81 / 81
涙 --エピローグ-- 《竜之介》
しおりを挟む
有栖が眠っている。
病院から戻ってきた有栖は、ひとりで寝ると言って突っぱねたが、僕が半ば強引に一緒に寝ようとベッドに引っ張った。
また一緒に眠れる日が来るなんて。
日常を取り戻したい。
僕と有栖と、そして兄との3人の日常を。
眠っている有栖を起こさないように、そっと有栖の髪に触れる。
有栖が戻ってきてから毎晩繰り返す僕の祈りの儀式だ。
--- 少しでも背中の傷も心の奥に沈めた深い傷も癒えますように。
祈りを込めて背中を静かに撫でる。
そして、少し腕に力を入れて抱きしめる。
「ん……」
と有栖が身動きする。
起こしてしまったかと慌てて力を抜く。
「リュウ…」
有栖の口が小さく動いて僕の名前を呼ぶ。
「リュウ…大丈夫よ…謝らないで…」
横を向いて眠っていた有栖が寝返りをうって仰向けになる。
どうやら寝言のようだ。
僕はふいに目頭が熱くなるのを感じた。
母が自死して有栖が発狂したときも、父親に乱暴されたときも、僕を庇って脊髄に損傷が残ってしまった時も、耐えてきた。
泣く資格はないと思ったから。
ずっとこらえてきた涙がそんな有栖の一言で一筋の涙が溢れてしまった。
普段、固く固く閉ざした僕の心の底に、一筋のその雫は音もなく静かに落ちて沁みていった。僕が本当に隠している感情が顔をもたげる。
有栖……
そばにいられればそれでいいんだよ。
「有栖…愛している」
一度でいい。
どうしても口に出して言ってみたかった。
彼女の前で。
僕は身を起こし、片手でベッドのシーツに肘をついて身体を支えながら、自分の唇を有栖の形の良い唇にそっと自分の唇を寄せた。
僕の前髪の先が有栖の髪に触れた。
ああ…あと数センチだ…。
僕は自分の唇が震えていることに気づいた。
有栖の吐息が僕の唇をくすぐる。
ほんの、ほんのわずかに唇の先が彼女に触れてしまった気がした。
---駄目だ。
近づけた唇を離そうとした時、僕の涙が一滴ぽたりとバラ色の有栖の頬に落ちた。
まつ毛が震えて、有栖がゆっくり目を開く。
まるで眠りの森のお姫様が、長い眠りから目を覚ましたみたいに。
すごく間近に有栖の瞳も唇もある。
有栖は驚くこともなく、スレスレに迫った僕の瞳を見ていた。
しばらく僕らは見つめ合っていたのだろうか。
やがて、少し寝ぼけた表情の有栖は、麻痺が少し残った右手で僕の頬を触れた。
その指は不規則に小さく震えていた。
「リュウ…泣いてるの?」
とろんとした声で有栖は言うと、僕の頬を撫でたあと、手を優しく僕の後頭部にまわした。
そして
「大丈夫よ。泣かないで。……私、夢を見ていたの」
と小さく囁くように呟くと、僕をそっと引き寄せて、唇を重ねてきた。やわらかな温もりが唇に痺れるように広がって、僕の前歯に彼女の小さな舌の先が無防備にほんの少しだけ触れるのを感じた。
やわらかで甘い感覚に、僕の思考は全て停止した。頭が真っ白になるって本当にあるんだな。
ゆっくりゆっくりとその唇を離して、潤んだ目で、有栖は僕に微笑みかけた。
「ふふ…久しぶりにリュウにキスしちゃった…リュウ……私のだいじな……」
そこまで言うと、また目を閉じて、すうっと眠ってしまった。
僕はしばらく呆然としていた。
彼女がその後どんな言葉を続けたかったのかわからない。
けれど、僕には彼女が僕のたった一度の告白に答えてくれたような気がして、自分の罪悪感やどす黒い感情を、有栖の慈愛に、優しく洗い流してもらったような気がした。
勝手な、勝手な、勝手な解釈だけど。
有栖……有栖が僕の腕の中にいる。
そしてもう我慢せずに涙を流した。
もういいんだ。
今は泣いてもいいんだ……。
--- end ---
病院から戻ってきた有栖は、ひとりで寝ると言って突っぱねたが、僕が半ば強引に一緒に寝ようとベッドに引っ張った。
また一緒に眠れる日が来るなんて。
日常を取り戻したい。
僕と有栖と、そして兄との3人の日常を。
眠っている有栖を起こさないように、そっと有栖の髪に触れる。
有栖が戻ってきてから毎晩繰り返す僕の祈りの儀式だ。
--- 少しでも背中の傷も心の奥に沈めた深い傷も癒えますように。
祈りを込めて背中を静かに撫でる。
そして、少し腕に力を入れて抱きしめる。
「ん……」
と有栖が身動きする。
起こしてしまったかと慌てて力を抜く。
「リュウ…」
有栖の口が小さく動いて僕の名前を呼ぶ。
「リュウ…大丈夫よ…謝らないで…」
横を向いて眠っていた有栖が寝返りをうって仰向けになる。
どうやら寝言のようだ。
僕はふいに目頭が熱くなるのを感じた。
母が自死して有栖が発狂したときも、父親に乱暴されたときも、僕を庇って脊髄に損傷が残ってしまった時も、耐えてきた。
泣く資格はないと思ったから。
ずっとこらえてきた涙がそんな有栖の一言で一筋の涙が溢れてしまった。
普段、固く固く閉ざした僕の心の底に、一筋のその雫は音もなく静かに落ちて沁みていった。僕が本当に隠している感情が顔をもたげる。
有栖……
そばにいられればそれでいいんだよ。
「有栖…愛している」
一度でいい。
どうしても口に出して言ってみたかった。
彼女の前で。
僕は身を起こし、片手でベッドのシーツに肘をついて身体を支えながら、自分の唇を有栖の形の良い唇にそっと自分の唇を寄せた。
僕の前髪の先が有栖の髪に触れた。
ああ…あと数センチだ…。
僕は自分の唇が震えていることに気づいた。
有栖の吐息が僕の唇をくすぐる。
ほんの、ほんのわずかに唇の先が彼女に触れてしまった気がした。
---駄目だ。
近づけた唇を離そうとした時、僕の涙が一滴ぽたりとバラ色の有栖の頬に落ちた。
まつ毛が震えて、有栖がゆっくり目を開く。
まるで眠りの森のお姫様が、長い眠りから目を覚ましたみたいに。
すごく間近に有栖の瞳も唇もある。
有栖は驚くこともなく、スレスレに迫った僕の瞳を見ていた。
しばらく僕らは見つめ合っていたのだろうか。
やがて、少し寝ぼけた表情の有栖は、麻痺が少し残った右手で僕の頬を触れた。
その指は不規則に小さく震えていた。
「リュウ…泣いてるの?」
とろんとした声で有栖は言うと、僕の頬を撫でたあと、手を優しく僕の後頭部にまわした。
そして
「大丈夫よ。泣かないで。……私、夢を見ていたの」
と小さく囁くように呟くと、僕をそっと引き寄せて、唇を重ねてきた。やわらかな温もりが唇に痺れるように広がって、僕の前歯に彼女の小さな舌の先が無防備にほんの少しだけ触れるのを感じた。
やわらかで甘い感覚に、僕の思考は全て停止した。頭が真っ白になるって本当にあるんだな。
ゆっくりゆっくりとその唇を離して、潤んだ目で、有栖は僕に微笑みかけた。
「ふふ…久しぶりにリュウにキスしちゃった…リュウ……私のだいじな……」
そこまで言うと、また目を閉じて、すうっと眠ってしまった。
僕はしばらく呆然としていた。
彼女がその後どんな言葉を続けたかったのかわからない。
けれど、僕には彼女が僕のたった一度の告白に答えてくれたような気がして、自分の罪悪感やどす黒い感情を、有栖の慈愛に、優しく洗い流してもらったような気がした。
勝手な、勝手な、勝手な解釈だけど。
有栖……有栖が僕の腕の中にいる。
そしてもう我慢せずに涙を流した。
もういいんだ。
今は泣いてもいいんだ……。
--- end ---
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
【R18】熱い夜の相手は王太子!? ~婚約者だと告げられましたが、記憶がございません~
世界のボボブラ汁(エロル)
恋愛
激しい夜を過ごしたあと、私は気づいてしまった。
──え……この方、誰?
相手は王太子で、しかも私の婚約者だという。
けれど私は、自分の名前すら思い出せない。
訳も分からず散った純潔、家族や自分の姿への違和感──混乱する私に追い打ちをかけるように、親友(?)が告げた。
「あなた、わたくしのお兄様と恋人同士だったのよ」
……え、私、恋人がいたのに王太子とベッドを共に!?
しかも王太子も恋人も、社交界を騒がすモテ男子。
もしかして、そのせいで私は命を狙われている?
公爵令嬢ベアトリス(?)が記憶を取り戻した先に待つのは── 愛か、陰謀か、それとも破滅か。
全米がハラハラする宮廷恋愛ストーリー……になっていてほしいですね!
※本作品はR18表現があります、ご注意ください。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
12年目の恋物語
真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。
だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。
すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。
2人が結ばれるまでの物語。
第一部「12年目の恋物語」完結
第二部「13年目のやさしい願い」完結
第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中
※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる