彼岸邸の殺人

凛野冥

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十六、十七「彼岸邸の罠か、それとも」

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   十六


 綿鳥さんからあれ以上の話は聞けなかった。しかし、今はそれでいいとも思えた。朝から立て続けに狂気染みたことが起こりすぎて、頭がおかしくなりそうだったからだ。

 自分の部屋で畳の上に胡坐をかき、ひたすら考え込む。

 白蓮はもう死んでいた。泡月ちゃんが『出て行った』と云ったのは、この屋敷どころではなく、この世からという意味だったのだ。皆が白蓮に裏切られたと感じていないらしいのも、未だ心酔が解けていないのも、ならば至極当然であった。なにせ白蓮は仏として完成したがために彼岸へと到達し、その二次的な結果として花帯さん達はこの世界――此岸に取り残されてしまったに過ぎないのだから。……実際はただ白蓮が死亡したというだけだが、花帯さん達の考えではこういう理屈なのだろう。

 ただ、腑に落ちない点も新たに浮上する。転生の泉が彼岸と此岸を結んでいるというのを認めても、そこに死者を沈めるのは到彼岸のためだけではなく、贖罪的供儀のためでもあるのだと綿鳥さんは話していた。そうでない限り、投げ込む前に風櫛ちゃんの腹を裂いた理由が分からないから、事実なのだろう。

 その贖罪とはなんだ? 白蓮は自ら悟りを開いて仏界に入ったというのに、そこに花帯さん達が罪の意識を覚える理由が不明だ。矛盾……とはいかないまでも、不整合が存在している。まさか、白蓮の死の原因が彼女達にあったということか?

 さらに引っ掛かりと云えば、花帯さん達があの儀式をこれまでも何度か経験したふうである点もひとつ、決して無視できない。綿鳥さんはそうほのめかしていたし、風櫛ちゃんの死体が発見されてすぐに、皆が阿吽あうんの呼吸とばかりに行動に移せていたのもその証左だ。

 この彼岸邸で人が死んだのは、初めてではないのか?

 ……そうとしか考えられない。花帯さん達は以前にも彼岸花に血を注いだことがあるのだ。では死んだ人物とは誰だったのだろう。もしかして他にも尼僧がいたのだろうか。はじめから四人だけだったとは聞いていない。

「あっ……」

 ――世にも恐ろしい閃きが起こった。

「……天波」

 天波はそのために此処で生活させられていたんじゃないか? しかも、彼女が初めてではなかった。彼女のようにこの屋敷に迷い込んだ人間が、生贄として彼岸花に――白蓮に捧げられるのだとしたら……。その期が熟すまでは丁重に扱われ、いざその時がくると土蔵に監禁された後に……。

 天波は脱出なんてしていない。花帯さん達によって、既に殺されている?

 ぞわぞわぞわっ、と全身の毛が逆立った。怒りよりも、戦慄ばかりが先立ってしまう。

 そうだ、天波が土蔵から自力で脱出するのは不可能だった。なら花帯さん達が出してやっただけじゃないか。俺が気絶している間に天波は殺され、転生の泉に投げ込まれた……花帯さん達はそれを隠匿するために、あたかも天波が逃げ出したかのように芝居をしたのだ。なぜなら、次の生贄は俺だから……。

 知らぬ間に俺もまた、この彼岸邸に捕えられていたのだ。花帯さんが熱心に逗留とうりゅうを薦めたのも頷ける。今はまだ皆が親切に接してくれているものの、それがいつひっくり返るかは分からない。俺は白蓮に捧げる供儀であり、天波と同じように殺される……。

 …………いや。

 俺は頭を振った。なにを考えているのだ、俺は。いくら花帯さん達の行いが異常に思われても、さすがにそんな残酷な話はない。勢い任せに考えを進めてしまったが、穴だらけじゃないか。

 まず、天波が逃げ出したと思わせたいなら、あんな方法は取らない。錠を掛け忘れたことにでもして、扉が開けっ放しになっているのを発見したように装うのが自然だ。食事を運んでいった際に風櫛ちゃんがしくじったていでもいい。にも拘わらず密室からの消失なんて状況を演出して、花帯さん達になんの得がある? いくらでも偽装できたはずなのに、天波が屋敷を出て行った痕跡が発見できないと云ったのも変だ。

 それから年齢の問題もある。天波が此処に来たのは四年前だ。それ以前にも転生の泉に供儀を投げ込む儀式が行われていたとするならば、白蓮が出て行ったのは何年前なんだという話になる。最年少の泡月ちゃんは十四歳かそこらなのだ。彼女が出家した歳が小学校低学年や幼稚園のそれだとは考え難い。

 俺は検討の対象を変えることにした。風櫛ちゃんが殺されたことについて。

 奇妙極まりない儀式や彼岸花畑、白蓮の死などを知らされて印象が薄くなってしまったけれど、彼女が殺されたというのも負けず劣らず、重大な事柄だ。

 供儀という言葉から俺は、彼女も花帯さん達に殺されたのではないかと考えはした。しかし、これもやはり不自然だ。事情を知らない俺を欺くためにしても、あんな殺人が必要になるとは思えない。あんな殺人……首切りである。

 裸にされたうえ、首を斧かなにかで切断された風櫛ちゃんの死体。どうして首が切られたのだろうか。彼岸花に血を注ぐためであり、花帯さん達の仕業なのだと思い浮かばないでもないけれど、結局は後で、それも俺の見ている前でその腹を裂くなんて真似をしたのだから違う。転生の泉に投げ込む直前に首を切るならまだしも、事前に切って放置しておく理由が見当たらない。

 ならば、花帯さん達は犯人ではないのか? まさか本当に天波が……。

 先入観を捨て、事実だけを見れば、天波が犯人であるというのは割合真っ当な推論となる。それは俺にも分かる。彼女が咲乃であるという点に目を瞑れば……いや、と云うより、俺は天波に関してはほとんどなにも知らないのだ。記憶を失っただけで根本的な人格まで変容するとは思いたくないけれど、天波にとって俺が見知らぬ他人であったのと同じく、咲乃でなく天波ならば、俺にとっても彼女は見知らぬ他人……つまり、彼女が人を殺さないと確信できる道理はない。

 天波がまだ屋敷のどこかにひそんでいて、風櫛ちゃんを殺したのか……。でもそれにしたって、首を切った理由が分からない。殺し方なら他にいくらでも簡単なものがあったはずだ。斧を使うにしたって、頭に振り下ろすのが普通ではないだろうか。

 俺は畳に寝転がって手足を投げ出した。考えれば考えるほど深みに嵌ってしまう。事態が錯綜さくそうしすぎているし、そこに彼岸邸の怪しい事情が絡むとなっては尚更だ。かなった解答を導き出せる気が微塵も湧かない。

「紅郎様、失礼します」

 花帯さんが這入ってきた。だらしない姿を見られたくなかったので、気怠い身体を起き上がらせる。

「朝餉を温め直したのですが」

「ああ、どうも」

 朝餉を取る直前に風櫛ちゃんの死体が発見されたのだったか。正直、あまり食べたいとは思わないのだが……。

「これは有難くいただきますけど、今日の夕餉は結構です」

「ご体調が優れないのでしょうか?」

 花帯さんは心配そうに俺を見た。

「いや、食欲がないだけで、別に大丈夫ですよ」

 話し方がぎこちなくなってしまう。花帯さんに対する不信感はもう否定できない領域に達しているのだ。果たして彼女達が天波を殺したり風櫛ちゃんを殺したりしたのかは定かでないし、先程考えた結果では不整合が生じるというのも分かっているが、それでも疑いが念頭に浮かぶのは避けられない。

 ……とはいえ、露骨に対立するつもりもない。内心で警戒していれば、現時点ではまだ事足りる。なにせ俺は男であり、単純な腕力で花帯さん達に負けはしない。いざとなれば力任せの手段に打って出られる。

「白蓮様にお会いになって、いかがでしたか」

「……すみません、まだ混乱してて、今はなんとも」

「いえ、お謝りになることはありません。私の質問が不躾で御座いました」

 花帯さんの態度は、俺がはじめに此処にやって来た晩からひとつも変わっていない。どうも調子を狂わされる。もしや、狙ってやっているのか?

「風櫛ちゃんが殺された件については、なにか分かりましたか?」

「特に。ただ、天波の犯行と考えるのが妥当と思いますが」

「そうですか……」

 しかしそれにしても、花帯さん達はちょっと冷静すぎやしないだろうか。天波が屋敷のどこかにひそんでいると云うなら、もっと緊張感を漂わせて良さそうなものだ。いつ自分が次の被害者にならないとも知れないのだから……そう、連続殺人。どうして風櫛ちゃんが殺されたのかという疑問もそれなら氷塊する。つまり彼女はひとり目に過ぎないのだということ。天波が復讐を目的として殺人を行うなら、尼僧の四人全員が対象となる。

 ……俺はどちらの味方なのだ? 

「どうされましたか?」

「ああ、いや……ひとつ気になることがあるんですけど」

 本当はひとつどころでないが。

「なんでしょう」

「風櫛ちゃんは、俺のことをずっと白蓮様って呼んでいたんです。なんと云いますか、俺は白蓮に似てるんでしょうか?」

 答えが返ってこないのでどうしたのかと見ると、花帯さんは虚を衝かれたように固まってしまっていた。大抵の質問には淀みなく答える彼女なのに……もっとも、そのくらい藪から棒な質問だったのも確かか。

「……いえ、似ていらっしゃるというのは違うと思います」

「そうですよね。すみません、変なこと訊いて」

「お気になさらず。変なことを申したのは風櫛ですので」

 では風櫛ちゃんは単に、俺が男性であるというところに白蓮を重ねていたのだろう。だが、その信奉対象である白蓮に夜這いを掛けたり誘惑をしたりしたのは、どう辻褄が合うのだ? そこだけは俺が白蓮でないというのを都合良く解釈していたのか、あるいは、そこに彼女と白蓮のどこか歪な関係が見え隠れしているのか……。

「夕餉は食べ終わったら自分で下げるので、いてもらわなくても結構ですよ」

「分かりました。どうぞごゆっくり」

 花帯さんが部屋を辞して、またひとり残された俺は思案に没頭する。もう気が滅入ってしまう――事実いくらかおかしくなっているのに、考えないではいられない。

 あの彼岸花畑の存在が、俺がこの彼岸邸に関して一種の宿命を背負っていると思わせるのだ。夢の中だけの情景であったはずのそれが実在していたという、あまりにも奇妙な巡り合わせ。

 彼岸花……綿鳥さんが教えてくれたその花言葉は、転生……再会……悲しい思い出……想うはあなたひとり……また会う日を楽しみに……。彼女はさらに、自分達にとって到彼岸とは白蓮との再会を意味するとも云っていた。要するに、白蓮は死に、生き仏であった彼は彼岸へと行ってしまったから、花帯さん達が死後に彼と再会するためには、自分達も修行を完成させて到彼岸を成し得なければならない……。

「……ん?」

 今、なにかを思い付きそうになったのだが、それはすぐ靄の中に消えてしまった。


   十七


 結局、食事は全部は食べきれずに残し、台所へと戻した。その帰りに俺は琴の間を訪れた。俺が食べている間に廊下から綿鳥さんと泡月ちゃんの話し声がして、それから二人は琴の間に這入ったようだったからだ。綺麗な音色と少したどたどしい音色とが交互に聞こえ、いつだか泡月ちゃんが云っていたとおり、綿鳥さんが彼女に稽古をつけているのだと分かった。

 だが俺が訪れると、中には泡月ちゃんしかいなかった。

「あ、紅郎さん」

「やあ。綿鳥さんは?」

「ついさっき帰ったよ。私は残って練習してるの。ちょっと聞いてよ、紅郎さん」

 泡月ちゃんは俺が正面に腰を下ろすのを待ってから、琴を爪弾き始めた。弾いている間は集中するのか、彼女の顔つきはいつになく真剣だった。演奏は食事中ずっと隣の部屋で聞いていたが、実際に姿を見ると立派なものと思わされる。終わったとき、俺は自然と拍手していた。

「良かったよ」

「えへへ」

 綿鳥さんに比べると劣るし、途中に何度か失敗も見られたけれど、彼女のひたむきな様子を見ればそんな些事さじはどうでも良かった。

「でも今のはいまいちだったかも……。紅郎さんの前で弾いたから、ちょっと緊張しちゃったの。待ってて」

 泡月ちゃんは不服そうに首を傾げつつ、琴糸の張りを調整し始めた。その手つきをぼんやり眺めていた俺だが、突然、ある考えが起こった。

 風櫛ちゃんは首を切られていたが、しかし首を切られたのが死因だったとは限らないではないか。彼女は裸にされており、他に外傷は見られなかったけれど、ならばその外傷が隠されていたとも考えられる。

 首だ……。彼女は絞殺されたのではないか? 糸や紐のようなもので首を絞められ、犯人はその痕を隠すために首を切った。なぜ隠さなければならなかったのか……それが琴糸による絞殺と露見するのを防ぎたかったのではないか? 彼岸邸には琴を弾く人間は綿鳥さんか泡月ちゃんしかいない。殺害に琴糸が使われたと知れれば、この二人には犯人がどちらか分かることになる。自分が犯人でない時点で、簡単な消去法だからだ。

 この考えに基づいて振り返ってみれば、あの現場や死体には他にも不自然な点があった。部屋にも死体にも、乱れがなかったというそれだ。風櫛ちゃんは部屋の中央あたりに仰向けで寝ていたが、最初からあんなに無防備な状態だったとは思えない。相手が誰であれ、斧を持った人間が近づいてくれば警戒するし、襲われそうになれば抵抗するだろう。

 ここから導くに、あの部屋は犯行現場ではなかった。犯人は風櫛ちゃんを別の場所で、それも琴糸で絞殺した後にあの部屋に運び、死体を寝かせて斧で首を切断したのだ。生きた状態で首を切断したら血が派手に吹き出すはずなのに、あの部屋はそこまで凄惨ではなかった。これもまた、首の切断が死後であったのを示しているじゃないか。

 分かってしまった……首切りの理由が。犯人は綿鳥さんか、泡月ちゃん……。

「――紅郎さん。紅郎さんってば」

 気付くと、泡月ちゃんが身を乗り出して俺に片手を振っていた。俺が茫然としていたからだろう。

「泡月ちゃん……」

「あ、気付いてたの? なに?」

「泡月ちゃんは風櫛ちゃんが死んで、悲しくないの?」

 彼女は考える素振そぶりすら見せなかった。

「悲しくないよ」

「……どうして?」

「だって風櫛さんが彼岸に行けたなら良かったって思うし、そうじゃなかったらまた戻ってくるから」

「戻ってくる……?」

 ああ、輪廻転生のことを云っているのか。それが仏教の思想である。人は死ぬと転生し、それをずっと繰り返してこの迷いの世界――此岸を彷徨う。だが悟りを開いた者は彼岸に到達できる。生死の海を渡って、完全なる理想的世界……仏界へ。

 白蓮は死して、彼岸に行った。彼と再会するには、彼女らも到彼岸を叶えなければならない。彼女らにとって死は恐怖ではないのだ。彼岸に至れなかったところで、また輪廻転生して魂は此岸を彷徨うけれど、いずれはきっと彼岸へと行ける。また会う日を楽しみに……。彼女らが彼岸花に白蓮への想いを捧げるのは、そんな花言葉がゆえでもあるのか。

 泡月ちゃんはまた琴を爪弾き始めた。一所懸命に綺麗な音色を出そうとする彼女……彼女の想いは歪んでいるのか、それとも純粋が過ぎて一般的な常識と相容れなくなってしまっただけなのか。俺には判断を下す資格なんてなかった。
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