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思わぬ再会
思わぬ再会
しおりを挟む家庭教師としての仕事を終え帰路についていた私は、一昨日の失敗を思い出して項垂れた。
「ぎゃぅ……」
思わず漏れた我ながら弱々しい声に、また心が重くなる。
迫りくるタイムリミット、もとい無精卵産卵の時が恐ろしいことは事実だが、今は家で偽卵とにらめっこする時間の方が怖い。
医者がサイズを間違えて渡してきていたとかいうオチであれば幸せだったのに。
雨に打たれた小鳥のようにしょぼしょぼと帰り道を歩いていると、不意に背後から声をかけられた。
「月部先生……?」
「ん?」
驚きつつも振り返ると、そこにいたのは見知らぬ人間の青年で。
……いや、違う。この顔、それにさっきの声、どこかで……。
「えと、あの、明布です。
……覚えていらっしゃらないかもしれませんが……」
……あけぬの、明布……、
「明布!?
明布って、十年以上も前に私が勉強を教えていた明布衣染くんか!?」
「そうです!」
私が驚いてそう問いかけると、目の前の彼は表情を明るくして頷いた。
衣染くんのことはよく覚えている。中学のはじめから最後までずっと勉強を見てきた生徒であるし、何よりとてつもなく優秀だったのだ。
……いや本当に、三年間ほとんど満点以外を取らず学年首位をキープし続けた生徒なんて、私の受け持っていた生徒では彼くらいである。
懐古に浸りながらも、私は改めて目の前を彼を見た。
優しい顔つきはそのままだが、小さかったあの頃と比べるとガッシリとした体つきになっているので、何かスポーツでも始めたのかもしれない。
それに髪は昔よりも長くしているようで、肩の高さまで伸ばされた黒髪はしかし彼によく似合っていた。
最後に会った時なんて別れを惜しんで涙まで流してくれた少年が、髄分と立派に育ったものだ。
と、そこまで考えたところで、彼は嬉しそうな笑顔のまま再度口を開いた。
「まさか、先生が僕のことを覚えていてくださったなんて……」
「それは私のセリフだよ!
家庭教師をしていたのも中学の頃の話だし、人間には鳥人の見分けが難しいだろうに……よく私だと分かったね」
人間が鳥人に声をかけたがヒト違いだった、なんてケースは多い。
特に今回のように十年以上ぶりとあれば殊更だというのに。
「分かりますよ。
今就いてる職業柄っていうのもありますけど……僕が先生を間違えたりするわけないじゃないですか」
その言葉と彼の笑顔が素直に嬉しくて「ははは、ありがとう」と言葉を返すが、一つ疑問も湧いて出た。
「ところで、その言い方だと今は鳥人に関係する仕事に就いているのかい?」
「そうなんです。あー……。えと、この後時間あったりしますか?
もしよかったら呑みながら話しましょうよ」
「もちろん構わないが……そうか、衣染くんももうそんな年齢か……」
私の記憶の中の衣染くんは長い間中学生で止まっていたというのに、と時の流れの早さに動揺していると、「もう僕も二十七ですよ」という言葉で追い打ちをかけられた。
そりゃあ私も老いるというものだ。いや、老いると言ってもまだ三十五歳だけれども。
□■□
衣染くんオススメだという居酒屋へ入り、問われるがままに私のこれまでの話をして、嬉しくてつい早いペースで酒を呑み。
ビール、チューハイ、ワインと様々な酒をちゃんぽんして、私の計五杯目となる酒がテーブルに届いた頃、「私のことより、衣染くんはあの高校に入学した後はどうしていたんだい?」と訊くと、彼は「ああ、そういえばまだ僕のことについて何も言っていませんでしたっけ」と思い出したように説明を始めた。
「高校は無事卒業して、その後はアメリカの大学に進学して医学を学んでたんです。
それでそこも卒業して四年くらい前にこっちに帰ってきて、今はこっちで仕事をしています」
「へぇ!
……ん? 医学部って六年制じゃなかったかい?」
「早くこっちに帰ってきたくて飛び級したので」
平然と言ってのけられて、一瞬言葉を失った。早く帰りたいってことを理由に飛び級するってどういうことだ。
……だが、それにしても。
「やはり君は努力家だな、昔と変わらない」
そう告げて、一口酒を呷る。
彼は確かに優秀だったが、私が家庭教師になる前から満点ばかり取っていたわけではない。
……いや、まぁ全教科九十点以上はあったので充分だとは思うが、それでも努力を重ねたからこそほとんどのテストで満点を取るようになり、学年首位をキープできていたのだ。
「…………先生がいなければ、こうはなりませんでしたよ」
「ははは、そう言ってもらえると家庭教師冥利に尽きるよ」
家庭教師を生業としている者として、過去の生徒からこう言ってもらえるほど嬉しいことはない。
私は蛇の唐揚げを啄むと、ほんの僅かに舌の上でそれを転がして、酒と共に胃へと流し入れた。
「それで、今はやはり医者の仕事を?」
「専門医資格が欲しかっただけなので、医者の仕事は臨床医として二年くらい働いてすぐ辞めました」
「…………ええと……医師免許の要る、医者じゃない仕事をしてるってことかな」
「いえ。あった方が就職に有利だし、資格手当も出るかなって」
「嘘だろう君」
就職とか資格手当の為に医師免許を取るって、いや、えぇ……。
「……まぁ、その、君が就きたい職に就けているのならば構わないんだが…………、なら今は何の仕事をしているんだ?」
「産卵ヘルパーって仕事です」
「……聞いたことがないな。産卵助手とは違うのか?」
産卵助手とはつまり、人間で言うところの助産師である。
もしかするとその職の別名なのかとも思ったが、衣染くんは「よく訊かれますけど、違うんですよ」と微笑んだ。
「“産卵症候群”ってご存知ですよね?」
突如投げかけられた問いに、ヒュッと喉が引き攣るのが分かった。
何故突然そんな話を、と一瞬考えかけたが、この話の流れならば衣染くんの職業に関係することに決まっているだろうと必死に己を落ち着ける。
「あ、あぁ。当然知っているが……それがどうかしたのか?」
どうにか動揺を見せないようそう答えたが、声は震えてしまっていなかっただろうか。不安に思うも彼は何かを気にするような素振りは見せなかったので、上手く隠せたらしい。……と、信じたい。
「あれって無精卵を産まず治療する為には偽卵を産む必要があるんですけど、鳥人の身体のつくりだとか、あと精神的なハードルの高さで、難しいと感じるヒトが多くて……。
そういうヒトのサポートをするのが、産卵ヘルパーの仕事なんです。
医者の中でも……というか特に町医者とかだと知らないヒトも多いんですけどね」
そんな仕事があったのか。……しかし他人に疑似産卵をさせてもらうのも中々精神的ハードルは高いのでは……いや、医療行為と思えば問題ないものなのか…………?
「完全週休2日制で給料も良いんですよ」なんて軽い調子で告げる彼の言葉は聞こえるが、産卵症候群についてのことがぐるぐると渦巻く頭では何も答えられなくて。
「……どうかしましたか?」
そんな私の様子に疑問を抱いたのだろう。
問いかけてくる衣染くんにやはり暫く沈黙したが、心底心配そうにこちらを見る彼の顔を見てしまったらもうくちばしを開くしかない。
私はグラスに残った酒をぐいと一気に飲み干すと、深くため息をついてから重いくちばしをどうにか動かした。
「………………実は、その。……この間、産卵症候群になってしまって、だな。あー、……疑似産卵もやろうとはしたんだが、できなくて……。
……ッこんなことを君に頼むのは本当に恥ずかしいんだが、も、……もし、よければ……ええと、産卵ヘルパーを依頼する方法を、教えてもらえないだろうか…………」
「どうも電子機器には弱くて、自分で上手く調べられる自信がないんだ」と付け足した私に、衣染くんは目を見開いて固まる。
それはそうだろう。まさか彼も、かつての家庭教師にこんな頼みごとをされるとは思ってもみなかったに違いない。
「あ、いや、すまない。こんなことを頼むのはやはり良くないな、」忘れてくれ。
と言いかけて、しかし最後の五文字を吐く前に、衣染くんがにっこりと微笑んだ。
「いやだなぁ、月部先生と僕の仲じゃないですか。僕が施術しますよ、お金は要りませんから」
「えっ、流石にそれは、」
「遠慮しないでください。僕なりに、先生にいただいたご恩を返したいんです」
遠慮というか普通に断りたかったのだが、そう言われてしまっては断ることもできず、結局十数秒も間抜けにくちばしを開きっぱなしにしてから、私は「ありがとう」とだけ彼に伝えるのだった。
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