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52.フェリク(sideリュート)
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その夜、妹に指示されるまま寝台に寝転んだリュートの上。
躊躇なく跨り見下ろす彼女の手には、月明りに反射する鋭利なナイフが握られていた。
「汚らわしいお兄様。あの侍女は解雇いたしましたわ。お兄様が話しかけたりするから、お兄様が関わるとみんな不幸になるの。お母様だってそうでしょう? でもね、あまりにも可哀想で哀れだから、わたくしが贖罪のチャンスをあげる。お兄様だって魔獣討伐以外に生きる意味が欲しいでしょう。一生かけてわたくしからお母さまを奪った罪を償って。これは約束の証よ」
そう言って酷く嗜虐的に微笑んだメイリーンはリュートの胸にゆっくりとナイフを滑らせた。
それから幾年にもわたり、彼女の気分次第で儀式めいた夜を迎えている。
華奢なメイリーンからナイフを奪うことなど簡単ではあるが、歪んだ笑みで「お母様を返して」と言われると、抵抗など出来なかった。まだ幼い彼女から母を奪ったのは自分だから。
メイリーンの予告通り、十字に刻まれた胸の傷。
再びそこに視線をやったリュートは自己嫌悪のため息を吐く。
イブリスで過ごした日々がまるで夢のようだ。
一度はこの腕に愛しい温もりを感じていたのに。
出来ることならあのまま穏やかな日々を過ごしていたかった。
だけどこうやってユスシアに戻ったのは自分の意志である。
ひとつは、屠り逃した魔獣の有無を確かめるため。
幸い、こちらは問題ないようだった。
そしてもうひとつは、双子の弟と話をするためだ。
黙って国を去ることも可能だったが、どうしても弟の期待を裏切りたくはなかった。
リュートの希望は二つ。
ユスシアから離れ、イブリスで生きること。
そして出来ることなら、ひっそりと魔獣を駆逐する許可を得たい。
この国の生活を守ることは誇りであり、何より穏やかに生きる市井の人々を見捨てることは出来なかった。
ユスシアにとって魔石とは、それほどまでにかかせない代物なのだ。
幸か不幸か昨年、狩りの途中で落馬をした王が急逝したことにより、フェリクが若き王の座についた。
前王と会話など交わしたことはないが、双子の弟であればきっと良い返事をくれるはずだ。
母が亡くなってから交流が始まった快活な弟はこんな自分を兄と慕ってくれている。
討伐から戻るリュートを労り、無事を喜んでくれるのは彼だけだ。
多忙なフェリクと話せる機会は少なく、とても貴重なものだが、彼ならきっとリュートの気持ちを汲んでくれるはずだ。
弟はいつも、
「この国にある魔石の大半はリュートのおかげだ。何でも欲しいものを用意するし、望みは出来るだけ叶えてやる」
と労ってくれる。
今までは特にこれといった願いもなく、本や果物など、ささやかなものを希望していたくらいだった。
継続して魔獣を狩るのだからユスシアにとって損害はないだろう。
自国の外で生きて行く選択肢など、ジゼルと再会しなければ思いもつかなかったことだ。
彼女はいつもリュートに希望を与えてくれる。
瞼を閉じれば可愛らしい笑顔がすぐに浮かび、思わず口元が緩んだ。
再会はそう遠い未来ではないだろう。
高く愛らしい、だけど凛とした声が早く聞きたい。
彼女に名を呼ばれると、それだけでどうしようもない幸福を感じられるから。
***
午後を過ぎた頃、メイリーンと共にリュートの自室を訪れたフェリクはいつもの快活な笑みを浮かべていた。
この部屋はそう広くもなく、窓には丁寧に鉄格子が嵌められている。
物心ついた時からずっとここで過ごしてきた。
他の部屋など、立ち入ったことも見たこともない。
しかし一度外の世界を経験してしまったおかげで、どうしようもなく息が詰まりそうだった。
気分転換を兼ねて、唯一行動が許可されている人目のない庭園で本を読んだり、体を動かすことが最近の日課となっている。今日も今しがた戻って来たばかりだ。
リュートは驚きつつも弟の来訪を心より歓迎した。
フェリクとはこちらに戻って以来、四回ほど話をしている。
しかしまだ快い返事はもらえていない。いつも答えを濁す弟に今日こそは快諾を得なければならない。
もうこれ以上はリュート自身、ここで過ごすことに限界を感じつつあった。
躊躇なく跨り見下ろす彼女の手には、月明りに反射する鋭利なナイフが握られていた。
「汚らわしいお兄様。あの侍女は解雇いたしましたわ。お兄様が話しかけたりするから、お兄様が関わるとみんな不幸になるの。お母様だってそうでしょう? でもね、あまりにも可哀想で哀れだから、わたくしが贖罪のチャンスをあげる。お兄様だって魔獣討伐以外に生きる意味が欲しいでしょう。一生かけてわたくしからお母さまを奪った罪を償って。これは約束の証よ」
そう言って酷く嗜虐的に微笑んだメイリーンはリュートの胸にゆっくりとナイフを滑らせた。
それから幾年にもわたり、彼女の気分次第で儀式めいた夜を迎えている。
華奢なメイリーンからナイフを奪うことなど簡単ではあるが、歪んだ笑みで「お母様を返して」と言われると、抵抗など出来なかった。まだ幼い彼女から母を奪ったのは自分だから。
メイリーンの予告通り、十字に刻まれた胸の傷。
再びそこに視線をやったリュートは自己嫌悪のため息を吐く。
イブリスで過ごした日々がまるで夢のようだ。
一度はこの腕に愛しい温もりを感じていたのに。
出来ることならあのまま穏やかな日々を過ごしていたかった。
だけどこうやってユスシアに戻ったのは自分の意志である。
ひとつは、屠り逃した魔獣の有無を確かめるため。
幸い、こちらは問題ないようだった。
そしてもうひとつは、双子の弟と話をするためだ。
黙って国を去ることも可能だったが、どうしても弟の期待を裏切りたくはなかった。
リュートの希望は二つ。
ユスシアから離れ、イブリスで生きること。
そして出来ることなら、ひっそりと魔獣を駆逐する許可を得たい。
この国の生活を守ることは誇りであり、何より穏やかに生きる市井の人々を見捨てることは出来なかった。
ユスシアにとって魔石とは、それほどまでにかかせない代物なのだ。
幸か不幸か昨年、狩りの途中で落馬をした王が急逝したことにより、フェリクが若き王の座についた。
前王と会話など交わしたことはないが、双子の弟であればきっと良い返事をくれるはずだ。
母が亡くなってから交流が始まった快活な弟はこんな自分を兄と慕ってくれている。
討伐から戻るリュートを労り、無事を喜んでくれるのは彼だけだ。
多忙なフェリクと話せる機会は少なく、とても貴重なものだが、彼ならきっとリュートの気持ちを汲んでくれるはずだ。
弟はいつも、
「この国にある魔石の大半はリュートのおかげだ。何でも欲しいものを用意するし、望みは出来るだけ叶えてやる」
と労ってくれる。
今までは特にこれといった願いもなく、本や果物など、ささやかなものを希望していたくらいだった。
継続して魔獣を狩るのだからユスシアにとって損害はないだろう。
自国の外で生きて行く選択肢など、ジゼルと再会しなければ思いもつかなかったことだ。
彼女はいつもリュートに希望を与えてくれる。
瞼を閉じれば可愛らしい笑顔がすぐに浮かび、思わず口元が緩んだ。
再会はそう遠い未来ではないだろう。
高く愛らしい、だけど凛とした声が早く聞きたい。
彼女に名を呼ばれると、それだけでどうしようもない幸福を感じられるから。
***
午後を過ぎた頃、メイリーンと共にリュートの自室を訪れたフェリクはいつもの快活な笑みを浮かべていた。
この部屋はそう広くもなく、窓には丁寧に鉄格子が嵌められている。
物心ついた時からずっとここで過ごしてきた。
他の部屋など、立ち入ったことも見たこともない。
しかし一度外の世界を経験してしまったおかげで、どうしようもなく息が詰まりそうだった。
気分転換を兼ねて、唯一行動が許可されている人目のない庭園で本を読んだり、体を動かすことが最近の日課となっている。今日も今しがた戻って来たばかりだ。
リュートは驚きつつも弟の来訪を心より歓迎した。
フェリクとはこちらに戻って以来、四回ほど話をしている。
しかしまだ快い返事はもらえていない。いつも答えを濁す弟に今日こそは快諾を得なければならない。
もうこれ以上はリュート自身、ここで過ごすことに限界を感じつつあった。
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