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怪鳥奮闘記
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馬の世話をする英次郎と太一郎の傍らで、化鳥は眠る。
「む、英次郎、毒薬が切れてきたようじゃ」
「よしきた」
素早く毒薬を手にした英次郎が、化鳥の嘴をこじ開けて薬を流し込む。すると再び化鳥は深く眠る。
「……親分、化鳥の犠牲になった二人は……」
「わしの知り合いの坊主と植木屋や火消しらをな、酒井様のお屋敷に派遣したゆえ、下ろしてもらえるはずじゃ」
「そうか、家族の元へ戻れるのか」
そうこうしているうちに、衣笠組の子分たちが総出でやってきた。
「親分、おまたせしやした」
「おお、すまんな」
顔見知りの顔が続々と集まり、英次郎がいくらかほっとした顔を見せた。しかし、やくざの彼らが手にしているものは匕首や賽子ではなく、紐や戸板や丸太といった大工道具である。
「いったい何が……」
目を瞬かせる英次郎の前で、化け鳥は縄で厳重に嘴や足を縛り付けられ、簡単には身動きできないようにされた上で、巨大な筏のようなものが組まれたそこに縫い留められた。
もちろんこれらの指揮をとるのは太一郎である。
「英次郎、馬でついて来てな、こやつが目を覚ましたらさっきの毒薬で眠らせてくれ」
「それは構わぬが親分、こやつをどうするのだ?」
どこに放すのだろうか、と英次郎が思案する傍で、子分たちが「猪牙舟の用意もできやした」と告げた。
「親分、まさか大川に捨てるのか?」
「いや、大川では江戸の町に近すぎる。目が覚めたらまた、こやつは人を襲うだろう」
「そんなものかな」
「人を狩ることを覚えた獣ゆえな」
巨大な筏は、若い衆に担ぎ上げられ、うんうん言いながら運搬されていく。慌てて太一郎も列に加わるが、太り過ぎの太一郎は『幅ばかり取って邪魔』であったらしい。
「親分、退いて下せぇ……」
「む」
「後ろから、英次郎兄ぃの邪魔にならないようについてきてください」
「ぐ、ぬぅ……」
しょんぼりした太一郎が、馬上の英次郎に「若い衆が酷い」と文句を並べる。
「まぁいいではないか、親分。これでも食べて元気を取り戻してくれ」
懐から英次郎が取り出したのは油紙に包まれた色とりどりの金平糖である。
「おお!」
「母上が拵えたものでな。親分に、とのことだ」
ありがたい、と、太一郎が子供のように目を輝かせた。いつものように眺めて楽しんだあと、そっと口に入れる。
「ああ、美味じゃ……極楽じゃ」
「親分、金平糖など食べなれておるであろうに……」
「お絹さまの御心が籠っておる。格別じゃ!」
そういうものかな、と英次郎も一粒口に放り込んだ。幼いころから慣れ親しんだ甘みが英次郎の疲れを少し、溶かした。
果たして化け鳥を乗せた筏は、大川に浮かべられた。
何艘もの猪牙舟から綱が投げられ筏と繋ぐ。どうやら筏を舟で引っ張って運ぼうという算段らしい。
「親分は面白いことを考えるな」
「そうか? 千代田のお城を建立する際、他国の石切り場から石を舟で運んできたという話を思い出してな」
手ぬぐいで汗を乱暴に拭いた親分が、どこからか取り出した金色に光る扇を右手に持ち、高々と掲げた。
「よおし、江戸湾目指して、すすめぇ!」
おう、と、若い衆が声をそろえ、筏がゆっくり動き始めた。ははぁ……と、馬の上で英次郎は膝を打っていた。
「さ、英次郎はこっちじゃ。馬ごと進んでくれ」
「うむ」
屋根が取り除かれた河御座船が用意され、船頭が馬を導いてくれる。暴れることもなく馬は大人しく舟に乗った。
「親方、一つ頼む」
「あいよ」
威勢のいい船頭の顔を見て英次郎は苦笑した。右の頬から左の胸元にかけて大きな刀傷があり、左の額にも刀傷。
「英次郎、奴の素性は探らぬ方が身のためだ」
「承知」
そのまま舟は進み、ついには化け鳥に並んだ。
「よく寝ておるな……」
えいやぁ、えいやぁ、と男たちの掛け声が川面を滑る。
「よぉっし、そろそろ江戸湾じゃ」
小さな猪牙舟では限界かと英次郎が感じたころ、いつの間にか廻船が近寄ってきていた。ただし、帆にも舳先にも何も書かれていない。
「お、お、親分……! あれはどこの船じゃ?」
「案ずるな、英次郎。うちのじゃ。あれで沖まで運ぶ算段じゃ」
英次郎の口があんぐりとなった。もう、御家人の次男坊如きではどうにもならない。
「……化け鳥も、出没する場所を間違えたな……」
沖へ運ばれていく化け鳥を見送った一同は、再び舟で江戸の町へと戻った。船着き場では、熊八と五郎蔵が待っていた。
「親分、ありがてぇ……新吉と豆蔵がさっき、家に戻った」
「そうか、それはよかった」
「あまりに惨い傷だってもんで、大名家のお抱え医師がなんとか対面できるように整えてくれたうえに、見舞金まで添えてくれたもんだから、明日、葬式……」
二人の声が震えた。親分が、それぞれの肩をとんとんと優しくたたく。
「その子らと、亭主に死なれた御新造さん、何か困ったらいつでもわしのところへ来るといいぞ」
すばやく親分が油紙に包まれた小判を渡した。仰天する二人に、英次郎が、
「友をなくしたそなたら、大黒柱を失った皆への、親分からの見舞いじゃ。ありがたく受け取ればよい」
と囁くと、男二人が顔をくしゃくしゃにして泣いた。悲しみと喪失感が、今頃になって二人を襲ったのだろう。
二人が泣き止むまで、親分はずっと横に座っていた。
【了】
「む、英次郎、毒薬が切れてきたようじゃ」
「よしきた」
素早く毒薬を手にした英次郎が、化鳥の嘴をこじ開けて薬を流し込む。すると再び化鳥は深く眠る。
「……親分、化鳥の犠牲になった二人は……」
「わしの知り合いの坊主と植木屋や火消しらをな、酒井様のお屋敷に派遣したゆえ、下ろしてもらえるはずじゃ」
「そうか、家族の元へ戻れるのか」
そうこうしているうちに、衣笠組の子分たちが総出でやってきた。
「親分、おまたせしやした」
「おお、すまんな」
顔見知りの顔が続々と集まり、英次郎がいくらかほっとした顔を見せた。しかし、やくざの彼らが手にしているものは匕首や賽子ではなく、紐や戸板や丸太といった大工道具である。
「いったい何が……」
目を瞬かせる英次郎の前で、化け鳥は縄で厳重に嘴や足を縛り付けられ、簡単には身動きできないようにされた上で、巨大な筏のようなものが組まれたそこに縫い留められた。
もちろんこれらの指揮をとるのは太一郎である。
「英次郎、馬でついて来てな、こやつが目を覚ましたらさっきの毒薬で眠らせてくれ」
「それは構わぬが親分、こやつをどうするのだ?」
どこに放すのだろうか、と英次郎が思案する傍で、子分たちが「猪牙舟の用意もできやした」と告げた。
「親分、まさか大川に捨てるのか?」
「いや、大川では江戸の町に近すぎる。目が覚めたらまた、こやつは人を襲うだろう」
「そんなものかな」
「人を狩ることを覚えた獣ゆえな」
巨大な筏は、若い衆に担ぎ上げられ、うんうん言いながら運搬されていく。慌てて太一郎も列に加わるが、太り過ぎの太一郎は『幅ばかり取って邪魔』であったらしい。
「親分、退いて下せぇ……」
「む」
「後ろから、英次郎兄ぃの邪魔にならないようについてきてください」
「ぐ、ぬぅ……」
しょんぼりした太一郎が、馬上の英次郎に「若い衆が酷い」と文句を並べる。
「まぁいいではないか、親分。これでも食べて元気を取り戻してくれ」
懐から英次郎が取り出したのは油紙に包まれた色とりどりの金平糖である。
「おお!」
「母上が拵えたものでな。親分に、とのことだ」
ありがたい、と、太一郎が子供のように目を輝かせた。いつものように眺めて楽しんだあと、そっと口に入れる。
「ああ、美味じゃ……極楽じゃ」
「親分、金平糖など食べなれておるであろうに……」
「お絹さまの御心が籠っておる。格別じゃ!」
そういうものかな、と英次郎も一粒口に放り込んだ。幼いころから慣れ親しんだ甘みが英次郎の疲れを少し、溶かした。
果たして化け鳥を乗せた筏は、大川に浮かべられた。
何艘もの猪牙舟から綱が投げられ筏と繋ぐ。どうやら筏を舟で引っ張って運ぼうという算段らしい。
「親分は面白いことを考えるな」
「そうか? 千代田のお城を建立する際、他国の石切り場から石を舟で運んできたという話を思い出してな」
手ぬぐいで汗を乱暴に拭いた親分が、どこからか取り出した金色に光る扇を右手に持ち、高々と掲げた。
「よおし、江戸湾目指して、すすめぇ!」
おう、と、若い衆が声をそろえ、筏がゆっくり動き始めた。ははぁ……と、馬の上で英次郎は膝を打っていた。
「さ、英次郎はこっちじゃ。馬ごと進んでくれ」
「うむ」
屋根が取り除かれた河御座船が用意され、船頭が馬を導いてくれる。暴れることもなく馬は大人しく舟に乗った。
「親方、一つ頼む」
「あいよ」
威勢のいい船頭の顔を見て英次郎は苦笑した。右の頬から左の胸元にかけて大きな刀傷があり、左の額にも刀傷。
「英次郎、奴の素性は探らぬ方が身のためだ」
「承知」
そのまま舟は進み、ついには化け鳥に並んだ。
「よく寝ておるな……」
えいやぁ、えいやぁ、と男たちの掛け声が川面を滑る。
「よぉっし、そろそろ江戸湾じゃ」
小さな猪牙舟では限界かと英次郎が感じたころ、いつの間にか廻船が近寄ってきていた。ただし、帆にも舳先にも何も書かれていない。
「お、お、親分……! あれはどこの船じゃ?」
「案ずるな、英次郎。うちのじゃ。あれで沖まで運ぶ算段じゃ」
英次郎の口があんぐりとなった。もう、御家人の次男坊如きではどうにもならない。
「……化け鳥も、出没する場所を間違えたな……」
沖へ運ばれていく化け鳥を見送った一同は、再び舟で江戸の町へと戻った。船着き場では、熊八と五郎蔵が待っていた。
「親分、ありがてぇ……新吉と豆蔵がさっき、家に戻った」
「そうか、それはよかった」
「あまりに惨い傷だってもんで、大名家のお抱え医師がなんとか対面できるように整えてくれたうえに、見舞金まで添えてくれたもんだから、明日、葬式……」
二人の声が震えた。親分が、それぞれの肩をとんとんと優しくたたく。
「その子らと、亭主に死なれた御新造さん、何か困ったらいつでもわしのところへ来るといいぞ」
すばやく親分が油紙に包まれた小判を渡した。仰天する二人に、英次郎が、
「友をなくしたそなたら、大黒柱を失った皆への、親分からの見舞いじゃ。ありがたく受け取ればよい」
と囁くと、男二人が顔をくしゃくしゃにして泣いた。悲しみと喪失感が、今頃になって二人を襲ったのだろう。
二人が泣き止むまで、親分はずっと横に座っていた。
【了】
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