焔獄の王と氷柱の花嫁

鋼雅 暁

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プロローグ1

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 アウラニルラ王国最北端の町は、不気味なほど静まり返っていた。びゅうびゅうと、ひっきりなしに北風が吹きつけている。
 だが、揺れる木の枝も草もない。
「すごい……本当に氷の町だわ……」
 白い石で綺麗に舗装された道も緑豊かな樹木も、収穫間近の稲穂も果実も、すべてが氷漬けになっている。
「不思議なことに、草木の一本も枯れてはおりません」
「自然災害で凍ったものは、こうはならないわね」
「はい」

 たしかにこの町は、国の最北端にある。しかし、アウラニルラ王国はそこまで寒い国ではない。
 晴れの日が多く、一年を通して日差しも強い。今も、照り付ける太陽が氷に反射して眩しいくらいだ。
「本当に、町がまるまるそのまま、氷漬けになっているのね……」
 毛並みの良い黒い軍馬にのった少女が、暗い瞳で町をぐるっと見る。出迎えの人もいなければ、犬の一匹鳥の一羽もいない。
「姫、急がねばなりません」
「え?」
「雪雲が、迫っております。風雪が吹き付ける、悪天候になりましょう」
 そうなの? と、少女は不思議そうに頭上に視線を投げた。青空とまではいかないが、晴れている。
「――爺の言葉を信じましょう」
「ありがとうございます」
 雪が降る前に一歩でも先へ。侍従に促されて彼女は黙々と先へ進む。

 
 侍従の言葉通り、それから程なくして黒い雲があっという間に広がった。しかし家路を慌てる人もなく、ただただ雪が舞い風が二人に吹きつける。
「家の中にいた人たちはどうなったの?」
「おそらく、ひとり残らず一瞬にして氷漬けだったでしょうから――命は奪われているかと」
「……そう……」
「もっとも、自然界の水ではなく、魔法によるものですから人々は眠らされているだけかもしれません」
 そうであってほしいものね、と、少女は小さくつぶやく。
 彼女の顔は、美しく整っている。だが表情が乏しいがゆえにまるで人形のような印象を与える。その少女の顔に、雪のかけらが落ちてくる。
「姫、氷の離宮はこの先です。一層寒くなりますので毛皮を……」
 侍従からコートを受け取った少女は、優雅な動作でそれを身にまとった。が、その異常な重さに顔を顰める。
「重いわね」
「王宮の魔女たちの守護魔法がかけられた毛皮です。決して脱いではなりません」
 わかっているわ、と、少女は静かに微笑んだ。そのまま、黙々と足を進める。風の音以外に、聞こえるものはない。
 そんな中で、彼女は唇を動かした。
「魔女は――王の血脈に連なる者を恨む」
「姫?」
「我が国の王の血を引く人物が離宮に近寄るともれなく凍らせてしまう……と、母上にも言われたわ。そうでしょう?」
「さようでございます」
「何人も――王族が犠牲になっていると、聞いたわ」
 それだけ魔女の恨みは強いのだと、言われている。しかしなぜ、魔女はそれほどまでに王族を恨むのか。
 王宮に暮らしている以上、彼女も王族ゆかりの人物であるはずなのだが――。
「それでも私は、魔女に会わなければならないわ」
 そうですね、と、侍従が頷く。
 彼女は、何があっても魔女に会って願わなくてはならない。

 この国の次期国王――お兄様をどうか返してください、と。
 
 この先にある、アウラニルラ第三離宮。
 かつては春の女神を祀る神殿の役割も兼ねていたという。その証に柱や梁には葡萄の蔓や葉が彫られ、至る所に花の紋章がある。
 この国の王子は、18歳の誕生日を迎えると、国中の神殿を礼拝してまわる習慣がある。その中に、この宮殿も入っている。
 しかし現在、そこには町を丸ごと氷漬けにするほどの強力な魔力を持つ『魔女』が眠っている。
 彼女の魔力は眠っていてなお溢れ続け、離宮は常に吹雪に覆われていて、容易に人を近寄らせない。
「爺、寒くない? 大丈夫?」
「おお、有難きお言葉。この爺、老いたりといえども魔法使いの端くれですぞ。防寒マントを編み出すぐらい朝飯前」
「でも、爺……無理をしないで」
 少女の瞳が悲し気に揺れた。幼いころからいつもそばにいてくれる侍従。魔法や知恵でいつも王家を助けてくれる。
「魔法使いは、魔力が尽きない限り生きていられると知っているけれど……。あなたにはただでさえ、無茶をお願いしているのだから……」
 侍従は、皴だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして、からからと笑った。
「無茶……とは、瀕死の王の命を魔力でこの世にお繋ぎしていることですかな? それとも、この雪山登山?」
「両方よ。魔力と肉体、両方に負荷をかけ続けているわ」
「我が身をご案じくださるか。優しき姫君よ」
「爺の魔力と体力が尽きてしまってはいけないわ。一刻も早くお兄様を返していただきましょう」 
 国の一大事を担った姫は、気丈ににっこりと微笑んだ。

 数歩前を歩く姫の小さな背中を見ながら、侍従は甘くて苦い、胸の痛みを覚えていた。
 かつて、自分の国のために我が身を捧げた姫がいた。臣下の一人として姫に仕えていたのは、短い期間だった。
 姫は、大国の後宮に側室として入ったあと、忽然と姿を消してしまった。
(わしは、かの姫さまを守ることができなかったが、こたびは――この姫は、しっかりと守らねば――)
 離宮までは、まだ距離がある。
 
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