13 / 35
第十三話 ハリエット・ペリン公爵令嬢の来訪①
しおりを挟む
皇帝陛下は見かけによらず、甘いものが好物だと教えられた。
趣味は特になく、仕事に追われてつまらない日々を過ごしていると聞かされた。剣の素振りは趣味ではないらしい。
一つ知るごとに、攻略方法が増えていく。
恋愛というものにおいて胃袋を掴むのが有効的と聞いたことがあるから、菓子でも作れば好感度が上がるのではないかとか、つまらない日常を彩るような特別な出来事を提供するというのはどうだろう?などという風に。
そうして情報を得られたら実行するのみだ。
しかし、そんな矢先――ベラ殿下の口から思わぬ人物の来訪を知らされた。
「明日、ハリエット・ペリン公爵令嬢が兄に会いにいらっしゃるって」
「………………ペリン公爵令嬢、ですの」
「知らない? 名前はミリアも聞いたことがあるんじゃないかしら。せっかくだから彼女とお茶会をしたいの。準備をお願いね」
ふわふわとした微笑と共に告げられて、ミリアは「げっ」と呻いてしまいそうになる。
「存じてはいますわ」と答えた声に嫌悪が滲み出てなければいいなと思った。
ペリン公爵家のハリエット嬢といえば、社交界のコソ泥などと陰口を囁かれる似非令嬢のミリアとは反対に、才色兼備な淑女の鑑と呼ぶべき存在だ。ミリアも何度か茶会などで顔を合わせたことがある。
褒めそやされている割にはツンと澄ました態度の典型的なお貴族様だったためあまり好印象を抱かなかったが。
さらに、皇帝陛下の婚約者候補として最有力とされる彼女はミリアが皇帝陛下を落とさなければならなくなった理由でもある。
諸悪の根源とまでは言わないが、面倒ごとが舞い込んできたのは紛れもなく彼女のせいである。
――冷静に考えると、いや、冷静に考えないでもわたしが不利にならない?
皇帝陛下の籠絡がうまくいきはじめた時に恋敵――と言っても、所詮ハリエット嬢と皇帝陛下の婚約が結ばれるとして政略でしかないだろうけれど――が現れるなんて最悪だった。
ベラ殿下曰く『婚約についての話』をしにくるらしい。ということはまだ婚約は本決まりではないのだろう。一度そうなってしまったら今までの全てが破綻する。
「それだけは絶対に避けないと……」
最愛になったって愛人では意味がない。
婚約の話を反故にしようと皇帝陛下が思うくらいでなければ。
「何か言った?」
「いえ。明日のご準備、お手伝いいたしますわね」
ペリン公爵令嬢と向かい合うのは、本当は最愛の座が確定してからが良かった。
だが明日来るというのだから仕方ない。
どうにかしてペリン公爵令嬢と皇帝陛下の婚約を阻止してやろう。ミリアは密かに決心した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
城には普段、あまり人が出入りしない。
皇帝陛下とベラ殿下、宰相くらいなものである。使用人や護衛は辞職するまで住み込みで働くし、客人は滅多にやってこない。
だから歓迎の準備をするのはこれが初めてである。
筆頭公爵家の令嬢を迎え入れるともなれば手抜きは許されない。掃除等の汚れ仕事は全て下働きが担当するが、侍女は客人への紅茶と茶菓子を厳選したり、ベラ殿下の身支度を念入りにする必要があった。
ドレスは昼間の茶会に相応しい、晴れやかな青。首元を真珠で飾れば出来上がりだ。
それから一度自室に戻ってミリア自身の装いも整える。
ただの侍女でいるよりも、自分こそが皇帝陛下の最愛たり得るのだと強く主張するような、誰もが目を奪われる人形のような美しい令嬢の姿の方がいいだろうと考えてのことだった。
「よし、できた」
四人ぽっちの侍女、それから大勢の下働きが慌ただしく廊下を行き交う中で皇帝陛下の気配を探すが、どこにも見当たらない。今日ばかりは監視をやめて謁見の間でペリン公爵令嬢を待っているのだろうか。
まあ、いい。その方がむしろ今は助かる。だって、皇帝陛下にいいように見られることを今だけは考えずに済むのだ。
仕事をするふりをしてさりげなく窓から城の入り口にあたる門を見下ろしていると、一台の馬車がやって来て停まった。
ミリアが社交界に赴くために使用していたフォークロス家の馬車とは比べ物にならない華やかさだ。
――来た。
馬車の扉を開けて静かに降り立つのは、真紅のドレスが目を引く令嬢。
遠目からなので顔は伺えなかった。けれども間違いない。静かで上品な歩み方にはしっかりと既視感がある。
城内を駆け巡るハリエット・ペリン公爵令嬢の到着の報を聞く前に、ミリアはベラ殿下の元へと急いだ。
「ベラ殿下、ペリン公爵令嬢がいらっしゃったようです」
「わかった。お出迎えに参りましょう」
「ご一緒いたしますわ」
皇帝陛下より先にベラ殿下はペリン公爵令嬢と顔を合わせたがっていた。
お茶会の誘いをするためだ。帰りがけに声をかけたのでは断られてしまうかも知れないので、事前に約束を取り付けておくのだ。
もちろんミリアもついていく。牽制するなら皇帝陛下とペリン公爵令嬢が顔を合わせる前が一番効果的だろうから。
――皇妹と公爵令嬢の会話に侍女ごときが口を挟むのはなかなか難しいと思うけど、力づくでも入り込むしかないわね。
城のエントランスホール。
豪華な絵画や置物が飾られているその場所にて、ベラ殿下の背後に立ち、客人と相対した。
「ごきげんよう。はるばるお越しくださってありがとう。兄に代わってお出迎えするわ」
「皇妹ベラ・メレス・アーノルド様にお迎えいただけましたこと、光栄に存じます。ペリン公爵家のハリエットでございます」
橄欖石のようなペリン公爵令嬢の切れ長の瞳が、静かにこちらへ向けられる。
さらさらとした亜麻色の髪。玉のような白い肌。背丈は平均的でベラ殿下と比較すると少し低いがミリアと比べればずいぶん高い。
淑女の礼は一切の乱れがなく美しかった。
ベラ殿下のお付きとして控える侍女はミリアを含めて二人。しかしペリン公爵令嬢の圧倒的な気品にやられて動けなくなったので、実質三人になった。
そして――柔らかな微笑みを浮かべるベラ殿下と、口元を扇で覆い隠したハリエット嬢の言葉が交わされる。
「ちょうどいいお茶の葉が手に入ったから、ぜひハリエット嬢とお茶会をしたいと考えているのだけど。いかが?」
「お茶会を? ベラ様のお望みとあらば喜んで。ですがイーサン様とお会いした後になりますけれど、それでもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん!」
「ならばお茶会、参加いたします」
「良かった。お話ししたいことがたくさんあるの。……たとえば、あの兄についてとか」
ベラ殿下がつけ加えた一言で話の流れが変わった。
それを肌で感じたミリアは悟る。
ここからが自分の戦いだ、と。
「わたしも気になりますわ」
割り込むならここしかない。
無礼なのは承知の上。ほんの少し前のめりになって、声を上げた。
趣味は特になく、仕事に追われてつまらない日々を過ごしていると聞かされた。剣の素振りは趣味ではないらしい。
一つ知るごとに、攻略方法が増えていく。
恋愛というものにおいて胃袋を掴むのが有効的と聞いたことがあるから、菓子でも作れば好感度が上がるのではないかとか、つまらない日常を彩るような特別な出来事を提供するというのはどうだろう?などという風に。
そうして情報を得られたら実行するのみだ。
しかし、そんな矢先――ベラ殿下の口から思わぬ人物の来訪を知らされた。
「明日、ハリエット・ペリン公爵令嬢が兄に会いにいらっしゃるって」
「………………ペリン公爵令嬢、ですの」
「知らない? 名前はミリアも聞いたことがあるんじゃないかしら。せっかくだから彼女とお茶会をしたいの。準備をお願いね」
ふわふわとした微笑と共に告げられて、ミリアは「げっ」と呻いてしまいそうになる。
「存じてはいますわ」と答えた声に嫌悪が滲み出てなければいいなと思った。
ペリン公爵家のハリエット嬢といえば、社交界のコソ泥などと陰口を囁かれる似非令嬢のミリアとは反対に、才色兼備な淑女の鑑と呼ぶべき存在だ。ミリアも何度か茶会などで顔を合わせたことがある。
褒めそやされている割にはツンと澄ました態度の典型的なお貴族様だったためあまり好印象を抱かなかったが。
さらに、皇帝陛下の婚約者候補として最有力とされる彼女はミリアが皇帝陛下を落とさなければならなくなった理由でもある。
諸悪の根源とまでは言わないが、面倒ごとが舞い込んできたのは紛れもなく彼女のせいである。
――冷静に考えると、いや、冷静に考えないでもわたしが不利にならない?
皇帝陛下の籠絡がうまくいきはじめた時に恋敵――と言っても、所詮ハリエット嬢と皇帝陛下の婚約が結ばれるとして政略でしかないだろうけれど――が現れるなんて最悪だった。
ベラ殿下曰く『婚約についての話』をしにくるらしい。ということはまだ婚約は本決まりではないのだろう。一度そうなってしまったら今までの全てが破綻する。
「それだけは絶対に避けないと……」
最愛になったって愛人では意味がない。
婚約の話を反故にしようと皇帝陛下が思うくらいでなければ。
「何か言った?」
「いえ。明日のご準備、お手伝いいたしますわね」
ペリン公爵令嬢と向かい合うのは、本当は最愛の座が確定してからが良かった。
だが明日来るというのだから仕方ない。
どうにかしてペリン公爵令嬢と皇帝陛下の婚約を阻止してやろう。ミリアは密かに決心した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
城には普段、あまり人が出入りしない。
皇帝陛下とベラ殿下、宰相くらいなものである。使用人や護衛は辞職するまで住み込みで働くし、客人は滅多にやってこない。
だから歓迎の準備をするのはこれが初めてである。
筆頭公爵家の令嬢を迎え入れるともなれば手抜きは許されない。掃除等の汚れ仕事は全て下働きが担当するが、侍女は客人への紅茶と茶菓子を厳選したり、ベラ殿下の身支度を念入りにする必要があった。
ドレスは昼間の茶会に相応しい、晴れやかな青。首元を真珠で飾れば出来上がりだ。
それから一度自室に戻ってミリア自身の装いも整える。
ただの侍女でいるよりも、自分こそが皇帝陛下の最愛たり得るのだと強く主張するような、誰もが目を奪われる人形のような美しい令嬢の姿の方がいいだろうと考えてのことだった。
「よし、できた」
四人ぽっちの侍女、それから大勢の下働きが慌ただしく廊下を行き交う中で皇帝陛下の気配を探すが、どこにも見当たらない。今日ばかりは監視をやめて謁見の間でペリン公爵令嬢を待っているのだろうか。
まあ、いい。その方がむしろ今は助かる。だって、皇帝陛下にいいように見られることを今だけは考えずに済むのだ。
仕事をするふりをしてさりげなく窓から城の入り口にあたる門を見下ろしていると、一台の馬車がやって来て停まった。
ミリアが社交界に赴くために使用していたフォークロス家の馬車とは比べ物にならない華やかさだ。
――来た。
馬車の扉を開けて静かに降り立つのは、真紅のドレスが目を引く令嬢。
遠目からなので顔は伺えなかった。けれども間違いない。静かで上品な歩み方にはしっかりと既視感がある。
城内を駆け巡るハリエット・ペリン公爵令嬢の到着の報を聞く前に、ミリアはベラ殿下の元へと急いだ。
「ベラ殿下、ペリン公爵令嬢がいらっしゃったようです」
「わかった。お出迎えに参りましょう」
「ご一緒いたしますわ」
皇帝陛下より先にベラ殿下はペリン公爵令嬢と顔を合わせたがっていた。
お茶会の誘いをするためだ。帰りがけに声をかけたのでは断られてしまうかも知れないので、事前に約束を取り付けておくのだ。
もちろんミリアもついていく。牽制するなら皇帝陛下とペリン公爵令嬢が顔を合わせる前が一番効果的だろうから。
――皇妹と公爵令嬢の会話に侍女ごときが口を挟むのはなかなか難しいと思うけど、力づくでも入り込むしかないわね。
城のエントランスホール。
豪華な絵画や置物が飾られているその場所にて、ベラ殿下の背後に立ち、客人と相対した。
「ごきげんよう。はるばるお越しくださってありがとう。兄に代わってお出迎えするわ」
「皇妹ベラ・メレス・アーノルド様にお迎えいただけましたこと、光栄に存じます。ペリン公爵家のハリエットでございます」
橄欖石のようなペリン公爵令嬢の切れ長の瞳が、静かにこちらへ向けられる。
さらさらとした亜麻色の髪。玉のような白い肌。背丈は平均的でベラ殿下と比較すると少し低いがミリアと比べればずいぶん高い。
淑女の礼は一切の乱れがなく美しかった。
ベラ殿下のお付きとして控える侍女はミリアを含めて二人。しかしペリン公爵令嬢の圧倒的な気品にやられて動けなくなったので、実質三人になった。
そして――柔らかな微笑みを浮かべるベラ殿下と、口元を扇で覆い隠したハリエット嬢の言葉が交わされる。
「ちょうどいいお茶の葉が手に入ったから、ぜひハリエット嬢とお茶会をしたいと考えているのだけど。いかが?」
「お茶会を? ベラ様のお望みとあらば喜んで。ですがイーサン様とお会いした後になりますけれど、それでもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん!」
「ならばお茶会、参加いたします」
「良かった。お話ししたいことがたくさんあるの。……たとえば、あの兄についてとか」
ベラ殿下がつけ加えた一言で話の流れが変わった。
それを肌で感じたミリアは悟る。
ここからが自分の戦いだ、と。
「わたしも気になりますわ」
割り込むならここしかない。
無礼なのは承知の上。ほんの少し前のめりになって、声を上げた。
1
お気に入りに追加
53
あなたにおすすめの小説
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました
鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。
素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。
とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。
「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」
【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください
楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。
ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。
ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……!
「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」
「エリサ、愛してる!」
ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。


聖女は聞いてしまった
夕景あき
ファンタジー
「道具に心は不要だ」
父である国王に、そう言われて育った聖女。
彼女の周囲には、彼女を心を持つ人間として扱う人は、ほとんどいなくなっていた。
聖女自身も、自分の心の動きを無視して、聖女という治癒道具になりきり何も考えず、言われた事をただやり、ただ生きているだけの日々を過ごしていた。
そんな日々が10年過ぎた後、勇者と賢者と魔法使いと共に聖女は魔王討伐の旅に出ることになる。
旅の中で心をとり戻し、勇者に恋をする聖女。
しかし、勇者の本音を聞いてしまった聖女は絶望するのだった·····。
ネガティブ思考系聖女の恋愛ストーリー!
※ハッピーエンドなので、安心してお読みください!
いつか彼女を手に入れる日まで
月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる