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うりえる章:赤鞠7つばかり誤算

水柱一族に降り掛かる呪い

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 珍しく二十時前に仕事を切り上げた。あまねには残業と云ったが、夕方に意外な誘いがあったのだ。昨日に引き続き忌引休暇中の水柱渚から、携帯にメッセージが届いた。

『お疲れ様です。忙しいのにゴメンだけど、今晩二人で食事どうかな?(個室居酒屋がいいです!) あと、私のデスクに置いてある天然石を持って来てもらいたい……』

 会社の最寄りから二駅離れた居酒屋に、予約したとおり二十時十五分に到着。

 壁で仕切られた個室が左右に並ぶ廊下を店員に案内され、右手の一番奥の引き戸を開けられると、渚が既に待っていた。姉夫婦の葬儀が終わってそのまま来たのか、喪服姿だ。室内は間接照明の柔らかい明かりで包まれている。

「ごめんね。私の仕事もやってもらってるのに……。仕様書の提示は間に合った?」

「問題ない。新設する特約がまずいけど、要件を固めてない自保部の責任。はい、これ」

 向かい合う席に着いて早速、頼まれていた緋色の天然石を渡した。渚は「わあ。ありがとお」と口元をほころばせ、大事そうに両手で受け取る。

「旅先で買った魔除けの石なの。来須くんしかお願いできる人いなかったから、助かった」

 彼女はスピリチュアルなものが好きだ。服装や食事を占いで決めたり、仕事の成功や失敗を運勢に結び付けて考えたりする。肩まで伸ばした茶髪に緩いパーマを掛けているのも、風水的に意味があるらしい。そうでなくとも物腰穏やかな彼女に似合っていると思う。

 しかし今、その顔には色濃い疲労が表れていた。肉親の死の直後では伏し目がちになって当然だろう。どう触れたらいいか分からず、酒と料理を注文してからは当たり障りのない会話で時間を過ごす。プライベートで会うような間柄ではないので、自然と職場の話題ばかりになった。

 なぜ渚は俺を誘ったのか。真意を測りかねたまま、二十一時を回って少し無言が続いたときである。

「来須くん。実は聞いて欲しい話があるんだけど……」

 遠慮がちに、そう切り出された。よく困り顔で「来須くん、教えてえ」と頼ってくる彼女だが、これほど深刻そうな表情は初めてだ。

「いいよ。遠慮しないで」

 俺は掌でも促す。彼女はうなづくと、居住まいを正してから話し始めた。

「水柱一族の人間は、呪われているの……」

「事故のことは聞いたよ。たしかに普通の事故じゃなかったな」

「今日はハトコの波歌なみかちゃんが死んだ。便器に頭を入れたまま、溺れて死んだの」

「え、殺されたってこと?」

「それは分からないけど……」

 俺の手元に灰皿を差し出してくる。

「吸っていいよ?」

「ああ……」

 長くなるのかも知れない。俺が煙草に火を点けるのを待って、話を再開する渚。

「毎日、死んでるんだよ。最初は三日前、お爺ちゃんの妹なんだけど……秋江あきえさんが近所の階段から転げ落ちて死んじゃった。家の近くに長い階段があって、それを登るのが秋江さんの日課だったみたい。七十四歳だったかな。健康な人だったのに……」

「それは事故? 誰かに突き落とされたのか?」

「分からない。一昨日は火事……火事のことは知ってる?」

「いや。誰の家が燃えたんだ」

「大勢、住んでたんだよ。秋江さんも住んでたし、秋江さんの娘と息子と、息子のお嫁さんと、その子供達。子供達がおつかいに行っている間に燃えたの。秋江さんのお通夜のために源太げんたさんも会社を休んでたから、三人死んだ。一瞬で燃え上がったんだって。みんな逃げ遅れて……理音りねさんのお腹にいた赤ちゃんは、奇蹟的に助かったんだけど」

 渚個人の感傷ではない。本当に異常な事態にあるようだ。

 長くなった灰が灰皿の外に落ちた。吸うのを忘れていた。

「それ……呪いじゃなくて連続殺人だろ。同一犯なんじゃないか?」

「そ、そうなのかな? 火事は放火だったみたいだけど……」

「昨日はお姉さん夫婦の事故だろ? 歩道橋から猫が降ってくるなんて絶対におかしい」

「そうでしょ? お――おかしいんだよっ」

 堪えきれなくなったらしく、潤んだ両目から涙がこぼれた。

「ごめんっ……」

 伏せた顔を手で覆う渚。肩が小さく震えている。個室居酒屋を指定したのはこのためか。

 俺は煙草を灰皿に捨てるとテーブルを迂回して彼女の隣に座る。背中を優しくさすってやると、彼女は涙に湿った声で続けた。

「それに猫がぶつかったのは、うっ、洋平ようへいさんの車だしさ……」

「えーっと、洋平さんは誰だっけ」

「私のハトコ。源太さんじゃなくて、澄風すみかぜさんの子供だよ。澄風さんって、いうのは……」

「洋平さんは無事だったんだよね? 渚のお姉さん夫婦が後ろを走っていたのはどうして」

「一緒に、うっ……葬儀場に向かう、途中だったの。秋江さんとか、澄風さんのお通夜で、んっ……私は会社を休まなかったけど、姉さんは出席したんだよ」

 そんな怪事件に巻き込まれては気も滅入る。だが魔除けの石では解決にならない。

「警察は捜査しているんだよね? 一連の出来事を、ちゃんと殺人事件として」

「た、たぶんね……だけど、これって、ううっ……呪いだよ。波歌ちゃんは誰かに、こ、殺されたのかもだけど、それも含めて、呪いなんだよお……」

 絞り出すかのような苦しさが増していく。

 渚は熱を帯びた両手で、俺の手を強く握った。

「だって私達、普通の家だもんっ。一族、根絶やしにされるような理由、ぜ、全然ないもん……。そういうね、んっ、運命、なんだよ。人の力じゃなくて、ううっ……こういうことって、世の中には、あ、あるんだよお……」

 嗚咽おえつまじりに不安と混乱を吐露とろする渚。しかし俺に何ができるだろう。彼女は俺に何を求めているのだろう。

 三日前から始まったらしい水柱一族の連続死。明日は誰が死ぬのか。残っているのは何人なのか。背中をさする手を離して、俺は胸ポケットから手帳とペンを取り出した。

「ごめん、整理させてもらっていいか?」

 職場で彼女から相談を受けたときの、いつもの要領だ。課題をまとめて助言を与える。

「渚のお姉さんが澪さんで、澪さんの夫は……」

悠人ゆうとさん」

「悠人さんは水柱家に婿入りしたんだよね? だから水柱の呪いだって話で」

「そう」

「渚と澪さんには他に兄弟はいない? ご両親の名前は何だっけか」

武彦たけひこ潤子じゅんこ

「潤子さんが嫁入りでいい?」

「お父さんも婿入りだったよ。旧姓は伊六いろく……」

 聴取を続けながら、手帳のページに水柱一族の家系図を描いていく。描き方は標準的なルールに沿って、夫婦は夫を右、兄弟は年長の者を右にする。

 最年長者は渚の祖父にあたる海春うみはるだ。妻の鞘乃さやのが嫁入りした。その娘が潤子。潤子は武彦と結婚して、澪と渚の姉妹を産んだ。澪は昨年に悠人と結婚した。

 海春には妹がいて、それが秋江である。秋江の夫は数年前、心臓病により死亡したため除籍。二人の子供は澄風と源太。澄風は他所よそに嫁いで洋平を産んだ後、離婚して水柱姓に戻った。そのときに洋平も水柱姓となったまま、現在独身。源太の方は理音と結婚した。娘が三人いて、上から波歌、流香りゅうか深果みかだ。

 連続死が始まる直前の時点で水柱一族の人間として存命中だった者に限ると以上。家系図は完成した。続いて、この四日間で亡くなった人々に赤ペンでバツ印をつけていく。だいぶ分かりやすくなる。残るは海春、鞘乃、武彦、潤子、渚、洋平、流香、深果の八名……。

「……は?」

 思わず声が漏れた。渚が「どうしたの?」と訊ねてくる。嗚咽は治まったようだ。

「ちょっと……考えさせてくれ」

 気付いてしまった。あまりにも奇妙な符号。これは偶然か。いや違う。

 偶然だとした方があり得ない。俺は以前から疑いを抱いていた。

 そして今、許容できる範囲を超過した。

「あまり遅くならない方がいい。出ることにしようか」

「え……」

 渚は拍子抜けしたみたいに顔を上げた。可哀想に、目が充血している。

「お代は俺が出すよ。気にしないでいい」

 チャイムを鳴らして店員を呼ぶ。伝票をもらう。ジントニックの残りを飲み干して席を立つ。渚は何か云いたげに視線を彷徨わせている。積極性を発揮するにはアルコールが足りないか。彼女は白のダッフルコートを羽織るため、繋いでいた手も自然と離れた。

 しかし会計を済ませて店を出ると、渚は俺の腕に身体を密着させた。俯き加減のため、その表情は分からない。夜の街の喧騒にかき消されてしまいそうな声が云う。

「突然のお願いだったのに、ありがとね。迷惑じゃなかった?」

「全然構わない」

「やっぱり優しいね、来須くん」

「そんなことないよ」

「あのね、呪いの話、信じてくれた?」

「もちろん」

「ありがと。お家に帰るの、少し怖いな……」

「家にはご両親がいるよね」

「そうだけど、ほら……澄風さん達は家ごと、燃えちゃったから……」

 ぎゅうと腕を抱かれる。俺はすぐにでも帰りたいが、こんな状態の渚を突き放すのも躊躇われる。どうするか。しばし考えて、方針を決めた。

「なら今夜は俺が一緒にいてあげようか」

 渚は黙って頷いた。

 以前に他の同期から聞いた。彼女は大学時代にサークルの先輩に酷く扱われて以来、男性恐怖症の気があって、恋愛事から距離を置いているようだ。女子同士ではよく遊ぶが、合コンの誘いなんかは断るらしい。それがいま急に自分を支える異性が欲しくなって、普段から職場で顔を合わせている俺が一番身近な候補となったのだろう。

「一度、家に帰ってもいいか?」

「……どうして?」

「姪が腹を空かせて待ってるんだ。明日の着替えも取って来たい」

 嘘も方便。納得がいかない様子ではあったけれど、渚は「分かった」と頷いてくれた。

 それから適当なホテルにチェックインして彼女を部屋まで送り届けた後、俺は単身〈メゾン・天野サンクチュアリ〉を目指した。
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