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あのお方をターゲットにしたいと思います。

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「ちょっとやりすぎたかしらね……」

 馬車の中で小さな独り言はもちろん、リズだ。
 今年は、社交界シーズンに入った今でも雨期が明けきらず、今日も夕方までずっと雨だった。
 昨日もその前も、雨。
 あまりに雨が続くため、気候の異常かこの世の終わりが近づいているのではないかと人々は不安がるが、その心配は無用である。
 そこかしこに水たまりを作りたいがために、イシュタルことエリザベス・アル・フォントレーが魔法で雨を降らせたのだから。

 しかし迷惑な魔法の使い方である。
 長い雨は農作物にも被害が出てしまうため止めなさいと母にお説教されたのは今朝のこと、しばらくこの都には雨は降らないだろう。

 それはともかく。
 通常、貴族の馬車は車体や馬が汚れることを嫌いそれら水たまりを避けるのだが、この馬車はまったく厭うことなく突っ込んでいく。もちろん、泥水を周囲に跳ね飛ばしてライバル令嬢のドレスを汚し、戦意喪失させることが目的である。悪趣味極まりない上に子どもじみているしかなり荒っぽいが、なかなか効果的であったため、リズが味をしめてしまった。

 そして二頭の白馬は競走馬かと思うほどに真剣に走っている。鼻息も荒く、引き締まった美しい馬体は雨をよく弾き湯気すら見えそうな勢いである。貴族の家の馬とは思えない調教の仕方である。

 ちなみに、これら馬の状態はリズが直々にチェックしている。
「この子はいい感じに絞れているけど、こっちはガレ気味ね。毛艶もよくないわ。ちょっと心配だから調教は馬なりにして放牧……いえ、温泉に入れてみましょう」

 この世界のどこに、自分の家の軍馬の状態を細かくチェックする令嬢がいるのだろうか。これはもちろん、前世、リサだったころの記憶のたまものである。
 リサのファンクラブの会長は、大富豪の馬主だった。競馬場や牧場、セリへ何度も連れて行ってもらったのである。そして彼と対等に会話をするために、こっそりと競馬の勉強をした。そのときに蓄えた競馬の知識をフル活用して、リズは自分の家の馬を調教し、更にはこの世界の競馬で大儲けしている――馬主として。

 そのため、フォントレー家の馬はすこぶる状態がよく、ものすごくよく走る。しかしながら御者は訓練を受けた騎手ではない。鞭を入れるどころか自身が振り落とされないようにしがみついているし、通常なら馬車に伴奏する人や犬がいるものだが、それも見当たらない。もはや、常時暴走している馬車と言ってもいいくらいで、通りを歩く人々が慌てて避ける有様だ。

「ごめんなさいね!」

 と、形ばかりの謝罪の声が聞こえるが、そんなものはあっという間に消えてしまう。

「なんて馬車だい! 危なくって仕方がないよ」

 だが、車に乗っている人物はその速度に慣れているらしい。
 今宵も、可動式に改良した窓を全開にし、器用に身を乗り出して周囲を確認する。目的地までの距離を把握したらしく、

「この速度だと、舞踏会に遅れるわ」

 と、はしたなくも大声で叫んだ。これだけ馬車を飛ばしていながらどうして遅刻しそうになるのか、大いに疑問である。
 しかしその声にこたえるように、馬車は加速する。危ないことこの上ない。が、ガス灯の灯りで浮かび上がる彼女は、幻想的なほどに美しい。
 陶器のように滑らかで白く輝く肌、キラキラと輝く大きな瞳。小さな顔に芸術的な美しさで並んだ目鼻は完璧な造形で、王都の画家たちがこぞって美しいと褒めたたえ、絵や像のモデルにする。
 明るい光の下でみたなら、彼女の髪が非常に美しく繊細なプラチナブロンドでさらさらと流れるようであることに気付く。
 さらに老若男女を問わず惹きつける目は、造形の美しさだけでなく意志の強さを秘めている。薄いピンクの唇も当然形よくできていて、ぷっくりとしたみずみずしい果実のようである。

 妖精か天使か魔女かと思われるような美貌の彼女。彼女はなんと自分でその美貌をしっかりと認識している。にも拘らず、「わたくしは、王都で二番目に美しいのです」と言う。
 彼女なりの謙遜だと人々は言うが、何のことはない、リズは本気でそう思っているのである――。

 とにもかくにも、桁外れの美貌の彼女は、今、風で髪飾りが飛ばないよう抑えながらはしたなくも叫んだ。

「急げ! 飛ばせ! 舞踏会に遅れてしまうわ! はやく彼に会いたいのよ!」

 それを聞いた人々は、苦笑した。

「恋するイシュタルさまのお通りだよ! 道をあけなきゃ殺されるよ!」

 現在、イシュタルさま『を』狙っている男性は掃いて捨てるほどにいるが、イシュタルさま『が』狙っている男性はただ一人、ライセン侯爵家の嫡男シュテファン・ゾンマーフェルト・ライセンである。なんでもイシュタルさまが一目惚れしたらしいのだ。

 町の人々は、シュテファンもどうせすぐ、リズの美貌や肢体、教養に陥落するだろうと思っていたが、どうしたわけか、リズは苦戦中である。シュテファンがちっとも靡いてくれないのだ。そのため、彼を手に入れようと躍起になっているーーと、もっぱらの噂である。

 シュテファンは、現在の社交界で、令嬢たちが一番憧れている存在である。完璧な貴公子であるが浮いた噂はひとつもなく、誰に対しても平等に接するため彼の本命が誰なのかはわからない。

「どきなさい、シュテファンさまと一曲目と三曲目に踊るのはこのわたくしよ!」

 だから絶対に遅刻したくないし、できれば会場に先回りしてあとから到着するシュテファンを入り口で捕まえて、許される限り常にお傍に控えていたい。

 もっと言うなら、ダンスとダンスの合間に挟まれる軽食も一緒にとりたいと思う。少しでもお傍に行きたいし、おしゃべりがしたい。――のだが、他の令嬢たちをどうやって蹴散らかすか。

「あらら、みんな考えることは一緒よね……」

 会場の入り口には、すでに、戦闘態勢の令嬢がひしめいている。彼女たちのほとんどは、数多いる男たちを見ることもなく、一点を見つめている。

「きたわっ、ライセン家の馬車よっ」

 誰かの声がすると同時に、どどどどど……と令嬢たちがはしたなくも馬車に殺到する。馬車の扉が開くだけで黄色い完成、眩いばかりの美貌のシュテファンが姿を現すだけで卒倒する令嬢が出る始末。思わず人気アイドルの入り待ち出待ちを連想してしまうリズである。

「……だめよ、わたくしはこれには入れない……」

 入待ち出待ちがどれほど危ないかを知っている前世の記憶が災いし、すっかり出遅れてしまうリズであった。
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