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盲目乙女は拗らせ剣士に愛されたい
10.頑な勇者と聖剣と
しおりを挟む咄嗟に部屋を飛び出してしまった。
特に行く当てもないクロウは広場の隅で木に背中を預け、ただぼんやりと過ごしていた。さっきまで微かにオレンジだった空はすっかり濃紺に染まり、ひとつふたつ星が瞬きだしている。しばらくして空腹を感じたけども、荷物は宿にあるので先立つものがない。
荷は置いてきたのについ、いつもの癖なのか剣帯だけ掴んで出てしまった。自分の部屋にキアラを置いてきてしまったので、どんな顔で帰ったら良いのかわからない。今日はこのまま寝てしまおうかとぼんやり考えていたら、よく知る声に呼び掛けられた。
「びっくりした……こんなとこで座り込んで何してんの?」
ぼんやりしたままのクロウが見上げると、驚いた顔のケイが立っている。
「野宿でもしようかと……」
「宿があるのに?」
「ちょっとね」
「喧嘩? キアラちゃん怒らせた?」
ふいと目を逸らすクロウに、ケイはニヤニヤと顔を緩めている。実際は逆で、ニヤつくような内容でもない。けれど説明も面倒で、そんなとこと返しておいた。
「帰りづらいならうちに来いよ。お前なら家族も大喜びするわ」
「いいよ……」
子どものようなその態度にケイは呆れた顔をする。その場を動こうとしないクロウの腕を強引に取って、長身の彼を引っ張り上げた。
「いいから。こんなとこで勇者様が野宿とかあり得ないだろ。不審者かと思ったぞ」
「僕は……」
「ほら、歩け歩け」
有無を言わさない態度でそのまま引き摺られるように向かったケイの家では、大歓迎のご家族たちに断る暇もなく食事を振る舞われた。あれよあれよと風呂まで借り、気がつけばクロウは寝間着を身につけて客室のベッドに腰掛けていた。
さすが町一番の商家。おもてなし力の塊である。
この家の外観は知っていたが、泊めてもらうのは初めてで、クロウは改めてぐるりと部屋を見渡す。客室にあるインテリアや、今着ている寝間着も全てのものがさりげなく、けれど確実な高級感を醸し出していて、庶民派のクロウとしては少し落ち着かない気分になる。
ここに着いてからさっきまでは何も考える暇すらなかったが、一人になると、どうしてもキアラの事を考えてしまう。初めて見た魅了の瞳を思い出して戦慄する。いつもの明るいペリドットの瞳ではなく、どこか暗かった。沢山の色が混じり合った、何色とも形容し難い。でも美しいと感じた瞳の色を思い出す。もしあのまま魅了されていたらと思うと、ただ怖かった。心を操られると言う単純な恐怖に加え、クロウにはどうしても魅了されたくない理由がある。魅了の魔法は今でこそ禁じられているが、昔は眷属にする常套手段だった。
キアラ、つまり魔族の眷属になると半分ではなく、完全な魔族になってしまう気がする。流石に考えすぎだとわかっていても、それだけは何としても避けたい。
五年も一緒にいたけれど、あんなキアラは初めて見た。つい不安を怒りに変換してしまい、感情のままに飛び出したが、おそらく原因は自分だろう。クロウは何とも後ろめたい気持ちになる。何度もあの瞳を思い出していると扉がノックされ、返事をする前にケイが明るい顔を出した。
「こういう時は飲めばいい」
そうして返事も待たず部屋に入り、クロウに透明な赤い液体が入ったグラスを差し出す。
「お前はこっち。すぐダウンするから俺とは別の」
「悪いけど、話す気分じゃ……」
「ここは俺ん家だから。俺の意見が強い」
「なんだそれ」
ソファに腰を下ろしたケイに合わせてクロウもベッドから移動すると、興味に輝かせた顔を向けられた。
「何々? 何かあった? とうとうキアラちゃん怒らせたんだろ?」
「なんで僕がキアラを怒らせるのが前提なんだ」
すると、クロウの前に二本の指が差し示される。
「その一、キアラちゃんがお前を怒らせる理由が思いつかない。そのニ、最近キアラちゃんのお前を見る目が怖い」
お前が何かやらかしたに違いないと、胸を張るケイにクロウは目を見張った。
「キアラの様子に気付いていたのか?」
「まあね、人を観察するの趣味なんだよね俺」
「さすが悪趣味」
得意げに返すケイにつられてクロウもつい気持ちが緩む。遅れてグラスの液体を一口二口飲み下したが、余程薄めに作ってあるらしい。アルコールの余韻が全くない。
「そうかもな……。キアラを追い詰めたのは、多分僕だ」
「追い詰めたって……怖いよお前。なんて言うか……クロウってさ、キアラちゃんにはちょっと態度が違うよな」
そこまで勘付いてるとは……それともそんなにわかりやすい態度なんだろうか。それならキアラ自身は、もっと感じ取っていたのでは……?
そう思い当たったクロウは更に罪悪感が募ってくる。キアラとは極力距離を置いているが、別に嫌いなわけでない。むしろわき目もふらず自分を慕ってくる姿に、絆されそうになる事も少なくない。
「本当によく見てるな」
「お前のファンだからな!」
「気持ち悪……」
「この町の勇者様だからな~、クロウは。お前のおかげで平穏に暮らせてる部分大きいし、感謝してるんだぜ?」
陽気に笑うケイに乱暴に髪をかき混ぜられてクロウは止めろと訴えるが、離された時には既にぐちゃぐちゃに乱されていた。ケイをひと睨みしてから、解放された頭を振って手櫛で雑に整える。
「面倒なやつだけど面白いし、勇者様の前に友達だからな。聞いてやるからぶちまけろよ」
酒の肴に聞いてやるよと、早く早くと目で催促されて、クロウは観念したようにソファの背に体重を預け直した。
「……僕がなんでいつも二本帯刀してるのか、わかる?」
ケイとはなぜか馬が合い、滞在中はよく共に過ごしたりするが、彼は人との距離感が上手く、あまり深いところまで立ち入ってこない。そんなケイがクロウの事情に踏み込んでくるのも珍しくて、酒の雰囲気も手伝ってか、誰にも話すことはないだろうと思っていた事がするりと滑り出た。
「使い分けてんじゃねーの?」
「だといいんだけど」
一度立ち上がりベッドサイドに置いてあった剣を手に取り、クロウはまたソファへと戻った。
「こっちが父さんから受け継いだ聖剣。こっちがいつも使ってるやつ」
ずしりと慣れた重みの二本の剣を交互にケイに見せる。ひとつは装飾のある鞘に納められており、鍔にも獣を象徴したような美しい飾りが施されている。もうひとつは青と黒のグラデーションの鞘に納められ、少し緩やかなカーブが付いている。ケイには馴染みのない異国風のシンプルな剣で、こちらはかなり使い込まれている。
「どっちも良い剣だな。触っても?」
色んな物を商品として扱うケイは武器の類が好きらしく、特に形相が美しいものは美術品として好きだと言っていた。どうぞ、とクロウが手振りで示すとケイは嬉しそうに、まず聖剣から手に取る。
「これが聖剣……お? おお? くっ…!」
彼は目を輝かせ、緊張気味にそっと聖剣の鞘に手をかけたが、一向に抜けない。徐々に力が増し、しまいには渾身の力で引っ張るケイを見て、クロウがあまり変わらない表情のまま小さく噴き出す。
「僕にも抜けないんだ。どういう仕組みか詳しくは知らないけど、聖剣が認めた人間にしか抜けない」
ケイが目を大きく開いて剣から、俯くクロウに視線を移した。まさか、そんな仕掛けがあるなんて、しかも出会った当時からいつも帯刀しているクロウにも抜けないなんて、思いもしなかった。
「父さんの家系に伝わる剣でさ、後継者は皆その剣を使う事が出来たらしい。ケイも知ってると思うけど僕の母は魔族で、もしかしたらその血のせいかもしれない……。なんて、そうやって理由を作ってさ、馬鹿だよな。ただ僕がその剣に相応しくないだけだ。でも、魔族……キアラを受け入れてしまったら、一生使えない気がして」
「それは、まぁ……断言はできないけど……レオさんが使えるなら、ないんじゃないか? ……多分」
それはクロウも薄々思う事だった。父であるレオと魔族の母。魔族を受け入れようが、何も変わらないのかもしれない。
ただ、レオは生粋の人間だ。魔族の血を引くクロウとしては、出来るだけ自分からその要素をなくしてしまいたかった。
「わかってる。ただの願掛けみたいなものかもしれない。……正直に言うと、キアラの事は可愛いと思う。でも物心ついた時からずっとこの剣を使う事が目標で、もう意地になってる。使えもしないのに身に付けて……情けないよな」
「情けなくはねーよ。でもさ、なんでお前そんなにこの剣に拘ってんの?」
「それは……父さんみたいな剣士に……」
「なってるだろ」
真剣な顔で肯定されて、クロウは目から鱗と言った顔で呆けてしまう。、自分は剣士として父に追いつけているんだろうか?
「ちゃんと剣士だろ。規模は小さいかもしれねーけど、この町ではレオさんに負けない立派な勇者様じゃん。どうせ他の町でも似たような扱いなんだろ」
「いや、でも……」
「確かに使ってみたい気持ちはわかる。でもこっちの剣でいいんじゃね? 聖剣だかなんだか知らねーけど、そんなに使いたいならこっちを聖剣にすれば?」
「聖剣は一応、代々伝わる伝説級の剣なんだけど……」
先祖代々伝わる希少な剣に身も蓋もないような言い方をされて、クロウは少し引き攣ってしまう。
「どんな剣使おうが、お前はお前だよ。逆に言えば、明日から聖剣でその辺の魔物を倒しても、お前への評価は何一つ変わらんから」
それは少し虚しい、かもしれない。聖剣に拘るのはあくまで自分の為。だけどそこまで言われると、頑なに固執していたこの数年がものすごく情けないものに感じてしまう。
「それともお前の強さは、聖剣がもたらしてくれたものなのか?」
クロウは剣技には自信がある。それは小さな頃から毎日鍛錬を積み上げて来た賜物で、そこに聖剣の補佐は一切ない。何となく聖剣を持てば更に強くなれるような気がしていたが、クロウの愛剣だってかなりの名刀だ。何なら聖剣の使い手ではないが、師匠である母はクロウよりもっと強い。元々意地で固執してた部分も大きかったので、クロウの中で聖剣への執着が僅かに崩れていく。
「なんか……そういう言い方をされると、どうでもよくなってきた気がする……」
「だろ? そんなクソしょうもない理由でキアラちゃんに壁を作ってたなら、態度改めろよ」
ケイの物言いに、クロウは更に情けなさが倍増してくる。この友人と話していると、意固地になっている自分に、恥ずかしさすら憶えてしまう。
「今更、どう顔を合わせたらいいのか……。出来ない……」
「出来る出来ないじゃない。やれ」
お前はやれば出来る子だ! と陽気に笑うケイはいい感じに酔いが回って来てるのかもしれない。なのに酒に弱い自分が全然酔わない。不思議に思っていると、お前に酒を飲ませたら話すどころじゃねーからな、と笑われた。確かに飲めと言われただけで、それが酒とは言われていない。
まんまと策に乗せられたのが少し悔しくもあるが、口には出さないけれど、聖剣への固執が少し薄らいだことに、珍しくクロウは素直に感謝する。今更虫が良すぎるけど、キアラとも少し話をしてみようと思った。せめて、許してもらえるかどうかはわからないけども……追い詰めた事を謝ろう。
そんなことを考えながら、その夜は珍しく、クロウが酔っ払いの面倒を見ることになった。
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