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第二章

第17話 現地調査 – ゆらぎ

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 猛は居酒屋『大門』を出て、今度は隣のワインバー『ゆらぎ』のドアを開けた。
 ゆらぎは、席数はそれほど多くないが雰囲気の良い店だった。席数が少ないのは店内の一角をガラス張りのワインセラーにしているためだ。ワインに詳しくない猛でさえ高価なワインが揃っているのが分かった。

「いらっしゃいませ。海藤猛さんですね。藤田さんのおっしゃるとおりの方だ」
 オーナーでソムリエの山下慎一郎やましたしんいちろうが穏やかに微笑みながらカウンターから出てきた。
 シワひとつない白いシャツに細身の黒ネクタイを締め、タブリエを纏った姿からは気品が漂っていた。五十代半ばであろう山下には『紳士』という言葉がよく似合っていた。

「海藤と申します。しばらくの間このビルの警備をしますので何かありましたらこの名刺の携帯電話に連絡ください」
 猛が名刺を手渡しながら言った。
「これは頼もしい。よろしくお願いいたします」
 そう言って山下は柔らかな物腰で会釈し、名刺を受け取る。
「よろしかったらコーヒーでもいかがですか? 淹れたてですよ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
「カウンターのお席にどうぞ」
 山下はカウンターの中に戻り、猛はカウンターのスツールに座った。
「海藤さんには、この濃い紺色のカップがお似合いかな?」
 山下は棚に綺麗に並んだカップの中から一つを手に取った。

「食器を人に合わせて選ぶという行為はおかしいですか?」
 不思議そうに見ていた猛に向かって山下が尋ねてきた。
「いえ、そうではなくて……私などは選ぶほど食器を持っていないので不思議な行為というよりは新鮮な驚きです」
「少し贅沢な気分を味わえますよ」
 山下は穏やかに微笑んでカップにコーヒーを注いだ。
「どうぞ」
 猛の前にカップがそっと置かれた。
「いい香りだ」
 猛は独り言のように小さく呟いた。
「日常の些細なことに喜びを見つけると、人生は案外楽しいものですよ」
 猛は、ゆったりと微笑む山下を怪訝そうに見つめた。
「唐突に申し訳ありません。ただ、海藤さんの笑顔にはちょっとだけ苦しさが混じっていたものですから、少しでも笑顔が軽やかになるように何かお手伝いできないかと……単なるおせっかいです。お気になさらないでください」
 猛は言葉が見つからず苦笑するしかなかった。
 山下はにっこりと微笑んで手に持ったコーヒーカップを口に運んだ。
「いつか苦しさの消えた海藤さんの笑顔を見てみたいです。きっと太陽のように眩しいのでしょうね」
 猛は照れながら「買いかぶりすぎですよ」と答えた。

 猛は山下にコーヒーの礼を言い、スツールから降りてドアへと向かった。
「また来ます」
 猛はドアを開けながら振り返り言った。
「お待ちしております」
 山下が会釈しながら猛を送り出す。

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