18 / 31
質疑応答
しおりを挟む「嘘」
声が震える。手先がどんどん冷えていく感覚に、血の気が引いているのだと自分でもわかった。
「有り得ないわ。何かの間違いよ。橘はそんなこと絶対にしない」
青ざめる桜に芙蓉がいたわしげな眼差しを向ける。
「誰かが橘さまのお部屋から毒物を発見したそうです。詳しいことはわかりませんが、今宮中にいる高位の公家と帝が事情を聞かれていると」
「どこにいるの?すぐに連れて行って」
「まずは了承を取りませんと……」
「お願い!絶対にあなたには迷惑をかけない、咎は私が全て受けるから」
芙蓉は絶対に頷かないだろうと思ったが、無理矢理にでも出て行き全ての部屋を覗いてでも探し出すつもりだった。
一歩も引かない気で芙蓉を見据えると、彼女はため息を一つ吐いて頷いた。青ざめる桔梗と口元を抑える白萩に一言だけ挨拶をし、桜と芙蓉は橘のいる部屋へと向かった。
◇
桜が来ることを、帝は予想していたのかもしれない。部屋の前に立つ文官に桜がきた旨を芙蓉が伝えると、あっさりと部屋に通された。緊張が張り入室する桜の姿を皆驚いたように見つめるが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
部屋の一番奥、中央に帝は座っていた。
帝の前に座る橘は背筋を伸ばし、まっすぐ前を見ていた。だが帝に促され振り返ると、桜を見て眉を顰めた。何故ここに来たのだとでも言いたげだ。
口を開いたが、言葉は出てこない。捕縛されたとは聞いていたが、実際に罪人のように手首を縛られている橘に激しく心が痛んだ。
(橘がこんなことをするわけがないのに)
激情が桜の体を渦巻く。そんな桜を意に介さず、傍に控えていた文官が淡々と説明を始めた。
文官の話によると、橘の部屋から毒物を見つけたのは掃除夫だったそうだ。橘が鍛錬で外に出ている間いつものように掃除を行っていたところ、置いてあった茶器の脇に見慣れぬ珍しい花茶の茶葉が置いてあった。桜が飲んだ花茶に毒が混入されていたとことを思い出し、怪しいと思った掃除夫がそれを持って文官に報告した。検証の結果、紛れもなく龍花の毒だと判明したそうだ。
(馬鹿馬鹿しい!)
口から飛び出しそうになって、ぐっと堪える。
掃除夫が入れるのだ。誰でも橘の部屋に入ることができる。それにもしも橘が犯人だとしたら、そんな証拠をわかりやすいところに隠しているわけがない。
「確かにこれは紛れもなく龍花の毒だ。……何故これがお前の部屋にある」
「私には分かりません。身に覚えがありませんので」
帝の問いに答える声は、きっぱりとした、迷いのないものだった。
「所詮は他家の者。西園寺家を疑う訳ではないが、桔梗様を皇后にするために画策したのではないのか」
そう下卑た声を投げかける男がいた。公家に疎い桜には誰かわからないが、武士とはいえ西園寺家の息子である橘に対してぞんざいな口を聞く以上、かなりの高位の公家なのではないかと推測した。
「私がもし誇りを失い、そのようなことを画策していたのならこの花の儀で結果を出すことはなかったでしょう」
「あの活躍は君自身の将来に大きく関わってくる。そもそも武士の試練など余興に過ぎない。君は試練で結果を残し、桔梗様を皇后へ、と画策した。思った以上に帝の気を引いた桜花様を害そうとしたのではないのかな」
「私は自分の将来のために結果を残した訳では有りません。全ては桜花様のために行ったこと」
「桜花様のため、か」
男が鼻で嗤った。
「さすがは噂の姫君だ。聞くところによると橘殿は、桜花様に勉学を指導なさっているとか。それだけ側におられるのなら、ふと正気を失うことがあってもおかしくはないでしょう」
「……何を仰りたいのでしょう。南條三家の当主殿」
「懸想した女性が尊い方の妻になるなど、お辛いでしょう。叶わぬ恋に狂って思い人を殺してしまうことは、古来からあることですよ」
しいんと、辺りが静まりかえった。桜からは橘の表情は見えないが、張り詰める背中から怒りがひしひしと伝わってくる。橘をこの上なく侮辱されて、桜も怒りに唇が震えた。
この様子を、何の感情もなく無表情で眺めている帝すら憎かった。
「……最大の侮辱だな。まさか本気で私を、そのような男だとお思いか?」
ひどく冷たい声に南條三家の当主が怯む。その一瞬の隙を縫うように、抑揚のない淡々とした声が響いた。東一条家の当主ーー桜の父だった。
「橘殿の部屋から毒物が見つかったことは、事実。同時に橘殿の部屋に第三者が容易く侵入することができるのも、事実。これ以上は水掛け論だな。失われた龍花の入手先を探すためにも近衛武士の宿舎に入れる可能性のある人間は全て家宅捜査をするべきだ。疑わしいというだけで罰することはできない」
「時間がかかりすぎる!この宮中に何百人……いや、何千人が関わっていると思う?物的証拠があるんだぞ。橘殿を処分して終わる話だ。ただでさえ毒物騒ぎで花の儀が遅れていると言うのにこれ以上捜査に時間をかけるなど、威信を問われる」
そこまで言って、南三条家の当主は何かを思いついたかのように唇の端をあげた。
「そうか。それでは神に裁きを委ねれば良いのだ。折りしも花の儀の間に起きたこと。女神もそれを望んでいよう」
「……つまりは、神明裁判を行いたいと?」
薄く笑いながら尋ねる帝の問いに、南三条家の当主はにこやかに頷いた。桜の父は、大きなため息を一つ吐いたが何も言わない。
「此度の事件は帝に対する叛逆と捉えられても仕方のない重罪。疑わしい以上、やはり神に問わねば。橘殿が無実であれば、必ずや奇跡を起こしてくださいますでしょう」
0
お気に入りに追加
362
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
有能なメイドは安らかに死にたい
鳥柄ささみ
恋愛
リーシェ16歳。
運がいいのか悪いのか、波瀾万丈な人生ではあるものの、どうにか無事に生きている。
ひょんなことから熊のような大男の領主の家に転がりこんだリーシェは、裁縫・調理・掃除と基本的なことから、薬学・天候・気功など幅広い知識と能力を兼ね備えた有能なメイドとして活躍する。
彼女の願いは安らかに死ぬこと。……つまり大往生。
リーシェは大往生するため、居場所を求めて奮闘する。
熊のようなイケメン年上領主×謎のツンデレメイドのラブコメ?ストーリー。
シリアス有り、アクション有り、イチャラブ有り、推理有りのお話です。
※基本は主人公リーシェの一人称で話が進みますが、たまに視点が変わります。
※同性愛を含む部分有り
※作者にイレギュラーなことがない限り、毎週月曜
※小説家になろうにも掲載しております。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。
しげむろ ゆうき
恋愛
男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない
そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった
全五話
※ホラー無し
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる