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教団〈桜生の会〉・桜生塔編
9、10「命と引き換えに」
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9
〈霊堂義治〉の殺害が行われるかどうかは五分五分だと思っていた。
と云うのも、犯人がなぞっているのが白生塔事件全体ではなく〈桜野美海子の犯行〉に限っていた場合、首切りジャックのそれはスルーされるとも考えられたからだ。
しかし事は起きた。
サロンで朝食を終え、無果汁ちゃんに〈桜生の会〉について僕が知っていることを話してやっている最中、見当たらない信者がいるとのことで周りが少し騒がしくなった。それから数分して、その信者は死体で発見された。
現場は五〇一号室。
被害者は真白春枝だった。
無果汁ちゃんと共に現場に駆け付けてみれば、ベッドの上に生首がひとつ。胴体はベッドの下にあった。綺麗な切断面。昨晩にはひたすら快楽で歪んでいた顔が、いまは恐怖と痛みで歪んでいる。もうそのまま、動くことはない。
これで真白さんが僕との子供を出産することはなくなったなと思いながら、周りの信者達の声を聞く。
「首切り死体。この状況。〈能登〉に引き続いて〈霊堂義治〉殺害の見立てだねぇ」
「でもどうして真白が? 儀礼で〈霊堂義治〉役をやっていたのは紀蕪木さんよ?」
「真白さんが〈霊堂義治〉やったことってありましたっけ?」
「って云うか、儀礼は中止されたでしょ」
「あ、それでじゃないかしら? 儀礼が中止されて〈霊堂義治〉役もいなくなったから、誰でも良くなったってわけ」
「なるほどね。私は用心していたし、なおさら狙いづらかったのかも知れないわ」
「でもそれじゃあ被害者が紀蕪木さんでなかったことは説明できても、どうして真白さんだったのかは説明できませんよ」
「たまたまひとりでいて狙いやすかったんでしょ」
「それか犯人と二人きりだったから?」
「ねぇ誰か、最後に真白さん見たのいつでしたぁ?」
僕が最後に真白さんを見たときだったら、無果汁ちゃんが〈雪の密室〉を解いた後に皆で塔内に戻ってすぐ、鯖来さんに連れられてエレベーターに乗ったときだ。僕と並んだ無果汁ちゃんに恨めしそうな眼差しを向けていたのを憶えている。
面倒なことになりそうだと思っていたから、こうして殺されてくれて良かった。
「それと、どうして五〇一号室? 〈霊堂義治〉は八〇一号室で殺されたのに」
「それも、八〇一号室は警戒されてたからじゃない?」
「現に私、八〇二号室の扉を少しだけ開けて中から見張ってました」
「だからって妥協して部屋まで変えちゃうのかぁ。現実主義って云うかなんて云うか、ミステリじゃないなぁ」
「五〇一号室は〈桜野美海子〉様の部屋。つまり戸倉さんが殺されて無人だったしね」
その点は、じきに誰かが気付くだろう。
僕はこの部屋に這入る前、扉のプレートを確認した。部屋番号が記されたプレートだ。この部屋に限らず、五階の部屋はすべてそれの『5』が右上と左下を付け加えて『8』にされていた。おそらく八階では『8』の右上と左下が削られて『5』にされているはずだ。
かなり無理矢理だけれど、犯人はそうやって五階と八階を入れ替えたのである。
「うーん。とりあえず全員のアリバイ確認をしないとだよね」
「そうね。集団で行動していた人も多いし、だいぶ絞り込めそうだわ」
「共犯がいる線も考えると、そうもいかなそうですが」
「え、単独犯じゃない?」
「確証もないのに適当なこと云わないで頂戴。まとまらなくなるでしょ」
「安易にまとめちゃうのも問題な気がする」
「現実の事件って難しーい」
その内のひとりが、顔を無果汁ちゃんへ向ける。
「何かご意見あります? 無果汁さん」
それで他の皆も彼女に注目する。
「って云うか推理」
「さっきと違って密室トリックとかじゃないし、厳しいですか?」
「まさかもう犯人が分かってるなんてことありませんよね?」
「本物の甘施無花果なら有り得るかも知れないわ」
「本物? 二代目? ややこしいなぁ」
期待しているふうな人もいれば、薄桃セピアの話を聞いてだろう、敵視しているふうな人も多い。そんな様々な視線にさらされて、無果汁ちゃんはちょっと腰が引ける。
「い、今は述べることはありませんね。情報が集まっていない段階では、推理のしようがありません」
すると各々、肩を落としたり胸を撫で下ろしたりする。無果汁ちゃんはドレスをぎゅっと握り締めていた。〈雪の密室〉を解いたときの威勢はどこに行ってしまったのか。
その時「あ!」と信者のひとりが声を発する。
「どうしたんですか、枚孔さん」
「さっきから考え込んでるみたいでしたけど」
枚孔というらしい割と年長の信者――と云ってもまだ二十代後半だろうが――は、自己確認するように二度頷いた。
「どうして殺されたのが真白だったのか。それはきっと、名前のせいよ。真白春枝と霊堂義治――〈はる〉の音が共通しているでしょう? さらに第一の殺人についてもそう。辻能乃と能登――〈能〉の字が共通しているわ」
「あ、本当だ!」
「すごいです!」
「鳥肌立ったぁ……」
「じゃあ辻は〈能登〉役だったからって云うより、〈能〉の字を名前に持っていたから殺されたってことかな」
「それがたまたま〈能登〉役でもあったってこと?」
「でもひとり目の被害者は辻さんじゃないと。だって辻さんは昨晩からあそこで死んだ振りをしてなきゃいけなかったんだからさ」
「偶然の符号の重なりを犯人が利用したってことでしょ」
「宇宙意思ですね」
「こういうことってあるんだねぇ」
皆は興奮している様子だけれど、それはどうだろうと僕は内心で首を傾げる。どうとでもこじつけられることだ。
「もしかして戸倉さんもそうだったんじゃないかしら」
「どういうこと?」
「儀礼での役が意味を持たないものだったなら、戸倉さんは〈獅子谷敬蔵〉に相当するんじゃないかと思って」
「そうか。無果汁さんが来なかったら戸倉さんは行方不明だったんだもんね?」
「〈C〉で玄関扉を塞がれた桜生塔を巨大な密室と考えれば、密室からの消失だ!」
「その実、殺されてるっていうのも一致しますね」
「そうそう。それで戸倉さんの〈くら〉は〈獅子谷敬蔵〉の〈蔵〉の字の訓読みでもあるでしょう?」
「わぁ、本当だ!」
「戸倉さんは排除されたわけじゃなかったんだね?」
「現場が変わることは、この真白さんの例からもアリみたいだし」
ほら、やっぱり。
「今後も殺されるのは、それぞれ白生塔事件の被害者の名前と読みか字が共通している人なのかな」
「えー、私〈かな〉だから藍条香奈美?」
「私だって〈原〉入ってる」
「私は〈部〉」
「私なんて名字が〈しづき〉ですよ……」
「域玉も下の名前が〈め〉で終わるね」
「それもアリですか!」
「犯人次第」
「矢衣蒲もそうだね」
「そうじゃん。下の名前がひらがなだし」
「あれ、矢衣蒲どこ?」
「私、出身が旧〈出雲〉国なんですけど、これって危険でしょうか」
「馬鹿だぁ。云わなきゃいいのに」
「あっ!」
盛り上がる信者達。その中のひとりがまた無果汁ちゃんを見る。
「でも〈甘施無花果〉として殺されるのが無果汁さんなのはほぼ決まりですね」
「………………」
彼女の顔から血の気が引く。皆が同情するような視線を向ける。
「…………はっ。初代・甘施無花果が殺されたのは終盤です。それまでに私は事件を解決していますよ」
その声は震えていた。
10
薄桃セピアを除いた桜生塔の住人がサロンに集められてアリバイ確認が開始される段になり、またもひとりだけ足りないことが発覚する。
「矢衣蒲がいません!」
矢衣蒲うらめ――その正体は杭原あやめ。
すぐに捜索が始まったが、しかし皆は彼女が殺されているとは思っていない節があった。白生塔事件で次に殺されたのは枷部・ボナパルト・誠一だったけれど、それは夜になってからである。このタイミングで次の被害者が出ることはないだろう――と、そう考えていたようだ。
結果、その予想は裏切られた。
矢衣蒲うらめの死体は、彼女が他の信者達と共に現在使っている六〇三号室の浴室で発見された。
浴槽には湯が張られていて、矢衣蒲うらめは服を着たままそこに顎まで浸かっていた。湯は血で赤黒く着色されており、それが流れ出しているのは死体の腹部。そこにナイフが柄まで埋まっている。目を閉じているおかげか、死に顔はいくらか穏やかだけれど、色は真っ青。半開きの口からも血が一筋垂れている。
……なんて、小説だったら描写するかな。
片腕が浴槽のふちから投げ出されていたため、信者のひとり――鯖来さんが脈を取った。
「死んでいますね」
六〇三号室の浴室、廊下にすし詰め状態になっている信者達が例によってざわめく。
「おかしいよ! いよいよ『桜野美海子の最期』とズレてきてる!」
「矢衣蒲は〈杭原とどめ〉として殺されると思ったんだけどなぁ」
「〈とどめ〉と〈うらめ〉似てますもんね」
「かと云って〈枷部・ボナパルト・誠一〉でもないですよ、これ。首切りじゃないし」
「何となく状況は〈出雲〉っぽい?」
「いやいや、今回のこれ『桜野美海子の最期』をなぞる気ないでしょ」
「ちょっと。私にも現場を見せてくださいよ」
「順番順番」
「矢衣蒲さん、実はハーフでミドルネームがボナパルトだったりして」
「巻砂、貴女はヘッドホンを外しなさい」
「矢衣蒲が殺されたのは真白さんの後? 前?」
「真白の死体が見つかったとき、いなかったよね」
「もー、全然分かんないー」
忙しく入れ代わり立ち代わりする信者達。
僕と無果汁ちゃんは動かず、浴室の入口付近から眺めている。無果汁ちゃんは難しそうな顔をして黙っているだけだ。何かに気付いている様子はない。
……ここは仕方ないか。
僕は口を開くことにした。
「あの、すいません」
浴室内の信者達が一斉にこちらに振り向く。
「僕は多くの死体を見てきたから分かるんですけど、その人、死んでないですよ」
皆の反応は数秒遅れた。
「……え、死んでません?」
「ナイフの刺さり方えぐいっすよ」
「めっちゃ血い出てますし」
「脈も止まってるそうですけど」
「そもそも生きた人間の肌の色じゃあ……」
「いえいえ、生きてますよ」僕は頭を振る。「そのナイフは柄の部分しかないんです。血は血のりです。顎まで浸かってるのに左腕だけわざとらしく浴槽の外に出しているのは、そこから脈を測らせるための誘導でしょう。きっと左手が義手なんです。肌の色はこれ、最初から湯じゃなくて水を溜めていたんですよ。だから単純な体温低下で青くなってるだけ。明らかな〈死んだ振り〉です」
皆が数秒呆気に取られた瞬間――杭原あやめはそこを衝き、動いた。
『ボンッ!』と漫画みたいな音がして、一瞬で周囲が白い煙に包まれる。発煙弾を隠し持っていたらしい。
ゲホゲホと大勢が咳き込むなか「換気換気!」「換気って、窓もないのに!」「換気扇!」「どこ!」という声に混じって「きゃっ!」「誰!」「なに!」「そっち行ったよ!」「あっ、捕まえなさい!」「うわあ!」なんて声もあちこちから上がる。あやめくんは逃げ出すことにしたらしい。まさかこんなに早く見破られるとは思っていなかっただろう。
「きゃああああああ!」
ひときわ大きな叫び声が上がった。怖がった無果汁ちゃんが「塚場さん!」と僕の腕にしがみついてくる。
「何何何何!」
「血!」
「何なのよ!」
「誰か、誰かやられた!」
「倒れてる!」
混乱が増す一方で煙は部屋の外へ流れ、段々と視界が晴れていく。
「あっ、矢衣蒲!」
廊下の人々がある一ヵ所から距離を取るように動き、円ができていた。浴室を出て見てみれば、其処にはあやめくんがうつ伏せで倒れていた。
その首は半分ほどまで切られて、大量の血が溢れ出ている。周りの信者達の中には派手に血を浴びて茫然自失している者も多い。
「誰? 誰かが仕留めたの?」
「えっ、でも殺すなんて」
「ナイフを隠し持ってたってこと?」
「え、え、え?」
凶器のナイフ――ちゃんと刃のある本物――はあやめくんの傍らに落ちている。
「誰よ! 見た人はいないの!」
「分かりません……煙で見えなくて、突然血が掛かってきて」
「噴水みたいだった……」
「頸動脈ごとぶっつりだもん、当然よ」
「血まみれだよぉ……」
「『キャリー』みたい!」
「云ってる場合?」
皆は殺された殺されたと騒いでいるけれど、あやめくんにはまだ息がある。
ヒュー、ヒュー、ヒュー、ヒューと口から息が洩れている。
目は虚ろ。焦点は合っていないらしく、おそらく何も見ていない。
彼は最期、息絶える直前、こう云った。
「はんにんは……このなかにいる…………」
そりゃそうだ。
〈霊堂義治〉の殺害が行われるかどうかは五分五分だと思っていた。
と云うのも、犯人がなぞっているのが白生塔事件全体ではなく〈桜野美海子の犯行〉に限っていた場合、首切りジャックのそれはスルーされるとも考えられたからだ。
しかし事は起きた。
サロンで朝食を終え、無果汁ちゃんに〈桜生の会〉について僕が知っていることを話してやっている最中、見当たらない信者がいるとのことで周りが少し騒がしくなった。それから数分して、その信者は死体で発見された。
現場は五〇一号室。
被害者は真白春枝だった。
無果汁ちゃんと共に現場に駆け付けてみれば、ベッドの上に生首がひとつ。胴体はベッドの下にあった。綺麗な切断面。昨晩にはひたすら快楽で歪んでいた顔が、いまは恐怖と痛みで歪んでいる。もうそのまま、動くことはない。
これで真白さんが僕との子供を出産することはなくなったなと思いながら、周りの信者達の声を聞く。
「首切り死体。この状況。〈能登〉に引き続いて〈霊堂義治〉殺害の見立てだねぇ」
「でもどうして真白が? 儀礼で〈霊堂義治〉役をやっていたのは紀蕪木さんよ?」
「真白さんが〈霊堂義治〉やったことってありましたっけ?」
「って云うか、儀礼は中止されたでしょ」
「あ、それでじゃないかしら? 儀礼が中止されて〈霊堂義治〉役もいなくなったから、誰でも良くなったってわけ」
「なるほどね。私は用心していたし、なおさら狙いづらかったのかも知れないわ」
「でもそれじゃあ被害者が紀蕪木さんでなかったことは説明できても、どうして真白さんだったのかは説明できませんよ」
「たまたまひとりでいて狙いやすかったんでしょ」
「それか犯人と二人きりだったから?」
「ねぇ誰か、最後に真白さん見たのいつでしたぁ?」
僕が最後に真白さんを見たときだったら、無果汁ちゃんが〈雪の密室〉を解いた後に皆で塔内に戻ってすぐ、鯖来さんに連れられてエレベーターに乗ったときだ。僕と並んだ無果汁ちゃんに恨めしそうな眼差しを向けていたのを憶えている。
面倒なことになりそうだと思っていたから、こうして殺されてくれて良かった。
「それと、どうして五〇一号室? 〈霊堂義治〉は八〇一号室で殺されたのに」
「それも、八〇一号室は警戒されてたからじゃない?」
「現に私、八〇二号室の扉を少しだけ開けて中から見張ってました」
「だからって妥協して部屋まで変えちゃうのかぁ。現実主義って云うかなんて云うか、ミステリじゃないなぁ」
「五〇一号室は〈桜野美海子〉様の部屋。つまり戸倉さんが殺されて無人だったしね」
その点は、じきに誰かが気付くだろう。
僕はこの部屋に這入る前、扉のプレートを確認した。部屋番号が記されたプレートだ。この部屋に限らず、五階の部屋はすべてそれの『5』が右上と左下を付け加えて『8』にされていた。おそらく八階では『8』の右上と左下が削られて『5』にされているはずだ。
かなり無理矢理だけれど、犯人はそうやって五階と八階を入れ替えたのである。
「うーん。とりあえず全員のアリバイ確認をしないとだよね」
「そうね。集団で行動していた人も多いし、だいぶ絞り込めそうだわ」
「共犯がいる線も考えると、そうもいかなそうですが」
「え、単独犯じゃない?」
「確証もないのに適当なこと云わないで頂戴。まとまらなくなるでしょ」
「安易にまとめちゃうのも問題な気がする」
「現実の事件って難しーい」
その内のひとりが、顔を無果汁ちゃんへ向ける。
「何かご意見あります? 無果汁さん」
それで他の皆も彼女に注目する。
「って云うか推理」
「さっきと違って密室トリックとかじゃないし、厳しいですか?」
「まさかもう犯人が分かってるなんてことありませんよね?」
「本物の甘施無花果なら有り得るかも知れないわ」
「本物? 二代目? ややこしいなぁ」
期待しているふうな人もいれば、薄桃セピアの話を聞いてだろう、敵視しているふうな人も多い。そんな様々な視線にさらされて、無果汁ちゃんはちょっと腰が引ける。
「い、今は述べることはありませんね。情報が集まっていない段階では、推理のしようがありません」
すると各々、肩を落としたり胸を撫で下ろしたりする。無果汁ちゃんはドレスをぎゅっと握り締めていた。〈雪の密室〉を解いたときの威勢はどこに行ってしまったのか。
その時「あ!」と信者のひとりが声を発する。
「どうしたんですか、枚孔さん」
「さっきから考え込んでるみたいでしたけど」
枚孔というらしい割と年長の信者――と云ってもまだ二十代後半だろうが――は、自己確認するように二度頷いた。
「どうして殺されたのが真白だったのか。それはきっと、名前のせいよ。真白春枝と霊堂義治――〈はる〉の音が共通しているでしょう? さらに第一の殺人についてもそう。辻能乃と能登――〈能〉の字が共通しているわ」
「あ、本当だ!」
「すごいです!」
「鳥肌立ったぁ……」
「じゃあ辻は〈能登〉役だったからって云うより、〈能〉の字を名前に持っていたから殺されたってことかな」
「それがたまたま〈能登〉役でもあったってこと?」
「でもひとり目の被害者は辻さんじゃないと。だって辻さんは昨晩からあそこで死んだ振りをしてなきゃいけなかったんだからさ」
「偶然の符号の重なりを犯人が利用したってことでしょ」
「宇宙意思ですね」
「こういうことってあるんだねぇ」
皆は興奮している様子だけれど、それはどうだろうと僕は内心で首を傾げる。どうとでもこじつけられることだ。
「もしかして戸倉さんもそうだったんじゃないかしら」
「どういうこと?」
「儀礼での役が意味を持たないものだったなら、戸倉さんは〈獅子谷敬蔵〉に相当するんじゃないかと思って」
「そうか。無果汁さんが来なかったら戸倉さんは行方不明だったんだもんね?」
「〈C〉で玄関扉を塞がれた桜生塔を巨大な密室と考えれば、密室からの消失だ!」
「その実、殺されてるっていうのも一致しますね」
「そうそう。それで戸倉さんの〈くら〉は〈獅子谷敬蔵〉の〈蔵〉の字の訓読みでもあるでしょう?」
「わぁ、本当だ!」
「戸倉さんは排除されたわけじゃなかったんだね?」
「現場が変わることは、この真白さんの例からもアリみたいだし」
ほら、やっぱり。
「今後も殺されるのは、それぞれ白生塔事件の被害者の名前と読みか字が共通している人なのかな」
「えー、私〈かな〉だから藍条香奈美?」
「私だって〈原〉入ってる」
「私は〈部〉」
「私なんて名字が〈しづき〉ですよ……」
「域玉も下の名前が〈め〉で終わるね」
「それもアリですか!」
「犯人次第」
「矢衣蒲もそうだね」
「そうじゃん。下の名前がひらがなだし」
「あれ、矢衣蒲どこ?」
「私、出身が旧〈出雲〉国なんですけど、これって危険でしょうか」
「馬鹿だぁ。云わなきゃいいのに」
「あっ!」
盛り上がる信者達。その中のひとりがまた無果汁ちゃんを見る。
「でも〈甘施無花果〉として殺されるのが無果汁さんなのはほぼ決まりですね」
「………………」
彼女の顔から血の気が引く。皆が同情するような視線を向ける。
「…………はっ。初代・甘施無花果が殺されたのは終盤です。それまでに私は事件を解決していますよ」
その声は震えていた。
10
薄桃セピアを除いた桜生塔の住人がサロンに集められてアリバイ確認が開始される段になり、またもひとりだけ足りないことが発覚する。
「矢衣蒲がいません!」
矢衣蒲うらめ――その正体は杭原あやめ。
すぐに捜索が始まったが、しかし皆は彼女が殺されているとは思っていない節があった。白生塔事件で次に殺されたのは枷部・ボナパルト・誠一だったけれど、それは夜になってからである。このタイミングで次の被害者が出ることはないだろう――と、そう考えていたようだ。
結果、その予想は裏切られた。
矢衣蒲うらめの死体は、彼女が他の信者達と共に現在使っている六〇三号室の浴室で発見された。
浴槽には湯が張られていて、矢衣蒲うらめは服を着たままそこに顎まで浸かっていた。湯は血で赤黒く着色されており、それが流れ出しているのは死体の腹部。そこにナイフが柄まで埋まっている。目を閉じているおかげか、死に顔はいくらか穏やかだけれど、色は真っ青。半開きの口からも血が一筋垂れている。
……なんて、小説だったら描写するかな。
片腕が浴槽のふちから投げ出されていたため、信者のひとり――鯖来さんが脈を取った。
「死んでいますね」
六〇三号室の浴室、廊下にすし詰め状態になっている信者達が例によってざわめく。
「おかしいよ! いよいよ『桜野美海子の最期』とズレてきてる!」
「矢衣蒲は〈杭原とどめ〉として殺されると思ったんだけどなぁ」
「〈とどめ〉と〈うらめ〉似てますもんね」
「かと云って〈枷部・ボナパルト・誠一〉でもないですよ、これ。首切りじゃないし」
「何となく状況は〈出雲〉っぽい?」
「いやいや、今回のこれ『桜野美海子の最期』をなぞる気ないでしょ」
「ちょっと。私にも現場を見せてくださいよ」
「順番順番」
「矢衣蒲さん、実はハーフでミドルネームがボナパルトだったりして」
「巻砂、貴女はヘッドホンを外しなさい」
「矢衣蒲が殺されたのは真白さんの後? 前?」
「真白の死体が見つかったとき、いなかったよね」
「もー、全然分かんないー」
忙しく入れ代わり立ち代わりする信者達。
僕と無果汁ちゃんは動かず、浴室の入口付近から眺めている。無果汁ちゃんは難しそうな顔をして黙っているだけだ。何かに気付いている様子はない。
……ここは仕方ないか。
僕は口を開くことにした。
「あの、すいません」
浴室内の信者達が一斉にこちらに振り向く。
「僕は多くの死体を見てきたから分かるんですけど、その人、死んでないですよ」
皆の反応は数秒遅れた。
「……え、死んでません?」
「ナイフの刺さり方えぐいっすよ」
「めっちゃ血い出てますし」
「脈も止まってるそうですけど」
「そもそも生きた人間の肌の色じゃあ……」
「いえいえ、生きてますよ」僕は頭を振る。「そのナイフは柄の部分しかないんです。血は血のりです。顎まで浸かってるのに左腕だけわざとらしく浴槽の外に出しているのは、そこから脈を測らせるための誘導でしょう。きっと左手が義手なんです。肌の色はこれ、最初から湯じゃなくて水を溜めていたんですよ。だから単純な体温低下で青くなってるだけ。明らかな〈死んだ振り〉です」
皆が数秒呆気に取られた瞬間――杭原あやめはそこを衝き、動いた。
『ボンッ!』と漫画みたいな音がして、一瞬で周囲が白い煙に包まれる。発煙弾を隠し持っていたらしい。
ゲホゲホと大勢が咳き込むなか「換気換気!」「換気って、窓もないのに!」「換気扇!」「どこ!」という声に混じって「きゃっ!」「誰!」「なに!」「そっち行ったよ!」「あっ、捕まえなさい!」「うわあ!」なんて声もあちこちから上がる。あやめくんは逃げ出すことにしたらしい。まさかこんなに早く見破られるとは思っていなかっただろう。
「きゃああああああ!」
ひときわ大きな叫び声が上がった。怖がった無果汁ちゃんが「塚場さん!」と僕の腕にしがみついてくる。
「何何何何!」
「血!」
「何なのよ!」
「誰か、誰かやられた!」
「倒れてる!」
混乱が増す一方で煙は部屋の外へ流れ、段々と視界が晴れていく。
「あっ、矢衣蒲!」
廊下の人々がある一ヵ所から距離を取るように動き、円ができていた。浴室を出て見てみれば、其処にはあやめくんがうつ伏せで倒れていた。
その首は半分ほどまで切られて、大量の血が溢れ出ている。周りの信者達の中には派手に血を浴びて茫然自失している者も多い。
「誰? 誰かが仕留めたの?」
「えっ、でも殺すなんて」
「ナイフを隠し持ってたってこと?」
「え、え、え?」
凶器のナイフ――ちゃんと刃のある本物――はあやめくんの傍らに落ちている。
「誰よ! 見た人はいないの!」
「分かりません……煙で見えなくて、突然血が掛かってきて」
「噴水みたいだった……」
「頸動脈ごとぶっつりだもん、当然よ」
「血まみれだよぉ……」
「『キャリー』みたい!」
「云ってる場合?」
皆は殺された殺されたと騒いでいるけれど、あやめくんにはまだ息がある。
ヒュー、ヒュー、ヒュー、ヒューと口から息が洩れている。
目は虚ろ。焦点は合っていないらしく、おそらく何も見ていない。
彼は最期、息絶える直前、こう云った。
「はんにんは……このなかにいる…………」
そりゃそうだ。
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