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水炊き編

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せせこましいキッチンになんとかふたり陣取って、ネギを刻み白菜をちぎる。
とりとめない話をはさみつつ鍋の準備が進んでゆく。
僕があれもこれもと目移りしたので何鍋にするかの決定にそこそこ時間はかかったが、結局最初はシンプルに、ということで水炊きをすることになった。
合川さんの手付きはゆっくりしたものだが、ネギは確実に、きちんとした幅にきれいに切り分けられてゆく。

「すみません、包丁を握るのもいつぶりかというくらいで時間が…」
「最初は僕もそんなもんでしたよ。いやもっとスジが悪かったかなあ。
手を切りかけましたし、というか何度か刻み済です」
冗談めかして言うと合川さんもつられて笑う。
「小学生くらいの頃は母の手伝いをしたこともあったのですが…大きくなるにつれあまり台所には入らなくなってしまい。妹が料理好きだったのもあったのですっかり取って代わらられたというか」
お、やっぱりお手伝いタイプだったか。
そして妹さんがいると。
「多分似たようなかんじかな。僕はなんだかんだ理由をつけてさぼってたほうです」
とん…とん…とのんびり目の音が響く。
「普段の食事はコンビニとか宅配なんですか?」
「ええ、そんなようなものです。今は良いミールキットがあるので」
「ミール…きっと?」
「月契約で冷凍されたおかずが届くシステムです。
栄養バランスがしっかり設計されているので私のように食に興味の薄い者には助かりました」
おぉ、だから引きこもり生活でも太っていないんだろうか。
僕も自分なりに栄養は気にしてるがこの生活ですっかり腹肉が気になり始めている…。
自炊は楽しいが、ウマいものや好物はついつい作りすぎ、食べすぎてしまうという罠があったのだ。

ほのかなダシの香りと立ち込める蒸気。
キッチンのコンロで煮て鍋ごと食卓へ移動させる。
カセットコンロがあれば食卓でそのまま作れたのだが、あいにく持っていないので僕が鍋を作るときはいつもこのスタイルだ。
猫たちには退避していただいているのだが、こちらの盛り上がりが気になるのか、先程から細い鳴き声があがっている。少し我慢してくれ、あとでおやつサービスタイムを入れるから。
「ジャジャーン!」
思わず口に出しながら鍋敷きの上へ鎮座させる。
合川さんがきれいに食材ごとに鍋の中身を盛り付けてくれたおかげで見目うるわしい水炊きになった。
料理経験がないというわりにしいたけには飾り切りまで入ってる。
今日までに色々調べてくれたんだろうか。
「いや~こんなにちゃんとした鍋、はじめてかも」
思わずスマホで写真など撮ってしまう。
合川さんはポン酢と器を両手にニコニコそれを眺めている。
「普段は雪平鍋に残り物の野菜の切れ端を片っ端からつっこんだだけ、というような地獄鍋なんですよ」
「煮てしまえば味は同じですからねえ。
鍋作りデビューなのでつい見目にこだわってしまいました」
「合川さんこそ料理の才能あるんじゃないですか~?」
くいくいと肘で大きなからだをつついてみる。
「そ、それほどでは…」
想像通りのリアクションが返ってきてうれしい。

「おいひぃ…」
「はい、温まりますね…」
野菜、つみれ、肉、と口の中へ次々運ばれる食材たち。
今日もベースは例の昆布だしなので、本当に切り分けた具材を煮ただけの楽ちん調理だ。
あっさりした風味だがもきのこ類や肉から出た出汁も相まってウマい。
スーパーで安売りになってた大きなパック入りの出来合いつみれ、しっかりしみたダシの味にふわふわした食感が癖になる。
全体的に大層な食材でもないんだが、肌寒い時期の鍋というのはそれだけで幸福感がすごい。
ポン酢の塩気にチューハイも進む。

「え~~っ、合川さんってまだ26なんですか」
「は、はい。ですのでどうぞ、もっと砕けた口調でお話しください」
「そっか~!じゃあ、呼び方から変えちゃお。あ、下の名前ってなんでしたっけ?」
「『朋友』のトモですね。あ、それだとどっちもトモか…レアなほうの漢字です」
「月がふたつのほうですか?たしかにめずらしい…トモくん!」
「あ!?はぁ、ヒェ!?」
いい感じにアルコールが回ってきて楽しくなってきた。
なんとなく合川さん…トモくんにはちょっかいをかけたくなるような、つっつき回したくなるような不思議な魅力がある。
僕には口うるさい姉がひとりいるだけだが、弟がいるとこんな感じかもしれない。
「作家さんに転職されて間もないんでしたっけ」
「ええ、以前は会社員でした。設計事務所の総務で」
そう話す表情に少し影が差す。
「転職、僕もする前は不安で押しつぶされそうなのに、新しい生活がはじまると案外スッキリしたっけな…。今の会社は合ってるみたいで、気づけばもう10年近くになります」
「10年…すごいですね」
いやいや、いうても会社におんぶに抱っこのサラリーマンではあるから、独り立ちしているトモくんのほうがすごいんである。
「前いた職場では色々ありまして、作家デビューに関わらず転職を考えてて…ちょうどそういう時期にアランとは出会ったんです」
あぁ、やっぱり前職はあまり良くない思い出だったのかな。
鍋の熱もあらかた冷め、隔離していたレオとアランがわいわいとテーブルのまわりにやってくる。
空になった器のにおいをフンフンと嗅ぐ猫をひょいと抱き上げてどけると、合川さんはぽつぽつと語り始めた。
「日付が変わる前まで残業した日の帰り、ぐったりした気持ちで歩いていたところに、猫の鳴き声がして」
近所のマンションの植え込みでにゃーにゃー鳴いてたのがまだ子猫時代のアランくんだったそうだ。
「アランと出会ってからなんだか吹っ切れたんです。
もう辞めちゃっていいんじゃないかなって。
そうしたらWEBの小説賞の佳作に引っかかって出版の運びになって。
一作目がそれなりに売れた結果、ありがたいことに次作の話が来て…書き溜めていたものもあったので今の生活に」
「転機って、来るときは大盤振る舞いで来ますよね…」
「山城さんの転職はどんな感じだったんですか?」
「はは、そこは全然いい話じゃないんです」
トモくんの前職と同じく、と言っていいかはわからないが、僕が前いたデザイン事務所もなかなかにブラックな環境だった。
人に調子を合わせる本能が強い僕は、次々とやめていく同僚の分の仕事も、押し付けられるがままに消化しようとし、離職直前にもなるとキャパはとっくにオーバー。
心身ともに崩壊寸前のところを、直属の上司の突然の独立に誘われるがまま、何も考えずについてきて今がある。
向上心や夢があっての転職ではなかったし、流されるままに生きて、今なお会社に都合の良いおじさんになりつつある自分の身を省みると少々つらい。
「てな感じで…」
「ご苦労なさったんですね」
トモくんは僕の話に真剣な表情で頷いてくれた。
だましうちのような形で出てきてしまったところもあるし、半端なプロジェクトを押し付けてしまった後輩達のことを思うと心が痛むこともある。
主体性がない割に変なところで気をつかうものだから、10年経ってもウジウジと考えてしまう苦い思い出の転職だ。
人生を省みて少々アンニュイな雰囲気にのまれた男ふたりのうしろでドタバタ音が響く。
猫たちのプロレスが今日もはじまったようだ。
…1人で悶々としている時、レオにはこういう風に気持ちの切り替えを助けてもらったことが何度もある。
猫という自由な生き物が人間に与える影響はすごい。
「あ、そういや今日はおやつがあるんだよ、おふたりさん」
たまーに送られてくる実家便に入っていたちょっと高級な猫オヤツがあるのだ。
「うちの母親が僕どころじゃない猫狂いで、レオを飼い始めてからは定期的に写真を送れとうるさいんだけど、その見返りにこうしてオモチャやおやつを送ってくれるんだ。毎回すごい量送ってくるので、よければアランくんも手伝って下さい」
なんなら僕宛の食料の倍くらい入ってるんだよな…。
「これは…ありがとうございます。
アラン、ありがたくいただくんだよ」
袋を開ける音だけで2匹は大いに盛り上がってくれた。

「ご実家でも飼われてたんですか」
「うん、今も3代目の爺さん猫が。長らく帰ってないんで次行った時には忘れられてそうだなあ」
1人で飼うこと自体ははじめてだったが、レオとの暮らしも必然のようなところがあったんだろう。
飼いはじめのきっかけはトモくんとアランくんほどドラマチックなものではなく、学生時代の友人の家で生まれた子猫を押し付けられた、という感じだったが。
「レオくんがいてくれて寂しくないですね」
「はは、最初はやんちゃで手もかかったし、引っ越しするはめにもなったので大変だったけど…そうだね」
「ああ、私も同じです。飼うとなるとペット可の住まいを見つけるところからですもんね」
「「でも」」
同時に声が出て顔を見合わせる。
「当たりだよねえ…この家…」
「わかります。大当たりでした」
僕たちの暮らすマンションは駅チカ、南向き日当たり良好、ペット可と奇跡のような条件が揃っている。
代わりに築年数は結構なもので、隙間風や水回りの怪しさはあるがレオと僕2人で暮らすには十分すぎるお城だ。
「まだ数年の居住ですが、引きこもって働くには最適だと思います」
「そうだね。そのうえ良いお隣さんとも巡り会えて、最高だよ」
僕の言葉にトモくんはハッと顔を上げたあと口をぱくぱくさせ、その上顔が赤くなった。
…照れてるのか?
アルコールの勢いではあったけど僕の言葉にいつわりはないつもりだった。
トモくんと出会ったアランくんが今度はうちのレオと出会って、トモくんと僕との縁も繋いでくれたわけだ。
黒猫は不吉なんていう伝承もあるらしいが、僕たちにとっては縁起物といっていいだろう。
そんな考えが浮かんで自分が随分トモくんにハマってることに気づいてなんだかウケてしまう。

おやつに満足した猫たちは寄り添ってうとうとしはじめている。
はじめての鍋会の夜は、こうしておだやかに過ぎていったのだった。
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