Alice from Hell

藻上 狛

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宙空にて笑うもの

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黒いネズミは目覚めた時と同じ暗い牢屋に放り込まれて、鉄格子がガシャンと閉じる音を聞いた。
転がされて打ちつけた体を摩って呻く。

「いたた」
「九死に一生を得たなぁ」

また見えない声がどこからか囁いてきた。

「皮剥ぎ師なんてこの世界のどこにもいないぜ。トランプ達は今頃血眼になって皮剥師を仕立て上げようとしてるだろうな」
「お前は誰なんだ?どこから話しかけてるんだ?」

狭い牢屋の中をどれだけ見回しても何者も居ないように見える。

「そんなことよりお前、女王に会って何かしたかったんじゃないのか?」
「あ......ああ、忘れてた」

黒いネズミはようやくそもそも女王に会おうとしていた目的を思い出した。

「いや、どちらにせよ無理だった。端から人のことを処刑しようとするし、言ってることは無茶苦茶だし」
「ふーん。元々会ってどうするつもりだったんだ?」
「ああ......どうせ訳が分からないと思うけど、夢から覚める方法を聞きたかったんだ」
「夢から覚める方法?そんなのを聞いてどうするってんだ」
「それは、俺の元の生活というか、日常に帰りたかったんだ」

誰かも分からない相手に、いや姿も見えない相手だからこそスラスラと自分の話ができた。

「で、結局女王を怒らせて皮剥ぎの刑か。だからヒートアップするなって言ったのに」
「......なんだか凄く胸がムカムカして、耐えられなかったんだ」
「ふーん。まあ女王に腹が立つのは分かるけどな」
「ここの連中はみんな女王に右倣えだと思ってたけど、そうじゃないのも居るんだな」

へっへっへ、と宙空に笑いだけが木霊する。

「何がおかしいんだよ。だってそうだろ?ハートのJだって、俺の処刑が間違ってるって分かってるのにこっちが聞くまで何も言わなかったし」
「へっへっへ。全部が全部おかしいね。ハートのJは居たことが奇跡だぜ。あいつだけは居たら良かったからただ居るだけで、ハートのJなんて本当は居ないんだからな」
「うーん……話が分かると思ってたけど、やっぱりお前の言うことも訳が分からないよ」
「それにお前の処刑も間違ってはないんだぜ。女王の口ぶりは滅茶苦茶だが、罪人帳には罪人が載るものだ」
「お前もそんな事言うのか?それが一番分からないよ。罪状が分からないのに罪人なんて、納得できるか?大体罪人だと思ってるなら何で助けたんだよ?」
「罪状は自分で知るしかない。あるいは俺はそれをお前が知るために助けたのかもしれない」
「どういうことだ……?」

カンッカンッカンッ

高みの小窓から小石が落ちてきて牢屋の中に落下音が反響する。

「お前は悠長に構えてるけど、そのままそこに居たら間違いなくど素人の皮剥師にボロボロに削がれながら死ぬ事になるんだぜ」

小窓から差し込む陽光が一瞬何かに遮られたような気がしたが、黒いネズミには判別できなかった。

「真実を知るためには生きて助かるしかない。生きて助かるためにはそこから這い上がって逃げるしかない」

黒いネズミは高みにある小窓を仰ぎ見て項垂れた。

「無理だ。こんな小さな体でそこまで登っていくなんて」
「へっへっへ。大きい体なら辿り着くみたいな言い草!その小さな体じゃなかったらどうやってこの小窓から出るって言うんだ?その体でここまで登ってくるんだよ」
「登るって言ったって」
「凸凹の石の壁を登るんだ。大丈夫だ、ちゃんと登り方がある」

見えない声に促されて、黒いネズミは壁に手をついた。ここに居ても声の言う通り死を待つだけだ。それに、確かに石の壁はゴツゴツとしていてネズミの小さな掌でもでっぱっているところに掴まることができそうだった。

「もっと上を掴むんだ。今掴んでるところには足を乗せて」

どこからか飛んでくる指示に従って黒いネズミは体を伸ばして石の壁にしがみついていく。

「そこは左の石を掴んで。ああ、お前から見て右だった。そのまま上に。まだ上に。よし、そこで右。あ、違う左だ」
「勘弁してくれ!」

信じて良いのか怪しい指示を聞きながら、黒いネズミは少しずつ上へ上へと登っていく。
段々と体の動かし方のコツが分かってきた。息を切らしながら痺れ始めた腕に力を入れて足で石を蹴っていると、段々と明かりが近づいてくる。

「も、う少し……」
「良いぞ。もう腕が届くところまで来た」

それは大げさだろうと思いながら、残る力を振り絞って腕を伸ばした。
と、その時、足場の石が崩れてずるりと右足が滑って完全にバランスを崩してしまう。

「っ、わぁぁぁっ!」

それなりの高さまで登ってきて、石造りの床に叩きつけられたら今度こそ死んでしまうだろうか?
デジャヴのような感覚と浮遊感に襲われた黒いネズミの瞳に刹那、物凄い勢いで小窓から飛び込んできた毛むくじゃらの腕が映り込んだ。
掌を眼前でグワッと開かれたかと思うと瞬く間に黒いネズミは柔らかい肉球に包まれ、そのまま小窓を潜り抜けて牢屋の外へ放り出されていた。

「良かったな。

久しく見ていなかった陽光に照らされて、しぱしぱと瞬いていた目を開けると、そこにはずんぐりむっくりとした影が鎮座していた。
薄いブルーグレーに背中の濃い青の毛が途中から縞模様になっている独特の毛並み、張り付いたようなニヤニヤ笑いを浮かべる大きな猫がそこにいた。

「まさか、お前がずっと話しかけていたのか?」
「暗いところに居すぎて寝ぼけているのか?そうに決まってるだろ」
「ということは、いや、どうして気づかなかったんだ。チェシャ猫なのか?」
「いかにも。俺はチェシャ猫だ、黒いネズミ。自分のことは分からないのに猫のことはよく知っているようだな」
「でもやっぱり分からない。初めて会うと思うけど、どうしてチェシャ猫が俺を助けたんだ……。まさか、食べる気じゃないよな?」
「食おうと思えば食えるけどな。それは目的じゃない」

べろり、とぎらついた歯を舐める仕草にぞわりと悪寒が走る。チェシャ猫は今のところ黒いネズミを助けてくれているように思えるが、果たして信用して良いのかは謎だった。

「じゃあ何が目的なんだ?」
「それに答えるのはお前がこの後どうするつもりかを聞いてからだな」

フリフリと縞模様の尻尾を振りながらチェシャ猫は値踏みするように黒いネズミを見下ろしている。
その視線に居心地の悪さを感じながら、黒いネズミは逡巡した。

「この後って……」
「ここは女王の城の裏手だ。そこの生け垣を抜ければすぐ外に出れる」

チェシャ猫が指した先には緑の生け垣が塀のように高く聳えていた。その足元には猫のこぶし大の穴が開いていて、ネズミ程のサイズであれば通り抜けることができそうだ。

「お前は女王に処刑を命じられた身だからな。ただこの世界をウロウロしてたらそのうち捕まって牢屋に逆戻り。または戻る間もなく即処刑だ」
「やっぱり、それは免れないのか」
「いったんは外に出られたが。お前はこれからどうするんだ?」

チェシャ猫はニヤニヤ笑いを浮かべたまま再び黒いネズミに問うてくる。
黒いネズミは腕を組んで眉間に皺を寄せ考え始めた。

黒いネズミにとって最優先は元の日常に戻ることである。
そのための大きな問題が2つ。

1つはこの世界が何なのか分からないことだ。
初めはただの夢かと思ったが、最早そうでないことは明らかだ。肌で感じる感触、匂い、意識を失っても目覚めない世界。
どう考えても夢ではなく現実のように感じる。しかし現実とは言い難い程に夢じみた世界。
自分の知っている話と近しいようで時折違和感を感じる不思議の国のアリスの登場人物たち。
有名な童話とは姿も性別も違う異色の存在アリス。
存在すらしなかった筈のアリスを取り巻く3人の騎士たち。大蛇、大鷲、土人形。
こんな世界に巻き込まれることに心当たりが全く無い。あるいは自分は一度死んでいて、未知の世界に転生していますとでも言うのだろうか。もしそうであれば完全にお手上げになる。

もう1つは女王に処刑を命じられてしまったことだ。
女王、その兵達に見つかって捕らわれてしまったら終わりだ。
もしかしたら処刑を受ける/死ぬことで目が覚める/元の世界に戻れる可能性があるが、本当にそのまま死んでしまう可能性も考えられる。
一番は捕まる前に戻り方が分かってこのワンダーランドから脱出できる事だ。
だがこの世界が何なのか分からない以上、その脱出方法の手がかりも皆無と言えた。

「そういえば、罪人帳の罪状が分からないのも納得いかないんだよな」
「ああ、その話ね」
「お前は知らない……というか、多分知っていても教える気が無いんだろうな」

チェシャ猫はただニヤニヤと笑いを浮かべるだけだった。黒いネズミは落胆のため息をつく。
その時ふと大学の学科の担当教授の言葉を思い出した。課題のために質問したところ教授も知らないようだったので頭を下げて帰ろうとした時だ。ボサボサの眉毛を弓なりにあげて、老教授は「まあ待ちなさい。私は知らないが知っていそうな有識者がいるから。教えられないが教えられそうな人を紹介することはできるよ」と言ったのだった。
なんとなくその時の言葉が新鮮で頭に残っていた。

「お前は話さなくても、罪人帳について知ってるやつとか作ったやつとかを教えてくれたりもしないのか?そうでなくても物知りなやつとか有識者はいないのか?」

チェシャ猫はニヤニヤ笑いをニィ、と更に深めて「それは何のためだ?」と聞いた。

「それは、罪人帳の仕組みというか、俺の罪を知るためだ。あとはこの世界が何なのかとか、それが分かれば脱出方法も分かるかもしれないし……」

段々としどろもどろになる黒いネズミを見下ろすチェシャ猫の目が細まっていく。その表情が何を示すのか分からず黒いネズミは身構えた。

「まあ良いだろう。そろそろ融通の効かないトランプ兵も牢屋が空っぽなことに気づく頃だ。さっさとそこの穴を抜けていけ。そうしたらこの世界で一番物知りな有識者のところに案内してやるぜ」

そう言い残すと、驚くべきことにチェシャ猫はぼんやりと姿を薄れさせニヤニヤ笑う瞳と口元を残しながら消えていった。
黒いネズミは目の前の光景に、場違いな感動を覚えながら慌てて生け垣の穴に向かって飛び込んだ。

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