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道場破り
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とにかく話を聞かねばなるまいと、衣笠組の離れに案内された英次郎は、太一郎の前に行儀よく座った。
親分の趣味――かどうかは定かではないが、風流な数寄屋造りである。
「いつの間にこんな建物を……」
「ほったらかしになっていたのを、直したのじゃ」
「おお、あれだな、飲んだくれの大工たちに仕事を……と、親分が張り切ったと噂の建物がこれか」
なんのことか、と、太一郎は笑う。
「クルチウス商館長たちが、ぜひ一度は来てみたいと言っていたのはこれか……」
とはいえ、いくらお忍び行動が得意なオランダ商館長御一行様とはいえ、衣笠組を訪れるのは難しいだろう。
不器用な手つきながら茶を点ててくれるやくざの親分は、ひどく真面目な顔である。
開け放った窓には風鈴が下がっているが風がないため、ちりんとも鳴らない。
ことん、と英次郎の前に立派な茶碗が置かれた。そしてその隣には、山のようにつまれた串団子。綺麗な丸い餅は、きっと餡がつまっているのだろう。如何にも旨そうだ。こちらは喜一特製だろう。
「頂戴致す……」
不調法を詫びながら、それでもそつのない英次郎の作法はきっとお絹譲りだろう。その英次郎の目が茶碗の底に留まった。
「親分、これは立派な茶器であるが……まさか、黒織部かな?」
「そうなのじゃ! 長屋で大暴れした幸太を連れ戻して蔵込めにした際、手当たり次第に奴が投げたものの中にあったのじゃ」
「ということは、誰かの質草か」
「うむ」
どうやら本物であるらしい。英次郎が恐れおののいてそろりと茶碗を置いた。
「衣笠組には何でもあるな……」
太一郎は、せっせと串を並べている。恐るべき速度で、団子が消費されていく。
「持ち主に引き取ってもらえぬ道具が眠っておるぞ、そこの行李にも手文庫にも。仕舞うところがなくて困っておる」
「どんなお宝が出てくるのやら……」
それだけ暮らしに困窮した人が多いという事であろうか。むろん、英次郎とてその一人であるのだが。
「で、どうしたのじゃ? 喧嘩の勝ち方、とな?」
「それがな、親分。それがしの知り合いのおじじが、ちんけな薬売りに看板をとられたのだ」
「おじじとな?」
「あれだ。我が破れ屋敷の三軒向こうにある破れ道場の大先生じゃ」
「……あの屋根すら崩落した貧乏道場を破ろうと思った御仁がおったのか……」
太一郎の、団子を食べる手が止まった。それほどに驚いたらしい。
驚くのはそこではないぞ親分、と、英次郎が情けなさそうな顔をした。
「唯一の誇りであった道場の看板を、得体のしれぬ薬売りに奪われたのだ。おじじの沈み具合は大変なものでな」
まて、と、太一郎が手を挙げた。
「若先生はどうした? 活きのいい若者がおったであろう」
「それが……。馴染みの遊女が出来て、威勢よく遊んだはいいが支払いが滞り、腕が立つというので吉原に用心棒として留め置かれておるらしい。そちらも支払いをなんとかせねばらならぬ」
あちゃー、と、太一郎が天井を仰いだ。若先生がそんな調子であるから、近所の気のいい青年が気を揉んでいるのだろう。
「英次郎、若先生は自力で何とかさせるとして、おじじじゃ、その道場破りは薬売りのふりをしておじじに近づき、立ち会った末に看板を持ち去ったのか?」
「おそらくな。おじじが言うには、道場に薬を売って歩いているとか言ってやってきたそうな。天然理心流と相手は名乗ったらしいが我流が多く含まれていた『喧嘩剣法』とのこと」
「ふーむ、そやつを倒して、看板を取り返してやろうという腹積もりか」
うん、と英次郎は頷いた。
「もちろんそれがしが勝てばそれで看板は戻る。が、その程度で大先生の矜持は戻りはしないだろうが……それがし、幼少のころより存じておるおじじを見ておれぬのだ」
「ふーむ……」
太一郎が、難しい顔で腕を組んだ。
「しかしそれがし、天然理心流とは対峙したことがないゆえ、どのような流派なのか知らぬのだ。本来なら下調べをして然るべき稽古をして対戦を願い出るのが筋かなと思うが、手順を踏んでいる間におじじが首を括りそうな気配」
太一郎は若き友人の顔を見た。真剣な面持ちである。
「親分、喧嘩の勝ち方を教えてくれ」
「勝ち方、か」
喧嘩の勝ち方などいくらでもある。卑怯な方法も、いくらも知っている。
しかしそれを、若き武家の青年に、それも、まじめに生きていた御家人の次男坊に伝授するのはいかがなものか。
「天然理心流なぁ……。確か、道場は甲良屋敷だったな」
「親分?」
「まずは、その薬売りが本当に天然理心流の門弟かどうか確かめねばなるまい。天然理心流を勝手に名乗った流れの剣客かもしれんぞ」
にっ、と親分が笑った。
親分の趣味――かどうかは定かではないが、風流な数寄屋造りである。
「いつの間にこんな建物を……」
「ほったらかしになっていたのを、直したのじゃ」
「おお、あれだな、飲んだくれの大工たちに仕事を……と、親分が張り切ったと噂の建物がこれか」
なんのことか、と、太一郎は笑う。
「クルチウス商館長たちが、ぜひ一度は来てみたいと言っていたのはこれか……」
とはいえ、いくらお忍び行動が得意なオランダ商館長御一行様とはいえ、衣笠組を訪れるのは難しいだろう。
不器用な手つきながら茶を点ててくれるやくざの親分は、ひどく真面目な顔である。
開け放った窓には風鈴が下がっているが風がないため、ちりんとも鳴らない。
ことん、と英次郎の前に立派な茶碗が置かれた。そしてその隣には、山のようにつまれた串団子。綺麗な丸い餅は、きっと餡がつまっているのだろう。如何にも旨そうだ。こちらは喜一特製だろう。
「頂戴致す……」
不調法を詫びながら、それでもそつのない英次郎の作法はきっとお絹譲りだろう。その英次郎の目が茶碗の底に留まった。
「親分、これは立派な茶器であるが……まさか、黒織部かな?」
「そうなのじゃ! 長屋で大暴れした幸太を連れ戻して蔵込めにした際、手当たり次第に奴が投げたものの中にあったのじゃ」
「ということは、誰かの質草か」
「うむ」
どうやら本物であるらしい。英次郎が恐れおののいてそろりと茶碗を置いた。
「衣笠組には何でもあるな……」
太一郎は、せっせと串を並べている。恐るべき速度で、団子が消費されていく。
「持ち主に引き取ってもらえぬ道具が眠っておるぞ、そこの行李にも手文庫にも。仕舞うところがなくて困っておる」
「どんなお宝が出てくるのやら……」
それだけ暮らしに困窮した人が多いという事であろうか。むろん、英次郎とてその一人であるのだが。
「で、どうしたのじゃ? 喧嘩の勝ち方、とな?」
「それがな、親分。それがしの知り合いのおじじが、ちんけな薬売りに看板をとられたのだ」
「おじじとな?」
「あれだ。我が破れ屋敷の三軒向こうにある破れ道場の大先生じゃ」
「……あの屋根すら崩落した貧乏道場を破ろうと思った御仁がおったのか……」
太一郎の、団子を食べる手が止まった。それほどに驚いたらしい。
驚くのはそこではないぞ親分、と、英次郎が情けなさそうな顔をした。
「唯一の誇りであった道場の看板を、得体のしれぬ薬売りに奪われたのだ。おじじの沈み具合は大変なものでな」
まて、と、太一郎が手を挙げた。
「若先生はどうした? 活きのいい若者がおったであろう」
「それが……。馴染みの遊女が出来て、威勢よく遊んだはいいが支払いが滞り、腕が立つというので吉原に用心棒として留め置かれておるらしい。そちらも支払いをなんとかせねばらならぬ」
あちゃー、と、太一郎が天井を仰いだ。若先生がそんな調子であるから、近所の気のいい青年が気を揉んでいるのだろう。
「英次郎、若先生は自力で何とかさせるとして、おじじじゃ、その道場破りは薬売りのふりをしておじじに近づき、立ち会った末に看板を持ち去ったのか?」
「おそらくな。おじじが言うには、道場に薬を売って歩いているとか言ってやってきたそうな。天然理心流と相手は名乗ったらしいが我流が多く含まれていた『喧嘩剣法』とのこと」
「ふーむ、そやつを倒して、看板を取り返してやろうという腹積もりか」
うん、と英次郎は頷いた。
「もちろんそれがしが勝てばそれで看板は戻る。が、その程度で大先生の矜持は戻りはしないだろうが……それがし、幼少のころより存じておるおじじを見ておれぬのだ」
「ふーむ……」
太一郎が、難しい顔で腕を組んだ。
「しかしそれがし、天然理心流とは対峙したことがないゆえ、どのような流派なのか知らぬのだ。本来なら下調べをして然るべき稽古をして対戦を願い出るのが筋かなと思うが、手順を踏んでいる間におじじが首を括りそうな気配」
太一郎は若き友人の顔を見た。真剣な面持ちである。
「親分、喧嘩の勝ち方を教えてくれ」
「勝ち方、か」
喧嘩の勝ち方などいくらでもある。卑怯な方法も、いくらも知っている。
しかしそれを、若き武家の青年に、それも、まじめに生きていた御家人の次男坊に伝授するのはいかがなものか。
「天然理心流なぁ……。確か、道場は甲良屋敷だったな」
「親分?」
「まずは、その薬売りが本当に天然理心流の門弟かどうか確かめねばなるまい。天然理心流を勝手に名乗った流れの剣客かもしれんぞ」
にっ、と親分が笑った。
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