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ラシア編 Side 空
7日目 未だハバネロフスク
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一体全体、初日の豪雪は例外よ、と言う言葉はなんだったのか……。
ぼくは、窓の外を見ながら思った。
水を飲み、ストレッチをして、水を飲み、シャワーを浴び、水を飲みながら、ぼんやりと窓の外を見つめる。
不意に、ぼくは、日記を書くことにした。
今日旅立つ予定だったが、この分では断念するしかなさそうだ。
ぼくは、セラノワさんの下へ向かった。
今朝のセラノワさんは、シャキッとしていた。
「おはようございます」
セラノワさんは微笑んだ。「おはよー」
「酷い雪ですね」
「ねー」
「昨晩はああ言ったんですけど、もう一泊させてもらおうかと」
「そう来ると思ったわ」セラノワさんは壁掛け時計を見た。「ちょっと早いけど、朝食食べる?」
「良いんですか?」
セラノワさんは頷いて、レセプションカウンターの分厚いガラスに、【30分後に戻ります :)】という掛け札を下げ、隣のドアから出てきた。「準備するわね」と、レセプションカウンターの隣のドアを閉めた。
「手伝います」
セラノワさんは首を傾げた。「なにを?」
ぼくは、セラノワさんは何を疑問に思っているんだろう……、と、少し考えて首を傾げた。「朝食の準備?」
「なんで?」
言われてみれば……。「なんででしょう」
セラノワさんは、楽しそうに笑いながら、小首を傾げた。
なんだか、初日から思っていたけれど、セラノワさんは姿勢が良くて、所作にキレがあって、一挙一動がバレエのようで、気品があり、美しかった。
「別に良いわよ。わたしの朝食のついでだから」セラノワさんは、ぼくを食堂へ案内してくれた。セラノワさんは、歩きながら、人差し指の先からテニスボールサイズの光の球を生み出した。橙色の温かく柔らかな光を発するそれは、セラノワさんの指先を離れると、滑るように宙を進み、薄暗い食堂の、窓際の席の上で止まった。ガスランプくらいの明るさのあるその光の球は、あまり広くはない食堂内をぼんやりと照らすには十分だった。「コーヒー? 紅茶?」
「あ、コーヒーを」
セラノワさんは、にっこりと頷いて、食堂に隣接する厨房へと続くスイングドアを潜っていった。セラノワさんはすぐに戻ってきた。両手には、ソーサーに乗ったカップが二つ。左手のカップからはアールグレイの香りが漂ってきた。右手のカップからは芳醇なコーヒーの香り。セラノワさんは、紅茶を啜りながら、ぼくの向かいに座った。
アールグレイの香りを嗅いだら、ぼくも飲みたくなってきた。アールグレイの茶葉を混ぜたパウンドケーキも食べたい。
じゅわぁ~、と、厨房から、油の弾ける音がしてきた。
セラノワさんは、指を振った。
彼女の指先から出た魔力の霧が、厨房へと流れていく。
その、しなやかで美しい指の動きを見ながら過ごすこと、2、3分。
食堂にある、他のテーブルが、床の上を滑って、ぼくたちのテーブルの横にやってきた。
テーブルクロスが覆い被さると、そのテーブルは、ぼくたちのテーブルの横にピッタリとくっついた。
厨房の扉が開き、料理の載ったお皿が、スーッと滑るように宙を進みながら、ぼくたちのテーブルの上に乗った。
メインのチキンソテーには、様々な野菜が添えられていた。
木あみのバスケットに入ったバゲットのスライス。
スープ皿に入っているのは、ハバネロ入りのボルシチではなく、グヤーシュだった。
木のボウルに盛られたサラダ、小皿に乗ったグレープフルーツ、小さなカップに入ったヨーグルト。
ヨーグルトの上には、グラノーラが散らされていた。
三種のケーキが4つずつ乗った、背の低いタワーがテーブルに乗り、コーヒーのポットとお湯の入ったポット、紅茶のパックの入った小皿が乗り、そして、厨房へのドアは閉じた。
ぼくは両手を合わせ、「いただきます」と呟いてから、瞳を閉じるセラノワさんが、短く祈りを捧げ、十字を切るのを見守った。
「豪華ですね」ぼくは、チキンのソテーを、カトラリーで切り分けた。
「まあね」セラノワさんは、アールグレイを啜った。「朝のビュッフェは必要ないでしょ?」
ぼくは頷いた。
そんな質問をされたら頷くしかない。
けれど、実際、こんな充実した朝食を食べたら、少なくとも午前中はレストラン探しをする必要はなさそうだ。
「午後からは晴れるみたいよ」
「良かった」
「雪かきをするの。一緒にどう? 雪の巨人一体につき、街から30FUが支払われるわ」
「街から?」
「中心街の方に市庁舎がある。そこで申し込みをするのよ」セラノワさんは、グヤーシュのスープをスプーンで掬い上げ、音を立てずに啜った。「ラシアでの宿屋の運営は楽なもんよ。ただ開いてるだけで、毎週食料が支給される。従業員の分と、前の週の来客数分ね。水はタダだし、薪は必要に応じて支給される。従業員一人に対して120FU毎週支給される」
「良いですね」ぼくは、チキンのソテーを口に運んだ。
ーーー
昼ごろ、雪は止んだ。
セラノワさんと一緒に通りに出たぼくは、宿屋の入り口で、杖を抜いた。
通りに積もっている雪が、もこもこと盛り上がり、3m~5mほどの、雪と氷の巨人になる。
箒に乗って空に浮かぶ魔女は、巨人の頭に寄って、そこからメジャーを垂らした。
ぼくの前に、メジャーの収納部分が落ちた。
魔女を見上げると、彼女はメジャーのメモリを確認して、手に持ったボードに万年筆を走らせた。
箒の上の魔女は、ぼくを見て、頷いた。
ぼくは、雪と氷の巨人に向かって魔力を送り込んだ。
巨人はどしん、どしん、と動き出して、街の外へ向かって行った。
箒に乗った魔女が、ぼくを見下ろして、再び小さく頷き、手に持ったボードに筆を走らせた。
セラノワさんも、少し離れたところで巨人を生み出していた。
巨人一体につき、30FUと言っていたが、巨人一体を作り出すだけで、どっと疲れてしまった。
面倒臭いので、あと、3、4体作ったら、終わりにしよう。
そう思いながら、ぼくは杖を振るった。
1時間後、疲れ切ったぼくは、震える手を上げて、箒の上の魔女を呼んだ。
「お疲れ様でした」と、魔女は言った。彼女は、ぼくに240FUを、紙幣で手渡した。
ぼくは眉をひそめた。
ぼくが作った雪の巨人は6体。
これじゃもらいすぎでは?
「大きな巨人だったわね」魔女は、無表情ながらに言った。「一体につき40FUを支払うわ」
「ありがとうございます」
魔女は、事務的に頷いた。「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
見れば、セラノワさんは、その端正な顔に汗と疲労の色を浮かべていたが、まだ作業を続けていた。
ぼくは、セラノワさんに頷きかけて、魔女にお辞儀をして、宿屋に戻った。
なんだか効率が悪い気がしたというか、監督官気取りで除雪を手伝おうとせずに上から見下ろすばかりの魔女たちに軽くイラッとしたけれど、1時間半の労働で240FUなら、良い仕事のような気がした。
ぼくは、シャワーを浴びて、昼寝をすることにした。
ーーー
昼寝から目を覚ましたぼくは、最後に、街を見ていくことにした。
ジェロームくんを首に巻いて、レセプションの前を通り過ぎた時、セラノワさんは分厚いガラスの向こうで、椅子をベッドのように並べて、その上で眠っていた。
街を歩いたが、セラノワさんの言う通り、この街にはハバネロ料理以外には、のんびりとした雰囲気くらいしか、見どころがなかった。
食料品や雑貨を買って周ったぼくは、夕方、夕陽を見つめてしばしの間過ごし、宿に戻った。
道中、ふと、除雪された足元が、カラフルなオレンジ色のレンガ畳みだということに気がついた。
雪に輝く街並みも美しいが、次は、夏に来たいな……。
「明日は、雪が降っても行くよ」
『はいよ』と、ジェロームくんは言った。
宿屋の食堂は、相変わらず閑散としていた。
ぼくは、ステーキを注文した。
付け合わせはライスにした。
当然だけれど、味噌汁はなかった。
ジェロームくんには、ハバネロルクと玉ねぎなしのハンバーグを注文した。
食事を楽しんでいると、セラノワさんがやってきた。
「お疲れー」と、セラノワさんは言った。
「お疲れ様です。ちゃんと休めてますか?」
「昼寝すれば大丈夫」セラノワさんは、レジでステーキを注文した。
「タフですね」
「ラシアの女は強いのよ」
「明日は、雪が降っても行こうかと思います」
セラノワさんは、ステーキを食べながら、頷いた。「明日は雪が降らないみたいよ」
「良かった。雪は綺麗だけれど、こうも豪雪が続くと」
「うんざりするわよね」セラノワさんは、無感情に言った。「寂しくなるわ。あなたが出ていったら、明日からレセプショニストを名乗れなくなる。雪かき屋さんになっちゃう」
「また来ますよ。夏にでも」
「夏は綺麗よ。少し暑いくらい。見どころもあるわ。この街全部が彩りを取り戻して、通りの中央には花壇が並ぶの」
「素敵ですね」
セラノワさんは、ぼくを見て、小さく笑った。「あなたって、男っぽいけど、やっぱり女の子ね」
「ぼくの心は男ですよ」
「男から目を向けられるのは嫌なんでしょ?」
「誰でもそうでしょう。可愛いって言われるのは好きですけど」
セラノワさんは頷いた。「旅をしている間は、誰もあなたに何かを押し付けたりはしないわ」
ぼくは、ステーキを口に運びながら頷いた。
「楽しみなさい」
「楽しんでますよ」
「もっと楽しくなるわ。ラシアは、良いところがたくさんある」
「みんな親切ですものね」
セラノワさんは、ぼくを見た。
ぼくは、セラノワさんを、手の平で示した。
セラノワさんは、温かく微笑んだ。「あなたが良い子だからよ」
「それに可愛いし」
セラノワさんは、楽しそうな顔で首を傾げた。「わたしの方が可愛い」
「ご冗談でしょう」
「あぁん?」
ミルクに顔を突っ込んでいたジェロームくんは、跳ねるように顔を上げて、ぼくとセラノワさんを見た。『おぉっと』彼は、口元についたミルクを舐めた。
ぼくの背筋を、冷たい汗が伝った。「ごめんなさい」ぼくは言った。「でも、セラノワさんは綺麗系です。可愛いはぼくの専門分野です」
セラノワさんは、考えるように目を動かして、そして、にっこり微笑んだ。「それなら良いわ」
ぼくは微笑んだ。
『女ってやつは……』と、ジェロームくんが言った。
ぼくは、窓の外を見ながら思った。
水を飲み、ストレッチをして、水を飲み、シャワーを浴び、水を飲みながら、ぼんやりと窓の外を見つめる。
不意に、ぼくは、日記を書くことにした。
今日旅立つ予定だったが、この分では断念するしかなさそうだ。
ぼくは、セラノワさんの下へ向かった。
今朝のセラノワさんは、シャキッとしていた。
「おはようございます」
セラノワさんは微笑んだ。「おはよー」
「酷い雪ですね」
「ねー」
「昨晩はああ言ったんですけど、もう一泊させてもらおうかと」
「そう来ると思ったわ」セラノワさんは壁掛け時計を見た。「ちょっと早いけど、朝食食べる?」
「良いんですか?」
セラノワさんは頷いて、レセプションカウンターの分厚いガラスに、【30分後に戻ります :)】という掛け札を下げ、隣のドアから出てきた。「準備するわね」と、レセプションカウンターの隣のドアを閉めた。
「手伝います」
セラノワさんは首を傾げた。「なにを?」
ぼくは、セラノワさんは何を疑問に思っているんだろう……、と、少し考えて首を傾げた。「朝食の準備?」
「なんで?」
言われてみれば……。「なんででしょう」
セラノワさんは、楽しそうに笑いながら、小首を傾げた。
なんだか、初日から思っていたけれど、セラノワさんは姿勢が良くて、所作にキレがあって、一挙一動がバレエのようで、気品があり、美しかった。
「別に良いわよ。わたしの朝食のついでだから」セラノワさんは、ぼくを食堂へ案内してくれた。セラノワさんは、歩きながら、人差し指の先からテニスボールサイズの光の球を生み出した。橙色の温かく柔らかな光を発するそれは、セラノワさんの指先を離れると、滑るように宙を進み、薄暗い食堂の、窓際の席の上で止まった。ガスランプくらいの明るさのあるその光の球は、あまり広くはない食堂内をぼんやりと照らすには十分だった。「コーヒー? 紅茶?」
「あ、コーヒーを」
セラノワさんは、にっこりと頷いて、食堂に隣接する厨房へと続くスイングドアを潜っていった。セラノワさんはすぐに戻ってきた。両手には、ソーサーに乗ったカップが二つ。左手のカップからはアールグレイの香りが漂ってきた。右手のカップからは芳醇なコーヒーの香り。セラノワさんは、紅茶を啜りながら、ぼくの向かいに座った。
アールグレイの香りを嗅いだら、ぼくも飲みたくなってきた。アールグレイの茶葉を混ぜたパウンドケーキも食べたい。
じゅわぁ~、と、厨房から、油の弾ける音がしてきた。
セラノワさんは、指を振った。
彼女の指先から出た魔力の霧が、厨房へと流れていく。
その、しなやかで美しい指の動きを見ながら過ごすこと、2、3分。
食堂にある、他のテーブルが、床の上を滑って、ぼくたちのテーブルの横にやってきた。
テーブルクロスが覆い被さると、そのテーブルは、ぼくたちのテーブルの横にピッタリとくっついた。
厨房の扉が開き、料理の載ったお皿が、スーッと滑るように宙を進みながら、ぼくたちのテーブルの上に乗った。
メインのチキンソテーには、様々な野菜が添えられていた。
木あみのバスケットに入ったバゲットのスライス。
スープ皿に入っているのは、ハバネロ入りのボルシチではなく、グヤーシュだった。
木のボウルに盛られたサラダ、小皿に乗ったグレープフルーツ、小さなカップに入ったヨーグルト。
ヨーグルトの上には、グラノーラが散らされていた。
三種のケーキが4つずつ乗った、背の低いタワーがテーブルに乗り、コーヒーのポットとお湯の入ったポット、紅茶のパックの入った小皿が乗り、そして、厨房へのドアは閉じた。
ぼくは両手を合わせ、「いただきます」と呟いてから、瞳を閉じるセラノワさんが、短く祈りを捧げ、十字を切るのを見守った。
「豪華ですね」ぼくは、チキンのソテーを、カトラリーで切り分けた。
「まあね」セラノワさんは、アールグレイを啜った。「朝のビュッフェは必要ないでしょ?」
ぼくは頷いた。
そんな質問をされたら頷くしかない。
けれど、実際、こんな充実した朝食を食べたら、少なくとも午前中はレストラン探しをする必要はなさそうだ。
「午後からは晴れるみたいよ」
「良かった」
「雪かきをするの。一緒にどう? 雪の巨人一体につき、街から30FUが支払われるわ」
「街から?」
「中心街の方に市庁舎がある。そこで申し込みをするのよ」セラノワさんは、グヤーシュのスープをスプーンで掬い上げ、音を立てずに啜った。「ラシアでの宿屋の運営は楽なもんよ。ただ開いてるだけで、毎週食料が支給される。従業員の分と、前の週の来客数分ね。水はタダだし、薪は必要に応じて支給される。従業員一人に対して120FU毎週支給される」
「良いですね」ぼくは、チキンのソテーを口に運んだ。
ーーー
昼ごろ、雪は止んだ。
セラノワさんと一緒に通りに出たぼくは、宿屋の入り口で、杖を抜いた。
通りに積もっている雪が、もこもこと盛り上がり、3m~5mほどの、雪と氷の巨人になる。
箒に乗って空に浮かぶ魔女は、巨人の頭に寄って、そこからメジャーを垂らした。
ぼくの前に、メジャーの収納部分が落ちた。
魔女を見上げると、彼女はメジャーのメモリを確認して、手に持ったボードに万年筆を走らせた。
箒の上の魔女は、ぼくを見て、頷いた。
ぼくは、雪と氷の巨人に向かって魔力を送り込んだ。
巨人はどしん、どしん、と動き出して、街の外へ向かって行った。
箒に乗った魔女が、ぼくを見下ろして、再び小さく頷き、手に持ったボードに筆を走らせた。
セラノワさんも、少し離れたところで巨人を生み出していた。
巨人一体につき、30FUと言っていたが、巨人一体を作り出すだけで、どっと疲れてしまった。
面倒臭いので、あと、3、4体作ったら、終わりにしよう。
そう思いながら、ぼくは杖を振るった。
1時間後、疲れ切ったぼくは、震える手を上げて、箒の上の魔女を呼んだ。
「お疲れ様でした」と、魔女は言った。彼女は、ぼくに240FUを、紙幣で手渡した。
ぼくは眉をひそめた。
ぼくが作った雪の巨人は6体。
これじゃもらいすぎでは?
「大きな巨人だったわね」魔女は、無表情ながらに言った。「一体につき40FUを支払うわ」
「ありがとうございます」
魔女は、事務的に頷いた。「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
見れば、セラノワさんは、その端正な顔に汗と疲労の色を浮かべていたが、まだ作業を続けていた。
ぼくは、セラノワさんに頷きかけて、魔女にお辞儀をして、宿屋に戻った。
なんだか効率が悪い気がしたというか、監督官気取りで除雪を手伝おうとせずに上から見下ろすばかりの魔女たちに軽くイラッとしたけれど、1時間半の労働で240FUなら、良い仕事のような気がした。
ぼくは、シャワーを浴びて、昼寝をすることにした。
ーーー
昼寝から目を覚ましたぼくは、最後に、街を見ていくことにした。
ジェロームくんを首に巻いて、レセプションの前を通り過ぎた時、セラノワさんは分厚いガラスの向こうで、椅子をベッドのように並べて、その上で眠っていた。
街を歩いたが、セラノワさんの言う通り、この街にはハバネロ料理以外には、のんびりとした雰囲気くらいしか、見どころがなかった。
食料品や雑貨を買って周ったぼくは、夕方、夕陽を見つめてしばしの間過ごし、宿に戻った。
道中、ふと、除雪された足元が、カラフルなオレンジ色のレンガ畳みだということに気がついた。
雪に輝く街並みも美しいが、次は、夏に来たいな……。
「明日は、雪が降っても行くよ」
『はいよ』と、ジェロームくんは言った。
宿屋の食堂は、相変わらず閑散としていた。
ぼくは、ステーキを注文した。
付け合わせはライスにした。
当然だけれど、味噌汁はなかった。
ジェロームくんには、ハバネロルクと玉ねぎなしのハンバーグを注文した。
食事を楽しんでいると、セラノワさんがやってきた。
「お疲れー」と、セラノワさんは言った。
「お疲れ様です。ちゃんと休めてますか?」
「昼寝すれば大丈夫」セラノワさんは、レジでステーキを注文した。
「タフですね」
「ラシアの女は強いのよ」
「明日は、雪が降っても行こうかと思います」
セラノワさんは、ステーキを食べながら、頷いた。「明日は雪が降らないみたいよ」
「良かった。雪は綺麗だけれど、こうも豪雪が続くと」
「うんざりするわよね」セラノワさんは、無感情に言った。「寂しくなるわ。あなたが出ていったら、明日からレセプショニストを名乗れなくなる。雪かき屋さんになっちゃう」
「また来ますよ。夏にでも」
「夏は綺麗よ。少し暑いくらい。見どころもあるわ。この街全部が彩りを取り戻して、通りの中央には花壇が並ぶの」
「素敵ですね」
セラノワさんは、ぼくを見て、小さく笑った。「あなたって、男っぽいけど、やっぱり女の子ね」
「ぼくの心は男ですよ」
「男から目を向けられるのは嫌なんでしょ?」
「誰でもそうでしょう。可愛いって言われるのは好きですけど」
セラノワさんは頷いた。「旅をしている間は、誰もあなたに何かを押し付けたりはしないわ」
ぼくは、ステーキを口に運びながら頷いた。
「楽しみなさい」
「楽しんでますよ」
「もっと楽しくなるわ。ラシアは、良いところがたくさんある」
「みんな親切ですものね」
セラノワさんは、ぼくを見た。
ぼくは、セラノワさんを、手の平で示した。
セラノワさんは、温かく微笑んだ。「あなたが良い子だからよ」
「それに可愛いし」
セラノワさんは、楽しそうな顔で首を傾げた。「わたしの方が可愛い」
「ご冗談でしょう」
「あぁん?」
ミルクに顔を突っ込んでいたジェロームくんは、跳ねるように顔を上げて、ぼくとセラノワさんを見た。『おぉっと』彼は、口元についたミルクを舐めた。
ぼくの背筋を、冷たい汗が伝った。「ごめんなさい」ぼくは言った。「でも、セラノワさんは綺麗系です。可愛いはぼくの専門分野です」
セラノワさんは、考えるように目を動かして、そして、にっこり微笑んだ。「それなら良いわ」
ぼくは微笑んだ。
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