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エピローグ

 先日から篠崎の様子がおかしい。
 やたらお土産だとシュークリームやアイスを買ってくるのだ。お土産も何も外に出る用事はないはずなのに。
「諒くん、お土産あるよ」
「……ありがとうございます」
 夜仕事から帰ると出迎えと共に言われる言葉。嬉しいのだけれど、なんだかおかしい。
「どうした」
「いえ……今日は外で仕事があったんですか」
「仕事?ないよ」
 リビングに向かう篠崎の後をついていく。仕事がないならなぜ外に出たのだろう。
 もちろん篠崎とて大人なのだし、外出の自由はある。でもなぜ出たのかを言わないところが気になった。いつもなら不安にさせるようなことは決してしないのに。
「……あの、言いたくなければいいんですけど」
 やはり気になり、そう前置きをした。こう言っておけば、言いたくなければ篠崎ならうまく濁すだろうから。
「何かな」
 後ろめたいことがあるような様子もない。平然とソファに座った。なんとなく隣に座る気になれず、その横に立つ。
「……その、どうして外に?」
「うん?買い物だが」
「……何の?」
「諒くんへのお土産」
 あぁ、そうか、とようやく気付く。日本の生活が短い篠崎は、日本語を話すことは問題ないが時折意味をはき違えていることがあるのだ。
「僕にくれるために、わざわざ買いに出てくれたんですか」
「そうだよ。美味しいとネットで見たんだ」
 やはりそうだった。安堵に息を吐く。そしてこみ上げてくる喜び。
「ネットで?」
 訊きながら隣に座る。まだスーツのままだけどたまにはいいだろう。明日は休みなのだし。
「美味しいスイーツで調べたら沢山載っていたんだ」
 ネットで見た、というよりネットで検索したということか。そういえばコンビニスイーツではなくいつもしっかりとした箱に入っているものだった。人気店まで行ってくれていたということだ。急にそこまでしてくれるようになったことは不思議だけれどやはり嬉しい。
「調べるのもわざわざしてくださったんですか」
「俺が、食べさせたいと思ったんだ」
「はい?」
「君に食べさせたいと思った。いろんなものを」
 その言い回しが少し気になったものの、また日本語の言い方の問題だろうと追及はしないことにした。
「嬉しいです。ありがとうございます。今日は何かな」
 立ちあがり冷蔵庫に向かう。最近冷蔵庫にはジュースが増えた。全て篠崎が取り寄せてくれたリンゴジュース。いろんな高級メーカーのものが何種類も入っている。でもその中にスーパーや薬局でも売っている子供向けの小さな紙パック三個セットのものもあるのだ。それに気付いたときは篠崎のチョイスの基準が分からず首を傾げたけれど、飲めば飲んだ分だけ補充されているし、美味しいから気にしないようにしていた。
「あ、これですか」
 右下段にあった白い箱。そっと取り出してみる。何だろう。プリンか、ケーキか。そのまま篠崎の隣に座り、箱を開けた。
「わ!」
 フルーツが沢山載ったタルトだった。イチゴのタルト、キウイのタルト、バナナのタルトもあった。チョコレートのものも。
「すごい、美味しそう」
「夕食は食べたのか」
 金曜ということもあって残業があったので確かに時間は遅い。あまりにも遅くなりそうなときはコンビニで買って仕事をしながら済ませてしまうこともある。けれど今はまだ二十時半だ。
「まだですけど、食べたい。だめですか」
「いいよ」
 ダメ、と言われるかと思ったのに、篠崎は優しく頷いて立ちあがった。そしてお皿とフォークを手に戻ってくる。そんなことしなくていいのにと思いつつ、嬉しくて頬が緩む。
「ご飯が食べれないくらいおやつを食べる日を作ろうと言っただろう」
「え、あれ本気だったんですか」
「本気だよ。諒くんを子供として甘やかすんだ。明日休みだろう。子供になろう」
「え……と」
 思ったのは〝恥ずかしい〟だった。決して嫌とは思わない。篠崎に甘えさせてもらえるなんて嬉しくてたまらない。けれど実際にはどうやって甘えたらいいのかも分からない。
「ほら、どれにする?二つくらい食べられるんじゃないか」
「いいんですか?篠崎は食べない?」
「俺は諒くんが食べているところを見るだけで十分だよ」
 そう言われたので、イチゴとバナナを選んだ。クリームが見えないくらい敷き詰められたフルーツはナパージュで光っている。
「キラキラしてる……」
 綺麗だなと思ったのだ。フルーツの一つ一つがナパージュでコーティングされたような表面。
「諒!」
 そう思っただけだったのに、なぜか篠崎に痛いくらいに抱きしめられた。声が弾んでいる。けれど安西は突然のことに驚き固まった。不快感があるとかではなく、驚いたのだ。
「っ、すまない、大丈夫か」
「あ、はい……や、びっくりしただけなので……僕変なこと言いました?」
「いや……あー……子供みたいだなと思って」
 キラキラしてる。確かにその言葉は子供みたいだ。無意識に選んだ言葉だったのだけれど恥ずかしくなる。
「急に触れてすまなかった。気分が悪くなったりはしていないか」
「大丈夫です」
 微笑みで返してからフィルムを剥いてタルトを食べる。美味しい。甘い。とても優しい甘さ。
「美味しい……すごく美味しいです。ありがとうございます」
「そうか、よかった」
 篠崎はそう言ってコーヒーを飲みながら安西を見ていた。本当に見ているだけでいいらしい。でもこの美味しさを篠崎にも知ってほしかった。
「あの、篠崎も」
「……君は本当に変わらないな」
「え?」
「いや、何でもないよ。ありがとういただくよ」
 篠崎が安西のフォークからタルトを食べた。間接キスだ。ついそう思ってしまった。恥ずかしい。子供みたいだ。
「美味しいな」
 なんだろう。先ほどから篠崎の安西を見る目がいつもと違う気がする。まるで子供を見ているようだ。もう「子供に戻る日」が始まっているのだろうか。
 ――ご飯も食べずにタルトを食べているのだから、きっとそうなのだろう。

 タルトは結局三つも食べてしまった。甘すぎずとても美味しかったのだ。そしてシャワーを終えて寝室に入るとテディの隣に子供向けの絵本を見つける。寝室に篠崎の姿はない。きっとまだ書斎だろう。安西が寝支度を終えてから声を掛けると言ってあるのだ。
「なんだろう」
 手に取ってみる。新品だ。タイトルだけは知っている。昔からある有名な絵本だ。
 そう言えば、と思い出す。そう言えば、先週頭を打った後も寝室で絵本を見つけた。そのとき見つけたのは音の出る絵本だった。
 そのときの様子を思い出す。
「これなんですか」
 そう訊くと篠崎は「君のだよ」としか言わなかった。安西のものではないことは安西が一番よく知っている。雑誌ならまだしも、音の出る絵本。思わず「浮気ですか。子供ができたんですか」と詰め寄った。だってそれ以外にはどう考えても説明がつかなかった。
 でもやはり篠崎は「君のだよ」としか言わなかったのだ。
 確かに浮気なら堂々とは置いていないだろうし、篠崎の様子に違和感はなかった。一体何なんだろう、と思ってみていると既視感に襲われた。知っている、と思ったのだ。見覚えがある。遊んだことがあるような気が。でも――正直ほとんど記憶はないのだけれど、玩具を買ってくれるような母親ではなかったような気がする。それならこれは一体どこで遊んだ記憶なのか。先日夢に見た優しいおじさんが買ってくれたものだったのか。
「これ……」
 篠崎は何も言わなかった。表紙を開けると消防車やパトカーの絵が描かれたボタンがあった。押してみるとウーウーカンカンと音が鳴った。思ったよりも大きな音だった。
「諒くん」
 その時の篠崎もにこにこしていた。今日のように抱きしめられることはなかったけれど、同じように子供を見る目で安西を見ていた。
「なんだったんだろう」
 今寝室にある絵本は音が出るものではない。子供が自分で読むか、読んでもらうためのものだ。――寝室に置かれた絵本。寝かしつけの読み聞かせだろうか。でもなぜ絵本?
 寝かしつけ――そう言えば、それも変わった気がする。前は腕枕でぎゅっと抱きしめて背中を撫でたりとんとんしたりしてくれていたのだけれど、同じく頭をぶつけて以来、「怖くないよ、大丈夫、ずっと一緒にいるよ」と言ってくれるようになったのだ。何も不安なんて訴えてないのに、安心させるようなそれに心がぽかぽかしてあっと言う間に気付いたら朝になっていた。
 あぁ、そうだ、安心と言えばテレビを観ているときもそうだ。ドラマやバラエティーで誰かが喧嘩をするようなシーンが流れると、篠崎は即座に消して「大丈夫、怖くない」と頭を撫でてくれるのだ。よくわからないけれど嬉しくなって身体を篠崎に預けるとぎゅっと抱き留められ、また「大丈夫、いいこ。諒くんはいいこだよ」とそう言うのだ。
 嬉しいけれど、よく分からない。もしかして篠崎には安西が子供に見えているのだろうか。
 手を掲げて見る。ちゃんと大人の手だ。髭だって薄いけれど一応毎日剃っている。隣で篠崎に笑われることもあるけれど。
「うーん」
「どうした」
 突然の声に驚き振り向くとドアのところに篠崎がいた。
「すまない、驚かせたな。大丈夫」
 まただ。「大丈夫」
「篠崎、これなんですか」
 テディの横にあった絵本を見せる。
「絵本だよ」
「誰の?」
「君と俺の」
「僕たちの?」
「そう。買ったんだ」
「なぜ?」
「寝かしつけに絵本がいいと読んだ」
 一体何で読んだのだろう。何を調べようとしたのだろう。けれど子供扱いされるのはやはり悪い気はしない。ただちょっと疑問が頭に残ってしまうのだけれど。
「寝る時間だよ。ほら、お布団に入ろうな」
 やはり言葉が幼い子に対するそれだ。まぁいいや。きっと篠崎の「子供に戻る日」なのだろう。
 その夜は絵本を読んでもらってから抱きしめられた。嬉しかった。母親にも、施設のスタッフにもしてもらったことのない、寝かしつけの絵本。
 子供に戻る日っていいな、そう思いながらまた呆気ないほど簡単に眠りについた――。

「おはよう」
「ん……おはようございます」
「よく寝れたか」
「すごく良く寝れました……」
「まだ眠そうだな」
「はい……」
 甘えるように擦り寄ると、篠崎は一瞬身体をぴくりと跳ねさせ、それでもゆっくりと抱きしめてくれた。
「諒くん」
「ん……」
 まだ眠い、なんて珍しいと自分でも思う。いつもはすっきりと目が覚めるタイプなのだ。もしかしたら眠いのではなく、「子供に戻る日」が終わってしまうのが嫌で駄々を捏ねているだけなのかもしれない。
「可愛い。もう少しねんねかな」
 ねんね。と言うことはまだ子供のままでいてもいいのだろうか。けれど少しずつ羞恥心が芽生えてくる。
「……起きます」
「せっかくの休みなんだ。ゆっくり寝たらいい」
「いえ……タルトも食べたいし」
「そうか」
 先に身を起こした篠崎に手を引かれてベッドを下り、リビングに入る。ソファの前のテーブルにはお菓子が大量に置かれていた。
「え」
「お菓子だよ」
 大量の駄菓子。それからスーパーで売っているような箱に入ったお菓子。見たことのない高級そうな箱に入った焼き菓子。確かにお菓子には変わりないけれど、ピンからキリまで一通り揃えました、という感じのラインナップ。
「どうしたんですか」
「買ってきたんだ」
「篠崎が?」
「他に誰がいるんだ」
「いえ……」
 駄菓子なんて知ってたのか、とビニール袋に大量に入った小さなガムを手に取ってみる。キャラクターの書かれた紙を剥がすと内側に書かれたあみだくじ。懐かしい。これくらいなら施設に入ってから貰ったことがある。
「……早く食べたいな。洗面してきます」
「うん、行っておいで」
 顔を洗い歯を磨いて戻ると、篠崎はジュースを用意してくれていた。子供向けリンゴジュースだ。
「テレビが始まるよ」
 一体何だろう。気になるニュースでもあるのだろうか。そう思いながら隣に座ると篠崎がリモコンを操作した。途端に始まる明るい声。
『みんなーっ!おっはよーう!朝の体操の時間だよ!お兄さんお姉さんと元気に体操しよう!』
「……篠崎?」
「うん?」
 子供に戻る、とは行動だけでなく趣味まで合わせないといけないのだろうか。
 幸せな時間だけれど、これはちょっと勘弁してほしいな、と思った。

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