Alice from Hell

藻上 狛

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土人形

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丘のある広場に着いた時、黒いネズミはまずその異様な光景に視界を奪われた。
無数のトランプ兵が幾重にも列をなしてある一点へと向かっていた。いや正確には一点に向かって幾重にも列が円を描いた状態で全てのトランプが停止していた。あるものは槍を振り上げ、あるものは投擲したあとの構えで地に膝をつき、あるものは両足を広げて前方へ走り出そうとしている。

「何だこれ……」

まるで人形のようにピタリと動きを止めたまま皆体は中心の土砂の山へと向かっている。

「あれは、まさか」
土人形ゴーレムだな」
「じゃああの中に居るのか」
「そういう事だ」
「…………」

トランプ兵達の足の間を縫いながら黒いネズミは土砂に向かって駆けていく。近づけば近づくほどトランプ兵の壁が後ろへ消えていき、残り10mをきった辺りからその土塊の山に無数の槍が突き立っているのが分かった。土塊の表面は丸い山から何度も削り取られたように凸凹で、10体程度のトランプ兵がまだ縋りついたまま止まっていた。

「こいつらは本当に止まってるんだろうな」
「見たところそうらしいな」
「どうして消えていないんだ…………お前、何か知ってるんじゃないのか?」
「どうしてそう思う?」
「お前がさっきそれを匂わせたからだろ」
「へっへっへ!そんな事?消えていないにせよトランプ兵の動きは止まっていて、お前は辿り着いたんだ。他に何を気にするところがある?」
「……俺はお前を信じて良いのか分からなくなってきた」

土砂の山を前にして黒いネズミは宙に浮いたチェシャ猫を見上げた。

「お前には何度も助けられた。変わった奴だが味方だと思う事にしていた。ただこのトランプ兵は…………」

四方を囲うトランプ兵は今にも攻撃せんとばかりに皆武器を振りかぶっている。ピタリと身動き一つ取らないが、その迫力は身震いするほどだ。

「ハートの女王が居なくなって城のトランプは消えた。だがここにはトランプ兵が残っている。考えられるとすれば、
「…………」
「もしそうだったとしたら、そいつが突然GOサインを出したらもうお終いだ」

チェシャ猫の表情は変わらない。相も変わらずニヤニヤと笑みを浮かべて宙空を漂っている。

「それに……いや、うーん……」
「なんだ?煮え切らないな。ハッキリ言え」
「お前…………お前は、何なんだ?」

黒いネズミのその問いに、チェシャ猫は口角をグイと上げて目をニタニタと輝かせ毛をブルブルと逆立てた。怒りとも歓喜とも取れるその反応に黒いネズミは思わず体を跳ねさせて後退りした。

「へっへっ!まぁ、そう、ほぼ半分正解」
「は?」

チェシャ猫は目を細めてニヤニヤ顔で頷いた。

「お前の考えは悪くなかった」
「…………」
「『ハートの女王』という存在は無くなった。だからハートの女王が作り出し、ハートの女王の指揮下にあったトランプ達は消えた。ただハートの女王の指揮下に無かったトランプ達が居た」
「指揮下に……無かった……」

ふとハートの女王の言葉を思い出す。

「その場合もハートの女王が創り出したトランプ兵は消える筈だった。が、ある条件を満たすまでそれは叶わないようになっていた」
「ある条件?」
「ハートの女王が女王を降りる前に、ハートの女王以外の者の指揮によって命じられた事を果たすまでトランプ兵は残り続ける」
「…………それは、つまり」
「へっへっへ。誰だと思う?ハートの女王から強制的に指揮権を移譲されたのは?そしてこのトランプ兵達は、消えゆく前に何を命令されたと思う?」

黒いネズミは血の気が引く思いがした。自分が人間の姿だったなら間違いなくその顔は青褪めていただろう。

「まあ処刑に決まっているよな?あからさまにアリスに向かって襲いかかってるからな。そしてそれを指示したのはこの中に居る奴しかいないよな」
「…………やっぱり、そうなのか…………」

愕然として黒いネズミは地に膝をついた。

「で、アリスの意識が落ちている隙を狙って俺が止めておいたってわけ」
「チェシャ猫!」
「おいやめろ感謝するな。それにつまりこいつらはいつ動き出してもおかしくないってことだ」
「……なるほど……そうか……」

黒いネズミは鼻先を左右に振って土砂の山を窺った。凸凹の中であちこちに罅が入って割れかけている。慎重に土の山を登って罅から穴に広がっているところを探す。

「結局、お前が何なのかよく分からないな」
「俺はチェシャ猫だ」
「…………そう。お前はよく分からないが、ずっとそうやって笑っているな」

チェシャ猫の気配を背後に感じながら見向きはせず、土にしがみついて上へ進む。

「お前はそうやって笑っていたいだけだったりしてな」

手にかけた亀裂上に空いた穴から空気の流れを感じた。どうやら奥まで続いていそうだ。

「じゃあな、チェシャ猫」
「ああ、行ってくると良い」

真っ暗な穴の中を進んでいく。自分の胴体より2回りほど大きな穴を這いずるのは簡単だった。やがて暗闇の先にキラキラと小さな光が瞬くのに気がついた。
それは恐らくこの土塊の山に入った亀裂から奥の空洞へ差し込んだ僅かな光達だった。
そして遂に暗闇の道は終わり、黒いネズミは空洞の底へ転がり出た。ポトリ、と落ちたのは静かに拍動する人の上だった。暗がりで表情は窺えないが、薄らとその身体が見える。

「悠斗」
「…………兄さん」

ようやく名前を呼んだ。長かった。

「悠斗、ごめん……ごめんな……俺が悪かった」
「…………ん、どうして……黒いネズミ……あれ……?」

混乱したように首を傾げるアリス悠斗に縋りついてその頬を小さな掌で撫でた。頭から流れて乾いてきた血を拭おうと何度も擦る。

「ああ……そうか……思い出しちゃったんだ……」
「……っ…………ぅ……悠斗……!」
「……ごめん………最後まで……迷惑……」
「馬鹿を言うな!!!」

黒いネズミは全身を振り絞って声を出すと、肩で息をして咽せた。

「俺のことなんて、忘れてたら幸せだったのに……」
「そんなわけないだろ!お前が居なかったら俺は、何もない、空っぽなんだ……悠斗、頼む、そんな風に言わないでくれ」
「…………」

アリスは黙っていた。呼吸で胸が上下するのが唯一活動している証のようで、黒いネズミは気が気では無かった。

「悠斗、頼む。目を覚ますよな?お前はここに居るんだもんな?」
「……それは……」
「都合の良い事ばかり言うな」

突然割って入ってきた声に、黒いネズミは驚いて目を見開いた。辺りを見回すが暗闇の中ではあまり意味が無い。

「…………もう、良いんだ」
「良いわけがあるか。
「お前、お前の声……どうして」

土塊の壁が割れていく。
外の明かりが差し込んで傷だらけのアリスと黒いネズミを照らし出す。
地面に流れた赤い染みが土塊に混ざって粘土細工のようにぐるぐると集まり始めた。

「許せないだろう?憎んでいただろう??」
「…………だって、事故だったんだ……」

土の塊は人型になっていった。地面に横になっているアリスと瓜二つの姿になって、その赤髪を振り乱す。

「俺の苦しみに関係があるか!?ずっと待っていたんだ!ずっと、ずっとーーそれだけが支えだった!!」
「やめて……くれ……俺が、おかしかったんだ……」
「こいつだけじゃない!俺を責める者が憎かった!苦しかった!何故苦しいんだ?それは俺が悪い!俺が罪人だから!苦しいんだ!どうしたら楽になる?楽になることも許されないっていうのか?」
「はぁ……ああ……俺は……」
「悠斗!お前は悪くない!」

ボタボタと、アリスの腹の上に水滴が落ちる。黒い水晶のように揺れるネズミの瞳から流れ落ちて汚れたジャケットに染み込んでいく。

「お前は悪くない……」
「今更なんだよ……悪くないわけないだろ……?母さんはどうして俺を嫌うんだ?兄さんはどうして会いに来てくれないんだ??なあ、俺は欠陥品で罪人で悪魔みたいだ!こんなんじゃ、兄さんだって戻ってきてくれないに決まってる!どうしたら良かったんだ!どうして俺は正しい人間じゃないんだ!」

土人形アリスは錯乱したように取り乱し、頭を抱えて喉から声を絞り出す。

「なあ、アリス!恨み言があるだろ……?もっと、もっと、滅茶苦茶にしてやりたいだろ?」

問われたアリスは微睡むような表情で土人形を見据えていた。

「ああ……そうだ……だって、君は俺だし……君の言う事は……本心なんだ……」

アリスは僅かに頭を傾けて頷く素振りを見せた。黒いネズミは言葉も発せなかった。土人形は憑き物が落ちたように笑った。だが続く言葉を聞いてまた表情を曇らせる。

「でも、俺だって……本心だ……心の内でどう思っても……もう、そうしないって……決めたんだ……もう、終わりで良いんだ」

開けた公園には、変わらずトランプ兵がアリス達を囲って固まっている。その中心でアリスと黒いネズミと土人形が睨めっこしている奇妙な光景だ。
緑の風が彼等の間を吹き抜けて優しく撫でていく事だけが安らぎに感じられた。

「苦しいよね……分かるよ……俺の事だから……でも、決めたんだ……」

アリスがもう一度頷いた。
遂に世界が終わりを迎える時間が来た。
長かったようで早かった。
遥か高みの宙空で青い猫が変わらず笑みを湛えていた。
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