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6.アスラン先生

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 ジョン殿下と話していたことが罪に問われるのではと、勘違いして不安に駆られていた僕は。最も敬愛しているアスラン先生の笑顔を見て、驚くと同時にほっと胸を撫で下ろした。

「せ、先生!今まで何処に行ってたんですか」

「ごめんごめん。宰相から急な公務の呼び出しがあってね。この後は一緒にいられるから」

 僕は初めての社交界デビューで思った以上に緊張していたらしく、先生の優しい声を聞いたら一気に気が綻んでしまった。
 以前街に出掛けた時に、偶然迷子を保護した事がある。幼い子供は僕たちと一緒にいる間は気丈に振る舞っていたのだけど、母親に会った途端泣き出してしまった。
 僕は母親の記憶がないせいで、その心境を今まで理解出来なかった。だけど……。

「あぁ、ジミル。泣かないで?」

 先生にぎゅっと抱き寄せられたら安堵してしまい、堪えていた涙がぽろぽろと零れていく。声こそ出さなかったものの、ぐすぐすと肩を震わせながら泣き始めた僕の背中を、先生はぽんぽんと優しく叩いて慰めてくれた。すぐに落ち着きを取り戻したが、はっと大事な事を思い出す。

「先生!僕、ジョン殿下とお話をしていたんです。ご挨拶も出来ましたし、まだそこにいらっしゃって……あれ?いない。殿下、大広間に戻られたのかな」

 先生の身体越しにバルコニー内を見渡したが、ジョン殿下はもういなかった。
 僕が泣き出したことに嫌気が差して行ってしまったのかと、涙がスッと引っ込んだ。話は途中だったけど、僕がジョン殿下の補佐官だなんて無理に決まってる。

「ジミル、沢山の人に会って疲れたでしょう。もう舞踏会も退席しようか。僕が屋敷に送ってあげるね」

 そう言われて、急に眠気が襲ってきた。これでは遊び疲れて眠ってしまう子供のようだ。僕はもう社交界にデビュー出来る年でもあるのに、恥ずかしいったらない。

「だ、大丈夫ですよ。……僕大広間の皆さんのダンスが見たいので戻り……」

 戻りたいのに頭がガクンと前に倒れた。
 フラついた先のアスラン先生の胸に縋るように体重を預けると、ひざ裏を掬われお姫様抱っこをされた。抵抗も出来ず、瞼がゆっくり降りてくる。

「ジミルはまだ人間になって間もなく、この世界に馴染んでいないので無理をしてはいけません」

 身体がぐにゃぐにゃになって、すぐにも眠ってしまいそうだった。だから、アスラン先生に言われた注意を理解することは出来なかった。

 伯爵家の送迎車がエントランスに着き、後部座席にゆったりと寝かされた。僕の腕がだらんと落ちて、ブレスレットがシャラランと滑っていく。奇跡的に手首に引っ掛かったソレを摘まんで、アスラン先生が何か言うのが聞こえた。

「チッ。王子のやつ厄介なモノを……」



 王族に本気で恋をしたって、政略結婚でもない限り、想いを遂げられる事は無いに等しい。
 貴族階級であれば社交界で催される茶会や舞踏会に出席して、遠くから眺めて胸を高鳴らせる事も出来るが、それで終わり。
 運が良ければ、目が合ったなどのまるで流れ星を見た時のような幸運を手にし、一抹の夢を経験出来る。

 だから僕は、動画や画像で満足していた。今回社交界に奇跡的にデビュー出来たのは、ジョン殿下のおかげだ。
 招待状に返事をして今日までの間に、僕の中に何か小さな感情が芽吹いているのは気がついていた。アスラン先生に相談すると、「恋する乙女みたいで可愛いね」と頭を撫でられた。

 この感情が『恋心』だったとしても、ジョン殿下に恋をしたらダメだと思った。思っていたのだ、実際にお会いするまでは!

『ジミル!僕の補佐官にならない?』

 性別的にも身分的にも、諦めていたのにどうしてそんな可能性を僕に与えるのか。

「ジミル?ブレスレット、外していいかな?これはジミルが持っていていいものじゃないんだ」

 アスラン先生が、ブレスレットに指を掛ける。

「……や、だ」

 頭の中に警鐘が鳴り響いた。それが耳鳴りのようになったのは比喩ではなく、僕の脳裏に不思議な光景が広がっていった……。

 それは、過去のフラッシュバックなのかもしれない。固く閉ざされていた扉がゆっくり開き、隙間から僅かに洩れていた光が、まるで洪水のように僕を襲った。

「う、うわ!」

 強く、真っ白な光に目を閉じる。瞼の上に温もりを感じるほどの光は、太陽の陽射しと似ていてどこか懐かしかった。

 その光の中、何かが動いた。何だろう?僕の腕の中に、誰かがいる。

「ジョン・グレイ・サニー……5才」

 それは、小さな男の子だった。





「わぁあああああーっ!!」

 叫んで手を伸ばした先に、見慣れた自分の部屋の天井が見えた。大きな怪我をして療養していた頃は、何回も見上げた天井なのだから間違いない。
 僕は自分のベッドの上で、汗をびっしょりとかいてうなされていたようだ。

 部屋の扉が控えめにコンコンとノックされる音がして、執事長のセバスティアンの声がした。

「坊ちゃま、叫び声が聞こえましたが何かございましたか?」

「はぁ、はぁ、はぁ……。え?夢?」

「坊ちゃま?」

「だ、大丈夫だよ!夢見が、悪かっただけだから!」

「お茶をお持ちしますか?」

 長く壮大な夢を見ていたようだ。登場人物は、僕がお慕いしているジョン殿下なのは確か。なのに……。

「殿下、子どもだった?」

 急いでベッドを降りて、机の引き出しを開く。小さな宝石箱に、あの日ジョン殿下から貰ったブレスレット。
 これを戴いた事は誰にも打ち明けていない。

『ジミル!僕の補佐官にならない?』

 子ども同士の戯れだったかもしれない。でもその言葉は、それまで無気力に生きていた僕の活力になった。
 自分が誰なのか今まで何処にいたのかもわからない、記憶喪失という状況で。

 生きる目的を、ジョン殿下がくれたのだ。

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