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第六章

第57話 ストーキング

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「身体が覚えてしまった淫らな快楽に抗うことができずにダラダラと関係を続けてしまってたんだが、仕事が忙しくなってきたのを機にミゲルの誘いを断るようにした。ミゲルと鉢合わせするようなバーやレストランには近づかなかったし、オフィスとアパートを往復するだけの生活にした。そしたらあいつ、ストーキングをするようになったんだ。メールが一日中ひっきりなしに着信するし、オフィスやアパートの前で待ち伏せするようになった。さすがの俺も身の危険を感じたよ。なにせあいつには自由に操れる男たちが大勢いたからな。ミゲルのためなら喜んで俺を半殺しにする連中だ」

「ミゲルみたいな男と簡単に別れられると思っていたお前の考えは甘すぎる」
 洋介が猛の一番痛いところを突いてくる。
「それは自覚してる」
 猛は、片方の口角をわずかに上げた。その表情はひどく自虐的に見えた。

「で、半殺しにされたのか?」
 洋介の追求は容赦なく続く。
「いや、ちょうどその頃長期出張が入って、ブラジルを二ヶ月ほど離れることになった。もしあの出張がなかったら半殺しにされてたかもな」
 あの時ミゲルに半殺しにされていればミゲルは猛に執着することもなく猛を追って日本に来ることもなかったかも知れない。そしてミゲルと洋介に接点が生まれることもなかったかもしれない。
 自分の愚かな選択と行動の結果がこれだと猛は思い知る。

「ブラジルを離れていた間にミゲルから何か接触はあったのか?」
 洋介が先を促す。
「出張中はたまにメールが届くくらいで、メールの内容も他愛のないものだったのでミゲルもやっと落ち着いてくれたと思ってた」
「まあ、明らかに落ち着いてくれてなかったよな。お前を追って日本にまで来て、俺を拉致して随分とかわいがってくれたんだから」

 今までの人生の中で手に入れたいと焦がれたのはたった一人、洋介だけだ。
 その洋介の命が危険にさらされ怪我をした原因が自分にあるという事実を抱えきれずにいる猛にとって洋介のこの言葉は少し鎮まってきていた猛の罪悪感を揺り起こす。

「…………」
 言葉が見つからない猛の表情は凍りついている。

「お前の愚行で迷惑を被るのは今に始まったことじゃない。お前の尻拭いを何年やってると思ってるんだ。三十年だぞ。いまさらだろ」
 猛の罪悪感を感じ取った洋介の声音こわねは穏やかで温かい。
「確かに迷惑の掛けっぱなしだったけど、死にかけて一生残る傷痕をつけられることは『尻拭い』の範疇を超えてる……お前が受けた傷は本当なら俺が負うべき傷だ。何故俺を責めない、罵らない!」
 自分を許せない猛は、行き場のない怒りに語気を荒げてしまった。

 洋介は猛の怒りを包み込むような穏やかな口調で「お前が原因なのは明白だが俺が罵ればお前は自分を許せるのか? 俺の傷痕が消えるのか? 違うだろ。お前を罵っても俺の気分が晴れることもないしな。だったらミゲルに立ち向かうために力を貸して欲しい。俺と一緒に戦って欲しい」と言い、猛の目を真っ直ぐに見つめて猛の答えを待つ。
「言われなくてもそのつもりだ」
 決意を新たにした猛の声は一本筋が通ったような力強い響きを放った。

『一緒に戦う』
 洋介のこの言葉は隣に並んで歩むことを許された証。
 猛は洋介の器の大きさ、潔さ、見かけによらず負けず嫌いなところに改めて惚れ直し、それと同時に洋介に一目惚れをした幼い頃の自分を心の中で褒めていた。
 猛の表情が少し緩む。

「何ニヤけてる、話を続けろ」と洋介が急かす。
 洋介の催促で緩んでいた猛の表情が一瞬で元に戻る。

「出張から戻ってきてからミゲルの態度は落ち着いていたと思う。それで俺も油断してたんだ。俺への興味が無くなったと思ってた。実際、ストーキングもメールも治まってたしな」
「でも実際はお前を諦めてなかった。なんで気づかなかった?」
 洋介は少し呆れながら猛に訊く。
「会いに来るわけでもなく、偶然会っても誘ってくるわけでもない。普通は興味が無くなったと思うだろ」
 言い訳はしたくなかったが、いくら思い返しても興味が無くなったとしか思えない行動ばかりだった。

「確かに……執着しているのに関心のないフリをして何か企んでたわけか。さすがミゲルだな、不気味なことこの上ない」
「本当にな。やっと興味を失ってくれたとホッとしていたあの頃の自分を呪いたいよ」

「それから一ヶ月ほどして日本本社への異動の辞令が出たんだが、ミゲルは俺の異動を誰よりも早く知ってた」
「ミゲルはかなり優秀だな。仲間を集めるのも情報を集めるのも上手い、行動力もある。その能力を良い方向に活用できれば日の当たる場所で活躍できそうだがな」
 洋介は素直に感心していた。
「だな。でもミゲルは日の当たる場所には興味がなさそうだった。犯罪まがいの行為を繰り返してスリルを楽しむ、そんな感じがしたよ」

 アドレナリンジャンキー。
 常に刺激を求め、スリルを味わっている瞬間のみ「生きている」ことを実感する。
 ミゲルはそんな類の人間なのだろう。

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