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十六年後
しおりを挟む古龍を倒した大魔術師がこの街にやってくるということで、街は浮かれてお祭り騒ぎになっていた。
サファイアと龍をモチーフとした彼の紋章旗が街のあちらこちらではためいている。
商魂たくましい店々――雑貨屋や家具屋や、果ては肉屋に至るまで、彼にあやかる新商品が華々しく店先を飾っていた。
英雄の名前はラスター・フォン・ヴィルヘルム。
先日禁足地にて神事を行っていた国王とその右腕ミラー公爵、神官長の三人を襲った古龍を屠った。
古龍を倒せる大魔術師など例がない。苗字を持たない平民だった彼はその場で姓と公爵位を賜り、英雄として国王からその栄光を称えられた。
それは彼の師匠である、十六年前に亡くなった天才大魔術師ディアナ・フィオリアルにも成し遂げられなかった偉業だと、新聞には書いてあるけれど――。
「私の時には生きた古龍なんか現れなかったし……」
本屋の店先に並んだ新聞に目を通しながら、リディアは唇を尖らせた。
現れもしない生き物を倒せなかったと書かれると、かなり口惜しいものがある。
「…………でも、さすがはラスターね」
リディアの唇が自然と弧を描く。
上機嫌に頷いていると、後ろから誰かに呼びかけられた。
「リディア、ここにいたのか」
「フランツ」
養い親の孫であるフランツが、ほっとした顔でこちらを見ていた。
「目を離すとすぐにどこかへ行ってしまうんだから。そろそろラスター・フォン・ヴィルヘルムが通るみたいだよ。見に行こう」
「!」
彼の言葉に胸がわっと弾む。十六年ぶりのラスターは、どんな大人になっているのだろう。浮かれながらフランツの隣に立ち、パレードを見るために集まった人並みの中に入りこむ。
立派になった昔の教え子を、一目見たい。
今日英雄であるラスターは王都から離れたこの辺境の街に訪れ、この地を治めるサラヴァン辺境伯城までパレードをする。理由は明かされていないけれど、サラヴァン辺境伯令嬢であるアレクサンドラに求婚するためではないかと伝えられている。
転移魔術を使えば辺境伯の城には一瞬でつけるだろうに、わざわざパレードを行うところから考えてもその可能性が高いだろう。
わざわざ時間と手間をかけて会いに来たのだと、誠意を知らしめるために違いない。
……結婚かあ。
あの小さかったラスターが、立派になって。
懐かしさと嬉しさと、ほんの少しの寂しさがリディアの胸に込み上げた時、歓声が大きく轟いた。
◇
今は養い親の営む小さく古い薬屋で精霊士として働いているリディアはつい先日、ディアナ・フィオリアルだった頃の記憶を取り戻した。
奇しくもその日はリディアの誕生日だった。といってもリディアは生まれた直後に捨てられたようだから、一日程度の誤差はあるかもしれないが。まあ一日程度はどうでもよかろう。
誕生日ということで一日中自室でごろごろと惰眠を貪っていたリディアは、突然胸に激しい痛みを感じた。
それと同時に自身の胸が貫かれた痛みや、泣きじゃくる綺麗な顔立ちをした少年の姿や、彼と日々一緒に食事をとり、一緒に眠り、過ごした記憶が脳裏に嵐のように押し寄せた。
どうして今まで忘れていたのだろうか。
「ラスター……」
ぽろりと涙を一粒こぼして、リディアはかつての弟子の名前を呼んだ。
自分はどうやら生まれ変わったようだ。鮮明に蘇った最期の記憶の中で、ボロボロと泣いていた十一歳のラスターの姿を思い出すと胸が痛くて仕方ない。
(だけど……もう、あれから十六年も経ったんだわ)
リディアは部屋の壁に掛けられた暦を見る。ディアナが死んだ日からあの日から、十六年目の四月九日だ。
(心配だったけど……ラスターは、私がいなくてもしっかりと立派な大魔術師になった。マクシミリアンが首尾よくやってくれたのね)
ベッドに備え付けられた棚に置かれた、魔術師を記した本の背表紙を眺める。
自分は文字を読めるようになる前の幼い頃から、結界を織り上げた大魔術師ディアナ・フィオリアルと、その弟子である大魔術師ラスターが大好きだった。おそらく無意識下で、前世を追い求めていたのだろう。
だから今ラスターが大魔術師として活躍していることも、リディアは知っている。
十二歳の時に国家魔術師の試験を受けたラスターは、その試験の際に師であるディアナしか織り上げられない鎮静の結界を披露し、採用と同時に大魔術師に任命された。
そこからも優秀な成績を残し続け、かつてのディアナに勝るとも劣らない大魔術師として日々働いているらしい。
優秀過ぎる。さすが自分の弟子である。
そんなラスターに会いに行って、すごいじゃないの、頑張ったわね! と褒め称えたいけれど。
(でもなあ……)
あれからもう、十六年も経ったのだ。
彼はもう二十七歳。立派な大人となり、頼れる人間がディアナだけでないことを充分に知り、しっかりと自分の足で立っている。そろそろ結婚なんかも考えているかもしれない。
所詮自分はたった三年彼の面倒を見ていただけだの人間だ。
もしかしたらディアナのことなど忘れている可能性もある。
(いや、むしろ忘れてもらっていた方がいいかも……)
リディアは、前世の行いをまざまざと思い出した。
全く……良い師ではなかった。
先ほど面倒を見たと言ったが、どちらかといえば面倒を見てもらったのは自分である。
睡眠と魔術の指導以外の活動は生命を維持する限界ギリギリ程度にしかやらないディアナに、ラスターはいつも額に青筋を浮かべ説教しつつ掃除や料理や洗濯など、身の回りのことを行ってくれていた。一応、ディアナも手伝ってはいたのだけれど。
昔のこき使われたその日々を、ラスターは苦々しく思っているのではないだろうか。
ラスターはディアナが命を賭けて弟子を守ったことは知らないのだから。
(そう、そこなのよね……)
下手に再会し昔の思い出話をして、うっかりバレたくないことがバレるのはよろしくない。例えばディアナが亡くなった原因とか。
それに何より今や大魔術師となったラスターは、優秀すぎる精霊士とはいえ、辺境の地に生きる町娘が気軽に会えるような人でもない。
「……うん。昔話をしに、会いにいくのはやめましょう。だけれどいつか、一目顔を見るくらいはしたいわね」
そんなことをひとりごちた翌日。
古龍を倒したラスターは英雄となり、五日後にこの街に訪れパレードをすることがリディアの耳に入ったのだった。
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