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第三十四話 似非皇帝と皇妹の和解
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「二度と勝手にどっか行くんじゃないわよ」
釘を刺すように言ったミリアは……朱い髪をしたコソ泥は、まっすぐな目をしていた。
皇帝は彼女の言葉を何度も脳内で反芻する。まるで、胸に刻み込むかのように。
兄を殺したのは朱い髪の国の民であった。それせいで貧民街での別れの際、彼女につらく当たってしまったのもある。
しかし、再び触れ合った彼女に嫌悪感を抱くことはなかった。あの生意気なコソ泥そのままなのに、胸に芽生えた恋心は少しも萎えることがないから不思議なものだ。
あのあと。
「帰るわ」と当たり前のように地下室を出ていったミリアを見送って、地下の執務室に一人取り残された。
ずいぶん長い時間彼女と対峙していた気がするが、実際は大して時は経っていない。
それでも充分に目的は果たせた。
ミリアが流した開戦の動きがあるという嘘を信じたふりをし、地下の隠し通路の出口側から逆に侵入することで皇家の秘宝を盗むのを阻止しただけではなく、しっかりと言葉を交わすことができたのである。
皇家の秘宝を盗ませなくて本当に良かった。あれで己の人生を捻じ曲げても、後悔が残るだけだから。
皇家に代々伝わる秘宝と呼ばれるそれは石のような形状をしているものの、原理のわからない神秘の品なので金槌でも割ることは叶わない。
ミリアがうっかりまた秘宝を狙っては困るから、城の中庭にでも埋めることにしよう。
――もう、必要がないからな。
いつか死の間際に真実を明かし自分がイーサン・ラドゥ・アーノルドではないことを公にして、散々穢してきた兄の名誉を守ろうと思っていた。兄への想いを歪んだ形で引きずっていたのだと思う。
けれど、あの女を好いてしまった。国母になれと言ってしまった。
故にもう捨て身にはなれないのだ。
どこまでも身勝手な異父弟で申し訳が立たないが、あたたかな陽光のようなイーサンならばきっと笑顔で許してくれるに違いない。
皇帝は心の中でそっと亡き兄に謝った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして謝るべき相手はもう一人いる。
異父妹であり、現在唯一正しく皇家の血を引く皇族。皇妹ベラ・メレス・アーノルドであった。
彼女には何も知らせていない。そもそも、二人きりで言葉を交わすことなどどれほどの間なかったのかすら思い出せないほど、彼女との関わりを薄くしていた。
兄の紛い物の皇帝、すなわちデズモンドでは向き合う資格がない故である。けれども今回はそうも言っていられないのだ。
何せ、他でもない兄の話なのだから。
蝋燭の灯りを片手に執務室から地上へ戻り、とある扉の前に立った皇帝。
まだ深夜も深夜だ、もしかすると寝ているかも知れないと思いながらコンコンと控えめなノックを響かせると、ややあって中から返答があった。
「こんな時間に誰?」
扉越しなのに困惑しているのが直に伝わってくる。
その声に応えるべきかどうか迷った。応えたら拒まれてしまうような気がして。
でもすぐに、これではまるで不審者だと気づいた。
「入室の許可を得たい。構わないだろうか」
思ったよりも硬い声になってしまった。だが、こちらが誰かは伝わったのだろう。
息を呑む気配がして――やがて扉が開かれる。
開け放たれた扉の中に見えるのは、部屋の主によく似合った可愛らしい一室。
だが皇帝の視線は微塵もそれらに向かなかった。美しい銀髪を揺らす妹の姿に釘付けになったからだ。
ベラの目は白目まで赤く、頬がわずかに濡れていた。
「デズ兄?」
「ああ、そうだ」
コソ泥から呼ばれていたボンボンと並ぶ、懐かしい呼び名だ。かつて、デズモンドにもそこそこ懐いていた幼いベラは、「デズ兄」と言って慕ってくれていた。
ベラが兄様と呼称するのはイーサンただ一人。なのでイーサンの死後は『兄』だとか『あの兄』としか呼ばれていなかったが。
「なんで来たの。普段は私と目も合わせようとしないのに」
ベラの視線は、あの頃と比べ物にならない鋭さだった。
普段の柔らかな笑顔からは誰も想像できそうにない、怖い顔。でも皇帝は怯んだりはしない。常日頃の自分の方が恐ろしい圧をかけているので。
「皇家の影は眠らせている。お前の分もだ」
「どうして?」
「ミリアに兄のことを話した」
聡明な異父妹なら、この一言だけで察してくれるはず。
そしてベラは皇帝の期待を裏切らなかった。
「……そう」
「良かったか?」
「あの子が内密の話を大っぴらにするとは思えないもの、問題ないでしょう。ただ……個人的には、話してほしくなかった」
「私もちょうど兄様の夢を見ていたところだった」とベラは話す。
「夢の中の兄様はね、毎日のように私に言うの。『僕のことは忘れて』って。でも忘れられないよね。忘れられるわけがない」
明るく聡明な、理想の皇女。
イーサンが最期に言った言葉の通りにベラは生きている。兄になり変わることにしたデズモンドとは違って。
だから、まさか夢を見て夜な夜な泣いているとは、想像もしていなかった。
ここにきてようやく、夢の影響でデズ兄と言われたのかと納得に至る。
「あなたも兄様の話だけは誰にもしないと信じてたんだけど……どういう風の吹き回しかしら」
「昔、兄から贈られたペンダントがあってな。失くしたそれをミリアが持っていた。それだけだ
「ふぅん。ミリアは兄様について、なんか言ってた?」
「いや、特には」
「――良かった」
ベラは本当に安心したような顔をした。
「なぜだ」
「変に同情されたくないもの。兄様は、私の、私たちだけの兄様なのよ。あなただってそう思うでしょう? そう思うから、兄様の死を公にしなかったのでしょう?」
皇帝はそれに沈黙でもって肯定する。
この想いをどう言葉で表せばいいかわからない。わからないまま黙り込んでいると、ベラに招き入れられた。
「立ち話もなんだし、中へ入って。きっとこれが最後の機会だから」
「最後の機会?」
「私、まもなく縁談がまとまりそうなの。皇族に迎え入れるには身分が頼りないけれど、素敵な方なのよ。あなたがミリアを迎え入れると決めてくれたから、嫁げることになったというわけ」
……どうやら自分は、ベラのことを縛り続けていたらしい。
そう思うとたまらなく申し訳なくなったが、最後の機会というなら、心ゆくまで話してみよう。
皇家の影たちが意識を取り戻すまでの短い間で、兄が死んでからの六年間の埋め合わせはできずとも、少しは取り返せるかも知れないから。
今までのこと、これからのこと、そしてお互いの惚気話。
話せば話題は尽きなかった。どうして今まで避け合っていたのか可笑しくなるほどに。
そうして静かに夜は更けていく。
ミリアとの対話も、ベラとの語らいも公にされることはきっとないが、皇帝の記憶には一生残り続けるだろうと思える一夜だった。
釘を刺すように言ったミリアは……朱い髪をしたコソ泥は、まっすぐな目をしていた。
皇帝は彼女の言葉を何度も脳内で反芻する。まるで、胸に刻み込むかのように。
兄を殺したのは朱い髪の国の民であった。それせいで貧民街での別れの際、彼女につらく当たってしまったのもある。
しかし、再び触れ合った彼女に嫌悪感を抱くことはなかった。あの生意気なコソ泥そのままなのに、胸に芽生えた恋心は少しも萎えることがないから不思議なものだ。
あのあと。
「帰るわ」と当たり前のように地下室を出ていったミリアを見送って、地下の執務室に一人取り残された。
ずいぶん長い時間彼女と対峙していた気がするが、実際は大して時は経っていない。
それでも充分に目的は果たせた。
ミリアが流した開戦の動きがあるという嘘を信じたふりをし、地下の隠し通路の出口側から逆に侵入することで皇家の秘宝を盗むのを阻止しただけではなく、しっかりと言葉を交わすことができたのである。
皇家の秘宝を盗ませなくて本当に良かった。あれで己の人生を捻じ曲げても、後悔が残るだけだから。
皇家に代々伝わる秘宝と呼ばれるそれは石のような形状をしているものの、原理のわからない神秘の品なので金槌でも割ることは叶わない。
ミリアがうっかりまた秘宝を狙っては困るから、城の中庭にでも埋めることにしよう。
――もう、必要がないからな。
いつか死の間際に真実を明かし自分がイーサン・ラドゥ・アーノルドではないことを公にして、散々穢してきた兄の名誉を守ろうと思っていた。兄への想いを歪んだ形で引きずっていたのだと思う。
けれど、あの女を好いてしまった。国母になれと言ってしまった。
故にもう捨て身にはなれないのだ。
どこまでも身勝手な異父弟で申し訳が立たないが、あたたかな陽光のようなイーサンならばきっと笑顔で許してくれるに違いない。
皇帝は心の中でそっと亡き兄に謝った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして謝るべき相手はもう一人いる。
異父妹であり、現在唯一正しく皇家の血を引く皇族。皇妹ベラ・メレス・アーノルドであった。
彼女には何も知らせていない。そもそも、二人きりで言葉を交わすことなどどれほどの間なかったのかすら思い出せないほど、彼女との関わりを薄くしていた。
兄の紛い物の皇帝、すなわちデズモンドでは向き合う資格がない故である。けれども今回はそうも言っていられないのだ。
何せ、他でもない兄の話なのだから。
蝋燭の灯りを片手に執務室から地上へ戻り、とある扉の前に立った皇帝。
まだ深夜も深夜だ、もしかすると寝ているかも知れないと思いながらコンコンと控えめなノックを響かせると、ややあって中から返答があった。
「こんな時間に誰?」
扉越しなのに困惑しているのが直に伝わってくる。
その声に応えるべきかどうか迷った。応えたら拒まれてしまうような気がして。
でもすぐに、これではまるで不審者だと気づいた。
「入室の許可を得たい。構わないだろうか」
思ったよりも硬い声になってしまった。だが、こちらが誰かは伝わったのだろう。
息を呑む気配がして――やがて扉が開かれる。
開け放たれた扉の中に見えるのは、部屋の主によく似合った可愛らしい一室。
だが皇帝の視線は微塵もそれらに向かなかった。美しい銀髪を揺らす妹の姿に釘付けになったからだ。
ベラの目は白目まで赤く、頬がわずかに濡れていた。
「デズ兄?」
「ああ、そうだ」
コソ泥から呼ばれていたボンボンと並ぶ、懐かしい呼び名だ。かつて、デズモンドにもそこそこ懐いていた幼いベラは、「デズ兄」と言って慕ってくれていた。
ベラが兄様と呼称するのはイーサンただ一人。なのでイーサンの死後は『兄』だとか『あの兄』としか呼ばれていなかったが。
「なんで来たの。普段は私と目も合わせようとしないのに」
ベラの視線は、あの頃と比べ物にならない鋭さだった。
普段の柔らかな笑顔からは誰も想像できそうにない、怖い顔。でも皇帝は怯んだりはしない。常日頃の自分の方が恐ろしい圧をかけているので。
「皇家の影は眠らせている。お前の分もだ」
「どうして?」
「ミリアに兄のことを話した」
聡明な異父妹なら、この一言だけで察してくれるはず。
そしてベラは皇帝の期待を裏切らなかった。
「……そう」
「良かったか?」
「あの子が内密の話を大っぴらにするとは思えないもの、問題ないでしょう。ただ……個人的には、話してほしくなかった」
「私もちょうど兄様の夢を見ていたところだった」とベラは話す。
「夢の中の兄様はね、毎日のように私に言うの。『僕のことは忘れて』って。でも忘れられないよね。忘れられるわけがない」
明るく聡明な、理想の皇女。
イーサンが最期に言った言葉の通りにベラは生きている。兄になり変わることにしたデズモンドとは違って。
だから、まさか夢を見て夜な夜な泣いているとは、想像もしていなかった。
ここにきてようやく、夢の影響でデズ兄と言われたのかと納得に至る。
「あなたも兄様の話だけは誰にもしないと信じてたんだけど……どういう風の吹き回しかしら」
「昔、兄から贈られたペンダントがあってな。失くしたそれをミリアが持っていた。それだけだ
「ふぅん。ミリアは兄様について、なんか言ってた?」
「いや、特には」
「――良かった」
ベラは本当に安心したような顔をした。
「なぜだ」
「変に同情されたくないもの。兄様は、私の、私たちだけの兄様なのよ。あなただってそう思うでしょう? そう思うから、兄様の死を公にしなかったのでしょう?」
皇帝はそれに沈黙でもって肯定する。
この想いをどう言葉で表せばいいかわからない。わからないまま黙り込んでいると、ベラに招き入れられた。
「立ち話もなんだし、中へ入って。きっとこれが最後の機会だから」
「最後の機会?」
「私、まもなく縁談がまとまりそうなの。皇族に迎え入れるには身分が頼りないけれど、素敵な方なのよ。あなたがミリアを迎え入れると決めてくれたから、嫁げることになったというわけ」
……どうやら自分は、ベラのことを縛り続けていたらしい。
そう思うとたまらなく申し訳なくなったが、最後の機会というなら、心ゆくまで話してみよう。
皇家の影たちが意識を取り戻すまでの短い間で、兄が死んでからの六年間の埋め合わせはできずとも、少しは取り返せるかも知れないから。
今までのこと、これからのこと、そしてお互いの惚気話。
話せば話題は尽きなかった。どうして今まで避け合っていたのか可笑しくなるほどに。
そうして静かに夜は更けていく。
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