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第二十二話 ペリン公爵令嬢からの忠告①
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ペリン公爵令嬢の来訪から七日目。
皇帝陛下との婚約の手続きが済むか否かの運命の日――ミリアの手元に一枚の手紙が届いた。
手紙と言っても宛名などはなく、部屋の扉の前にそっと置かれていたのだ。
鮮やかな橙色の花が添えられた便箋、それに書かれたのはたった一言だった。
『貴女が想いを告げた中庭にて待っている』
――結構粋なお誘いじゃないの。
呼び付けられずとも接触を図るつもりであったが、ますますその気にさせられる。
侍女の仕事が始まる時間にはまだ少し早いので今から行くことにした。
まっすぐ中庭へ向かって歩く。
その間に多くの視線が突き刺さってくるけれど、いちいち関わり合っている暇はないので全て無視だ。
皇家の影からの報告は公開済み。貴族はもちろんあらゆる国民、そして当然この城で勤める者たちも観覧できる状態にあるため、早速城中に噂が駆け巡り始めているらしい。
あの皇帝陛下が異性、それも侍女風情と二人で出かけたのだから話題になるのも仕方ない。向けられるのは視線だけで直接的な悪意やら嫉妬を浴びせかけられないのは、以前の盗難事件の時に大々的に報復したおかげだろうか。
加えて、下手な関わり方をすれば皇帝陛下の不興を買う可能性もある。今のミリアに堂々と文句を言えるのはたった一人しかいない。
さほど時間をかけずに中庭へ着いた。
昇りつつある朝陽が差す中、静かに佇む人物へ、ミリアは朗らかに微笑んだ。
「おはようございます、お待たせしてしまったでしょうか?」
「少しは驚いていただけるかと期待していましたが、期待がはずれてしまったようです」
「普通に考えて皇帝陛下であるなら堂々とわたしを引きずり出せばいいのですもの、隠すおつもりなどさほどなかったでしょうに。あれはきっと第三者に皇帝陛下からわたしへの恋文だと誤認させるためのものですわ」
「……そこまでおわかりなのですね」
「ええ。あなたのお望み通り、一対一でのお話しをしに参りましたのよ――ペリン公爵令嬢」
皇帝陛下やベラ殿下、同時に皇家の影の目すらない場所だ。それでも臆することなく真正面から宿敵と向き合う。
そよ風に亜麻色の髪をたなびかせ、絵に収めたいほど美しい儚げな令嬢。しかしその印象とは裏腹に、橄欖石の瞳に強い感情を秘めている彼女、ハリエット・ペリンと。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ゆったりお話ししたいところですけれど、時間が許しませんので早速本題に入らせていただきますわ。わたしを呼び出したご用件は何でございましょう?」
首を傾げ、あからさまにとぼけて見せる女――ミリア・フォークロス。
小慣れた仕草は彼女が普段からこのように振る舞いながら生きているのだろうというのが窺える。
城での滞在期間中、彼女の動向を見ていたが、フォークロス伯爵令嬢はどこまでも狡猾だった。
巧みな言葉でイーサン様を籠絡。己に好都合な状況に持ち込むべく手を尽くしていた。
彼女がイーサン様の傍に置かれているのは彼の慈悲などではなかったのだ。
その実力は認めるべきなのだろう。
けれども皇妃に相応しいかと言えば断じて否だ。何せ彼女の出自は皇妃として仰ぐには貴族のほとんどが抵抗を感じてしまうに違いないから。
――それでもイーサン様は彼女をお選びになるのでしょうが。
今朝がた影の報告書を読んで、それが覆らないことなのだと理解させられた。
彼女を生かしておくのはこの国のためにならない。
何度、排除の選択肢が頭を過ぎったことか。
しかしハリエットにはその権限がなかった。今はイーサン様の臣下であり意思に背くわけにはいかないし、ましてや今後ハリエットはこの国の民ではなくなるのだから。
その事実を悔しいと思わないではないが、私情に流されて判断を誤るような愚か者にはなりたくなかった。
故にこの呼び出しはほんの些細な意趣返しだ。
少しくらい棘のある言葉を向けたって、許されるはず。
「昨日はお楽しみでいらっしゃったと風の噂でお聞きしました。愛されていらっしゃるのですね」
「あらまあ。ご存知でしたの?」
「以前貴女は『皇帝陛下がお優しいから良くしてくださっているに過ぎませんの』とおっしゃっていたのに、この短期間でずいぶん自身がついたご様子。先ほどの言葉、そっくりそのままお返しいたします。わたくしに知らせるための行動だったのでしょう」
「ふふっ、その通りですとも。皇帝陛下のこと、諦めてくださるかと思いまして」
フォークロス伯爵令嬢は悪びれずに笑った。
彼女は本当に意地が悪い。きっとこれが彼女の素で、イーサン様には決してこんな顔は見せないのだ。
だからハリエットも意地悪く笑って見せる。
「イーサン様を諦めるとはどういうことですか?」
「たとえ政略的な関係とはいえ、わたしとつるんで浮き名を流すことになるかも知れない皇帝陛下と縁を結んでも利が低い。そうは思いませんこと?」
「皇族の方と親しくさせていただくことは、どのような事情があったとしても利になります」
「本当にそう考えていらっしゃるようにはわたしは思えませんわねぇ。皇帝陛下がわたしを選んで、いつ切り捨てられるかわかったものではありませんもの」
「なるほど。……なら、心配要りませんね」
フォークロス伯爵令嬢の考えが正しかったとすれば、確かに彼女の行動はハリエットにとって大打撃となっただろう。
だが前提が違うのだから話は別。
勝ち誇っている彼女へ、ここぞとばかりに真実を突きつけてやった。
「何か勘違いなさっているようですが――わたくし、まもなく隣国の王子殿下に嫁ぐことになっているのですよ」
途端に表情が抜け落ち、信じられないものを見る目でこちらを見つめてくるフォークロス伯爵令嬢。
「………………は?」という声は間が抜けていて、少し胸がスッとする。
これでいい。
この顔をさせるためにこの七日間があったのだと、自分を納得させることができた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「何か勘違いなさっているようですが――わたくし、まもなく隣国の王子殿下に嫁ぐことになっているのですよ」
「………………は?」
当たり前のように告げられたその言葉を噛み砕いて、呑み込んで。
やっと理解に至ったミリアは、しかしやはり意味がわからなかった。
隣国に嫁ぐ? ペリン公爵令嬢が??
そんな素振りなんて微塵もなかった。噂だって耳に入っていない。そもそもミリアが皇帝陛下の初恋を奪うことになったのは、彼女が皇妃になるのを妨害するためだったのに、その前提が間違っていた?
「イーサン様に行っていただいた手続きは全て、隣国との縁談の調整。そしてわたくしがフォークロス伯爵令嬢を注視していたのは、あくまで帝国に残る家族に不利益がもたらされないかを確認するためです。祖国が傾いでは政略の駒たるわたくし自身の立場も弱くなりますし」
「政略の駒……?」
基本的な貴族令嬢は、家の利になるよう結婚し、子を成す。
皇家に嫁いだ方がいいからこそペリン公爵令嬢を皇妃にと推す勢力が出来上がったと考えるのが自然だ。彼女が隣国に嫁いでしまうことで貴族界での均衡が崩れやしないのだろうか。
と思ったのだが、ペリン公爵令嬢に丁寧に解説された。
「意外でしたか。幾多の国に戦を仕掛けてきたという噂のイーサン様ですが、一部の国とはきちんと外交を行っているのですよ。友好的かどうかはさておき」
「――――」
「ですからこの国を去るわたくしとしては、貴女が真っ当な皇妃になってくださるなら、イーサン様と愛を育んでいても何も問題ありません。その上で、忠告します」
驚くほど静かな声だった。感情のこもっていない……否、感情を押し込めているかのような。
「身を引くなら今のうちです。皇妃になるのは容易くない。周囲からの反発も当然あります。国を背負える覚悟が、貴女にあるのですか」
なんと答えるべきか、ミリアはしばらく考えた。
正しい答えなんて出せるわけもない。そもそも皇帝陛下の最愛になりたいだけであって、皇妃などなるつもりもなかったのである。
だがペリン公爵令嬢という障害が最初からなかったのなら、皇妃になるのはきっと必須で。
――だとしても、わたしの覚悟は変わらないわ。
「国を背負えるかだなんて、わたしにはわかりません。ですがもしお許しいただけるのなら、皇帝陛下の傍にあり続け、あの方のお力になりたい」
「わたくしの忠告など聞き入れないと、そうおっしゃるのですね」
「ここで身を引くわけには参りませんの」
「そうですか。きっと、後悔しますよ」
そうかも知れない。ミリア自身、皇妃になる素質があるなんてとても思えないから。
けれど。
「失礼ながら、それをペリン公爵令嬢から忠告される謂れはございませんわ」
「それもそうですね。ではわたくしはイーサン様の元へ、最後の手続きをしに行くとしましょう」
ペリン公爵令嬢はそれ以上何も言わなかった。
陽光に亜麻色の髪を煌めかせながら、何も言わないままで音もなく歩き出す。
ミリアもまた、その後ろ姿に声をかけることはしなかった。
皇帝陛下との婚約の手続きが済むか否かの運命の日――ミリアの手元に一枚の手紙が届いた。
手紙と言っても宛名などはなく、部屋の扉の前にそっと置かれていたのだ。
鮮やかな橙色の花が添えられた便箋、それに書かれたのはたった一言だった。
『貴女が想いを告げた中庭にて待っている』
――結構粋なお誘いじゃないの。
呼び付けられずとも接触を図るつもりであったが、ますますその気にさせられる。
侍女の仕事が始まる時間にはまだ少し早いので今から行くことにした。
まっすぐ中庭へ向かって歩く。
その間に多くの視線が突き刺さってくるけれど、いちいち関わり合っている暇はないので全て無視だ。
皇家の影からの報告は公開済み。貴族はもちろんあらゆる国民、そして当然この城で勤める者たちも観覧できる状態にあるため、早速城中に噂が駆け巡り始めているらしい。
あの皇帝陛下が異性、それも侍女風情と二人で出かけたのだから話題になるのも仕方ない。向けられるのは視線だけで直接的な悪意やら嫉妬を浴びせかけられないのは、以前の盗難事件の時に大々的に報復したおかげだろうか。
加えて、下手な関わり方をすれば皇帝陛下の不興を買う可能性もある。今のミリアに堂々と文句を言えるのはたった一人しかいない。
さほど時間をかけずに中庭へ着いた。
昇りつつある朝陽が差す中、静かに佇む人物へ、ミリアは朗らかに微笑んだ。
「おはようございます、お待たせしてしまったでしょうか?」
「少しは驚いていただけるかと期待していましたが、期待がはずれてしまったようです」
「普通に考えて皇帝陛下であるなら堂々とわたしを引きずり出せばいいのですもの、隠すおつもりなどさほどなかったでしょうに。あれはきっと第三者に皇帝陛下からわたしへの恋文だと誤認させるためのものですわ」
「……そこまでおわかりなのですね」
「ええ。あなたのお望み通り、一対一でのお話しをしに参りましたのよ――ペリン公爵令嬢」
皇帝陛下やベラ殿下、同時に皇家の影の目すらない場所だ。それでも臆することなく真正面から宿敵と向き合う。
そよ風に亜麻色の髪をたなびかせ、絵に収めたいほど美しい儚げな令嬢。しかしその印象とは裏腹に、橄欖石の瞳に強い感情を秘めている彼女、ハリエット・ペリンと。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ゆったりお話ししたいところですけれど、時間が許しませんので早速本題に入らせていただきますわ。わたしを呼び出したご用件は何でございましょう?」
首を傾げ、あからさまにとぼけて見せる女――ミリア・フォークロス。
小慣れた仕草は彼女が普段からこのように振る舞いながら生きているのだろうというのが窺える。
城での滞在期間中、彼女の動向を見ていたが、フォークロス伯爵令嬢はどこまでも狡猾だった。
巧みな言葉でイーサン様を籠絡。己に好都合な状況に持ち込むべく手を尽くしていた。
彼女がイーサン様の傍に置かれているのは彼の慈悲などではなかったのだ。
その実力は認めるべきなのだろう。
けれども皇妃に相応しいかと言えば断じて否だ。何せ彼女の出自は皇妃として仰ぐには貴族のほとんどが抵抗を感じてしまうに違いないから。
――それでもイーサン様は彼女をお選びになるのでしょうが。
今朝がた影の報告書を読んで、それが覆らないことなのだと理解させられた。
彼女を生かしておくのはこの国のためにならない。
何度、排除の選択肢が頭を過ぎったことか。
しかしハリエットにはその権限がなかった。今はイーサン様の臣下であり意思に背くわけにはいかないし、ましてや今後ハリエットはこの国の民ではなくなるのだから。
その事実を悔しいと思わないではないが、私情に流されて判断を誤るような愚か者にはなりたくなかった。
故にこの呼び出しはほんの些細な意趣返しだ。
少しくらい棘のある言葉を向けたって、許されるはず。
「昨日はお楽しみでいらっしゃったと風の噂でお聞きしました。愛されていらっしゃるのですね」
「あらまあ。ご存知でしたの?」
「以前貴女は『皇帝陛下がお優しいから良くしてくださっているに過ぎませんの』とおっしゃっていたのに、この短期間でずいぶん自身がついたご様子。先ほどの言葉、そっくりそのままお返しいたします。わたくしに知らせるための行動だったのでしょう」
「ふふっ、その通りですとも。皇帝陛下のこと、諦めてくださるかと思いまして」
フォークロス伯爵令嬢は悪びれずに笑った。
彼女は本当に意地が悪い。きっとこれが彼女の素で、イーサン様には決してこんな顔は見せないのだ。
だからハリエットも意地悪く笑って見せる。
「イーサン様を諦めるとはどういうことですか?」
「たとえ政略的な関係とはいえ、わたしとつるんで浮き名を流すことになるかも知れない皇帝陛下と縁を結んでも利が低い。そうは思いませんこと?」
「皇族の方と親しくさせていただくことは、どのような事情があったとしても利になります」
「本当にそう考えていらっしゃるようにはわたしは思えませんわねぇ。皇帝陛下がわたしを選んで、いつ切り捨てられるかわかったものではありませんもの」
「なるほど。……なら、心配要りませんね」
フォークロス伯爵令嬢の考えが正しかったとすれば、確かに彼女の行動はハリエットにとって大打撃となっただろう。
だが前提が違うのだから話は別。
勝ち誇っている彼女へ、ここぞとばかりに真実を突きつけてやった。
「何か勘違いなさっているようですが――わたくし、まもなく隣国の王子殿下に嫁ぐことになっているのですよ」
途端に表情が抜け落ち、信じられないものを見る目でこちらを見つめてくるフォークロス伯爵令嬢。
「………………は?」という声は間が抜けていて、少し胸がスッとする。
これでいい。
この顔をさせるためにこの七日間があったのだと、自分を納得させることができた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「何か勘違いなさっているようですが――わたくし、まもなく隣国の王子殿下に嫁ぐことになっているのですよ」
「………………は?」
当たり前のように告げられたその言葉を噛み砕いて、呑み込んで。
やっと理解に至ったミリアは、しかしやはり意味がわからなかった。
隣国に嫁ぐ? ペリン公爵令嬢が??
そんな素振りなんて微塵もなかった。噂だって耳に入っていない。そもそもミリアが皇帝陛下の初恋を奪うことになったのは、彼女が皇妃になるのを妨害するためだったのに、その前提が間違っていた?
「イーサン様に行っていただいた手続きは全て、隣国との縁談の調整。そしてわたくしがフォークロス伯爵令嬢を注視していたのは、あくまで帝国に残る家族に不利益がもたらされないかを確認するためです。祖国が傾いでは政略の駒たるわたくし自身の立場も弱くなりますし」
「政略の駒……?」
基本的な貴族令嬢は、家の利になるよう結婚し、子を成す。
皇家に嫁いだ方がいいからこそペリン公爵令嬢を皇妃にと推す勢力が出来上がったと考えるのが自然だ。彼女が隣国に嫁いでしまうことで貴族界での均衡が崩れやしないのだろうか。
と思ったのだが、ペリン公爵令嬢に丁寧に解説された。
「意外でしたか。幾多の国に戦を仕掛けてきたという噂のイーサン様ですが、一部の国とはきちんと外交を行っているのですよ。友好的かどうかはさておき」
「――――」
「ですからこの国を去るわたくしとしては、貴女が真っ当な皇妃になってくださるなら、イーサン様と愛を育んでいても何も問題ありません。その上で、忠告します」
驚くほど静かな声だった。感情のこもっていない……否、感情を押し込めているかのような。
「身を引くなら今のうちです。皇妃になるのは容易くない。周囲からの反発も当然あります。国を背負える覚悟が、貴女にあるのですか」
なんと答えるべきか、ミリアはしばらく考えた。
正しい答えなんて出せるわけもない。そもそも皇帝陛下の最愛になりたいだけであって、皇妃などなるつもりもなかったのである。
だがペリン公爵令嬢という障害が最初からなかったのなら、皇妃になるのはきっと必須で。
――だとしても、わたしの覚悟は変わらないわ。
「国を背負えるかだなんて、わたしにはわかりません。ですがもしお許しいただけるのなら、皇帝陛下の傍にあり続け、あの方のお力になりたい」
「わたくしの忠告など聞き入れないと、そうおっしゃるのですね」
「ここで身を引くわけには参りませんの」
「そうですか。きっと、後悔しますよ」
そうかも知れない。ミリア自身、皇妃になる素質があるなんてとても思えないから。
けれど。
「失礼ながら、それをペリン公爵令嬢から忠告される謂れはございませんわ」
「それもそうですね。ではわたくしはイーサン様の元へ、最後の手続きをしに行くとしましょう」
ペリン公爵令嬢はそれ以上何も言わなかった。
陽光に亜麻色の髪を煌めかせながら、何も言わないままで音もなく歩き出す。
ミリアもまた、その後ろ姿に声をかけることはしなかった。
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