと自惚れてはおりません」
「その聡明さは、皇后に相応しいと思うがな」

 暗に桜の言葉を肯定した後、帝は「確かに、そういう思惑があることは否定しない」と謝った。あっさりと認められた事に驚いていると、帝は短く吐息を吐いて困ったように笑った。

「二人揃って妙に勘が良いものだ」
「二人?」
「橘だ。とは言っても、お前を囮に使ったと言ったら容赦なく鉄拳が飛んでくるだろうから、誤魔化した」
「……誤魔化してくださって良かったです」

 ありありと情景が浮かぶ。
 ただでさえ立場が危ないのに、帝を殴ったら間違いなく処刑、よくて流罪だ。

「何に対しての囮なのでしょうか、公家の腐敗ですか。龍花の犯人ですか?」
「聞きたいことは一つだけではなかったか」

 教えてはもらえなさそうだ。多分、これ以上聞いたら煙に巻かれて余計にわからなくなるのだろう。
 諦めて横にある桜の木を見上げると、蕾がほころびかけていた。薄闇に染まり始めた空の下方に新月が、か細く光っていた。

「……これ以上、橘の身に何もなければ良いのです」
「あいつはこの先、生きて働いてもらわねば困る」
「できれば、わたくしの身の安全も保証してもらえると嬉しいのですが」
「お前を死なせたいとは思っていない。護衛も毒見も強化している。蝋梅もいる。花の儀が終われば安心できると思う。それでも辛い思いをさせてしまったから、何でも一つ願いを叶えてやろう」

 花の儀が終わるまでは危ないのか、と思って桜は少しげんなりした。
「それでは皇后になりたいです」というと、「そんな願いなら大歓迎だ」と帝はくすくす笑った。

「私も気を配ってはいるが、何かあったらすぐに教えてくれ。今も懐剣は持っているのか」
「あ、はい。このように」

 急に話を振られて驚いたものの、懐にしまっていた懐剣を取り出す。それを見ると帝は満足そうな顔をした。

「懐剣を贈られて驚いたろう」
「驚きました。橘は実用的でいいんでしょうと言っていましたが」
「あいつの感性は独特だ」

 何も言えずに苦笑いをした。自分が贈ったものだろうと思ったが、おそらく護身用として贈ったのだろう。そんなに最初のころから、自分は囮だったのだなと思う。

「懐剣を贈ったのはお前が二人目だ」
「その方へも護身用に?」
「いいや。その女性には俺以外の者になるのなら自害しろという意味で贈ったよ」

 絶句していると「桜花に対してはそんな意味で贈ったものじゃないから、安心おし」と微笑んだ。

「その女性を、愛しておられたのですか……」
「そうだな……愛なのだろうか。未練だけが色濃くて、ただ執着しているだけの気もする」
「未練……」

 その女性は、どうなったのだろうか。聞きたいけれども、帝の横顔は聞くことを許さなかった。 
 今、帝には側室はいない。恋人がいるという噂を聞いたこともない。今隣にいないということは、亡くなったか彼が諦めたか、どちらかなのだろう。

 このいつも飄々としている帝の中に、そんな情念が燻っているのが不思議に思えた。けれど時たま目に浮かぶ仄暗さを思うと、納得するものがある。
 父と全く同じ目だ。時折、憎しみさえ感じるような仄暗い瞳。

「帝は以前、未練が残った魂は子孫の体に生まれ変わると仰いましたが、子を成す前に亡くなってしまった強い未練はどこへ行くのでしょうか」

 ふと思いついた疑問を口に出すと、帝は面食らったような顔をした。

「確かに、どこへいくのだろう。……考えたことがなかったな」

 真剣な顔で悩む帝に、桜は少し驚いた。生まれ変わりを信じていると言っていたのは冗談だと思っていたけれど、彼は案外本気で信じているのかもしれない。

「……花かな。花になる」
「花?」

 あまりにも現実味のない答えに面食らった。

「そうだとしたら、龍花も元は誰かの未練になる。そう考えると、つくづく未練は呪いだね」

 悲しげに笑って、帝は言った。

 黙って勝手に利用されていた事に対して、やや不快な気持ちはある。恐怖もあった。それに橘が巻き込まれた事に関しては、ややでは済まない怒りもある。

 それなのに、この表情を見ていると怒りが萎えてしまう。
 
 何故か『可哀想な人』だと、体のどこかで声が響いたような気がした。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

有能なメイドは安らかに死にたい

鳥柄ささみ
恋愛
リーシェ16歳。 運がいいのか悪いのか、波瀾万丈な人生ではあるものの、どうにか無事に生きている。 ひょんなことから熊のような大男の領主の家に転がりこんだリーシェは、裁縫・調理・掃除と基本的なことから、薬学・天候・気功など幅広い知識と能力を兼ね備えた有能なメイドとして活躍する。 彼女の願いは安らかに死ぬこと。……つまり大往生。 リーシェは大往生するため、居場所を求めて奮闘する。 熊のようなイケメン年上領主×謎のツンデレメイドのラブコメ?ストーリー。 シリアス有り、アクション有り、イチャラブ有り、推理有りのお話です。 ※基本は主人公リーシェの一人称で話が進みますが、たまに視点が変わります。 ※同性愛を含む部分有り ※作者にイレギュラーなことがない限り、毎週月曜 ※小説家になろうにも掲載しております。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

処理中です...