橙色の夢

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 その日の空は特にオレンジ色に眩しかった。
 僕の気に入っている少しばかり懐かしいこの場所、夕闇丘の特等席で大きく深呼吸をする。
 広がる橙には雲が漂う平和な空。それは誰かにとっての大切な一日。しかしそんな大切な時間も、景色が変わらなければひどくつまらないものに感じる。空虚な一日の終わり。そんな風にも思えるのだ。
視線を変えると丘向こうには街があり、人々が行き交う姿が見える。
 ……帰るか。
丘を下りその風景の中へと僕も溶け込む。
日に照らされて僕の影が長く伸びる。賑わいの収まった街の歩道を歩いていると、ふいに誰かの声が耳に届いた。
 いつもであればそんな声なんて気にも留めないのだが、今日はなんとなしに気になって声の方へと歩いてみることにした。


 そこは小さな公園だった。夕暮れ時であるが、小さな子たちが遊具で遊んでいる最中のようだった。
それらに混じり子供たちを眺める女性がいた。

「先生~」

 引率の先生だろうか。先生と呼ばれた彼女は笑顔を浮かべて子供たちと何やら話をしたあと、彼らと一緒になって砂遊びを始めた。ちょっとした違和感。先生…というには時間も場所もひどくそぐわない感じがする。
 まぁいいか。何だか眺めていると懐かしい空間が広がっているように思う。公園、砂遊び、夕焼け…。

(あれ、なんだっけ……?)

 記憶を探るようにぼーっと彼女を見つめていると、その女性は自分が見知った人物ということに気が付いた。
 そういえばあの人は…近所に昔住んでいた大学生のお姉さんだ。…名前は確か……優さん。
 まぁ、そこまで親しい間柄というわけではないが、決して他人ということもない。
 その昔道に出たところで会って挨拶をしたり、もしくは自転車がパンクしていたらしく貸してあげたり、野菜をおすそ分けしてもらったり、チケットがもったいないからって映画の券を貰ったり。特にその後何かあったわけじゃない。何事もなくご近所だったが、ある日挨拶のタイミングが合わなかったのか知らぬ間に近くからいなくなっていた。


 ああ…そういえば、聞きたいことがあったんだったけ。今じゃないかもしれないけど、こうしてここで会ったのもいい機会かもしれない。挨拶がてら、それについても尋ねようと声を掛けてみることにした。

「あの、こんにちは」

「え?…あ、えーっと…」

 急に声を掛けられたことに驚いてるみたいだった。ごく自然な反応だ。急に誰かも知らない男から声を掛けられれば誰だってそんな反応になるだろう。実際には顔見知りなわけだが。
 案の定優さんはすぐには思い出せないみたいで、予想はついていたのに僕もしどろもどろになりながら何故か自分の家の方角をさす。

「あー…えーっと…昔近所に住んでた…」

しばらく顔をしかめてから、彼女はぱしんと彼女は手を叩いた。

「あ、よしくん!」

「あ、そうですそうです」

一瞬頭に空白がよぎったが、何とか思い出してくれたようでホッと胸をなでおろした。
 そういえば何年振りだったか。とふと物思いに耽ったときに向こうから声を掛けてきた。

「今、何かの帰り?」

「あいや。ちょっと散歩ですね」

「あ、そうなんだ。…そういえばこのあたりの夕日って綺麗だったよね」

 彼女もこのあたりの空に同じ印象を持っていたらしい。少し嬉しい。そしてもう一度空を見ると、先ほどと変わらぬ美しい茜色。

「ここにはよく?」

 彼女が問いかけて来て僕は視線を戻した。

「いや、そうでもないかな。小さいころはよく来てたんだけど。最近はあんまり」

「ああー…なんか分かるな。色々忙しくなっちゃうよね」

「ええ、まあ」

 色々…という言葉に、頭の中で苦い景色が浮かんでは消える。

「優さんは…えーっと…先生になったの?」

 先生、と呼ばれていたのだから十中八九そうだろうと思って言ったのだが、全く思ってもない返事が返って来た。

「あ、うぅん違うの。なんか、流れで先生って」

「そうなんだ」

 って流れ、てなんだ。突っ込もうかとも思ったが何やら意味なさげだったのでやめておいた。

「ちょっと久しぶりにね、公園でも覗こうかなって思ったら、こういうわけ」

 彼女は嬉しそうに笑った。
 それはあの時と同じ笑顔だった。
 そして今また同じ時間を過ごしていることに喜びを感じた。なんだかすごく恥ずかしい妄想をしているみたいで場が持たない。気がする。

「最近どうです?お仕事とかは」

 とりあえず何か言わないとと思って質問した。彼女は特に思うところがなさそうに、

「んーぼちぼちかな。まだまだ新人だし。それに私自身あんまりまだそういう実感ないしね。何でも屋みたいな感じだし」

 何でも屋…?何でも屋とは…?つまり、仕事場でこれといったものはないってことなのか…?でもそれって逆にすごくないか?

「あ、そうだ!もしよかったら後で話聞かせてくれない?昔のことも含めて」

「え?あぁ…」

 急に声を弾ませたものだからいい話かと思ったら何だか「また次の時に」みたいな感じ。聞きたいことがあったのだが…この感じだとそれは今この場で聞けないようだ。

「そうですね…」

「じゃあ、連絡するね」

 子供のように無邪気に笑って見せる彼女が眩しかった。
 その後お互いのメルアドを交換して(何故メルアド…?)彼女と別れ、家路につく。
 さきほどのことを振り返りながら歩くその足取りは何故か軽く感じた。
 と、今更ながら思う。

(そういえば、なんで公園なんかにいたんだろう)

 自分も理由なくぶらぶらしていたものだから、特に気を付けなかったが…。まあいいか。
 ただ思うのは、彼女はその場所、いや空間が好きだったんだろう。
 そうしてもう家に着くというところでポケットの中の携帯が震えた。
 メールを見ると、差出人の欄には『優』とある。
 時間は夜7時過ぎ、家に帰って優さんにメールの返信をする。
 送られてきた文面はこうだ。
 テストメール。そういえばしてなかったけど、届いたかな。
 ふむ…まぁとりあえず…

「ちゃんと届いてますよ。お久しぶりです、て今更ですけど」

 そういえばあの場では急ぎでしたか?というのは野暮ったいので聞かないことにした。しかし特に用事がある風にも見えなかったのだが…。とりあえずメシでも食いながらこっちの聞きたかったことを、まとめておくか。
 さて、じゃあ今日は麻婆那須にでもして…

 食事中、テレビの中の会話だ。

「それで、その時先生が言ったの。『先生の言うことを良く聞いてください。あなたたちには無限の可能性があるんです!』って」
 それを聞いた他の先生が関心する。

「へぇ~……すげぇ熱弁ですね」

 その先生と仲のいいであろう生徒がタメ語で反応する。

「うん。何かね、先生もいろいろあったみたいで。……でもさ、そう言われても、なんかピンと来ないよね。だってさ……」

 先ほどの教師が腕組みしながら言う。

「……確かにな。俺らも小さいとき、将来どんな大人になるのかなんて分からなかったもんな」

 その横にいる教員も遠い目をして頷く。

「そうそう。大人になってもさ、全然分かんないことだらけだよね。自分が何者なのかとか。……未来に何があるのかも」

「……そうだな」

「だからさ、きっとみんな不安なんだと思うんだ。」

「……不安……か」

「うん。……こんな言葉が、ちょっとでもみんなの支えになればって思って、話したの」

「……そっか。なら、しっかりやっていかないとな」

「うん、そうだね!」
 そう言って三人仲良く笑い合う。
 それから程なくして番組はCMに入った。
 なかなか気になる内容だが…思いっきり途中っぽかったしな。何気なしにチャンネルを変えた。
 すると今度は占いをやっているようだ。
 丁度自分の運勢が発表されたタイミングだったようで、ラッキーアイテムは……「赤い糸」。赤い糸か…恋愛的な?もしくは毛糸?
 まぁ、そんなもの都合よく当たるまいと思いつつ、何となく気になるところでもある。
 ふと僕の目の前に一本の細い糸が垂れていた。……いや、これは……頭に糸クズか何かくっついてたらしいな。
 さっきベッドに横になったときにでもついたのだろう。まぁ糸といえばこれも糸だよな。なんて思って自分でおかしくなってしまった。これがラッキーアイテムだとしたら、運があるんだか、ないんだか。しかし悪い気はしなかった。

「明日は晴れです」

 アナウンサーの声が聞こえてきた。
 今日はやたら空と縁があるのか。カーテンを開けると外はまだうっすら明るかったが、雲が厚くなっていて月は見当たらなかった。
 どうやらメールの返事もまだ来ないみたいだ。と言っても、返事が来るような文面でもなかったか。明日に備えていつも通り仕事に出るための準備をしておく。
 仕事道具などを整えていると、そこでスマホが鳴った。スマホを手に取りディスプレイを覗くと待ちかねていたメールが届いていた。

「聞きたいことがあったんだけど色々時間が取れなくて遅くなった、ごめんね」

 見るとそんな文章が連ねられていた。まぁ待たされたのは確かだが、勝手に待っていたようなものなので謝られることでもないが…。

「いえ、やっぱりそっちも忙しそうですね。気にしなくても大丈夫ですよ。それで、何か気になることが?」

 送信。…我ながらぎこちない挨拶だ。自分がちょっと硬いのは自覚しているが、こういうときに困るよな。しかし、向こうも何か気にかかっていることがあったみたいだ…。
 自分からも聞きたいことがあったが、これではまるで向こうが気にかかっているような関係性だ。
 しかし…ふむ…気になると言えば…今日の公園だよな。いや、どちらかというと強引に結び付けようとしているのがあの公園の風景といったほうが正しいのか。ほどなくスマホが震える。

「聞きたいことっていうのは、あの…引っ越しの挨拶の時言おうとしてたことなんだけど」

 引っ越しのとき…そういえば僕がちょうど出かけていて、留守にしていた時だったんだよな。母から聞いていて、挨拶に来ていたというのは聞いていたのだが。
 文章の先を読む。

「ちょっと引っかかってることがあって。うーん、何て説明したらいいか…」

 なにやら説明のいることらしい。としたら、多分逆に大したことではないのかもしれない、どこかホッとした。
 恐らくだが聞きたいことというのは、あの時のあのセリフはどういう意味?とか、ああいう風に言ってたけど今はどう思う?とか、そういった類であろう。僕は世間話のノリで、ちょっと意味深だったかなと自分で思う会話を思い出しながらメールに書いた。
「綺麗な橙の夕日は、異世界に通じてそうだ、とかよく分からない話ですかね?」
 我ながら大学生の女性に言うようなことじゃないよなと苦笑する。まぁ別に意味のある話ではないからそこまで変とも思わないが。

「あ、それ!そういう感じなの!」

 え、マジか。
 思っていたより的を得ていたらしい。
 うーんでも確かに、それってどういうことだと言われたら、自分でもちょっと分からないんだよな。何となく、だったらいいなぐらいで言っていたし。まだメールの先がある。

「私ね、小さい頃にもそういう話を聞いた気がするんだけど…えっとね、なんだっけ……そう、『黄昏の果てには』みたいな」

「黄昏の果て?」

 すごく興味を引く言葉だ。黄昏の果て、ね…。

「なんかね、すごく不思議な場所があるって。そこはなんでも願いが叶うって」
 …なんか、すごいメルヘンな話になってきたな。でも確かに、それは長いこと経っても気にかかることかも。それに確かに説明も難しい。

「『夕焼けがきれいな日にだけ行ける、幸せの場所があるんだって!』……だったかな」

 幸せの場所、ね。
 自分の言っていた言葉、『綺麗な橙の夕日は、異世界に通じている』というのとは違うが、僕が言っていたのはどちらかというと格好つけ…みたいなものだ。全くない、とも言い切らないが。でも実際に思っていた意味は、彼女の方の言葉だ。求めていた世界が、いや、空間というべきか、もしくは想いというべきか。それを突然別の人間から聞かされることになるとは。僕の胸は自然高鳴った。

「うん。それで、今日会って、思い出したからすごく気になって」

「なるほど」

「『夕暮れ時には、神様がいるんだよ。だからね、みんなにお願いしておこうと思ったの』……ってね、昔誰かに言われた記憶があって」

 ん、うん?…メールのせいか?よく分からない。誰かから言われたらしいことは分かるが、みんなにお願いとは?誰か個人の思想のような類か?…うーん?流れから察するに、共有意識に意味がある、とか、そういうことか?

「よく分からないよね」

 まったくもって。というのは、メールにはしてないが、さすがに失礼か。

「まあ、仮にも今日先生って呼ばれたから、あの子たちにはお話してみたんだけど」

「ん……うん?」

「もちろん冗談めかしてだよ!?」

「あ、ハイ」

 仮に信じる人間が多くなったとして。太陽が信仰対象になるというのはまぁある話である。夕陽は神性を持ち得るというのもあるといえばある。しかし、あの公園で見た光景はそれだけではなかった。
 ノスタルジー…とでもいうのか、とても懐かしい感じ。その優しくどこか寂しい感じのする感情の中、彼女は突然水を差したかの如く送信してきた。

「でもこの記憶って実際にあったことなのかなって」

「……」
「……」
「……」
「……」
……。

「ってこんな話突然されても困るよねごめんね」

 いや、ホントだよ。さすがにね?

「あ、いえ、興味深い話ですね。自分的にはめちゃくちゃ面白かったです」

 真相がなんかよーわからんところではあるが。

「そっか、ありがとう」

 ……。

「じゃあそろそろ寝るね、またメールします」

 しばらくしてそんなメールが来た。早くない?と思ったが、そこはぐっと堪えて、

「はい、おやすみなさい」

 返信を済ませ携帯を枕元に置くと、僕も一旦ベッドで横になった。

「……」

 黄昏の果てには幸せがある、か…それはここじゃないどこかなのか。もしくは、ある日の夕焼けなのか。
例えば

 その瞬間を指すとしたら。 あるいは、今日が黄昏の果てだったとしたら。そこには何がある? 僕は、そこで何をすればいいのか。何が出来るのか?

「……」

 思いを馳せる。何かになりたいと願う。それくらいか?

「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」

  僕はスと瞼を閉じるとどうやらそのまま眠りに落ちていたらしい。目覚めると朝になっていた。いつの間にか眠ってしまったようだ。カーテンの隙間から漏れる光は眩しく、外はもう明るい。しかし布団の中で微睡む時間は心地よかった。そしてスマホを手に取ると、昨日来たメールらを見返す。

「……」

 空を橙に染めるひどく懐かしく、思いに耽るあの空間。
 今日も夕暮れに寄ってみるか…?
 そんなことを考えつつ重い体を起こして伸びをする。
 さて…

 じゃあとりあえず…僕も、夕暮れの神様を信じてみようかな。黄昏の果てには幸せな世界がある。
あるいはそんな言葉をずっと探し続けていたのかもしれない。
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