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カレー編

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『やばいんですか』
『やばいんですよ』
久々にやりとりするメッセージだというのに鬼気迫った内容になってしまった。
そう、仕事が、やばい。
年の瀬間際に舞い込んできた緊急の案件、迫る納期と年末進行。
加えて、いまだテレワークに慣れない部下や取引先とのやり取りが時間を奪っていく。
毎週のようになっていたトモくんとの晩飯、晩酌セットもここ数週間はお預け状態だ。
猫の手も借りたいというやつだが、レオは不満げにニャンニャン言いつつ散らかった部屋でゴロ寝している。良いんだよそれで…お前は猫だからね。
ベランダ越しの交流は一応続いてるけど、猫プロレスはここのところ無いのでつまらないんだろう。
かわいそうだがもうちょっとだけ辛抱してほしい。

トモくんと食べる以前に、自分ひとりの食事も、雑を通り越して栄養を流し込む状態になっている。
レオの健やかな生活だけは死守せねば、と踏ん張っているが、つまりそれ以外はメチャクチャだ。
そもそも今日は朝メシ食べたっけ。
野菜室で炭化していたバナナは口に入れた気がする。
あ~、がっつりしたものが食べたいな。
カレーが食べたい。
外で食べる立派なのもいいけど、市販ルーを雑に組み合わせて冷蔵庫にあった適当な野菜を全部つっこんでぐつぐつ煮た、雑な、でもうまい家カレー。

そんな時に絶妙なタイミングで来たのが、さっきのメッセージの続きだった。
『実は食べて頂きたいものが発生したのですが、
お時間とらせませんので、タッパーに入れてお持ちしても良いでしょうか』
発生しちゃったのか。
うちに来る実家からの差し入れ便みたいな大量の貰い物かな。
こちらが返信を送る前に再度スマホがぴこんと鳴った。
『カレーライスが食べたいなと思い、作ったのですが、思った10倍の量になりまして』
「10倍」
思わず声に出してしまった。
バカの量になってしまう現象、僕も未だにやる失敗だが10人前が作れる鍋とは、いったいトモくんはどういう調理器具と材料を揃えたんだ。
僕との料理を数回繰り返すうちに、自分ひとりでも色々やってみようと思います、と宣言してくれたので、応援という名の煽りを入れてはいたのだが、すごい結果になったものである。

しかしこれは渡りに船かも。
疲れ切った僕に今必要な栄養は完全食、カレー。
…いや、出来はわからないけど。
…いやいや、トモくんは失敗作を人に食わせるタイプではなかろうからイケてる出来なのでは?
そんな迷いとうらはらに、僕の親指はスマホの画面を滑らかになぞった。
『いただきます!!!』

インターフォンが鳴る。
すっかり隣人の来訪に反応するようになったレオは玄関へ飛んでいった。
しかしレオよ、君の相棒は今日は来ないんだよ。
なぜならアランくんを入れたゲージを持つ手がないからである。
「すみません…」
扉を開けた先にいたトモくんは、大きな紙袋をふたつ両手に下げていた。
タッパーひとつを想像していたらすごいのが来てしまったかもしれない。
「いやいや、本当にありがたいよ。ちょうど食べたいな…と思ってたメニューが現れるなんて。
インスタントならあるんだけど家でつくったのが食べたくてさ」
「そうでしたか…!あ、おくちに合うかはわからないのですが、自分ではなかなかに良く出来たほうだと思っています…」
紙袋から丁重に出されたタッパーは4つ。大きい。うれしい。
「ご飯を炊くのも大変かとおもいまして、そちらもご用意しました。今ならあつあつです」
「助かる~~!早速いただこう…というか、ちょうど良い時間だしトモくんも食べていきなよ」
「そ、それは。お仕事が…」
「ぱぱっとかっこんでいけばすぐだからほら、入って入って」
「は、はあ…お邪魔します…」

「二人分にしてもまだ余りますよね…。明日くらいまでは保つと思うのですが」
「冷凍すれば全然大丈夫だよ」
「カレーというのは冷凍できるものなのですね」
冷凍を知らずこの量を作ったのか。
それは出来上がったとき震え上がっただろう。
レンジからは早速良い匂いがただよってくる。
「練習を兼ねてカレー作りには何度かチャレンジしていたのですが、作るたびに量が増えてしまいまして…」
「そ、そうなんだ。ちなみに鍋買ったって言ってたけど、どんなの?」
「大きめのものですね…そこのバケツくらいの」
「本当に大きいな!」
寸胴鍋というやつでは。そりゃ10人前が出来上がるわけだ。
とはいえ初心者マーク付きでちゃんと作り上げられたもんだなあ。
試行錯誤もあったみたいだし、一体どんな出来上がりなんだろう。
今だけは仕事のことも忘れてワクワクで気持ちがいっぱいになる。
そうこうしているうちにレンジが出来上がりの音を知らせた。

量の加減は難アリだったにせよ、見る限り、カレーはすごくうまそうだ。
ゴロゴロ野菜とブロック状の肉が入った、お手本みたいな家カレー。
僕の作ったやつみたいに賞味期限の厚揚げがおもむろに出てきたりはしなそう。
生真面目な性格は料理にも影響するんだろうか。
もうとっくに僕の腕前なんて通り越してるかもしれない。
湯気をたてているルーをライスにかけて食卓へ。
座って2人で同時にあげるいただきますの声も久々だ。
さっそくスプーンで一口。
「あ゛~~~~」
情けない声が出てしまう。
これだ~、これこれ。
もったりとしたルーは自分が作るものとはやっぱり味が違う。少し甘めかも。
よく煮込まれてやわらかな口溶けの肉は牛肉だろう。トモくんはビーフカレー派なのか。
自分で作ったものとも、外食で食べるものとも違う、よその味。
でも確かにこれは食べたかった家カレーだ。
「す、すみません、今ひとつでしょうか」
「逆、逆!最高だよ…」
それ以上感想を言う前にアツアツを食べてしまいたい。
すこしそわそわしていたトモくんも、少なめに盛った自分の皿に集中しはじめ、それからはしばらく、無言の食事タイムとなった。
胸がぽっとあたたかくなったのは、カレーのスパイスの影響だけでは無い気がする。

「ふ~~…ごちそうさまでした!」
「喜んで頂けてなによりです…。あ、片付けはそのままに。持って帰りますから」
当然だが、今日は猫たちの運動会もなければ、ほろ酔いでどうでもいいテレビを見ながらの語らいも無い。
無いんだなあ。
そしてこの後は仕事の波が襲ってくるのだ…。
トモくんはタッパーを来たときの袋に詰めて、今にも立ち上がらんとしている。
「ちょ、ちょっとだけ待って!」
気づいたらとっさに、その腕を引っ張っていた。
「やっぱり、もうちょっとだけいて…ほしいかも、って…」
「え、あ、はい…?」
何いってんだ僕は。
この後も送らないといけないデータがあるし、切羽詰まった問い合わせも来てるんだぞ。
大体トモくんにだって都合がある。ただでさえ渡すもの渡して帰ろうとしてたところを引き止めてるのに。
自分でもわけのわからない行動に呆然とする。
トモくんも最初は目を丸くしていたが、急にその場にストンと座り直した。
「…わかりました。でしたらその、お邪魔にならないようにここでわたしも作業してよろしいでしょうか」
「ご、ごめん…!なんか満腹になったらいっぺんに頭バグったみたいで…」
「謝らないでください。誰かの気配が欲しいということでしたら私とアランでお役に立てます」
「誰かの、気配…?」
「ええ。私もたまに執筆が行き詰まると、公園だとか、カフェのようなところを利用するんです。
空気が変わって、展開が一気に開けることがあります」
そうか、そういうものが僕は欲しかったのかな?
しかし、誰でもいいから空気を変えてくれ、というよりは…。
部屋にレオとアランくん、トモくんがいてくれて、あたたかい食べ物があるあの空気に覚えた安心感が欲しかった気がする。
これも状況を変えたい一心なのか?
「…ホントありがとう。カレーに加えてこんな」
「いえ、差し出がましいかもしれませんが…良ければ試してみましょう」
トモくんは僕たちと過ごす時間をどう思ってるんだろう。
出会ってまだ数ヶ月、僕はまだまだトモくんのことを何も知らない。

「では少し、集中しましょうか」
「そうだね、ありがとう、頑張るよ!」
…結局トモくんはPCを取りに行ったついでに、アランくんまで連れてきてくれた。
猫は夜のほうが元気だったりするものだが、やっぱりちょっと申し訳ない。
久々に猫プロレスが所狭しと繰り広げられる中、僕たちは無言でそれぞれの仕事に取り組む。
人と猫が増えると、冷えた部屋が少し温まった気がする。
打鍵音と猫の声。
気が散るかな、と思ったけど最初だけだった。
オフィスが恋しかったわけでもないし、1人の時間はむしろ好きだったのに。
今はこんなに居心地がいい。
その後、ちょっとびっくりするくらい仕事は捗った。

「うわーーっ、日付越えてる!」
ひとまず今日なんとかしなくてはいけない用件をやっつけて、時刻を見あげた途端、ひっくり返りそうになる。
「あ、本当ですね…。気づきませんでした」
「と、とりあえず解散にしようか」
「そうですね。いや、おかげで助かりました」
「え!?それはこっちのセリフだけど」
「いえ…私も少し煮詰まっていましたので。こちらに来た途端に捗って、結果、大変良かったです」
「僕もだよ!本当に効果あるんだな…」
「でしょう。我々のような仕事の者には、物理的な環境にもメリハリをつけると効果があるのかもしれませんね」
「うん…」
微妙にトモくんが言う『効果』と僕の謎の『安心感』には距離がある気がする。
とはいえ、明日からもしばらくは続く修羅場を前に、憑き物が落ちたみたいに気持ちが落ち着いてきた。
何か軽口でもと思ったけどうまく出てこない。
言いたいこと、色々ある気がするんだけど。
「今日はホントありがとう、トモくん」
精一杯の気持ちを込めてお礼を言う。
「いえいえ、お互い様です。最初は私が助けて頂いて始まったことですから」
「そっか…、うん。じゃあ、またね」
「はい、落ち着かれましたら、また、ぜひに」
次の約束をして今日も別れる。

ぱたんと閉まった玄関口にむけてレオがニャオニャオ鳴いている。
「お前も寂しいか~~」
思わず抱き上げて小さくて温かい頭に顔をすりよせた。
寂しいなんていつぶりに口にしたかな。
少し前なら何を大の大人が情けないことを、と思ってたとこだったろうが、なぜか今は自分の感情がストンと腑に落ちる。
…よし、今日はもう寝よう。
明日からしっかり仕事を片付けて、またうまい物を作って食べて、飲むために。
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