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第三十三話 伯爵夫人の訪問

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 それは突然の出来事だった。

 朝早く、グレースがギルドへ向かう準備をしていたところ、オーネッタ男爵夫人が転がり込んで来たのだ。
 いつもはこんな時間に彼女が来ることはない。何か火急の用事でもあったのかと思い、グレースは慌てて戸口へ走った。

「オーネッタ男爵夫人、おはようございます。今日はどのようなご用件ですか?」

「グレーさん、大変なのよ。かの大伯爵家、ワードン家のご夫人があなたにお会いしたいと、我が家まで訪ねていらしているの」

 グレースは「えっ」と思わず息を呑んだ。

 ワードン伯爵家は、伯爵家にしては最大の領地を持つ大富豪。
 貴族はもちろんのこと、平民ですら名の知れた有名な伯爵だった。

 それがグレースに会いに?
 わざわざ男爵夫人を通じてこちらに接触を取ったということは、直接我が家の場所は知らないということか。
 相手が敵か味方かわからない以上、正直招きたくはなかった。しかしその要件がわからなければ脅威になる相手であればさらに困った事態にもなりかねない。グレースは決断した。

「では、伝言を頼みます。『ワードン伯爵夫人にお会いしとうございます。大変勝手ではございますが、真昼の刻までお待ちください』――と」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ギルドへ走り、とりあえずは今日は急用ができたことを伝えた。
 セイドはその中身が気になったようだが、男爵夫人たちとお茶会をするのだと言い訳をすれば納得してくれた。いざという時のために彼も呼びつけたいところだが、うっかり会話を聞かれては困るので却下。

 本当ならハーピー公爵家にも伝えた方がいい事柄だが、今から行っていては昼の刻に間に合わない。グレースは仕方なしに後で報告することに決め、まずはワードン伯爵夫人との対峙を優先した。

「一体どんな目的なのか……。もしも味方につけられそうであれば好物件であることは間違いないのですが」

 そう呟きながら部屋を整えているうちに、昼の刻がやって来た。
 ノックの音が響き、グレースの背筋に何か冷たいものが走り抜ける。彼女は再び戸口へ急いだ。

「はい」

 ドアを開けると、そこに立っていたのはもちろんワードン伯爵夫人だった。
 隣にオーネッタ男爵夫人がいないのを見ると、一人でここまで来たに違いない。丸々とした――はっきり言って豚のような体型を重そうに揺らしながら、彼女はにっこり微笑んでこちらに目を向ける。
 しかし目はちっとも笑っていなかった。

「突然お邪魔してしまい、すみませんわねぇ。あたくしはワードン伯爵家夫人のジュリア・ワードンですわぁ」

「初めまして。ワタクシはこの町の冒険者ギルドで女魔道士をやっております、グレーと申します。この度はわざわざこんな辺境まで足を運んでいただき、誠にありがとうございます」

 夫人の挨拶に、グレースは見事なカーテシーで答える。
 貴族、それも上流貴族だ。しかも相手の出方がわからない以上、丁寧に接しておくのが一番である。

「ではどうぞ中へ。ワタクシの手で淹れているのでお口に合うかわかりませんか、お茶もご用意いたしております」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あなたの活躍はぁ、大貴族であるあたくしの耳にもちゃぁんと届いていますともぉ。あちらこちらの宝石を掘り当てたり魔獣を駆除したり、とぉっても大助かりなのですわよねぇ。あなたのような立派な女性がこの世の中に増えるといいのにと、あたくし思っていますのよぉ」

「あら。そんなにお褒めいただくと恐縮です。ワタクシ、ただ自分の自由のままに生きると決めたのです。ですからワタクシの行いは特段立派なものではございません」

「それでもとっても素晴らしいことだと思いますわぁ。うちの領地にも冒険者ギルドを作ろうかしらなんてぇ、夫と相談していたんだけどぉ、ならず者が増えるって却下されてしまいましたのよぉ。夫は頭が硬いですからねぇ」

 伯爵夫人と二人きりでの茶会。
 クッキーや茶は事前に自分で用意してある。うっかり毒が盛られてはいけないからとカップや菓子から目を離さないようにしながら、グレースは夫人の話に合わせて適当に喋っていた。

 一体どういうつもりでここまでやって来たのか、まだ読めない。楽しげに話をする子豚夫人を見つめながらグレースは警戒をさらに高めていた。

「それでそれでぇ、あなたを夫に一度会わせれば、きっと気も変わってくれると思いますのよぉ。ぜひぜひ、うちの領地に遊びにいらしてぇ?」

「……申し訳ございません。ワタクシ、日々の活動が忙しく、そこまでお時間を取ることができません。それに、ワードン伯爵様にお会いするだなんて恐縮すぎて考えるだけで倒れてしまいます」

 淑女の微笑みを貼り付けてそう言った瞬間、今までとろけるような顔だったワードン夫人の表情が変わった。
 目つきが鋭くなり、僅かにこちらを威嚇する。平民であればわからないだろうが、これは貴族が不満を表す時の仕草だ。口元にやっていた扇をバタンと音を立てて閉じるのも、明らかな不服の表現である。
 しかし夫人の声の調子は先ほどと変わらず、あくまで猫撫で声を出した。

「お願いしますわぁ。どうしても、来ていただきたいんですのよぉ。こちらはできる限りの大歓迎をしますからぁ。……よろしいですわよねぇ?」

 ――その言葉だけで彼女の訪問理由を察するのは簡単だった。
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