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第三十七話 本当に好きになったかも知れない
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「ジェイミー、泣いているのか?」
その声でジェイミーはハッと我に返った。
ここが王宮の薔薇が咲き乱れる庭園であること。そして今まで自分は、義姉を恨んで泣いていたこと。
それと――。
「は、ハドムン様っ!」
声の主は、自分の婚約者であるハドムン第一王子だった。
慌てて顔を上げる。目の周りには涙が光り、なんともみっともない。
……というか、今の全部聞かれてた?
ふとそのことに思い至り、ジェイミーは心臓が飛び出しそうになる。
義姉への恨み言やら何やら全部聞かれていたとしたらまずい……! そう思って庭園中を見回したら使用人がたくさん。
うわっ、サイテー。その言葉をなんとか呑み込み、ジェイミーは動揺を隠して笑った。
「わ、わたしに何のご用事ですの、ハドムン様。今朝も何か悪い夢でも見ていらして?」
咄嗟に口から出たのは、心配を装った誤魔化しの言葉だった。
最近、ハドムンは夢見が悪いらしい。おそらくグレースに関することではないかとジェイミーは考え、その度に胸を怒りで煮えたぎらせているのだ。
引き離し、別れてもなお彼の心を自分へ向けさせようとする義姉が怖かったというのが本当のところだろう。
しかし彼はジェイミーの内心など知るはずもなく、優しく語りかけてきた。
「何も気に病むことはない、何かあったのか?」
「別に……。ただ、お義姉様を思い出しただけですわ。何の心配も要りませんの」
ジェイミーは自分の笑顔がこわばっていることに気づかない。
その瞳に宿るのは、恐怖だった。
自分では幸せを掴むことはできないんだ。
どうせ、お義姉様に全てを奪われる。だって今まで彼女の物を奪って来たんだから当然だ。
でもそれは彼女が自分より優れていたから。……そんなことで婚約者を奪った自分を、義姉は絶対に許さないだろう。
ああ……きっとわたしに未来はないんだわ。この目の前にいる男と、没落していくしか。
そう思うと拭ったはずの涙がまた溢れ出す。
その時――突然、強く抱きしめられた。
「ジェイミー」
ハドムン王子だ。ハドムン王子が、ジェイミーの頬にキスを落とす。
でもこんな男、廃太子になるような頭の悪いこの男に優しくされたって、何の意味もないというのに。
「君は私の天使だ。だから絶対に、守ってやる」
嘘だ。嘘に決まっている。
もうすぐこの国は戦争になる。王妃様は戦争にならせないために、王弟殿下の娘をハーピー公爵家の令息と婚約させようと言っているらしい。
そうなったらジェイミーは厄介払いされる。侯爵家だって見放される。
嫌だ嫌だ嫌だ。
どうせ、こんな男が守ってくれるはずがない。だって、この男が自分を選んだのは自分が彼を騙したからにすぎない。その嘘が公になってしまったら。
色々な考えが頭を駆け巡った。なのに、胸は不安でいっぱいなのに、なぜか自分を抱く彼のことを受け入れてしまっていて。
「…………」
わたしは天使なんかじゃないと言ってやりたかった。
自分は義姉を貶めた悪魔なのだと、言ってしまいたい。でも怖くてそれができなくて、この温もりに全て身を預けてしまいたくなって。
「本当に……、本当に、ハドムン様はわたしのこと、好きなんですの?」
「ああ」
「例えばわたしがお義姉様より劣っていても? どんなに醜い女でも、許してくれますか?」
弱々しく問いかけるジェイミーに、ハドムンは笑顔で肯定する。
先ほどまでの醜態を彼は見ていただろう。それでも彼は、こんなことを言うのか。
「王妃様に言われたんですの。わたし、王太子妃には相応しくないって。だから……」
その先は言葉が続けられなかった。
義姉を傷つけておいて、この男から奪っておいて、彼に泣き縋る自分はなんと非道なのだろうかと思った。でも彼に縋り付くしかジェイミーには道がなくて。
「なれるさ。母上がなんと言おうと、君ならなれる。だから信じろジェイミー。私もできうる限り、支えてやる。一生、約束だ。――愛してる」
薔薇の咲き乱れる庭園に、涼しい風が吹き抜けた。
こんな言葉をもらっても気休めでしかないことくらい、ジェイミーだってわかっている。なのに……。
「はい、ハドムン様」
ジェイミーはこの時初めて、この男を――ハドムン王太子を、悪くないなと思ってしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「わたしの馬鹿。本気で好きになっちゃうなんて……」
今まで義姉の上に立つための道具としか思っていなかったはずなのに。
何の意味もない優しさをかけられて、黒い瞳で見つめられて、優しく微笑まれて……ジェイミーは落ちてしまった。
その事実に愕然とすると共に、今まで悩んでいた事柄が一気にどうでも良く思えてきた。
王妃にならなくたって、義姉の上に立つ方法はある。
彼女より幸せになればいいのだ。
ハドムンは正直言って無能だが、好きになってしまったのだから仕方ない。
彼のために頑張らなくてはならない。悲しんでいたジェイミーを励ましてくれたように、ジェイミーも彼に力づけなければいけないだろう。
ハドムンと一緒に幸せを掴み取ろう。そのためなら何だってしてみせる。
そうして彼女は空色の瞳を輝かせ、決意を固めてしまった。
恋は時に人を狂わせる。そのことをジェイミーは知らなかったのだ。
その声でジェイミーはハッと我に返った。
ここが王宮の薔薇が咲き乱れる庭園であること。そして今まで自分は、義姉を恨んで泣いていたこと。
それと――。
「は、ハドムン様っ!」
声の主は、自分の婚約者であるハドムン第一王子だった。
慌てて顔を上げる。目の周りには涙が光り、なんともみっともない。
……というか、今の全部聞かれてた?
ふとそのことに思い至り、ジェイミーは心臓が飛び出しそうになる。
義姉への恨み言やら何やら全部聞かれていたとしたらまずい……! そう思って庭園中を見回したら使用人がたくさん。
うわっ、サイテー。その言葉をなんとか呑み込み、ジェイミーは動揺を隠して笑った。
「わ、わたしに何のご用事ですの、ハドムン様。今朝も何か悪い夢でも見ていらして?」
咄嗟に口から出たのは、心配を装った誤魔化しの言葉だった。
最近、ハドムンは夢見が悪いらしい。おそらくグレースに関することではないかとジェイミーは考え、その度に胸を怒りで煮えたぎらせているのだ。
引き離し、別れてもなお彼の心を自分へ向けさせようとする義姉が怖かったというのが本当のところだろう。
しかし彼はジェイミーの内心など知るはずもなく、優しく語りかけてきた。
「何も気に病むことはない、何かあったのか?」
「別に……。ただ、お義姉様を思い出しただけですわ。何の心配も要りませんの」
ジェイミーは自分の笑顔がこわばっていることに気づかない。
その瞳に宿るのは、恐怖だった。
自分では幸せを掴むことはできないんだ。
どうせ、お義姉様に全てを奪われる。だって今まで彼女の物を奪って来たんだから当然だ。
でもそれは彼女が自分より優れていたから。……そんなことで婚約者を奪った自分を、義姉は絶対に許さないだろう。
ああ……きっとわたしに未来はないんだわ。この目の前にいる男と、没落していくしか。
そう思うと拭ったはずの涙がまた溢れ出す。
その時――突然、強く抱きしめられた。
「ジェイミー」
ハドムン王子だ。ハドムン王子が、ジェイミーの頬にキスを落とす。
でもこんな男、廃太子になるような頭の悪いこの男に優しくされたって、何の意味もないというのに。
「君は私の天使だ。だから絶対に、守ってやる」
嘘だ。嘘に決まっている。
もうすぐこの国は戦争になる。王妃様は戦争にならせないために、王弟殿下の娘をハーピー公爵家の令息と婚約させようと言っているらしい。
そうなったらジェイミーは厄介払いされる。侯爵家だって見放される。
嫌だ嫌だ嫌だ。
どうせ、こんな男が守ってくれるはずがない。だって、この男が自分を選んだのは自分が彼を騙したからにすぎない。その嘘が公になってしまったら。
色々な考えが頭を駆け巡った。なのに、胸は不安でいっぱいなのに、なぜか自分を抱く彼のことを受け入れてしまっていて。
「…………」
わたしは天使なんかじゃないと言ってやりたかった。
自分は義姉を貶めた悪魔なのだと、言ってしまいたい。でも怖くてそれができなくて、この温もりに全て身を預けてしまいたくなって。
「本当に……、本当に、ハドムン様はわたしのこと、好きなんですの?」
「ああ」
「例えばわたしがお義姉様より劣っていても? どんなに醜い女でも、許してくれますか?」
弱々しく問いかけるジェイミーに、ハドムンは笑顔で肯定する。
先ほどまでの醜態を彼は見ていただろう。それでも彼は、こんなことを言うのか。
「王妃様に言われたんですの。わたし、王太子妃には相応しくないって。だから……」
その先は言葉が続けられなかった。
義姉を傷つけておいて、この男から奪っておいて、彼に泣き縋る自分はなんと非道なのだろうかと思った。でも彼に縋り付くしかジェイミーには道がなくて。
「なれるさ。母上がなんと言おうと、君ならなれる。だから信じろジェイミー。私もできうる限り、支えてやる。一生、約束だ。――愛してる」
薔薇の咲き乱れる庭園に、涼しい風が吹き抜けた。
こんな言葉をもらっても気休めでしかないことくらい、ジェイミーだってわかっている。なのに……。
「はい、ハドムン様」
ジェイミーはこの時初めて、この男を――ハドムン王太子を、悪くないなと思ってしまった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「わたしの馬鹿。本気で好きになっちゃうなんて……」
今まで義姉の上に立つための道具としか思っていなかったはずなのに。
何の意味もない優しさをかけられて、黒い瞳で見つめられて、優しく微笑まれて……ジェイミーは落ちてしまった。
その事実に愕然とすると共に、今まで悩んでいた事柄が一気にどうでも良く思えてきた。
王妃にならなくたって、義姉の上に立つ方法はある。
彼女より幸せになればいいのだ。
ハドムンは正直言って無能だが、好きになってしまったのだから仕方ない。
彼のために頑張らなくてはならない。悲しんでいたジェイミーを励ましてくれたように、ジェイミーも彼に力づけなければいけないだろう。
ハドムンと一緒に幸せを掴み取ろう。そのためなら何だってしてみせる。
そうして彼女は空色の瞳を輝かせ、決意を固めてしまった。
恋は時に人を狂わせる。そのことをジェイミーは知らなかったのだ。
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