立つ鳥跡を濁す

湊賀藁友

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恋になれずに変になったの

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 火の消えた線香花火を、まだ強く握り続けている。
 うっかり燃えてしまわないようにと落ちた火は入念に踏み消したのに、それでも、骸となったそれを手放せないでいるのだ。

 きっと俺の人生の絶頂はこれまでもこれからも、先生と過ごした期間なのだろう。
 俺はあの時間の為に生まれてきて、これからはただ惰性で生を歩むばかりとなるのだろう。

 線香花火に灼かれて処置すらできなかった傷は醜く爛れて、そんな絶望にも似た思考として俺の中に残って。


 それでも、学業は怠らなかった。
 先生との時間を、先生と重ねてきたものすら失ってしまう気がしたから。

 学業の合間に鳥人について調べるようになった。
 先生の影を追うにはそんな方法しかなかったから。

 産卵ヘルパーになることを決めた。
 有る知識を活かせて、ある程度給料と休みの良い職なら何でも良かったから。


 自分の生死も、将来も、全部ひっくるめて、何もかもがどうでも良かった。
 先生を彷彿とさせるもの以外に興味が湧かなかった。
 適当に呼吸して、朽ちる時を待つだけだと思っていた。
 もう、それでよかったのに。


月部つくどり先生……?」

 あの日俺の前から飛び去った筈の先生が。
 もう長いこと影をなぞるばかりだった彼が、目の前に現れたのだ。

 その上先生は俺のことを覚えていてくれて……本当に、夢のようだと思った。

 だというのに、愚かな俺はそれで終わることができなくて。

 俺の家庭教師でなくなってからのことを訊けば楽しそうに話をしてくれる月部つくどり先生の姿を見ていれば見ているほど、俺の心の醜い部分がどろどろと顔を出す。

 俺は先生がいない間心の底から楽しめることなんて何一つなかったけれど、先生は違う。当たり前だ。当たり前なのに。


「やはり君は努力家だな、昔と変わらない」


 違う。頑張ってはいたが、努力していると言われるほど勉強に打ち込んだのは先生に出会ってからだ。
 先生に褒めてもらいたくて、もっと「頑張ったね」と言われたくて、俺は努力家になったのだ。
 先生がいたから。先生のせいで、俺は。


「…………先生がいなければ、こうはなりませんでしたよ」
「ははは、そう言ってもらえると家庭教師冥利に尽きるよ」


 ……ああ、昔と変わらない。
 きっとまだ先生にとって俺は子どものままで、先生は俺の感情なんて、馬鹿みたいな気持ちなんて、何も。

 気を抜けば溢れてしまいそうな醜い感情をすべて喉元に押し込めて、俺はどうにか口角を上げたまま話し続ける。
 上手く笑えている自信はある。だって俺は先生がいなくなってからずっと、こうやって自分を取り繕って生きてきたのだから。

 いつも通りでいい。
 いつも通り全部取り繕って、笑って、最後まで。
 あの頃から変わらない“僕”を演じきって、連絡先だけでも交換できれば御の字だ。

 と、そんなことを考えていたその時。

 先生が産卵症候群になったなんて言うから。
 俺に、産卵ヘルパーの頼み方を訊いたりするから。


 ──喉元に押し込まれていた醜い感情たちが、悪意に成ってつるりと口から滑り落ちた。


「いやだなぁ、月部つくどり先生と僕の仲じゃないですか。僕が施術しますよ、お金は要りませんから」


 傷つけたいと思った。
 傷ついて、それで、俺みたいに苦しめばいいと思った。
 感情の名前が恋でも愛でもなくていいから、俺が先生を想うのと同じくらい、強い感情を向けてほしかった。

 要するに、子どもの頃から止まったままの恋情が、子どもみたいな癇癪を起こしたわけだ。

 施術だなんて、我ながらとんだ嘘をつく。
 確かに施術にアナルプラグは使うがあんな風に動かしたりしないし、施術中に患者に快楽を与えることなんかしない。
 産卵ヘルパーは疑似産卵における痛みがなくなるよう施術するだけで、不快感を無くすわけではないのである。

 寧ろ、故意に快楽を与えるような施術をした日には懲戒免職待ったなしだ。

 けれどそんな嘘に先生は気づかない。
 本当に俺を良い子だと思って、言葉も行動も全部受け入れて。
 湧き出そうになる罪悪感に『バカだなぁ』という感想で蓋をして、俺が最後まで“施術”をやりきった────あと。

 騙されやすい先生でも施術の不自然さに気がつくよう、「もう一回疑似産卵やっときましょうか」なんてふざけた言葉を吐いた、後だ。


「…………きみ、へんだぞ」
「………………は、はは。あはは」


 ……最悪。
 先生を傷つけようと散々最低な行為をしたくせに、こんな、これだけの言葉に傷付くなんて。


「今更気づきました?」


 先生にだけは“それ”を言ってほしくなかったなぁ、とか。そんなこと考える資格ないだろ、クソ。
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