上 下
31 / 40
ラシア編 Side 空

6日目 18:00 スヴィルア鉄道最東端の駅舎にて

しおりを挟む
18:00


 ぼくは、ハバネロフスクにある、鉄道列車の駅に来ていた。

 野宿をしながらの冒険をするか、スヴィルア鉄道に乗って2週間の気軽な旅行をするか。
 個人的にはどちらも捨て難いが、最終的には値段を見て決めることにした。

 三つあるチケットカウンターは、真ん中以外閉まっていた。
 待合室代わりのベンチには、十数人ほどが座っていた。
 みんな、硬い顔でぼんやりとしながら、列車を待っていた。

 ぼくは、チケットカウンターへ向かった。

 分厚いガラスの向こうにいるのは、ラシアのイケメンだった。「やあ、こんにちは」キラーン、と、彼の真っ白な歯が光った。

 眩しい。

 彼は間違いなく歯列矯正をしていた。

「あの、マスクヴァまでっていくらしますか?」

 彼は、カウンターに置かれている料金表を指さした。「一番安いクラスが、ドミトリーで200FUだよ。もうちょい広い個室なら600FU。更に広い個室なら1200FU」

「スライムのレンタルって、ありますか?」

「あるよー、料金表はないけど、この時期でマスクヴァまでだと、ムキムキのスライムが900FUで、スプリンタースライムが850FU、普通のスライムが400からだな」

「スプリンタースライム?」

「あぁ、珍しいよな。でも、珍しいだけだ。取り込んでもらっても、クッション性がないから、走ってる時は揺れが酷いし、寝心地は最悪だし、外で寝るときは寒いのなんの。背中も痛いしな。宿泊を考えず、速度重視で行きたい旅人向けだな」

「なるほど……」ぼくは、料金表を見た。
 そこには、地図のようなものもある。
 ぼくは、少しだけ考えた。

 こうしよう。
 経路を三つに分ける。
 途中までは野宿。
 サンクト・トルーツクからはスライム。
 サンクト・フローレンスブルグからはスヴィルア鉄道だ。
 スヴィルア鉄道は、乗り換えを利用することで、ファンランドのハルシンキまで続いていた。
「サンクト・トルーツクでも、スライムは借りれますか?」

「あぁ、もちろん。サンクト・トルーツクまでにするかい?」

「いえ、箒で行きます。ごめんなさい。節約をしたいので」

 おにいさんは、眉をひそめた。「この時期のイースト・ラシアは、寒さが厳しいぞ?」

『そうだぞ?』と、ぼくの首に巻きついていたジェロームくんが言った。

 ジェロームくんのことを思うと、確かにスヴィルア鉄道を使いたい気もするが、雪原でのキャンプは、ぼくの幼い頃からの夢だった。
 雪の中、星空の下で、焚き火を見ながら、熱々のコーヒーを啜るのだ。
「コートがあるので」

 おにいさんは、小さく笑った。「引き止める義理はないけど、本当に気をつけろよ? クマだって出るし、オオカミとか、シカとかもいる」

「大丈夫です、頼りになる子が一緒なので」

 ジェロームくんは、ぼくの首に巻きつきながら、『しょうがないにゃ~……』と、呆れたように言った。

 おにいさんは、心配するような目をしたままだった。「お金がないなら、俺が、そうだな、30FUだけなら出せるぞ?」

「こらっ、スタニスラスっ! またナンパかいっ!」

 おにいさんの背中、チケットカウンターの奥から、野太い女性の声が聞こえてきた。

「違うよママっ! 仕事中にそんなことするわけないだろっ!」スタニスラスさんは、自分の背中に向かって声を張りあげた。「だいたいっ、またってなんだよっ! ぼくがやったのは一回だけじゃないかっ!」

 ジェロームくんが、カウンターに飛び降りて、スタニスラスさんの怒鳴った先を見て、ニヤニヤした。『うひょーっ、こえー、ラシア美女だ……』

「美女なの?」ぼくはひそひそ声でジェロームくんに聞いた。声の感じから、てっきり、樽のような体をしているもんだとばかり。

「なんだい違うのかいっ!」と、スタニスラスさんのお母さんは、チケットカウンターの奥から声を張り上げた。「いったいいつになったら孫の顔を見せてくれるんだいっ! あんたもラシアの男ならナンパの一つでも成功させてみなっ!」

「余計なお世話だよっ!」
「あんたのお父さんは凄かったよっ! 出逢って30分で気づいたらベッドの上さっ!」
「ママっ! やめてくれっ! こんな時にこんなところでそんな話聞きたくないよっ!」
「いつなら良いって言うんだいっ! あんたが大好きなトゥインクル・ウォーズのユーク・スカイなんとかのベッドカバーに潜って頬擦りし始めた時かいっ!」
「一生嫌だよっ!」

 確かに、子守唄に両親のセックスの話なんか聞きたくないよな……、と思いながら、チケットカウンターに身を寄せて、スタニスラスさんの怒鳴る先を見ようとしたが、ちょうど何者かの手によってカーテンが閉められたところで、彼のお母さんの姿を見ることは出来なかった。

「たくっ……」スタニスラスさんは、顔を真っ赤にして、ぼくを振り返った。

 ぼくは慌ててチケットカウンターから一歩離れた。

 背後の待合室からは、スタニスラスさんと彼のお母さんの応酬を聞いたであろう人々のクスクス笑いが聞こえてきた。

 面白いけど、恥ずかしいからやめて欲しかった。

「恥ずかしいところ見せたね」

 ぼくは頷いた。

「駅舎の三階に住んでるんだけど、キッチンは一階でね。今夜はどうやらミートローフみたいだ」と、済ました顔のスタニスラスさん。「ところで、お嬢ちゃん、お腹空いてる?」

「いえ、さっき食べたばかりです。中央広場のお店で、クスクスを」
「おっ、ドローブルかな?」
「確か、そんな感じの名前でした」
「あそこのクスクスは美味しいよな。ぼくもたまに食べに行くんだよ」
「コンソメが効いてましたね」
「良いよねー。良かったら一緒にどう?」
「へっ?」
「1時間後に出る列車を見送ったら仕事終わるんだ」
「あ、無理です」

 ジェロームくんはチケットカウンターの窓ガラスをパンチし、スタニスラスさんは、ビクッ、とした。

 ジェロームくんは口元をペロリとした。『さっき食ったって言っただろ。下手なナンパは犯罪だぞ』

 スタニスラスさんはしょんぼりした。「……残念」

 なんだか、ちょっとだけ彼が不憫に思えてきた。「イケメンなのに、彼女いないんですか?」

「15の時に酷い振られ方をしてね、それっきり女の子がトラウマなんだ」

 ジェロームくんは、『けっ……、お坊ちゃんが……』と、吐き捨てて、再びぼくの首に巻きついた。

 その時、カウンターの向こうから、シャッ! と、勢いよくカーテンの開く音がした。「いつまでも女々しいこと言ってるんじゃないよっ! 情けない子だねっ!」

「ありがとよっ! ママっ!」スタニスラスさんは、顔を真っ赤にして、額に血管を浮かべて、再び、自分の背中に向けて声を張り上げた。

 ぼくは、今度こそラシア美女の顔を見ようと、チケットカウンターのガラスに顔を寄せたが、またしても、ぼくがその美貌を目にする前に、スタニスラスさんのお母さんは、シャッ! と、カーテンを閉じて、その花柄の生地の向こうに隠れてしまった。

 待合室が笑い声で溢れていた。

 こちらに顔を戻したスタニスラスさんは、照れたように笑っていた。
 これも彼の仕事の一つなのだろう。

 ぼくは、彼にお礼を言って、駅舎を後にした。


19:00


 先日、暖を取るために寄った宿屋の近くの食堂で、ぼくはハバネロシチとハバネロシキを食べ、ジェロームくんはハバネロルクを啜った。

 旅先で食べるためのお土産に、1ダースのハバネロシキを購入して、包んでもらった。

「ハバネロシチのレシピって、教えていただけたりしますか?」

 恰幅の良い女性は、ウィンクをした。「気に入ったんだね。でも、企業秘密だよ」

 企業秘密ならしょうがない。
 ぼくは、おやすみなさいと、女性と挨拶を交わして、ひどい雪の中、宿屋に戻り、セラノワさんに、宿泊の延長はしないことを告げた。

 シャワーを浴び、湯船に浸かり、パジャマに着替える。

 日記を書いたぼくは、ベッドに入り、眠りについた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【第一部】異世界を先に生きる ~先輩転移者先生との異世界生活記!~

月ノ輪
ファンタジー
―私達と共に来てくれないか? 帰る方法も必ず見つけ出そう。 平凡な中学生の雪谷さくらは、夏休みに入った帰り道に異世界に転移してしまう。 着いた先は見慣れない景色に囲まれたエルフや魔族達が暮らすファンタジーの世界。 言葉も通じず困り果てていたさくらの元に現れたのは、20年前に同じ世界からやってきた、そして今は『学園』で先生をしている男性“竜崎清人”だった。 さくら、竜崎、そして竜崎に憑りついている謎の霊体ニアロン。彼らを取り巻く教師陣や生徒達をも巻き込んだ異世界を巡る波瀾万丈な学園生活の幕が上がる! ※【第二部】、ゆっくりながら投稿開始しました。宜しければ! 【第二部URL】《https://www.alphapolis.co.jp/novel/333629063/270508092》 ※他各サイトでも重複投稿をさせて頂いております。

チート幼女とSSSランク冒険者

紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】 三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が 過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。 神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。 目を開けると日本人の男女の顔があった。 転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・ 他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・ 転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。 そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語 ※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。

転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。

ファンタジー
〈あらすじ〉 信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。 目が覚めると、そこは異世界!? あぁ、よくあるやつか。 食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに…… 面倒ごとは御免なんだが。 魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。 誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。 やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

雪月 夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

闇の世界の住人達

おとなのふりかけ紅鮭
ファンタジー
そこは暗闇だった。真っ暗で何もない場所。 そんな場所で生まれた彼のいる場所に人がやってきた。 色々な人と出会い、人以外とも出会い、いつしか彼の世界は広がっていく。 小説家になろうでも投稿しています。 そちらがメインになっていますが、どちらも同じように投稿する予定です。 ただ、闇の世界はすでにかなりの話数を上げていますので、こちらへの掲載は少し時間がかかると思います。

処理中です...