甘施無花果の探偵遊戯

凛野冥

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血染めの結婚式・聖プシュケ教会編

〈エピローグ〉

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 大型バスの運転手は織角ちゃん。無花果が電話して手配させたとのことだった。もうしばらく走ったら、無花果と僕と織角ちゃんは解放される。その後〈悪魔の生贄〉はいくつかのグループに分かれて別々の車両に移り、別々のルートで目的地に向かう段取りとなっているらしい。

 僕らとはもう関係のない話だが、目的地というのは、これも〈悪魔の生贄〉の隠れ家だそうだ。支部と云った方がいいか。聖プシュケ教会はその内のひとつに過ぎなくて、何やら組織の起こりと関係の深い場所であったから今まで使っていたけれど、例の噂も広まってきたのでどのみち近々捨てる予定だったと云う。ちなみに弥魅さんは、この聖プシュケ教会を支部としていたグループにおけるリーダーだったようだ。

 僕と無花果と織角ちゃんを除き、総勢五十八名の〈悪魔の生贄〉構成員で、バスはほぼ満席状態となっている。皆、人質の中からサイズの合いそうなそれを選んで着替えた正装姿。奇妙極まる光景だ。

「あちらの手配も済んだわ」

 通話を終えた弥魅さんが、無花果に云った。あちらの手配とは、この先で待っている仲間のことだろう。

「貴女達とはそこでお別れね。ありがとう。本当に助かったわ」

「いえ、まだです」

 無花果は席を立った。「どういうこと?」と訊ねる弥魅さんを無視して通路を歩いて行き、中ほどで立ち止まった。その冷ややかな目を、其処に座っていた女性に向ける。

「貴様、桜生塔にいた人間ですね? 見覚えがあります」

 全員が、無花果と同じくその女性を見た。

 無花果は視線を固定したまま、これは皆に対して云った。

「彼女は新入りではありませんか? ならば間違いありません。スパイです」

 さすが訓練されたテロリスト達――次の瞬間、すべての銃がその女性に向けられた。

 女性は両手を上げた。だが焦った様子でもなければ、観念したという様子でもなかった。

「あはぁ。そうですよ。私、元〈桜生の会〉会員――域玉と申しますぅ」

 髪が伸びて雰囲気もいくらか変化しているものの、あどけなさの残るその顔立ちには僕も憶えがある。域玉……いつももじもじしていて、終いには発狂してしまった子ではなかったか。しかし今の彼女はどこか吹っ切れたかのような、いっそ堂々とした態度だ。間延びしたその喋り方には、彼女が信奉する某探偵の影響が見て取れる。

「でもぉ、どうか撃たないでください。皆さんのためを思って云ってるんですよ」

 域玉は立ち上がって座席の上にのぼった。それからおもむろにドレスを胸の上までたくし上げ、色白の素肌をさらした。その控えめな胸の間から臍の上あたりにかけて、縫った痕が一筋続いていた。

「私の心肺停止と同時に、身体の中に仕込んだ爆弾がどかーんです。巻き添え食っちゃいますよぉ?」

 あはぁ、と笑う。どこか狂気染みた目で、無花果を見下ろす。

「別に意図したわけじゃありませんけどぉ、このスパイ作戦、貴女が〈桜生の会〉に対してやったのと同じですね? それはさておき、見破られるのは承知の上です。そうじゃなくちゃ困りましたよ。こっちの声は全部あちらに筒抜けですからぁ、そろそろかかって来るはずですけ――」

 そこで携帯電話の着信音。

「――来ました」

 域玉はハンドバッグからそれを取り出すと通話ボタンを押し、そして相手の声がスピーカーから響いた。

『もしもぉし。遅ればせながら、結婚おめでとう、甘施さんと塚場くん。全部見てたし聞いてたよぉ。〈悪魔の生贄〉の人たちははじめまして。桜野美海子です』

 声は発さないものの、〈悪魔の生贄〉に動揺が広がった。互いに目を見合わせ、彼女らにとっては意味不明だろうこの展開に眉をひそめている。無花果の表情は、僕からでは後頭部しか見られないために分からない。

『大胆な作戦だったね。そのくせ、貴女と塚場くんは人質として一緒に連れて行かれたってことになってるし、人質の人たちにもそう見せかけたんだろうから、二人の今後には差し障らない。悪知恵が働くねぇ。でも残念ながら、ここまでだよ。貴女達がやってきた悪事の数々については、その膨大な量の証拠と共に、私が近日中に公開しちゃうからさ。覚悟してたことでしょ? あんなに好き放題やってきたんだもん』

 無花果は応えない。

『……でもね、ふふ、そう思ってたんだけどね、やっぱりまだ待つことにしたんだ。なぜかって云うと、是非とも参加して欲しいからなんだよ――これから始まる戦後最大の大量殺人事件に、探偵として。そして貴女が勝利したら、公開はやめる。塚場くんとの幸せな結婚生活に入れるよ。参加を拒否するか、参加しても敗北してしまったら、まぁ破滅だね』

 無花果は応えない。

『じゃあ、また会えることを願ってるよ。事件はすぐに始まるから、新婚旅行なんかには行かないでくれたまえ。それと、域玉ちゃんはどこか適当な場所で降ろしてあげてね。〈悪魔の生贄〉の人達は心配しないでいいよ。貴女達について域玉ちゃんが知った情報はどこにも流れたりしないから。ただ域玉ちゃんを返してくれないと、情報はすべて私に伝わってるからね、私が公開しちゃうよ。分かったよね。感情じゃなくて理性で判断ができる人だもんね、弥魅エリードールさんは』

 通話が切られた。「――だそうですぅ」と域玉はしなをつくった。

 これにも無花果は応えず、興味は失せたとばかりに踵を返した。ただの無表情だった。

 一方で、目に見えて表情が変化しているのは、僕と通路を挟んで隣に座っている弥魅さんだった。

「桜野美海子……生きていたの……」

 震える唇から呟きが洩れた。そうだ、彼女は桜野とも同級生だったのだ。

「桜野美海子と貴様には因縁があるのですね」

 こちらに戻ってきた無花果が、そう問い掛けた。

「貴様は壮太の本当の幼馴染だった。しかし壮太の幼馴染は桜野美海子ということになっています。壮太の〈記憶〉の中で。『桜野美海子シリーズ』という〈記録〉の中で。そこから必然的に世間でも、それが〈事実〉ということになっています」

「……すべて、桜野美海子が壮太に植え付けた、偽物の記憶よ」

 弥魅さんは痛切な表情だった。まさに痛みに耐えながら紡ぐ言葉だった。

「あの事件が何もかもを変えた。私にも未だ、何が起きたのかまったく全貌が掴めないままのあの事件……ただひとつ確かなのは、桜野美海子が私の大切な幼馴染を、壮太を、奪っていったということ。それまで桜野美海子と壮太とは何の付き合いもなかった。でも記憶喪失となった壮太に、桜野美海子は嘘の歴史を吹き込んだ。彼女は、自分の〈語り部〉を必要としていたの。だから創り上げた。白紙の状態となった壮太を使って、自分にとってまったく都合の良いワトスン役を、いちから創作した……」

 ――われわれの歴史とは公認された作り話に過ぎない。

 彼女がヴォルテールの言葉を引用した意味が分かった。それはたしかにあり得る話だった。記憶喪失前の人生について、僕は桜野から教えられた知識で以てすべてを了解している。桜野からの教育であり、洗脳だ。

 弥魅さんは僕を見詰めた。もう哀しみの情を隠そうとはしていなかった。

「桜野美海子がどういう人間なのか、私だけが知っていた。だから白生塔事件には驚かなかった。いつかあんなことになるんじゃないかと予感していた。でも、桜野美海子が死に、壮太が生き残ったと聞いて、本当に安堵したの。壮太はやっと彼女から解放されたんだって。なのに……生きていたなんて……」

「今回の件も、桜野美海子が仕組んだことでした」

 座席に腰を下ろし、話し始める無花果。

「メディアの報道でも確認しましたが、警察は『聖プシュケ教会が〈悪魔の生贄〉に占拠された』という通報を受けたとの話です。ゆえにはじめから、教会に踏み込むことはなく包囲という格好だったのです。しかし実際は、その警察の動きを察知してはじめて〈悪魔の生贄〉は教会を占拠しました。ここにあったのは桜野美海子の企みです。彼女は私と壮太の結婚式を台無しにしたかったばかりでなく、〈悪魔の生贄〉が私達を人質に取り、あわよくば殺害することを望んでいたのでしょう。通報は教会内から、あの域玉というスパイか、あるいは彼女に懐柔された巣蛾徳都などがおこなったと思われます。域玉は他にも、あの状況をつくり出すために多くの裏工作を働いていました」

 その域玉は、既に周りの〈悪魔の生贄〉構成員達に拘束されている。抵抗する様子はない。無事に解放されると分かっているのだろう、余裕そうに笑っていた。

「弥魅エリードール、ひとつお願いしてもいいですか?」

「……何かしら」

「これから桜野美海子が何を仕掛けてくるのかは定かでありません。もしかすると、私と壮太だけでは対処できない状況も生まれるかも知れません。そのときに、手を貸していただきたいのです。これは要求ではありません。今回の件は、貴様らにとって借りではありません。私達が聖プシュケ教会を式場に選んだために、むしろ貴様らは巻き込まれてしまったのですから」

「いえ、協力は惜しまないわ」

 即答だった。

「貴女が解決してくれたのは事実よ、甘施無花果さん。私達皆がそう感じている。いつでも相談して頂戴。私の連絡先を教えるわ」

「ありがとうございます」

 ところで、僕はようやく無花果が今回目的としていたことが理解できた。

 もちろん、警察が聖プシュケ教会を包囲するように仕組んだのは無花果だ。通報は教会式と披露宴との間にしていたのだろう。彼女としては、教会式さえしっかり挙げられれば満足だったに違いない。解決策まで含めて、すべてが最初から予定されていたことだ。

 無花果は桜野が生きていることに気付いていた。桜野が近々、逆襲のようなものを仕掛けてくることも予感していた。だからその前に、今回の手を打った。その目的とは、後に控えた桜野との対決に備え、外部の協力者をつくることだ。

 僕の過去を調べたのは、その候補者探しのためだった。僕と関わりのあった人間を総点検すれば、そりゃあひとりくらいは相応しいそれが見つけられる。果たして弥魅さんに白羽の矢が立った。テロ組織〈悪魔の生贄〉の幹部クラスであり、さらには桜野とも因縁がある彼女。彼女と直接交渉するために、聖プシュケ教会が会場に選ばれたし、今回のことが行われたのだ。弥魅さんは僕を好いていたので、あの状況になっても決して僕が殺されるようなことはないと分かっていた。無花果自身に関しては、自分の身は自分で守れる彼女だ。

 結婚式に女性ばかりを集めたのも、同じく女性ばかりらしい〈悪魔の生贄〉との入れ替わりトリックを有効にするためだった。域玉がスパイとして潜り込んでいたことに関しては予定していたとまでは云わないにせよ、無花果の企みを推理した桜野が仕掛けてくる手としては予想がつく範囲内だし、結果的にすべてを桜野の仕業とするにあたって説得力が増した。もし桜野か域玉がそれを否定したとしても、弥魅さんがどちらを信じるか、考えるまでもないことだろう。

 目論見は大成功だ。桜野は元〈桜生の会〉を手駒として使っているらしいが、その対抗としてこちらにテロ組織〈悪魔の生贄〉がついているというのは、充分すぎるくらいである。

「楽しめましたか?」と、無花果は僕の耳元で囁いた。

 今回、彼女がその企みを僕に隠して行動していたのは、僕を楽しませるためだったらしい。いつもとは逆の立場。とはいえ、サービスと云うよりは、やはりいつも通りの悪戯精神だろう。当然、僕は頷いた。

「甘施無花果さん、それから壮太、」

 弥魅さんが真剣な面持ちで、僕らを見詰めている。

「戦うの? 桜野美海子と」

 その問いに、無花果は「はっ」と笑い、隣の窓を薄く開いて煙草に火を点けた。

「戦いとは、同格の者同士でしか成立しません。私はただ、圧倒的な格の違いというものを分からせてあげるまでですよ。彼女には私も、借りがありますので」

 最後の部分は呟きのようだった。おそらく、雅嵩村でのことを云っているのだろう。あの事件の裏に黒幕がいたのは確かだった。無花果への復讐にあたって、あんなに荒唐無稽で本格ミステリじみたシナリオを彼らに吹き込んだ黒幕が……。

 ならば、無花果はともかくとして、今度の桜野は本気なのだ。



 翌日、桜野は公共の電波をジャックした。全国津々浦々のテレビ画面に等しく映し出された彼女は、全国民を巻き込んだ大量殺人事件の幕開けを宣言した。





【血染めの結婚式・聖プシュケ教会編】終。
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