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21.魔獣

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 しかしリュートは、

「ジゼルは本当に綺麗だ」

 などと甘い言葉を囁きながらも、指に触れる以上のことを決して実行する気はないらしい。

 好きだと言っておきながら陶酔するような笑みに熱情はなく、綺麗な笑顔はむしろ何を考えているのかわからない。
 そんな態度は、もどかしさが募る一方である。

 明確な告白をしたわけではないけど、ジゼルからも好意は伝えてある。
 だがリュート自身、進展など期待してもいないようだった。

「リュートは……、何がしたいの?」
「何って、許される限りジゼルの側にいたいだけだよ。僕の望みはただそれだけだ」

 彼はジェイドが施した呪いにも等しい魔法の都合上、嘘をつけない。
 これは紛れもなく本心だろう。
 なのにどうしても疑問を抱いてしまう。

「信用していないわけじゃないけど……、リュートの真意はよくわからないわ」
「僕の真意?」
「そうよ、あなたはここでは嘘をつけない。それはわかっているわ。でも、私と本気で結ばれたいわけじゃないでしょ」

「どうしてそう思うの?」
「何となくだけど……、勘よ。私があなたを求めることは望んでないみたいなんだもの」
「それは……」

 答えを迷うようなリュートは微かに視線を彷徨わせた。即答出来ないのはきっと正解だから。
 物事を明確にしたいのは父譲りだ。

 理由を求めようと口を開きかけたその時、ジゼルの背に嫌な悪寒が走った。
 良くないものが近くにいる。本能的に危険を感じ取ったジゼルは視線だけで辺りを見渡す。
 
 目に映る変化は、風に揺れて舞い落ちる数枚の葉だけだ。
 しかし、寄り添って甘えていたルゥもグルルと小さな唸り声を上げている。

 不安を紛らわせるよう、白い毛を抱き込むジゼルの肩を、リュートがしっかりと抱いて引き寄せた。
 顔を上げたルゥは一点を見つめていて、そこに視線を移したジゼルは思わず息を呑む。

 背の低い木々の間から赤い光が二つ、爛々と輝いている。
 咄嗟に隣を仰ぎ見ると、静かに落ちついたリュートと視線が合う。

 無言で頷く彼の瞳は凪いだ水面のようで、どこか冷たさを含んでいた。

「僕から離れないで」
「なに……」

 疑問を最後まで言うことはできなかった。地を這うような不気味な唸り声が辺りに響く。
 重圧感に満たされた咆哮は初めて耳にするものだ。

 守護の魔法を唱えたジゼルに応えるよう、はじめに草陰から姿を現したのは大きな前足だった。
 ずしりとした重い音と共に、土埃と青い落ち葉がぶわりと舞う。

 この国では、力を重視する魔族を束ねる王は強くなければいけない。
 たまに領地へ入り込む凶暴な魔獣を討伐するのも王たる者の務めだ。

 もちろんそれは姫君とはいえ例外ではなかった。
 今更、魔獣などに怯えるようなジゼルではない。

 だが近付いてくる獣は初めて目にするものだし、その体は小屋ほどに巨大だった。
 禍々しい姿は書物でしか見たことのない厄介な存在を思い起こさせる。

 赤く光る二つの眼光。
 艶めく漆黒の毛皮に覆われたしなやかな肉体は、一目で強靭なものと認識できる。
 ところどころ鱗が煌めいてはいるけれど、太い前足に光る大きな爪は残虐な肉食獣を思わせた。

「まさか、バドゥーグ……」

 ゾッと総毛立ったジゼルは頭に過った名を呟いた。
 書物によると通常なら金の目をしているはずだ。

 凶悪な赤い光が浮かぶのは、感情を昂らせている時。狼狽えながらも頭の中にある知識を必死に思い起こす。
 バドゥーグは魔力への耐性が強い。よって魔法を主な攻撃手段とする魔族とは相性が悪いのだ。

 イブリスでは決して近付いてはいけない生き物と認定されていて、彼らの棲む領域には誰も立ち入らない。
 まさか実際に対峙するなんて思いもしなかった。

(こんな所に現れる魔獣ではないのに、どうして?)

 慄くジゼルは混乱する頭を必死に現実へと引き戻す。
 今はそんなことより、目の前の魔獣を仕留めてしまわなければいけない。

 威嚇を込めた強い目線を獣から逸らさず、ジゼルは全神経を集中すべく左手に魔力を集結させた。
 生半可な攻撃魔法では怒りを買うだけになる。

 手負いの獣と化したバドゥーグを相手にするなど自殺行為でしかない。
 父からそう教えられている。勝負は一瞬だ。 

 しかし初めて向き合う相手ゆえ、どれほどの魔力を込めれば良いのかもわからない。
 とりあえず持てる力を最大出力しようと決めたジゼルの肩が、より一層強く抱き寄せられた。
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