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【A章:ダンサー飲ザダーク】
2、3「箱庭」
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2
〈死霊のハラワタ〉は『死霊のはらわた(=死者の心のうち)を知ること』を理念とする団体だ。その活動内容は、純粋な心霊主義の実践と謳われている。
心霊主義とは、創始者アラン・カルデックによれば『霊の実在、顕在、教示を基盤とする教義』とされる。
発端は一八四八年、ニューヨーク州ハイズヴィルの農場に暮らすフォックス家において、霊との交信が始まった。農場ではずっと心霊現象が続いていたが、この一家はあるとき、霊が羽目板や家具を叩く音を利用することで、会話を成立させられると気付いたのだ。結果、霊はこの家の昔の住人に殺された行商人であると分かり、地下から彼の遺骨や所持品が出てきた。
この話は瞬く間にアメリカ全土に広まり、フォックス家の娘たちは音を介して霊と交信する霊媒師として活動した。その影響から、それまで自覚を持っていなかった霊媒が各地で名乗りを上げ、大変なセンセーションが起きた。一八五四年には既に一万人以上の霊媒と、それに従う三百万人以上の信者がいたと云う。
アメリカの霊媒の宣教団は早々にイギリス全土を回り、同じく人々の関心を心霊術一色に染める。流行は間もなくドイツやフランスにも及び、科学アカデミーまで巻き込む騒ぎに発展。あらゆるサロンで論争が起こり、みなが心霊実験に躍起になった。
そんななか、アラン・カルデックの登場によって心霊現象や心霊術の体系的理論が構築されると、人類の新たなる啓示――心霊主義が、その名を轟かせたというわけだ。
心霊主義は科学であり、思想であり、運動であり、宗教である。霊とは死を通過した存在であり、生者が及び知らない領域を知っているのだから、彼らから得る教えはこの世の真実を紐解く大きな助けとなる。あるいは、それほど高邁な目的でなくともいい。亡くなった親しき者との繋がりを求めることもあれば、単純な好奇心から参加することだってある。これが学者や医師、宗教家に限らず、多くの人々を惹く理由だ。
この国では心霊主義があまり普及していないが、それでも〈死霊のハラワタ〉にはおよそ八十万人の会員がいる。国内で活動する有力な団体のうち、最大規模だ。ほとんどは真面目な会員だし、特段問題のある組織という認識はどこからも持たれていない。
表向きには。
3
西戴天京支部は興需区にあった。住宅街の奥まった場所に、二階建ての本館、三階建ての宿泊棟、広い庭と駐車場を備え、周囲は白い塀に囲まれている。義吟は当然として、俺と亜愛も訪れるのは初めてだ。
正門の前を通り過ぎ、俺達のキャンピングカーは裏門から敷地内に這入った。本館入口に近いところで降車させられる。駐車場には数える程度しか車が停まっていない。
「現在、こちらの支部への訪問は控えさせていますの」
翠がそう説明した。館内には事務職員が数名いるだけらしい。
本館は直方体の白い箱で、目立った意匠は凝らされていない。窓の数も少なく、カーテンが閉まっている。どんな施設なのか、外から見て判断することは不能だ。
俺達は本館の受付で警備員からボディチェックを受け、携帯を取り上げられ、記帳までさせられた。それから仇鳴と翠に連れられて、薄暗い館内を奥へと進んでいった。キャンピングカーを運転していた男は離脱した。
廊下を何度も曲がり、途中、翠が持つカードキーによって開けた扉をくぐると、そこで様相がガラリと変わる。ずっと病院か研究所みたく無機質調だった廊下が、宮殿みたいに華やかとなった。蛍光灯の代わりに小さなシャンデリアが吊るされ、壁には絵画が掛けられ、床には赤絨毯が敷かれている。
「此処からは、羽衣様が生活されている区画ですわ」
「誰だ、羽衣というのは」
「暮れの羽衣――西戴天京支部を代表するカリスマ霊媒だよ」と、仇鳴が答えた。
〈死霊のハラワタ〉は何百人もの霊媒を抱えており、いずれかの支部に専属とさせている場合が多い。そして高度な能力を持つ者は、支部で生活していることも珍しくない。
「西戴天京支部には他にも霊媒がいるが、羽衣には敵わん。彼女は天才型だ。自動書記も物質化もテーブル浮揚も行えるし、その真骨頂は高度な入神にある。此処での入神講演は大変な人気を博している」
「入神とはなんですか?」
義吟の問いには、俺が答えることにする。
「簡単に云えば、霊を自分に憑依させて喋らすことだ。入神講演はその状態で行う講演だよ。人の興味を惹きやすいからな、テーブル浮揚と並んで、心霊主義の宣伝に重宝される」
「もしかして、口寄せみたいなことですか?」
「この国ではそう呼ばれるね。他にも神降ろしとか、天言通とか」
「へえ。義吟たちはこれから、その人に会うのですか?」
「そうだ」と仇鳴。
亜愛は施設に這入ってから、ずっと黙っている。ただし、目を伏せたり、俺の陰に隠れたりはせず、その振舞いは堂々としている。肩に力が入っているのも分かるが……。
廊下を曲がると、奥からもスーツ姿の男が歩いてきた。彼は互いの距離が三メートルほどのところで立ち止まり、深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました」
「彼は峻嶺さん。羽衣様の側近ですの」
年齢は三十代前半だろうか。髪を短く刈り込んでおり、実直そうな顔立ちをしている。細身だけれど、鍛えていることが窺える身体つきだ。
峻嶺の案内でしばらく進み、両開きの扉の前にやって来た。彼は壁のインターホンを鳴らして数秒待ち、反応はないが「問題ありません」と云う。
「なお、羽衣様とお会いになる際、装飾品の類は外していただいています。ピアス、イアリング、ネックレス、指輪、ブレスレットなどはございませんね? 眼鏡は結構です。では仇鳴様、翠様、荻尾様の腕時計と、郷様のカチューシャをこちらにお願いいたします」
「断固拒否します! 義吟はこれを外したら死んでしまいます!」
そんなわけないのでカチューシャは俺が強引に奪い取り、自分の腕時計と一緒に、扉前に設置されたケースに仕舞った。義吟は泣きべそとなり、頭を両手で隠している。
峻嶺がインターホンの横に取り付けられた端末にカードを通すと、カチャリと開錠の音が響く。続いて彼は扉を開き、中に一歩這入って横に退いた。仇鳴と翠に促され、ここは客人である俺と亜愛と義吟が次に這入った。
赤と白を基調とした部屋。壁も天井も華美な装飾を施され、上等な調度品を揃えてある。正面には円卓が置かれ、その向こうの背が高い椅子に、部屋の主は腰掛けていた。
「彼女が、暮れの羽衣様ですわ」と、後ろの翠が紹介した。扉が閉じる音がする。
深紅のドレスに身を包んだ、若い女だ。髪は黒く、前下がりのボブカット。切れ長の目、高い鼻、小さな唇。その美しい相貌には、慈愛を湛えたような微笑が刻まれている。
「貴女が――天亜愛ね?」
見た目のとおり優しそうな声が、そう問うた。
視線の先に立つ亜愛は「ええ」と肯定する。
「貴女のことはよく聞いています。かつての映像も観ています。貴女の能力は素晴らしい。それなのに、現在の貴女はその能力を随分と、俗物的に使っているそうね」
「それがなんだと云うの」
「あまり、褒められたことではありません」
羽衣の眉が悩ましげに寄り、その目が哀しみの色を帯びた。
「私に云わせれば、俗物的なんて表現に、貴女の驕りが表れているわ」
対する亜愛は一歩、前へと進み出た。自分の腕を抱いて言葉を続ける。
「地上で生きる人間には、その役割と使命がある。それらを捨て、生きながらにして霊の世界に在ろうとすることは自然に反する、大きな間違いだわ。間違いは必ず、破滅に通じる。霊媒は、霊媒であるからこそ、決して人の世から離れてはいけないのよ」
「その考えは、私と一致しています。俗物的と云ったのは、たしかに言葉を間違えたかも知れない。けれども探偵というのは、好ましく思われません。それが死者を癒し、生者を正しい道に進ませる仕事と云える?」
亜愛は答えようとしたが、仇鳴が「そこまでだ」と云って打ち切った。彼は大股歩きでゆっくりと迂回し、羽衣の傍で立ち止まった。
「思想を戦わせるために会わせたのではない。羽衣、お前の能力を見せてやりなさい」
羽衣は仇鳴を見上げる。「いいですが、なにを?」と質問。
「テーブル浮揚で充分だろう。このテーブルでいい。できるかね?」
「分かりました」
羽衣は椅子に座したまま、両腕を前方へと垂直に上げた。
薄く開いた両目は円卓の中央を見下ろし、微動だにしない。
「えっ、あれっ?」と、義吟が戸惑いの声を洩らした。
風に吹かれて舞い上がる羽のように、円卓がふわりと床を離れたのだ。
誰も手を触れていない。そのまま、六十センチほどの高さで小さく揺れている。
「浮いているテーブルは好きに調べていいぞ」
仇鳴はそう云いながら、テーブルの上方で片腕を薙ぎ、糸で吊られてなどいないことを示す。卓上に手を着いて押さえつけても、まるで反発するみたく浮揚は続く。
さらに羽衣は垂直に上げた手を、見えないなにかを撫でるようにぐるぐると動かした。すると、その動きに応えてテーブルも空中で回り始めた。
挑発的な羽衣の微笑が、亜愛に投げ掛けられる。
「いかがですか?」
しかし、そこで義吟が「これ、インチキですよ!」と訴えた。
「磁力です。央くん、さっきから急に、磁力が働き始めました!」
「まあ!」と、感嘆の声を上げたのは翠だ。
義吟の体内は精密機器の宝庫である。よって強い磁気を感知すると自動でプロテクトが作動し、彼女自身にはそれが分かる。先ほど声を洩らしたのも、そのせいだったのだろう。
「ということは、床下に電磁石があるんだな。それに電気を通すことで、テーブルの中に埋め込まれた磁石が反発して浮くようになっている。磁力のかけ方によって回転も可能だ。部屋の前で装飾品を外させたのは、それらが磁力に反応するのを防ぐためか」
「よく気付いたな」
ぱち……ぱち……ぱち、と。仇鳴が詰まらなそうに拍手した。
「お前達の云うとおり、これはトリックだ。羽衣に霊能力はない」
テーブルが床に落ちて、大きな音を立てる。
だが、羽衣に悪びれる様子はない。どころか、片手を口元にあてて笑っている。先ほどまでの慈悲深い雰囲気は消え、ただの悪戯好きの女に変わっていた。
俺は仇鳴に問う。
「真骨頂とか云っていた入神も詐欺か。会員を騙して金を取っているんだな?」
「それは違う。私達が本物の霊媒を抱えていることは、お前も知っているだろう」
「じゃあ、どうして能力のない人間を使っている」
「亜愛の失敗から学習したのだよ。能力を持つ者と表に立つ者とは分けるべきだとな」
あてつけのように、仇鳴は視線を亜愛へと向けた。
「テーブル浮揚など余興に過ぎん。重要な入神については、裏で本物の霊媒がおこなっている。それを表で披露するのが羽衣の仕事だ」
「私は女優なの」と羽衣。まんざらでもないらしい。
「ああ。霊媒の能力を行使することと、客向けに振舞うことは、違った才能だからな。交霊はどうしてもムラが大きくなるが、羽衣の演技とトリックはそれを補うこともできる。高い品質を保つのに、実に有効な方法とは思わんかね」
要は、巧妙に真実を混ぜた嘘。それがカリスマ霊媒のからくりか。
交霊をビジネスと考えているこの男らしい。つくづく反吐が出る。
「もっとも、やはり霊媒は消耗品だな。長持ちするようにはなったが、ついに先日、潰れてしまったよ。いま、西戴天京支部には入神ができる霊媒はいない」
「会員やお客様の訪問を控えさせているのも、それが理由ですわ」
翠が補足した。仇鳴が頷いて、再び引き取る。
「自動書記と直接談話の霊媒もいるが不完全でね。お前達に依頼したのはそのためだ。亜愛の能力が衰えていないなら、入神でもなんでも自在だろう?」
「おい――話が違うぞ。依頼はスパイを暴くことのはずだ」
「それを交霊を使ってやれと云っている」
よくも抜け抜けと……。
頭に血が上りそうになるが、駄目だ。冷静でいなければ。
「断る。俺達は手掛かりをもとに推理で解決する」
「分からんな。なぜ亜愛の才能を使おうとしない?」
「そんな便利なものじゃないと云っただろ。交霊ですべてを知れるなら、あの事件の真相もとっくに突き止めてる。そうなってないから、あんたから聞き出そうとしてるんだ」
「ふむ。それをお前達が交霊で知れない理由なら、私には分かるがな」
「なに?」
「だが、それはお前達がスパイを暴いてから話すという取引だ」
馬鹿馬鹿しい。これじゃあ堂々巡りではないか。
そう思っていると、翠が口を開いた。
「仇鳴様、荻尾さんと天さんを彼女に会わせてみてはどうかしら? お二人は、彼女の知り合いと聞きましたもの」
「誰のこと?」
亜愛が、思わずといった調子で訊ねた。
分からない。この支部に俺達の知り合いなんて……。
仇鳴は顎に手をあてて考えていたが、結局は首を縦に振った。
「いいだろう。お前達も、忘れてはいないだろうな。葵都真子のことを」
その名前を聞いた瞬間、俺は頭を思いきり殴られたかのように錯覚した。
きっと亜愛も同じだ。
〈死霊のハラワタ〉は『死霊のはらわた(=死者の心のうち)を知ること』を理念とする団体だ。その活動内容は、純粋な心霊主義の実践と謳われている。
心霊主義とは、創始者アラン・カルデックによれば『霊の実在、顕在、教示を基盤とする教義』とされる。
発端は一八四八年、ニューヨーク州ハイズヴィルの農場に暮らすフォックス家において、霊との交信が始まった。農場ではずっと心霊現象が続いていたが、この一家はあるとき、霊が羽目板や家具を叩く音を利用することで、会話を成立させられると気付いたのだ。結果、霊はこの家の昔の住人に殺された行商人であると分かり、地下から彼の遺骨や所持品が出てきた。
この話は瞬く間にアメリカ全土に広まり、フォックス家の娘たちは音を介して霊と交信する霊媒師として活動した。その影響から、それまで自覚を持っていなかった霊媒が各地で名乗りを上げ、大変なセンセーションが起きた。一八五四年には既に一万人以上の霊媒と、それに従う三百万人以上の信者がいたと云う。
アメリカの霊媒の宣教団は早々にイギリス全土を回り、同じく人々の関心を心霊術一色に染める。流行は間もなくドイツやフランスにも及び、科学アカデミーまで巻き込む騒ぎに発展。あらゆるサロンで論争が起こり、みなが心霊実験に躍起になった。
そんななか、アラン・カルデックの登場によって心霊現象や心霊術の体系的理論が構築されると、人類の新たなる啓示――心霊主義が、その名を轟かせたというわけだ。
心霊主義は科学であり、思想であり、運動であり、宗教である。霊とは死を通過した存在であり、生者が及び知らない領域を知っているのだから、彼らから得る教えはこの世の真実を紐解く大きな助けとなる。あるいは、それほど高邁な目的でなくともいい。亡くなった親しき者との繋がりを求めることもあれば、単純な好奇心から参加することだってある。これが学者や医師、宗教家に限らず、多くの人々を惹く理由だ。
この国では心霊主義があまり普及していないが、それでも〈死霊のハラワタ〉にはおよそ八十万人の会員がいる。国内で活動する有力な団体のうち、最大規模だ。ほとんどは真面目な会員だし、特段問題のある組織という認識はどこからも持たれていない。
表向きには。
3
西戴天京支部は興需区にあった。住宅街の奥まった場所に、二階建ての本館、三階建ての宿泊棟、広い庭と駐車場を備え、周囲は白い塀に囲まれている。義吟は当然として、俺と亜愛も訪れるのは初めてだ。
正門の前を通り過ぎ、俺達のキャンピングカーは裏門から敷地内に這入った。本館入口に近いところで降車させられる。駐車場には数える程度しか車が停まっていない。
「現在、こちらの支部への訪問は控えさせていますの」
翠がそう説明した。館内には事務職員が数名いるだけらしい。
本館は直方体の白い箱で、目立った意匠は凝らされていない。窓の数も少なく、カーテンが閉まっている。どんな施設なのか、外から見て判断することは不能だ。
俺達は本館の受付で警備員からボディチェックを受け、携帯を取り上げられ、記帳までさせられた。それから仇鳴と翠に連れられて、薄暗い館内を奥へと進んでいった。キャンピングカーを運転していた男は離脱した。
廊下を何度も曲がり、途中、翠が持つカードキーによって開けた扉をくぐると、そこで様相がガラリと変わる。ずっと病院か研究所みたく無機質調だった廊下が、宮殿みたいに華やかとなった。蛍光灯の代わりに小さなシャンデリアが吊るされ、壁には絵画が掛けられ、床には赤絨毯が敷かれている。
「此処からは、羽衣様が生活されている区画ですわ」
「誰だ、羽衣というのは」
「暮れの羽衣――西戴天京支部を代表するカリスマ霊媒だよ」と、仇鳴が答えた。
〈死霊のハラワタ〉は何百人もの霊媒を抱えており、いずれかの支部に専属とさせている場合が多い。そして高度な能力を持つ者は、支部で生活していることも珍しくない。
「西戴天京支部には他にも霊媒がいるが、羽衣には敵わん。彼女は天才型だ。自動書記も物質化もテーブル浮揚も行えるし、その真骨頂は高度な入神にある。此処での入神講演は大変な人気を博している」
「入神とはなんですか?」
義吟の問いには、俺が答えることにする。
「簡単に云えば、霊を自分に憑依させて喋らすことだ。入神講演はその状態で行う講演だよ。人の興味を惹きやすいからな、テーブル浮揚と並んで、心霊主義の宣伝に重宝される」
「もしかして、口寄せみたいなことですか?」
「この国ではそう呼ばれるね。他にも神降ろしとか、天言通とか」
「へえ。義吟たちはこれから、その人に会うのですか?」
「そうだ」と仇鳴。
亜愛は施設に這入ってから、ずっと黙っている。ただし、目を伏せたり、俺の陰に隠れたりはせず、その振舞いは堂々としている。肩に力が入っているのも分かるが……。
廊下を曲がると、奥からもスーツ姿の男が歩いてきた。彼は互いの距離が三メートルほどのところで立ち止まり、深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました」
「彼は峻嶺さん。羽衣様の側近ですの」
年齢は三十代前半だろうか。髪を短く刈り込んでおり、実直そうな顔立ちをしている。細身だけれど、鍛えていることが窺える身体つきだ。
峻嶺の案内でしばらく進み、両開きの扉の前にやって来た。彼は壁のインターホンを鳴らして数秒待ち、反応はないが「問題ありません」と云う。
「なお、羽衣様とお会いになる際、装飾品の類は外していただいています。ピアス、イアリング、ネックレス、指輪、ブレスレットなどはございませんね? 眼鏡は結構です。では仇鳴様、翠様、荻尾様の腕時計と、郷様のカチューシャをこちらにお願いいたします」
「断固拒否します! 義吟はこれを外したら死んでしまいます!」
そんなわけないのでカチューシャは俺が強引に奪い取り、自分の腕時計と一緒に、扉前に設置されたケースに仕舞った。義吟は泣きべそとなり、頭を両手で隠している。
峻嶺がインターホンの横に取り付けられた端末にカードを通すと、カチャリと開錠の音が響く。続いて彼は扉を開き、中に一歩這入って横に退いた。仇鳴と翠に促され、ここは客人である俺と亜愛と義吟が次に這入った。
赤と白を基調とした部屋。壁も天井も華美な装飾を施され、上等な調度品を揃えてある。正面には円卓が置かれ、その向こうの背が高い椅子に、部屋の主は腰掛けていた。
「彼女が、暮れの羽衣様ですわ」と、後ろの翠が紹介した。扉が閉じる音がする。
深紅のドレスに身を包んだ、若い女だ。髪は黒く、前下がりのボブカット。切れ長の目、高い鼻、小さな唇。その美しい相貌には、慈愛を湛えたような微笑が刻まれている。
「貴女が――天亜愛ね?」
見た目のとおり優しそうな声が、そう問うた。
視線の先に立つ亜愛は「ええ」と肯定する。
「貴女のことはよく聞いています。かつての映像も観ています。貴女の能力は素晴らしい。それなのに、現在の貴女はその能力を随分と、俗物的に使っているそうね」
「それがなんだと云うの」
「あまり、褒められたことではありません」
羽衣の眉が悩ましげに寄り、その目が哀しみの色を帯びた。
「私に云わせれば、俗物的なんて表現に、貴女の驕りが表れているわ」
対する亜愛は一歩、前へと進み出た。自分の腕を抱いて言葉を続ける。
「地上で生きる人間には、その役割と使命がある。それらを捨て、生きながらにして霊の世界に在ろうとすることは自然に反する、大きな間違いだわ。間違いは必ず、破滅に通じる。霊媒は、霊媒であるからこそ、決して人の世から離れてはいけないのよ」
「その考えは、私と一致しています。俗物的と云ったのは、たしかに言葉を間違えたかも知れない。けれども探偵というのは、好ましく思われません。それが死者を癒し、生者を正しい道に進ませる仕事と云える?」
亜愛は答えようとしたが、仇鳴が「そこまでだ」と云って打ち切った。彼は大股歩きでゆっくりと迂回し、羽衣の傍で立ち止まった。
「思想を戦わせるために会わせたのではない。羽衣、お前の能力を見せてやりなさい」
羽衣は仇鳴を見上げる。「いいですが、なにを?」と質問。
「テーブル浮揚で充分だろう。このテーブルでいい。できるかね?」
「分かりました」
羽衣は椅子に座したまま、両腕を前方へと垂直に上げた。
薄く開いた両目は円卓の中央を見下ろし、微動だにしない。
「えっ、あれっ?」と、義吟が戸惑いの声を洩らした。
風に吹かれて舞い上がる羽のように、円卓がふわりと床を離れたのだ。
誰も手を触れていない。そのまま、六十センチほどの高さで小さく揺れている。
「浮いているテーブルは好きに調べていいぞ」
仇鳴はそう云いながら、テーブルの上方で片腕を薙ぎ、糸で吊られてなどいないことを示す。卓上に手を着いて押さえつけても、まるで反発するみたく浮揚は続く。
さらに羽衣は垂直に上げた手を、見えないなにかを撫でるようにぐるぐると動かした。すると、その動きに応えてテーブルも空中で回り始めた。
挑発的な羽衣の微笑が、亜愛に投げ掛けられる。
「いかがですか?」
しかし、そこで義吟が「これ、インチキですよ!」と訴えた。
「磁力です。央くん、さっきから急に、磁力が働き始めました!」
「まあ!」と、感嘆の声を上げたのは翠だ。
義吟の体内は精密機器の宝庫である。よって強い磁気を感知すると自動でプロテクトが作動し、彼女自身にはそれが分かる。先ほど声を洩らしたのも、そのせいだったのだろう。
「ということは、床下に電磁石があるんだな。それに電気を通すことで、テーブルの中に埋め込まれた磁石が反発して浮くようになっている。磁力のかけ方によって回転も可能だ。部屋の前で装飾品を外させたのは、それらが磁力に反応するのを防ぐためか」
「よく気付いたな」
ぱち……ぱち……ぱち、と。仇鳴が詰まらなそうに拍手した。
「お前達の云うとおり、これはトリックだ。羽衣に霊能力はない」
テーブルが床に落ちて、大きな音を立てる。
だが、羽衣に悪びれる様子はない。どころか、片手を口元にあてて笑っている。先ほどまでの慈悲深い雰囲気は消え、ただの悪戯好きの女に変わっていた。
俺は仇鳴に問う。
「真骨頂とか云っていた入神も詐欺か。会員を騙して金を取っているんだな?」
「それは違う。私達が本物の霊媒を抱えていることは、お前も知っているだろう」
「じゃあ、どうして能力のない人間を使っている」
「亜愛の失敗から学習したのだよ。能力を持つ者と表に立つ者とは分けるべきだとな」
あてつけのように、仇鳴は視線を亜愛へと向けた。
「テーブル浮揚など余興に過ぎん。重要な入神については、裏で本物の霊媒がおこなっている。それを表で披露するのが羽衣の仕事だ」
「私は女優なの」と羽衣。まんざらでもないらしい。
「ああ。霊媒の能力を行使することと、客向けに振舞うことは、違った才能だからな。交霊はどうしてもムラが大きくなるが、羽衣の演技とトリックはそれを補うこともできる。高い品質を保つのに、実に有効な方法とは思わんかね」
要は、巧妙に真実を混ぜた嘘。それがカリスマ霊媒のからくりか。
交霊をビジネスと考えているこの男らしい。つくづく反吐が出る。
「もっとも、やはり霊媒は消耗品だな。長持ちするようにはなったが、ついに先日、潰れてしまったよ。いま、西戴天京支部には入神ができる霊媒はいない」
「会員やお客様の訪問を控えさせているのも、それが理由ですわ」
翠が補足した。仇鳴が頷いて、再び引き取る。
「自動書記と直接談話の霊媒もいるが不完全でね。お前達に依頼したのはそのためだ。亜愛の能力が衰えていないなら、入神でもなんでも自在だろう?」
「おい――話が違うぞ。依頼はスパイを暴くことのはずだ」
「それを交霊を使ってやれと云っている」
よくも抜け抜けと……。
頭に血が上りそうになるが、駄目だ。冷静でいなければ。
「断る。俺達は手掛かりをもとに推理で解決する」
「分からんな。なぜ亜愛の才能を使おうとしない?」
「そんな便利なものじゃないと云っただろ。交霊ですべてを知れるなら、あの事件の真相もとっくに突き止めてる。そうなってないから、あんたから聞き出そうとしてるんだ」
「ふむ。それをお前達が交霊で知れない理由なら、私には分かるがな」
「なに?」
「だが、それはお前達がスパイを暴いてから話すという取引だ」
馬鹿馬鹿しい。これじゃあ堂々巡りではないか。
そう思っていると、翠が口を開いた。
「仇鳴様、荻尾さんと天さんを彼女に会わせてみてはどうかしら? お二人は、彼女の知り合いと聞きましたもの」
「誰のこと?」
亜愛が、思わずといった調子で訊ねた。
分からない。この支部に俺達の知り合いなんて……。
仇鳴は顎に手をあてて考えていたが、結局は首を縦に振った。
「いいだろう。お前達も、忘れてはいないだろうな。葵都真子のことを」
その名前を聞いた瞬間、俺は頭を思いきり殴られたかのように錯覚した。
きっと亜愛も同じだ。
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