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第二章

第12話 新しい依頼

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 猛の告白から三週間が経っていた。猛からは何の連絡もない。
 三十年も想い続けた想い人に告白して、その後放ったらかしとは理解に苦しむ。(放置プレイか!)
 考える時間を洋介に与えているつもりなのだろうが、これほど音沙汰がないとあの告白が現実だったのか不安になる。

「今抱えている案件だけど、調査を猛に頼めないかな?」
 涼子は、書類に目を通しながら顔を上げずに洋介に言った。
 洋介は『猛』という言葉にピクリと反応した。
「今、猛ヒマかな?」
 涼子は、洋介のいつもと違う様子に気付かず続けた。
「どうかな。連絡してみます?」
「お願い」
 洋介は、猛の携帯に早速電話した。呼び出し音二回。
「よお、どうした?」
 電話の向こうの声は、いつもと何ら変わらない猛の声。あまりに普段通りの猛の態度に、洋介は少々腹が立った。
「仕事の依頼だ。時間取れるか?」
 洋介もいつもと変わらない声を装って応じた。
「仕事を一件片付けてから行く。一時間後に事務所でいいか?」
「分かった」
「じゃあ、後で」
 猛は、実にあっさりと電話を切る。
「一時間後にここに来ます」
 洋介は、涼子に向き直り、伝えた。
「了解。それまでにこの件の資料を揃えておきましょ。私は依頼人から聞いた話をまとめるから、洋介は依頼人が持ってきた証拠を整理してくれる?」
「了解」
 それから一時間、二人は資料作成に追われた。

****

 陽が傾いてきた午後4時、事務所のドアがガチャリと開いた。
「よお」
 無遠慮に猛が入ってくる。
「ノックしろといつも言ってるだろ!」
「悪い、悪い。つい癖で」
「その癖は直せ。クライアントと打ち合わせ中だったらどうするんだ。うちの事務所の評判にも関わるんだぞ。弁護士にとって『守秘義務』は絶対なんだ」
「はいはい」
 猛と洋介はお決まりのやり取りで会話を始めた。
「洋介、いくら言っても猛は直らないわよ。まだ諦めてないなんて根性あるわね。私はとっくに諦めました」
 二人のやり取りを呆れた顔で見ていた涼子が言った。
「仕事の話をするわよ。猛、あなたはこの資料にざっと目を通して」と涼子は言い、数枚の紙が綴じられている書類を猛に手渡す。
 涼子と洋介のデスクは向かい合わせに置かれている。その二人の両方が視界に入る位置にパイプ椅子を広げてドカッと猛が座った。

「地上げ屋か」
 しばらく書類を読んでいた猛が顔を上げて言った。
「そうなの。依頼人は藤田総一朗さん。藤田さんは阿佐ヶ谷の駅前にビルを所有していて、6軒の店子たなこが入っている。いずれの店子も二十年以上問題も起こさず店を経営していて、藤田さんにとっては家族も同然の付き合いだそうよ。藤田さんは店子が同意しない限り売る意志はないし、店子たちは絶対に売ってほしくないと思っている。地上げに応じて売れば店子たちは店を移転するか畳まなければならなくなるから死活問題よね。例え新しく建てたビルに店子として入れたとしても家賃は数倍高くなるでしょうしね。店子たちは地上げ屋の嫌がらせ行為を受けているけど、結束して抵抗しているそうよ。あれだけの立地条件であの家賃は他では考えられないでしょうから。でも藤田さんに身の危険が及ぶようだったら売却もやむを得ないと思っているみたい。藤田さんが売ると決めればその意志に従うけど、自ら立ち退くつもりはないそうよ」
 涼子が案件の内容を簡単に説明した。

「嫌がらせをしているのはどこの組織だ?」と猛が訊く。
「富樫組だ」間髪を入れず洋介が答える。
「で、俺は何をすればいい?」
 猛が、涼子と洋介を交互に見て訊いた。
「嫌がらせの証拠の集めと店子たなこたちの警護をお願い」
 涼子が答えた。
「依頼人とはいつ顔合わせできる? ちゃんと紹介してくれないと、俺が地上げ屋に間違えられそうだ」
「明日の朝、午前九時にここに藤田さんがいらっしゃるので、お前も同席してくれ」
 今度は洋介が答えた。
「了解。で、今まで受けた嫌がらせはここに書いてある分だけか?」
「明らかに地上げ屋による行為だけを記載している。誰がやったか分からないものについては書いていない。かなり怪しいものもいくつかあるようなので、明日詳しく聞くつもりだ」
「怪しいものについて調べるのも俺の仕事だな」
 猛が書類を閉じながら言った。
「そうだ。嫌がらせがエスカレートしてきて手荒なことも辞さない状況になりつつある。十分気をつけてくれ」
 洋介が警告する。
「分かってる。気をつけるよ。今は店子に対して嫌がらせをしているようだが、このままだと藤田さんに矛先が向きそうだな」
「そうだな、そのあたりも明日藤田さんと詳しく打ち合わせをするつもりだ」
 洋介も書類を閉じながら言った。

「明日は九時少し前にここに来てくれればいいわ。コーヒーを入れるけどあなたたちも飲む?」
 涼子が給湯室に歩きながら二人に尋ねた。
「おう、サンキュ」
「私もお願いします」
 猛と洋介が同時に答えた。

****

 涼子が別件の打ち合わせへと出かけ、事務所には猛と洋介の二人きりになった。普段なら気にならない沈黙も、あの告白の後では妙に気まずい。

「あのさ」
 沈黙を破ったのは猛だった。
「無理に答えを出そうとするな。いつもどおりにしていればいい。自然に自分の気持ちの中に答えを見つけてくれればいい」
「本当にそれでいいのか? 答えが出るまでにどれくらい時間がかかるか分からないし、お前の望む答えとも限らない」
「それでいい。顔色を窺ったり、変に気を遣ったりするな。いつもどおりにしていてくれ」
 猛は飲み終えたコーヒーカップを給湯室に運び、「じゃあ、明日な」と言って事務所を出て行った。

 事務所に一人取り残された洋介は、出ていく猛を見送りながら「俺の気持ちの中の答えと言われてもなぁ、自分の気持ちが一番謎だよ」と呟いた。

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