上 下
1 / 31

プロローグ

しおりを挟む
  



『はるか西の国では、男が女の指に輪をはめて永遠の愛を誓うんだ。ずっと一緒にいられるように』
『輪?』
『そう。金や銀でできているそうなんだけど、あいにく手に入らなかった。だからそれよりもっといい、俺の宝物で桜の指に輪を巻いてあげる』

 ーーだから、ずっと一緒にいよう。



 幼い頃のあの夢は、もう絶対に、叶わない。





 ◇


震えるような笛の音が響いた。


 帝とその母である皇太后を始め、名だたる高官たちがずらりと揃うこの花の間に、帝の妃候補となる四人の美姫が、静かに現れた。

 全員が匂い立つような美姫だった。
 しかし、その中でとりわけ目を引いたのは東一条家の三の姫ーー桜である。

 長い黒髪がさらりと揺れ、清涼な香りが鼻腔をくすぐる。長い睫毛に縁取られた瞳は濡れて艶めく黒曜石のようで、輝く雪の如き白肌に、薔薇色の頬と唇がいとけない。
 透き通る無垢な瞳は、直視することも躊躇われる。そんなこの世のものとは思えない美しさにその場の全員が息を呑み、ため息を吐いた。
 身につけている淡紅色の十二単と相まって、さながら花の女神の化身の如き美しさだ。

 桜と他の三人の姫が、中央に座す帝と皇太后の前に跪いた。


「よくぞ集まった。これより、花の儀を始める」

 皇太后が厳かに口を開く。
 よく通るその声は、人を傅かせる支配者のものだ。響く声に、そこにいた大半の者が居住まいを正した。

「此度も四家から、四人の姫がやってきてくれた」

 皇太后の切れ長の瞳が、姫たちを捉える。

「そなたたち四人の姫から、皇后を選ぶことになる。試練に勝ち、その資質を証明してみせよ」

 皇太后が言い終えると、脇に控えていた太政大臣が音もなく立ち上がり、手にした巻物を広げた。皇太后が目で合図を送ると、太政大臣がよく響く朗々たる声でその巻物を読み上げる。

「姫君達には帝より宮が授けられる。今後はその宮の名を名乗るように。同時に姫と共に試練に臨む、近衛武士の名を呼び上げる。武士は姫につけ」

 淀みなく言い終えると、太政大臣が先ほどよりも大きく声を張り上げた。

東一条家ひがしいちじょうけ三の姫――桜花の宮を授ける。近衛武士は、西園寺橘さいおんじたちばな
「はっ」

 ざわめきが広がった。
 それを意に介さず、呼ばれた男――西園寺橘は、精悍だが端正な顔立ちを眉一つ動かさずに顔を上げ、帝と皇太后に礼を取った。聞き間違いではないのだと、ざわめきがより一層大きくなる。

「西園寺家の次男が……」
「何故他家の者が。前代未聞ではないか」
「それより、彼が武士とはこれ如何に」

「静粛に」

 太政大臣の声に、驚きや不満を抱えながらも皆一様に押し黙る。視線は橘と桜の二人を彷徨うが、座礼のまま頭を下げている二人の表情は窺い知れない。
 もしも彼らが桜の表情を垣間見ることができたら、たおやかに微笑むその瞳に抑えきれない怒りを見つけることができたかもしれない。彼女の胸には今、怒りと衝撃がとぐろを巻いて渦巻いていた。

(どうして、橘が。何で武士に?何で私の?)

 恐怖が混じる衝撃に、桜の指先がどんどんと冷えていく。

(決めた奴は誰!)

 できることなら、巻物を読み上げている太政大臣の胸ぐらを掴んでがくがく揺さぶり橘を選んだ人間の名前を吐かせ、そいつを活きの良いヤブ蚊がわんさかいる竹藪にでも放り込んでやりたかった。

 桜が心の中で呪詛を吐いていると、太政大臣が他の姫君の名前を呼び始めた。

「西園寺家の一の姫――桔梗の宮を授ける。近衛武士は、西乃園茲親にしのぞのこれちか

 通常、姫につく近衛武士は生家に縁のある者が選ばれる。その慣例に従い、西園寺家の姫君もやはり、西園寺家が抱える武家の者だった。
 西園寺家の一の姫――いや、桔梗は、貴重で高価な紫を基調とした十二単を身につけている。彼女は芸事に精通していて、特に歌声が天女のようだと名高かった。そんな彼女も微かに動揺しているのか、指先が震えていた。

南條三家なんじょうさんけの二の姫――白萩の宮を授ける。近衛武士は、南武忠政なんぶただまさ

 白萩は、葡萄色を基調とし、淡い白で描かれた宝珠が洗練された十二単を身につけている。才女と讃えられ、凛とした美女である。

北小路家きたのこうじけの一の姫――蝋梅ろうばいの宮を授ける。近衛武士は、輝北雷震きほくらいしん

 蝋梅は、青い瞳を持つ美姫だった。青い瞳の持ち主は何十年かに一度この国に現れる。全員が不思議な力を持ち、蝋梅はその中でも特に珍しいとされる治癒の力を持っていた。


「花の儀は、古来帝の命を救いし女神と女神に忠誠を誓う武士に肖った厳正なる儀式である。近衛武士は三つの試練を乗り越え、姫君は武士の無事と勝利を祈られよ」

 太政大臣が言い終わり、帝に深く礼をするとその時初めて、悠然と微笑んでいた帝が口を開く。
 帝は光り輝くような美しさを持つ、美男子だった。しかし柔和な瞳の奥の底は見えない。父である先代帝が亡くなり若くして即位した彼は、その若さに似合わず大胆な統治を行っている。賢王か、愚王か。評価は真っ二つに分かれるが、非凡であることは間違いなかった。

「国を代表する四家から、美しく聡明な姫君が集まってくれた」

 滔々と話すその声は、皇太后と等しい威厳に満ち溢れている。

「しかし我が妃、皇后の座に付くのは一人のみ。誰が私の妃としこの国の母となるのか、この眼でしかと見せて頂こう。近衛武士は、未来の皇后のために力を尽くせ。働きに相応しい褒美と名誉を与える」

 語り終えた帝は爽やかな香を残し、皇太后と共に花の間を出て行った。




 緊張が解け、場が一気にさざめく。
 桜はそのまま動かず、じっと今起きた信じたくない出来事を反芻していた。

「桜花様」

 低い声が桜の名を呼んだ。
 なけなしの矜持をかき集め、かろうじて微笑を作り声の主を見上げるとそこには橘が涼やかな顔で立っていた。相変わらず、憎たらしいほど整った顔をしている。形の良い眉、二重の瞳は意思が強そうで、通った鼻筋が人形のようだった。短い黒髪が端正な顔をさらに精悍に見せた。

「今後あなた様に誠心誠意を尽くし、お仕え致します」

 橘は座礼のままの桜の前に跪き、淀みのない挨拶をした。傍目からは忠誠を誓う好ましき武士であるように見えただろう。
 しかし桜だけは知っている。この男は、桜を蔑み嫌っている。

「ーーよろしくお願い致します。あなたに相応しい主君となるよう、わたくしも精一杯務めます」


 二度と会いたくない男の手を借りるなど、嫌だった。
 それでももう二度と、蔑まれない地位に立つと決めたのだ。
 桜は体に染みていく絶望を感じながら、それでも挑むように橘を見据え、微笑んだ。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を

川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」  とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。  これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。  だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。  これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。 完結まで執筆済み、毎日更新 もう少しだけお付き合いください 第22回書き出し祭り参加作品 2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。 しかし、仲が良かったのも今は昔。 レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。 いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。 それでも、フィーは信じていた。 レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。 しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。 そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。 国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

【完結】愛くるしい彼女。

たまこ
恋愛
侯爵令嬢のキャロラインは、所謂悪役令嬢のような容姿と性格で、人から敬遠されてばかり。唯一心を許していた幼馴染のロビンとの婚約話が持ち上がり、大喜びしたのも束の間「この話は無かったことに。」とバッサリ断られてしまう。失意の中、第二王子にアプローチを受けるが、何故かいつもロビンが現れて•••。 2023.3.15 HOTランキング35位/24hランキング63位 ありがとうございました!

処理中です...