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2.鏡の中の囁き
しおりを挟む「冗談だよ!」
男の子は急に笑い出し、奈緒と理恵の緊張は一気に解けた。
「もう、驚かせないでよ…」
理恵は肩をすくめながらも、どこかホッとしたような顔を見せた。
ふと、外の雨音が止んだことに二人は気づいた。
「雨、やんだみたいね。今のうちに出ましょう。」
奈緒が提案すると、理恵も頷いた。少年も何も言わず、二人の後に続く。
廃校舎の下駄箱を横切り、古びた建付けの悪い扉へと近づいた。理恵が扉を押すと、ギギ…と音を立てながら重く開いた。
「よし、これで外に出られるね。」
理恵がそう言いながら、先に外へと出たその瞬間――
「バタンッ!」
扉が勢いよく閉まった。
「え?」
奈緒は驚いて扉に駆け寄り、理恵の名前を呼んだ。
「理恵!」
扉に手をかけたが、どんなに押しても引いてもびくともしない。
一方、外にいた理恵も必死に扉を開けようとしていたが、何も反応しない。
「奈緒!奈緒、聞こえる?!」
理恵が叫ぶが、奈緒の声は届かない。二人の間にあったガラスがゆっくりと曇り始め、視界が遮られ、互いの姿が完全に見えなくなってしまった。
「嘘でしょ…?」
奈緒は戸惑い、何度もガラスを叩くが、曇りは消えるどころかますます濃くなっていく。そして、ガラス戸にうっすらと自分の顔が映り込んでいることに気づいた。
「理恵…?」
しかし、その映った顔が――
突然、ガラスに映った自分の顔が、にやりと不気味に笑い始めたのだ。
「…捕まえたぁ~♪」
その囁きが響き、ガラスの中の「自分」が、まるで奈緒を嘲笑うかのように笑い続けた。
「な、何これ…?」
奈緒は後ずさりし、言葉を失った。
「お姉ちゃん、ここにいたら危ないよ。」
ふと、少年の声が耳元で囁いた。驚いた奈緒は振り返ると、男の子が不安げな表情で立っていた。
「…そうね、早くここから離れないと。」
奈緒は状況を飲み込めないまま、少年の手を引いてその場から逃げ出した。心臓の鼓動が早まり、背後で笑い声が響く中、奈緒はただひたすら校舎の奥へと駆けていった。
ガラスに映った「自分」の笑い声が、なおも奈緒の耳にこびりついて離れないまま――。
奈緒は少年の手を引き、廊下を駆け抜けていた。背後に聞こえる不気味な笑い声が次第に遠のいていくが、まだ心臓は早鐘のように鳴っている。理恵と引き離され、恐怖と不安が混じり合う中、奈緒は必死に冷静さを保とうとした。
息を切らしながら、奈緒は校舎の奥の方に視線を走らせた。無我夢中で走っていた方向に職員室がありそこに入り込んだ。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
少年が心配そうに奈緒を見上げて尋ねた。彼の落ち着いた様子に、奈緒は一瞬安心したように感じた。
「うん、大丈夫。でも…なんでこんなことに…。」
奈緒は息を整え、どうにか状況を打開する方法を考え始めた。
部屋の中は古びており、机や椅子は埃をかぶっていた。
奈緒は携帯を確認したが、圏外になっており、外部と連絡ができない状態だった。
「まいったなぁ…。」奈緒は呟きながら携帯をしまった。
「七不思議の一つだね…。」
少年が静かに呟いた。奈緒は驚き、彼に視線を向けた。
「七不思議…?」
少年は頷くと、淡々と語り始めた。
「この学校には、いくつかの怪談があるんだ。今みたいに、誰かが何かに取り憑かれたり、閉じ込められたりすることもあるらしいよ。」
少年は目を落としながら話す。その無表情さが、どこか不気味で、奈緒は背筋が冷たくなった。
「…まさか自分がその体験をする羽目になるとはね。ついでに脱出方法とかも知らないかな。」
奈緒はため息をついて、少年に尋ねた。
「知らない。でも、逃げられないなら…誰かが代わりに引き受けるしかないんじゃないかな。」
少年の言葉に、奈緒は違和感を覚えた。何かが彼女に忍び寄る気配がし、背後を振り返るが、誰もいない。しかし、部屋の窓にうっすらとまた自分の姿が映り込んでいる。
今度はその顔が、不気味な笑みを浮かべていなかったが、何かが違う。奈緒はじっとその映像を見つめ、胸騒ぎが止まらなくなった。
「お姉ちゃん、逃げるなら今しかないよ。」
少年の声が再び耳元に響いた。奈緒は彼の手を再び握りしめ、職員室を飛び出した。
廊下を走り続ける奈緒の頭の中には、少年の言葉がぐるぐると回っていた。七不思議、誰かが代わりに引き受ける…。彼の言う「誰か」って――。
奈緒は必死に出口を探し続けたが、廊下の終わりが見えてこない。どこかで何かが起こるのではないかという恐怖が、彼女の思考を乱していった。
そんな中、突然廊下の突き当たりに、鏡がぽつんと置かれているのが見えた。まるでそこに吸い寄せられるように、奈緒は鏡へと近づいていった。
古びた木枠に囲まれたその鏡は、廃校舎にあるどの物よりも奇妙に輝いていた。鏡に近づくにつれて、廊下の空気が重くなり、息苦しさが増していく。
「何だろう、これ…。」
奈緒はそっと鏡の表面に手を伸ばした。だが、触れる前に少年の声が彼女を呼び止めた。
「お姉ちゃん、その鏡に触っちゃダメだよ。」
少年は心配そうな顔で奈緒を見上げている。
奈緒は戸惑いながら手を止め、少年に問いかけた。
「どうして?これも七不思議の一つなの?」
少年は小さく頷いた。
「この鏡に映ると、何かが引き寄せられるんだ。七不思議の中で一番危険なものだって、おばあちゃんが言ってた。」
少年の言葉に、奈緒の心臓が一瞬跳ね上がった。危険なものに触れかけたという恐怖がじわじわと背筋を這い上がってくる。
「たしか…鏡に囚われたものは、自分で脱出できない。でも、誰かが代わりに映り込めば、その人を解放できるんだ。」
奈緒は目を見開き、少し後ずさった。
「誰かが…代わりに映るって、それって…。」
少年は静かに頷き、奈緒に視線を送る。
「そう、自分が犠牲になって囚われないと、誰かを助けることはできない。」
奈緒は鏡に向き直り、自分の映った姿を見つめた。映った自分は今の自分とまったく同じだが、どこか冷たい光を宿しているように見えた。
その時、鏡の中の自分が、またにやりと不気味に笑った。
奈緒は背筋が凍る思いをした。
「このままだと、何も解決しない…。どうする?」
奈緒は鏡に手を伸ばすかどうか迷い、振り返って少年に問いかけた。
「ねえ、君、何でこんなに詳しいの?」
その瞬間、少年の表情が固まった。彼の瞳には、一瞬だけ暗い影がよぎったように見えた。
「…だって、僕も囚われてるから。」
少年は静かに呟いた。
「え?」
奈緒は驚いて彼を見つめた。
「この学校の七不思議の一つに囚われて、ずっとここにいるんだ。」
少年の言葉に、奈緒は理解が追いつかないまま目を見開いた。
「七不思議の一つに囚われてって、…君もこの鏡の中にいるの?」
奈緒は少年の目をじっと見つめた。
少年は寂しげな微笑を浮かべた。
「ううん。もっとべつの深い場所…。」
その言葉に、奈緒は一つの案が浮かんだ。彼女は決心したように少年を見つめ、強い口調で言った。
「ねぇ、この鏡やガラスに自分が映ったら、片っ端から全部壊していくのはどう?」
少年はその言葉にあっけに取られたように目を丸くした。
「え…?そんな簡単にいくわけないよ…。これは呪いなんだから、ただ壊しただけじゃ意味がない…」
彼の言葉を遮るように、奈緒は目の前の鏡に近づき、決意を固めた表情で鏡に向かって手を伸ばした。
「何もしないでじっとしてるよりは、試してみる価値はあるでしょ。」
奈緒は懐から、祖母からもらったお守りの札を取り出し、勢いよく鏡に貼り付けた。
「やめたほうが…!」少年が叫びかけるが、その瞬間、鏡に映っていたニヤニヤと笑っていた自分の姿が、突然悲鳴をあげたかのように表情を歪めた。
「ギャアアアア!」
鏡全体にヒビが入り、次の瞬間、粉々に砕け散った。鏡の破片が散らばり、部屋の中に不気味な音が響き渡った。
奈緒は驚く少年をよそに、ほっと安堵のため息をついた。
「やっぱり壊して正解だったみたいね。」
ガラス片の中から、何かが光っているのを見つけた奈緒は、小さな木片を拾い上げた。それは古びたお札のようなものだった。
「これは…?」
奈緒は木片をじっと見つめ、何か重要な手がかりが隠されているのではないかと思った。
「でも、まだ出られない…?」
奈緒は再び廊下の先に目をやったが、校舎の出口は依然として閉ざされたままだった。鏡を壊しても、状況は何も変わっていない。
「困ったなぁ…」
彼女は苛立ちを覚えながらも、冷静さを保とうとした。だが、何かが足りないと感じていた。
「他の七不思議がまだ残っているからじゃないかな…。」
少年がぽつりと呟いた。奈緒はその言葉に、ふと彼に視線を向けた。
「他の七不思議?ここには他にも怪奇現象があるの?」
少年は静かに頷き、困惑した表情を浮かべた。
「そうだよ…鏡は一つに過ぎないんだ。七つ全てを解決しないと、ここから出ることはできないんじゃないかな。」
奈緒は少年の言葉に少し戸惑いながらも、その提案に乗ることにした。
「それなら、残りの七不思議について教えてくれない?」
奈緒は鏡を破壊した木片を握りしめ、少年に問いかけた。
少年はしばらく黙っていたが、ゆっくりと語り始めた。
「ここには…七つの不思議があるんだ。さっきの鏡以外に、もっと怖いものが…。」
奈緒は息を飲み、次なる怪奇現象に備えて心を引き締めた。この学校に隠された七つの謎を解き明かさなければ、外に出ることはできない――そう確信した瞬間だった。
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